動き出した心臓 011
ピタリと笑い声が止まった。彼は真剣な顔になったつもりか。
「必ず助けにくる。何せ、その首輪はあの女にしか外せねぇからなぁ。わかるか? 爆弾だ」
男はデジタルカメラの画面を見せてくる。
気絶している間に撮られたらしいそれは既にエルザの元に送られたのだろうが、笑われるに決まっている。
首の辺りがズームされると鋼鉄製の首輪のようなものが付いているのがわかる。
「爆弾ですか……爆死は一番避けたかったんですけどね……」
違和感はあったが、聞いても大したショックはなかった。
ショックを通り越して、漠然と絶望がのしかかって来る。
「随分冷静だな」
男は不思議そうだが、ソフィアにとってこんな目に遭うのは初めてではなく、前にも一度似たような場面を体験している。
その時は、それこそ殺人鬼に捕まり、バラバラにされるところだったのだから恐怖を感じた。
だが、エルザに助けられた。それがレグルスに入ったきっかけでもある。
「エルザ様はきっと二度は助けてくれないですよ。私なんかのために出て来たりしません」
あの時は助けようと思ったのではなく、たまたまその殺人鬼が彼女の獲物で、たまたまソフィアが捕まっていたからだ。
今回は事情が違う。外出禁止令の出ているエルザはいくらなんでもそれを無視してこないだろう。
痛々しいほどに自己犠牲的な人間だが、見捨てることもあるはずだ。
早く復帰することと煩わしいだけの存在は天秤にかけるまでもない。
ダンジョンに入れられるようなリスクは絶対に冒さないだろう。彼女は冷酷なところも持ち合わせている。否、そうでなければならないのだ。冷酷にでもならなければこの世界で生きていけない。
「解除コードさえわかればあの女が来なくとも、てめぇは助かる。だが、あいつは馬鹿だからきっと来るさ。自分しか救えないと思い込んでな」
男は携帯電話のようなものをちらつかせ、それが首輪を解除するためのものであると示した。
画面には何やら文字を入力するようになっているようだ。
アンダーバーで二度区切られたそれは一体、何文字分だろうか。数える気にはなれないが、こんなものがエルザであってもわかるのかとも感じる。
「来ません。絶対来ません。それこそ馬鹿ですよ。私の上司だって『あー、せーせーする』とでも思ってますよ。それに、エルザ様だってわかるとも限らないじゃないですか。確かに、あの方天才ですけど。爆弾の解除コードがそんなに簡単なんですか?」
敵相手に随分と饒舌になっているものだが、何もかもどうでもよくなっていた。全ては他人事だった。
「その時は買い被り過ぎってことになるんだろうが、警告にはなる。ヒーロー気取りもここまでだってな。まあ、〈乱獅子〉なら簡単に解除するんだろうがな」
「それこそ絶対にありませんよ。どっちにしろ私は死ぬんです」
エルザにしか外せないと指名しておきながら、別に彼女でなくとも良いような口振りは奇妙だが、どちらにしても助けは期待できない。
〈乱獅子〉――レナードこそ一番ありえない人物である。
部下を大切にする男でも、ソフィアほど地位の低い人間のために危険な道を選ぶことはないだろう。エルザが許すはずもない。
「あ、エルザ様に会ったら私の代わりに謝っておいてくださると助かります。今までご迷惑おかけしました、って」
思い残すことなど大して考えつかなかったが、それだけは気にかかった。
敵に頼むなど馬鹿げているとは思っていたが、死ぬと決まったらそれしかなかった。
それに彼は拘束し、爆弾こそ付けたが、暴力を振るう様子はない。
