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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第十六章
144/245

動き出した心臓 010

 二日目、まだ外には出られない。だが、中で仕事ができるだけ昨日よりは良かった。

 そう思いながらエルザは昼下がりの廊下を歩いていた。

 まだまだやらなければことはあるが、全く苦痛ではなく、ひどく充実しているように感じられた。

 中央でも暇だったわけではないが、ここも戦場なのだと感じている。


「よお、お嬢。昨日はあれから散々だったようだが、今日は平和だといいな」

 仕事部屋に着いたエルザを出迎えたのはマックスで、片手には資料を持っている。

 さすがに彼の情報は早いと思うものの、褒めてやることはない。

 彼も褒められたいような歳ではないだろうし、エルザは半ば呆れているのだ。

「本当に酷かったわ。でも、今日も嫌な予感がするのよね」

 自分のデスクに座れば、綺麗に掃除されているのがわかる。

 写真立てにさえ埃がない。今よりも幼いエルザとまだ成熟していないレナード――アンダーボスとボスになった時の写真だ。

 エルザ自身は写真嫌いなのだが、レナードが強引に撮り、置いていったものである。

「女の勘ってやつ?」

 ルカは笑っているが、野生の勧は馬鹿にすると後で泣くことになる。

「当てにならないと思っても構わないけど、その内思い知るわよ」

「エルザの勘は昔から鋭いからな。まあ、これでも舐めてリラックスしろよ」

 アレックスは笑って飴を差し出し、エルザは受け取ろうとしながら新着メールを見て硬直した。

 そこにあったのは一番恐れていた厄介な現実だった。

「……リラックスできるような状況じゃなくなったみたいよ。緊急事態ってやつ」

 馬鹿女と心の中で呟き、溜め息を吐く。

 効かないとわかっていても頭痛薬が欲しい気分だった。

「全くお嬢には平穏がないな」

 マックスは茶化すが、エルザは行き場のない感情を抱えていた。

「とりあえず、全部あの子のせいだと思うことにするわ。昨日からいいことがないんだから」

 怒りなのか悲しみなのか、あるいは何かが変わるという期待なのか。

 どちらにしても昨日からソフィアに会う度に良くないことがあるように感じていたのだから、これが最後になればいいとは思っている。

「あのお嬢ちゃんがまた何かやらかしたのか?」

 緊急事態だと言われてもマックスは緩く構え、アレックスも暢気にロリポップキャンディを舐めている。

「本当に面倒臭いことにしてくれたわよ」

 エルザは画面を示し、三人を集めた。


 エルザの背後から男三人が画面を覗き込む。

「……いや、あれだな。全く興奮しないな」

 まず困ったように口を開いたのはアレックスだ。

「あのお嬢ちゃんには色気ってものがないからな」

「確かに、囚われのお姫様って感じじゃねぇ……」

 マックスとルカを窘めるはずのエルザも余計な一言を付け加える。

「不謹慎よ。確かに物凄く貧相な身体だけど」

 メールには写真が添付され、そこには拘束されているソフィアが映っている。

 首には何か鋼鉄製の首輪のようなものが付けられている。

 要するに彼女を人質として拘束したということなのだが、人選を間違えたのではないかと思わずにはいられない。おそらく全員が思っていることだ。

 しかしながら、緊急事態であることには変わりはなく、二時までに救出しなければ彼女は死ぬ。

 メールによればその首輪は爆弾でエルザが解除しなければ爆発することになっているらしい。

「どうするつもりだ?」

 マックスは問いかけてくるが、それは愚問というものだった。

「行くしかないでしょ? 相手はアタシを指名してるんだし」

「外出禁止令を無視するのか? 下手すればまた軟禁されるぜ」

 エルザが行かなければソフィアは死ぬ。それははっきりしている。

 アレックスもわかってはいるだろうが、今のエルザは自由に動ける身ではない。

「バレなきゃ大丈夫よ」

 バレたその時は大人しく処分を受けるしかない。

