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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第十五章
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獣達が帰る場所 004

 イグナツィオが出て行き、エルザはごろりとベッドに転がった。

 もう一度眠れるかは別として、そうしていた方が楽だった。

 そもそも、今は何時なのだろうか。

 確認しようと、ウエストベルトのポーチの一つから携帯電話を取り出した瞬間、着信音を奏でる。

 タイミングが良いのか悪いのか。

 相手はわからないが、妙な胸騒ぎにエルザはすぐに通話ボタンを押した。

「もしもし?」

 相手は沈黙して何も言わなかったが、エルザにはわかった。

 そういう感覚はそれほど珍しいことではない。理由はわからないのだが、今は考えても仕方がなかった。

「ファウスト……?」

 戦いが終わる頃には彼は姿を消していた。まさか、それで終わりであるまい。

 相手がファウストならば聞かなければならないことがある。彼の裏切りはきちんと終わっていないようにエルザには思えた。

「……やっぱり、あなたにはわかってしまうんだね。出てくれないかと思ったけど」

 当てられた彼はいつものように笑うこともない。

 寂しげに、悲しげに、いつだってそうだったはずなのに今は一段と強く感じさせる。

 まるで彼が世界から消えてしまう前触れのような感覚だった。

 だからこそ、エルザは、出るとわかっていたくせに白々しいとは言えなかった。

「……アナタは結局なんなのよ?」

 彼の様子がおかしいと察知してエルザは何を言うべきか迷ったが、結局、そう問いかけてみた。

 〈裏切り屋〉なのか、〈蝙蝠〉なのか、〈双頭の鷲〉の片割れなのか、レッド・デビル・ライのファルコンなのか、ファウスト・アクイラなのか。

 一体、彼自身の定義は何か。エルザにはわからないことだ。

「そんなことはどうでもいい。これはお別れを言うための時間だよ」

 ファウストは答えずに要件に触れる。

「別れ……?」

 エルザは訝しみながら彼が言ったことを思い出す。

「俺様は罪を償わなければならない。今回ばかりは許してもらえそうにないからね」

 今まで散々裏切りを重ねてきた彼がそんなことを言うのは妙だった。

 いつも強気で女々しいことを口にしようとはしない。それはある種の潔さだったかもしれない。

「勝手なこと言わないでよ。アタシは許すわ」

 彼が何について言っているのか、はっきりとしたことはエルザにはわからない。だが、自分に関してのことならば無条件で許せるのだ。

 エルザが彼のしたことについて本当の意味での裏切りだと思ったことはない。

 いつだって自分のためにしたことだとわかっているのだ。

「あなたは関係ない。俺様がね、許せないんだよ」

 ファウストははっきりと言う。

 エルザがなんと言おうと、この別離は実行されなければならないようだ。

 良心の呵責などという言葉は彼には似合わない。

「それがアタシに対する負い目なら、その魂をアタシに売り渡してみない? そうやって罪を償えばいい」

 メフィストフェレスとはよく言ったものだと振り返りながら、その心を利用してでも彼を引き留めなければならないとエルザは思う。

 得体の知れない焦燥感を感じ、どんな卑怯な手でも使わなければもう二度と会えなくなってしまう気がしたのだ。

 ロメオに言われたこともある。トールに言われたこともある。そうでなくとも、エルザは彼を助けなければならない。

「あなたは俺様のことなんかすぐに忘れるよ。どうせ、俺様だけじゃないんだし」

 もう決めたことなのだと言うように、寂しげな言葉をファウストは紡ぐ。

「忘れたりしない。アナタみたいな人間を忘れられるはずがないじゃない」

 幅広い交友関係の、多数の中の一人に過ぎずとも、忘れられるような男ではない。

 どんな人間であっても、エルザは絶対に忘れたりはしない。

 そんなことはわかってくれているはずだ。エルザはそう思っていたが、紡がれる言葉は悲痛な叫びに似ていた。

「苦しいんだ。あなたのその痛いほどの優しさが俺様には眩しいから、光に焼かれて死ぬよ」

 光ではない。レナードが太陽ならば、自分は月だなどと烏滸がましいこともエルザには言えない。

 星ですらなく、闇そのものなのだと。彼が言った存在が悪夢ということに通じるはずなのに、エルザは彼がわからなくなる。

 まるで本気で殺そうとするかのように絶望的な言葉を吐きかけておきながら、今、いつもと全く違う演出をする。

 彼の真意はどこにあるのだろう。顔が見えない電話では僅かな声などの変化からしか探ることができない。

