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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第二章
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漆黒の狩人 009

 ぬらりと光る黒いレザーコートに艶やかな黒髪はまるで鴉のようだ。だが、彼が生ゴミを漁りに来たわけではないことはわかっている。

 〈カニス・マイヨール〉を飛び出して、エルザは彼を追う。まるで誘き寄せるかのように彼の姿は人気のない方へと進んでいく。

 無視することもできたが、彼が現れると不都合がある。アルドの視界に入ってほしくはないのだ。

 まるで母親のようだ。彼自身を守ることもそうだが、彼の世界を守ってやることも必要に思えるのだ。


 路地裏で振り返ったジュガは微笑むが、なんとも不気味である。彼はエルザに不安を抱かせる。

「男に現を抜かして俺に気付かなければ攫うつもりだった」

 店に乗り込んで来るつもりだったのか。冗談か、本気か。どちらにしてもアルド達が信じてきた不可侵などというものはまるで意味がない。

 エルザが入口近くの窓際の席に座るのは単に人間観察が趣味だからではない。不審者がいないか監視するためだ。この男はエルザからすれば紛れもない不審者である。

 今日は胸元にペンダントはないが、彼がヘルクレスの殺し屋であるのは間違いない。

「どういうつもりなの?」

 エルザは苛立ちを隠さなかった。

 目を細めるジュガはそれがエルザの怒りを煽るということをわかっていて、楽しんでいるのだろう。

「面白いことを教えてやろうと思ってな」

「聞かない。アナタのセンスにはついていけないから」

 先日の件にしてもそうだ。何も面白いことなどなかった。

「言っただろう? 俺には媚びておいた方がいい」

 まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるかのようだ。それはエルザの中の忌まわしい記憶を呼び起こす。

「お願い、彼らには近付かないで」

 敵に懇願するなど馬鹿げている。

 だが、彼が『媚びろ』と言うのなら、それだけは約束させなければならなかった。命乞いをするつもりはない。

「元より興味はない」

「もうこの近くでアナタの姿は見たくない」

 アルド達を手にかけることなどジュガは考えていないだろう。

 それでも既に彼を知ってしまったアルドの心は穏やかでなくなる。

 エルザとしては彼のような純粋な少年をこの男が持つ殺気や狂気というものに充てたくなかった。

「お前は……」

 すっと伸ばされる指先にエルザは後退する。

「俺が怖いのか?」

 薄い唇を吊り上げ、ジュガは嘲笑うかのように問いかけてくる。

「アナタは有害だわ」

 ジュガを見据え、吐き捨てるエルザは恐怖など感じていないと言ってやりたかった。怖いのは彼ではない。

「生まれた時から有害指定のお前には言われたくない」

「それでうまいことを言ったつもりなの?」

 エルザは全く笑えなかった。彼の言うことは少しだけ間違っているからだ。

「残念だけど、アタシはね、生まれる前から有害指定なのよ。ママのお腹の中に宿って、ついてないって判明したその時から」

 エルザが〈呪われ子〉や〈災厄の獅子〉と言われるようになったのは、この世に生まれ落ちるよりも前のことだ。

 生まれる子供に罪はない。そんな台詞をどこかで聞く度にエルザは思ってきた。自分に関して言えば生まれることが罪なのだ、と。母の胎内に宿る赤子に待ち受ける迫害を知る術などなく、生まれるために大罪を犯した。貪欲に、生きるために、母の命を食らった。

「哀れなものだ。俺ならお前を愛してやれるというのに、お前は偽りの愛に溺れて真実から目を背ける」

 ジュガは嘆かわしいと言わんばかりだが、エルザは確信を持って返す。

「真実の愛は裏切ったりしない、兄さんの言葉をアタシは信じるだけ。それに、アナタはアタシを愛してなどいない。憎んでいるのよ」

 彼が全ての真実を知っているわけでもない。彼の言う愛の裏側は見えている。

「お前が恐れているのは、失うことだったな?」

 一瞬、ジュガの眉間に皺が刻まれたのがわかったが、言い当てられたエルザは隙を作ってしまった。

 彼が現時点で自分を殺す気がないからといって油断していた。

 まずいと思った時にはもう遅かった。ジュガはその緩みを見逃してはくれなかった。

 そして、エルザは意識を手放した。



 意識が覚醒し、エルザは目を閉じたまま気配を探る。

 目は何かに覆われ、腕は縛り上げられている。けれど、背中の感触は決して硬くはない。少し肌寒さを感じるのはほとんど裸に近いからか。かろうじて下着は身につけているようだ。