 だが、不謹慎なことに、エルザはソフィアの命よりもその相手のことが気になって仕方がなかった。

「ワルだな、あんた」

 笑っているルカもなかなかのワルだと言えるだろう。

「ここはワルばっかりよ」

 まず社会的に善人とは言えない人間ばかりだ。特にやんちゃな男もたくさんいる。

「しかし、この名前……アル・マリキ、って知り合いか?」

「知らない」

「心当たりは?」

「ないかしら……でも、その名前を知ってる」

「名前だけ知ってるってこと?」

 ルカの問いにエルザが首を横に振れば、彼は怪訝な顔をした。

 そんな名前の人間は聞いたことがない。アルという名前ならばアル・ディバインが連想されるが、彼ではない。

 そもそも、彼は本名ではないだろうし、この差出人も同じことだ。 エルザは確信していた。

「危険はないのか?」

「きっと、挨拶したいだけよ。俺は動いてるぞってアピールね」

 またマックスは問いかけてくるが、それも愚問としか言いようがない。

 だが、彼も馬鹿なことを聞いているのではない。

 遠回しに危険度を聞いているつもりなのだろう。大体、不謹慎な人間なのだ。


「おーい。エルザ嬢! あの馬鹿が全然こねぇんだけど」

 ノックもなく、そう言って入って来たのはアレッシオで、この場合は生け贄ということになるだろうか。

 鴨がネギを背負ってやってきたようなものだった。

 どうやら昼が過ぎても来ないソフィアを気にしたらしいが、心配してということを本人は否定するだろう。

 彼女がいなければ彼らの仕事は行き詰まる。それだけのことだ。

「丁度いいところに来たわね、アレッシオ」

「うわっ、嫌なタイミングできちまった……俺に何をさせるつもりだよ!?」

 ニッコリと微笑んだエルザにアレッシオは嫌な予感がしたのか、ぶるりと体を震わせた。

 彼はこういう時は良いことがないと本能的にわかっているようだ。

 アレッシオは後退るものの、ぶつかる。人体という壁に。

 出口を塞ぐように立ったマックスが羽交い締めにする。

「さすが、察しがいいわね。でも、何もしなくていいわよ? 何もね。むしろ、何もしないで」

「離せ! 離せって! 俺は猛虎様だっての!」

 ジタバタと暴れるアレッシオにアレックスがそっとにじり寄る。

「おい、お前! 寄るな触るな! 名前が紛らわしいんだよ!」

 最早、喚き散らす言葉は些か理不尽だ。

「そう言われても、俺の方がここ長いんで」

 さらりと流して、アレックスは目的を果たしたようだ。さっとエルザに投げてくる。

 キャッチしてエルザはニッコリと笑む。掲げた手の中には彼のバイクのキーが揺れている。

「あーっ! 何してんだよ! 状況、説明しろよ!」

 アレッシオは尚も暴れるが、エルザは無視して部屋を飛び出した。

 ここから先は運とスピードだ。〈上〉に見つからないことを祈るしかない。後のことは考えていなかった。


***


 ソフィア・イノセンツィとはレグルスにおいて例外的存在であり、自分より年下の少女に大変夢中で、人使いの荒い上司にこき使われようと決してめげない女である。

 酔い潰れたアレッシオを担いで運んだことから特別に彼の部下になることを許されたことになっている。

 本人はエルザの部下として擦り切れるまで働くことを熱望しているが、叶わぬ望みというものである。

 取り柄と言えば根性ぐらいで武術の心得もなければ武器も扱えず、厄介なことに機械音痴である。

 エルザが放棄したがるほど手の掛かる人物だが、それでもアレッシオのビジネスに貢献している。

 アレッシオ本人も自覚していないのだが、それなりの恩恵は受けているのだ。

 たとえば、彼女がいなければ彼らの命の源とも言える菓子は補給されることもなければ、誤字をチェックする者もいない。働き過ぎる男を止められる者もいない。

 既にその存在は必要不可欠なものとなっているにも関わらず、誰もそれを認識してはいないため、最も報われない人間とも言える。


 そして、その彼女は現在囚われの身であったりする。

 どこか倉庫のような場所で後ろ手に手首を拘束され、足も縛られているが、口は塞がれてはいない。