「フン、せいぜい声が嗄れるまで叫ぶなり、恨み事を言うなり、タイムリミットが来る前に舌を噛むなり好きにしろ」
男は興味なさげに鼻で笑い、立ち上がる。
「どこに行くんですか?」
「帰る」
なんていい加減なのだろうか。
しかしながら、エルザの周りにまともな人間がいることの方が間違っている以上、変な敵が現れても別段不思議ではない。
特に敵から味方に転じた人間の強烈さはソフィアには理解できないほどだ。
「え、エルザ様に会わないんですか?」
「今はまだその時じゃねぇ。いずれ俺達はヤツの頭上に破滅をもたらすために瞬く」
やり合うつもりはないのか。
言葉の意味はよくわからなかったが、その時ソフィアは初めて彼がエルザにとってひどく危険な存在であることを感じた。
自分は彼にとって丁度良く転がっていた餌に過ぎないのだと。
「あなた、何者なんです?」
それを問いかけたところでソフィアにとって意味があることとは言えなかったが、思わず口から出ていた。
少なからず相手は自分を知っているのだから、自分が何も知らないのは不公平だ。
「真の王の星だ」
この男はやはり頭が残念なことになっているようだ。
ソフィアも人のことが言えるほどではないが、エルザならばはっきり『イカレてる』と言うだろう。否、それではエルザなりの誉め言葉だ。
「変わった名前ですね」
「名前じゃねぇよ」
反応に困ってソフィアが適当なことを言えば些か不機嫌に返された。
「じゃあ、お名前は?」
自分を死に追いやる男の名前ぐらい冥土の土産に聞いたっていいだろう。
そんな会話から少しでも多く情報を引き出すような真似もできず、ただ虚しい言葉ばかりを紡ぐ。
「コル・レオニス」
「コルさんですか」
「……てめぇ、馬鹿だってよく言われるだろ。運が悪きゃ死ぬんだからな」
男は呆れたように吐き捨て、今度こそ去っていってしまった。
それが最後の会話、残されたのは絶望的な静寂と空虚感だけだった。
***
時間の感覚が曖昧で、もう随分と長くこうしているような気がするが、それほど経っていないような気もする。
自分はどうしようもない馬鹿だと思いながらソフィアは考えていた。
タイムリミットなどと言ってもそれが何時なのか、あの男は教えてくれなかった。
震えていつ訪れるともわからない終わりを待てということなのか。
エルザが自分を懲らしめるために仕組んだ狂言なのではないかとも思ったが、それこそ一番あり得ない。
緊張感があるようでないような奇妙な拉致、あまりに投げやりだった。
静寂の終わりは突然だった。
鉄の扉が開き、光と共に入ってくる黒い人影、ソフィアはまさかアレッシオが尻拭いに来たのではないかと思った。
近付いてくるその人物はフルフェイスのヘルメットを被り、外にはバイクも見える。
タータンチェックのブーツを履いていているのを見て確信した。
*
アレッシオに扮し、エルザは無事に現場に着くことができた。廃倉庫の扉を開け、中に入ればソフィアが転がっている。こちらに気付いて身じろぐのだから元気であるだろう。
近付いて、エルザは足下に転がる携帯電話のようなものを拾い上げる。するとソフィアが慌てた。
「アレッシオさん! それ、爆弾の解除装置ですよ! コード打たないと爆発しちゃいます! あ、でもでも、エルザ様じゃないとわからなくて…」
本当にアレッシオが助けに来ると思うのか。
エルザは溜め息を吐き、ヘルメットを脱ぐ。
「……アナタって本当に頭が悪いわよね」
「え、エルザ様!? な、ななななな、なんでここにいるんですか!?