「ロメオはどうするの? レッド・デビル・ライは?」

 彼に捨てられるはずがないとエルザは考えていた。

 それなのに、本当に離れて行こうとしているのを感じる。

「伝えて欲しい。俺のことなんて、忘れて。それから、ごめん、って」

 あの時、言ったことも全く嘘の気持ちでもないだろう。きっと、ロメオ本人の口から聞きたいと思っているのだろう。

 けれど、今の彼にはその時間が残されていないかのようだ。

「本当に言いたいことは自分で伝えなさいよ。アタシはそんなお願い聞きたくない」

 エルザが軽々しく伝えて良いはずもなく、彼自身が伝えるべきことだ。

 本当に、今の彼はどうしたと言うのか。

「願い事はたった一つしか叶わないんだ。俺は鷲にはなれない、小さくて愚かな鷹だから」

 ひどく悲しげに吐き出された言葉はやはりいつもの彼の言葉ではない。

 最後の願い事の相手に選んでやったのだから光栄に思えと言うわけでもない。

 たった一つの願い事、それはあまりに悲しい。彼らしくもない。

「わかってるくせに、本当は何もかもわかってるくせに、なんでそんなことを言うのよ?」

 彼にも慧眼は備わっている。本当はロメオの気持ちなどわかっているはずだ。ただの意地に違いないのだ。

「アナタ、一体、何してるのよ? どこにいるの?」

 裏切りの結末を見届けもせず、まるで投げ出したかのように突然消えてしまった彼は一体、どこで何をしているのだろう。

 今すぐ探し出して会って直接問い詰めたい。ロメオを呼び出して話を付けさせたい。

 なのに、それが叶わないとエルザは直感してしまった。認めたくなくとも認めざるを得ない絶対的な確信だった。

「本当はあなたには言いたいことがたくさんあったんだけどね……」

 いつも不敵に笑い、妖艶な雰囲気を持っていた彼らしからぬ弱々しい言葉だ。本当は繊細だということはエルザもわかっていた。それにしても、今にも砕け散ってしまいそうだと感じたことはなかった。

「なら、言ってよ。全部聞くから。何時間かかっても聞くから」

 言いたいことがあれば好きなだけ言えば良い。どんな言葉も受け止める。エルザは必死だった。

「――そして、さようなら、永遠に」

 彼は全てをたったそれだけの言葉に込めてしまった。

「ファウスト!? 許さないわよ、アタシは許さないわ。こんな別れ方なんて許さない! いつものように不敵に笑ったらどうなの? 嘘だって言ったら!? ファウスト!?」

 ひどく残酷なその言葉にエルザは自分を制御できずにヒステリックに叫ぶ。

 ただでさえ戦いの後で落ち着いているとは言えない。

 罪を償わなければならないと言うならば自身の方なのだ。

 彼にはロメオがいるのに、絶望的な孤独を背負っていて、それから解放してやることはできなかった。

 繋ぎ止めようと言葉を紡ぎながらも、その耳は無情に繋がりが切れてしまった音を聞いていた。

 近くにあるものを手当たり次第に破壊してしまいたい衝動に突き動かされそうになりながら、そんなことをしたところでなんの解決にもならないことはわかっていた。

 握り締めた拳にただ爪が突き刺さる。

「どうして……どうして、こうなるのよ……!」

 呆然と吐き出す言葉にさえ意味はない。

 こんなことでは壊れたりはしない。自分は氷の女なのだと言い聞かせても無駄だった。

 今すぐロメオに連絡しなければ、そう思っても指が動かない。

 嘘だと笑って、もう一度、彼が連絡をくれるのを待ってしまうのだ。それはないと残酷な直感が告げているのに、望んでしまう。

 彼が今この瞬間死ぬわけではないとも直感は告げている。ただ何かを成し遂げるために離れるだけだと。

 けれど、彼が離れるはずがないと思っていたのだ。

 破滅願望の塊であることをわかっていながら。


「エルザ!?」

 叫ぶ声を聞きつけたのか、フェリックスが慌てた様子で入ってくる。

 エルザは拒絶しなかった。

 今は誰でも良いから側にいてほしかった。

 ずるい、と自分の心のどこかから声が聞こえるのに、無視した。

「ファウストが……ファウストが……!」

 何を言ったらいいのか、わからない。ただ、それだけを壊れたようにエルザは繰り返す。

「大丈夫だ。大丈夫だから」

 優しい声音、抱き締める強く熱い腕。この男じゃない、そう叫ぶ内側の声に「うるさい」と言い放つ。

 彼はトール・ブラックバーンではない。そんなことはわかっている。

 もし、今彼に会ってしまえば、迷わずその胸に飛び込んでしまうだろう。愛して欲しいと願ってしまうだろう。

 何もかも投げ捨てて、彼に愛していると伝えてしまうだろう。

 そこから先は闇に包まれていた。

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