 エルザを絶望させるほどのことではないが、彼が何を考えているか読めないからこそ厄介だった。

 それにしても、とんでもない失態だった。命を奪われることは、まだありえないと確信していた。だが、屈辱はまた別の話だ。

 近くで何かが動く気配がある。エルザは覚醒を悟られないように探っていたが、不意に髪を梳く手にエルザの体は跳ねる。

「姫は王子の口付けでしか目覚めないと思っていたが、俺の姫は違うらしい。それとも、俺はお前の王子ではないと言いたいのか」

 すぐ側で響く声、ジュガの表情は見えないが、その方が幸せなのかもしれない。真意が伺えないのなら彼の顔など見たくもなかった。

 自由にならない両腕が恨めしく、貼り付く視線を感じて不快ではあったが。

「ここはどこ?」

 ジュガのある種の冗談に付き合えば疲労するだけだと判断してエルザは問う。わざわざ彼を楽しませてやる必要はない。

「エリック・アストンの部屋」

「なっ……」

 まともに答えると思っていたわけでもない。

 あまりにもあっさりと出された答えにエルザは愕然とした。あまりに想定外の、あってはならないものだった。

 目を見開いたところで視界は闇に覆われている。縛られた腕も固定されて動かない。

「このベッドの上であの男は死んでいたらしいな。全身を滅多刺しにされ、その体には薬物と情交の痕跡が残っていた」

「そんな……」

 ジュガが語る死の状況をエルザは目の当たりにしている。彼はどこかで仕入れた情報を口にしているだけにすぎないだろう。聞きたくはないが、抜けている部分もある。

 エルザは第一発見者でもある。当時の映像が脳裏にはっきりと映し出される。

 いつも笑っていた顔は青白く表情をなくし、温かい印象からは考えられないほど体は冷えていた。

「どうだ? そのベッドでこれから犯されるという気分は」

 声だけでジュガが楽しんでいることは十分にわかった。

 彼はデュオ・ルピを本物の悪魔だと称するが、彼とて正常な人間には思えない。

「くそっ……!」

 悪態を吐けば、唇に触れるものがある。

「この愛らしい唇に俺は口のきき方というものを教え込んだ方がいいか」

 革手袋の感触、形を確かめるようにゆっくりと撫でる指に思い切り噛み付いてやりたくとも叶いはしない。

 お見通しだとばかりに離れていくのが恨めしい。

「死者を冒涜する奴は許さない!」

 死者には敬意を払うのがエルザの流儀だった。事件の時のままの部屋を荒らすことはエルザにとって許されないことだ。

「死者、か。お前は奴を愛していたのではないのか?」

「違う、そんなんじゃない!」

 冷静ではいられなかった。恐ろしいのかもしれない。だが、彼に恐怖しているのではない。

「お前は嘘吐きだが、体に聞けばわかることだな」

 降りていく指が鎖骨を撫で、左胸に触れる。繊細で華麗な黒い蝶のタトゥーが刻まれている。エルザが〈黒死蝶〉の異名を持つ所以である。

 覆い被さる体に抱き締められ、吐き気すら込み上げてくる。拘束されていない足ですら自由に動かせない。

「許さない! 絶対に許さない!」

 平静を保つことができず、エルザは喚くように繰り返す。

 耳元で彼が笑ったのがわかった。

「馬鹿な獣だな、お前は。自分の寝床もわからないのか?」

 どこか優しい声音はエルザを混乱させる。

「アタシの……?」

 髪を撫でてから視界を奪う布が外され、与えられた光にエルザは数回瞬きをして彼の肩越しの天井を見た。

 見回せば窓、インテリア、シーツ、何もかもに覚えがある。エルザが中央に持つ隠れ家の光景である。

「俺は友が惨死したという場所で女を抱くほど悪趣味ではない」

 女を下着姿にして縛って目隠しをする趣味はあるくせに。

 出かかった言葉をエルザは奥に押しやった。

「どうだか」

 吐き捨て、エルザが睨み付ければ、ジュガの唇が弧を描く。

「誘っているのか?」

 瞳に宿る情欲、服越しに感じる自分よりも高い体温、全ての熱が思考を奪おうとする。

 だが、表面的なものに過ぎない。

「……なぜ、なんて問うのは愚問だって言われるのかしら?」

 彼のその手の冗談には付き合いきれない。エルザは問いを投げかける。

 どうして彼がこんなことをしたのか。根本的な理由はわかっているが、詳細は不明だ。

 だからこそ、エルザは彼の言葉で聞こうとした。

「俺はお前のことをよく知っている。至高の芸術、絶対不可侵の姫君、地獄の天使」

 紡がれる言葉は瞬時にエルザの深い記憶へと繋がっていく。そんな呼ばれ方をしたのはほんの一時期だ。幼少の頃、エルザにとって暗黒の時期だけのことである。

「アナタ……お人形なの?」

 エルザは彼に覚えがないが、当時の関係者にならばわかる言葉である。

 何年も昔に既に出会っているのかもしれないが、思い出そうとしたところで無駄なことだ。重要な記憶は全て奪われている。

 もし、彼と出会っているのなら失われた記憶の中でのことだ。

「俺はあの男とは違う」

 ジュガは問いには答えなかった。代わりにはっきりと言う。

 デュオ・ルピのことだろう。彼はあの男の名前を口にしたがらない様子だ。

 求めるものが同じではないのは憎む事情が違うということなのだろう。

 そうして目が合う。真っ直ぐに視線が合わされる。

「這い上がってこい、忘却の深淵から。そして――俺を奈落に突き落とせ」

 それこそが彼の本心なのか。

 吐き出された言葉はエルザには不可解としか言いようがない。自分の推測は間違っていないのだと半ば確信する。

 それでも最後の言葉が解せなかった。

 奈落に突き落とされるべきは自分の方である。エルザ自身がそうしようとしている。

 デュオ・ルピに関して言えば彼もそれを望んでいる。自らの意思でそうしようとしている。

 それなのに、この男は何を考えているのだろうか。


 エルザが何を言うべきか迷っている間にジュガは拘束を解いていく。

 自由になっても彼に害する意思がなければエルザは動かない。

 そのまま彼は何も言わずにコートを羽織って、部屋から出て行く。背を向けても先に仕掛けてくることがないとわかっているのだろう。

 下着姿のままでは彼を追うこともできない。エルザはただ仰臥したまま彼の言葉を考えた。

 たとえ、追わずともいずれ対峙することになるのは間違い。その時になれば、また彼の方から現れるかもしれないし、エルザが辿り着くのかもしれない。

 今はただ繋がらない膨大な数のピースを集めていくだけだ。

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