驚愕するソフィアには答えず、エルザは解除装置の裏に書かれた紙を読み上げる。
「『親愛なるエリザベッタ・レオーネ、会えないのは非常に残念だが、これはほんの挨拶に過ぎない。その女の首輪は爆弾だ。無理に外そうとしたり、時がくればドカン! 頭が吹き飛ぶようになってる。解除する方法はただ一つ、コードを入力することだ。チャンスは一度きり、言うまでもねぇが間違ってもドカンだ。じゃあな、健闘を祈る』……なんて、下品な奴」
「あわわわわっ、ど、ど、どうしましょう!? ヒントがないじゃないですか! あの自分を英雄とか真の王の星とかわけのわからないこと言うコル・レオニスさんって人、本当は凄く馬鹿なんじゃないですか!? いえ、薄々感じてましたけど絶対馬鹿ですよ!」
「うるさい。下種から貰いたいものなんてないわよ」
あまりのうるささにエルザはソフィアから離れる。
「って、なんでそんなに離れてるんですか? あ、まさか間違っても犠牲は私だけだって思ってるんですか? 末代まで祟りますからね!」
確かにこの場合、爆弾の規模から考えて死ぬのはソフィアだけだ。
しかし、死なせるつもりもない。ボタンを押し始める。
「……って、何、気軽にボタン押してるんですか!? 間違えたらドカンですよ? よ、よく考えなきゃですよ?」
「うるさいって言ってるでしょ?」
実際は、既に受け取ったメールやソフィアの言葉の中にも十分すぎるほどヒントがあったのだが、それを言うのはエルザにとってはとても面倒なことだった。
ソフィアが言うように相手は馬鹿に違いないとエルザも思うが、同意すら面倒だった。
「ううっ、やっぱりエルザ様にとって私は捨て駒、一人死んだところで……って、な、何してるんです?ど、ドカンですよ?」
解除を終えてエルザが近付き、首輪に手をかければソフィアは慌てる。暴れると形容した方が正しいくらいだ。
その瞬間、首輪の赤いランプが消えていたのだが、ソフィアに見えるはずもない。
無理に外せば彼女の頭が吹き飛ぶ。エルザの指も無事ではない。だが、解除された首輪はあっさりと外れる。
「こういう爆弾欲しがる子がいるから持って帰らないと。そのために来たんだし」
簡単な作成や解体はできるが、専門でないエルザから見てもよくできた爆弾である。調べて貰わなければならないこともある。
「さすが、エルザ様。解除したんですね! あ、こうしてると昔のことを思い出し……」
過去を振り返ろうとするソフィアをエルザは無視した。
「って、どこへ行くんですか?」
「帰るに決まってるでしょ?」
爆弾さえ解除して回収してしまえばエルザの役目は終わりだ。
ソフィアの拘束を解いてやる必要性も感じない。
「ま、ま、ま、まさか私のことは置いてく気で?」
「もちろん。処理班呼んだし、この件はなかったことにしてもらうから安心して」
このことが〈上〉に知られれば非常事態とは言え、エルザが外出禁止を無視したことが明るみに出る。それは避けたいことだ。
「安心できるわけないじゃないですかっ! 何考えてるんですかっ!」
ソフィアは憤慨し、拘束されていなければ暴れ出さんばかりだった。
尤も、エルザは彼女の存在までなかったことにするわけではない。
「本当にうるさい子ね。でも、元気そうで良かった」
「私なんか、いなくなっちゃえばいいって思ったくせに」
「……アナタ、いつか必ずアタシのこと嫌いになるわよ。なんて、もうなったかしら?」
エルザは肯定も否定もせず、吐き出す。そうなってくれれば良かった。好かれているより、ずっと楽である。
「絶対になりませんよ。だって、助けに来てくれたじゃないですか。馬鹿ですよ、本当に……」
ソフィアの目にはじわりと涙が浮かび、エルザは頭を掻く。このままでは自分の望まない展開になりそうだと察する。
そして、今度こそエルザは無視してスタスタと歩く。扉を出て、バイクに跨がる。
「エルザ様ーーーーっ!!」
ソフィアの叫びだけが虚しく響いた気がしたが、聞かなかったことにした。バイクの音で掻き消す。
彼女はタイムリミットが迫っていたことを知らないのだからある意味幸せだ。しかし、エルザにはまだタイムリミットが迫る差し迫ることがある。彼女の感動に付き合っている暇はない。