 声が嗄れるまで叫ぶなり、恨み事を言うなり、タイムリミットが来る前に舌を噛むなり好きにしろということだ。

 叫んでも無駄だとソフィアにもわかっていて、虚無感だけがそこにある。

 舌を噛んだって本当に死ねるのかもわからない。できれば痛いことは避けたい。

 思えば短い人生だったと振り返ることさえも虚しいほどだった。なんの救いにもならないことばかりが過ぎっていく。

「今度は絶対助からないんだわ……エルザ様に会わせる顔がないし……」

 ソフィアは転がったまま、ただ漠然と呟くが、天井は遠く、吸い込まれて行く。

 首輪の感触だけがただ現実を思い知らせるのに、魂は繋ぎ止められているわけではない。

 呼吸をする度に生きる気力が吸い出されていくようだった。

 消えてしまいそうになりながらなんとなく歌ってみるが、自分で自覚できるほどの音痴に虚しさが増しただけだった。彼女のようにはなれない。

 美しい容姿、恵まれた才能、強靱な精神、全てを打ち砕く強さ、その何一つが自分にはない。

 否、そんなものがほしかったわけではなく、ただ側にいたかっただけなのだ。

 重荷になりたかったわけでもなく、そんな絶対的な存在の側にいたかった。本当はささやかな、たったそれだけの願いだった。



 ソフィアの身に異変が起きたのはほんの数時間前のことだった。

 昨日、誰よりも敬愛するエルザと上司のアレッシオとその相棒のベルナルドに噛み付いてしまったことを後悔しながらひどく重たい気分でとぼとぼと歩いていた。

 常備してある菓子を補充しなければならない。紅茶とコーヒーも必要だ。

 だから、まず買い物に行くことにした。

 そうして少し気分を紛らわせてからにしようと思ったのが運の尽きだったのかもしれない。

 急に誰かに腕を引かれた気がしてソフィアの意識は途切れた。


 一瞬の出来事がソフィアを死の道に横たえた。

 結局、人生など死と隣り合わせ、初めから約束されているのは唯一死だけなのだ。

 生きることなど保証されていないのに、当たり前のように生きて、けれど、死は保証されている。

 どんなものにも必ず訪れる唯一絶対的なものだ。


「ん……ここは……?」

 気が付いた時にはソフィアは見覚えのないどこか倉庫のような場所に手足を縛られて転がっていた。

「よお、運の悪いお嬢ちゃん。恨むならあの忌々しい人食いライオンを恨むんだな」

 急に聞こえた男の声、動く気配、視線を動かせば見下ろす男……目は合わなかった。

 フードを被り、サングラスをしているために顔はよくわからない。

 だが、まだ若いことと、服の上からでもかなり筋肉がついていることはわかった。太っているわけでもなく、大柄というほどでもないが、厚みのある体躯だ。

「どなたか知りませんけど、私なんか殺しても何にもなりませんよ。ただの使い捨ての雑用係ですから」

 ソフィアはあまり頭の回転が良いとは言えないが、彼の言葉が誰を示すかは簡単だった。

 そんな言われ方をするのはレグルスにおいてはただ一人だけだ。

 内部の人間でさえ彼女を〈災厄の獅子〉と嘲弄することをソフィアは知っている。昨日だってその場面を見てしまったのだから。

 しかし、彼がエルザに恨みがあろうと、これは完全な人選ミスだとソフィアは思う。

 エルザにとってもレグルスにとっても脅しの材料にはならない。

「ただの使い捨て、か……それはどうだろうな。てめぇが死ねばあの女はどれだけのダメージを受けることか……」

 男はクツクツと笑う。何がそんなに面白いのか。

「エルザ様は私のことなんか大嫌いですよ。『面倒臭い人が死んでくれて助かったわ』とか言うに決まってます。絶対に感謝されますよ。英雄ですよ」

 昨日、散々なことを言われたのだから、きっと心の中では死んでしまえばいいと思っているに違いないとソフィアは思う。

「英雄、か」

「ええ、超英雄ですよ。救世主かもしれません」

「俺様は元々英雄だけどな」

 がはは、と彼は豪快に下品に笑う。ソフィアには何が楽しいのかわからないが、彼はもしかしたら少し変なのかもしれない。

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