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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第二章
13/245

漆黒の狩人 007

 はめられた。

 アダムのケーキが焼け、見計らったようにフレディが帰って来た時、アルドは悟った。

 レディは一人ではなかったのだ。その背後にはエルザが買い物袋を下げ、不満げな顔で立っていた。なんとも不思議な光景である。


 荷物持ちの礼にケーキを食べていけとフレディは押し通し、渋々といった様子でエルザは座る。ベティーだった頃にいつも座っていた席だ。

 アルドは二人分のチーズケーキとコーヒーが乗ったトレイを持たされてしまった。

 振り返ればアダムとフレディはカウンターで談笑を始めている。なんとなく重い気持ちのままアルドは窓の外を眺めるエルザに近付いた。

「やっぱり、この席が好きなんですね」

 ケーキとコーヒーを置いて、アルドは何気なく切り出してみたつもりだった。

「通りが、よく見えるから」

 視線を動かさないまま、エルザは言う。確かに窓のあるその席は通りを行く人々がよく見える。

「そ、そうですね! 人間観察っていいですよね」

「人間観察、ね……そうね」

 何か含みのある言い方だったが、そのままエルザは黙ってしまった。

「こ、ここ、いいですか?」

 困惑しきって、最早泣いて逃げ出したい気分になりながらアルドは恐る恐る問いかけてみる。彼女に拒否されれば言い訳にできるはずだった。

「好きにしなさいよ。アナタの店でしょ?」

 エルザは自分には拒否権がないと言わんばかりだ。

「いえ、父さんの店ですけど」

「細かいことはいいじゃない」

 その口振りはリリーを思わせたが、結局、それも彼女の一部でしかないのだ。

 エルザは悠然とケーキにフォークを刺し、口へと運んでいく。それを見てアルドもケーキを食べることに集中しようとしたが、使い方を知らないかのようにぎこちなくなってしまう。

「……なに、無理してるのよ?」

「えっ……?」

「顔は引き攣ってるし、声は出てないし。まあ、いつものことだけど……今すぐ逃げ出したいって感じだから」

 アルドは顔を上げるが、エルザが見ているのはコーヒーだ。くるくるとスプーンで掻き回している。

「そんなに苦しいなら、やっぱりアタシはアナタにとって毒ね」

「違うんです、あの」

 ちゃんと言わなければ。アルドは口を開くのに、言葉が出なくなってしまった。

「水と油は、混ざり合わない。人と獣も、共存できない」

 目を伏せたまま淡々と口にするエルザは自分に言い聞かせるかのようだった。

 獣とは彼女自身のことなのだろう。彼女もまた戸惑っているのかもしれない。獣であるが故に苦悩しているのか。

「世界が、違う気がするんです」

 アルドの口からやっと出た言葉は曖昧で、本当に伝えたいことは伝えられなかった。

「現実と虚構、真実と虚偽、表と裏、光と闇……世界なんて言ったってその境界は不明瞭なようで明確だったり、突然曖昧になったりする。でも、片面では成り立たないから誰かにだけ優しい世界は存在しない」

 流れるようなエルザの言葉はアルドの心を揺るがす。

「わかってます。わかってるんです。でも、ウェズがいなくなって、世界が変わってしまったような気がして……怖いんです」

 世界などという言葉で彼女を拒絶したいわけではなかった。結局、見ているものが違っても今は同じ場所にいる。それは受け入れるしかないことだとアルドも理解しようとはしている。

「アタシは闇に生きる人間だから、光は眩しい」

「え?」

 それは小さな呟きだった。けれど、アルドの耳には届いた。

「独り言、気にしないで」

 コーヒーカップを持ち上げ、エルザは一瞬だけアルドを見た。

「き、気になります」

 独り言として聞かなかったことにすることはアルドにはできなかった。

「じゃあ、聞く? 気持ちの良い話じゃないけど」

「聞かせてください」

 小さく溜め息を吐き、エルザはカップを置く。

 急に音がなくなったように感じていたアルドの耳にはその音がやけに大きく響いた。


「昔、平穏を憎んだ。優しさは偽り、愛は幻想だと思ってた。光が心底嫌いだった。世界がずっと闇だったら良いのに……って思ってた」

 あくまで独り言のように、エルザはアルドを見ないまま話し出す。

「そんなの悲しいです」

 あくまでエルザはアルドを見ずに話し出す。自分より年下だという少女が語るにはあまりに重い言葉にアルドの胸は痛みを訴える。

「生まれた時からずっと憎まれてた。祝福はなかった。アタシが母を殺したから、当然ね」

 ドキリとしながらもアルドはアダムの言葉を思い出し、『殺した』という言葉をそのまま受け止めないことにした。

 強く感じるのは彼女が一人きりだということだ。孤高の存在、アダムとの話で見えてきたのはそういうことだった。

 アルドは彼女の強さを知らない。実感が沸かない。けれど、彼女の背景が誰といても孤独にさせるのかもしれない。

「父は子育てをしない人だった。百獣の王気取りでいつも踏ん反り返ってた。会う度に嫌なものを見る目をしてた。ないものをあると、あるものをないと思おうとしていたのかもしれない。その内、会うこともなくなったけど」

「そんな……」

 アルドは孤児であっても、フレディやウェーズリーがいる。

 エルザは本当の親がいながら、いないものとして扱っている。生まれた時に母を亡くし、父親から見放され、それでも生きてきている。

「同情は嫌い。自分が不幸だとも哀れだとも思わないから。ただ生まれながらに罪人なだけ」

 彼女もやはり人の子なのである。どこか真っ直ぐで折れてしまいそうでありながら曲がることを知っている。

「堕ろせば良かったの。女の子だとわかったその時に。そうすれば母さんは死ぬこともなかった。ずっと、幸せでいられたのに」

「なんでそんなこと言うんですか!?」

 アルドは声を荒らげずにはいられなかった。

 生まれてこなければ良かった。彼女が言うのはそういうことだ。アルドもそう思ったことがある。自分が親に捨てられた子供なのだと知った時に、捨てるくらいなら作らなければ良かったと顔も名前も知らぬ親を憎んだ。

 今は違う。生まれてきて良かったと言える。ウェーズリーの死はまだ受け入れられないが、生きていることを後悔するまでには至らない。フレディ達の存在が、空虚な日々を送ることを抑制していたのかもしれない。

 エルザはまた一瞬だけ、アルドを見て、すぐに視線を落とした。

「そういう家なのよ。雌は災厄をもたらす。自分達を百獣の王だと思い込んで過去の過ちをいつまでも引きずって悪いことに囚われ続ける。アタシは〈聖母〉とみんなから慕われた尊い人の命を奪った〈呪われ子〉、救いようがない」

 濃厚なチーズケーキと苦いコーヒー、スパイスというには残酷な話だ。平穏とは程遠い話が彼女の現実だと思えばアルドは言葉を失う。当たり前だと信じてきたものが彼女にはそうではない。刷り込まれてきた価値観がまるで違うと思い知らされる。

「その上、父まで殺した。あんな人、親だなんて思ったことはなかった。そう思わせてくれなかったから」

 空気が冷たくなったような錯覚にアルドはぶるりと身震いした。

 だが、それもまた言葉通りに受け取ってはいけないことなのかもしれない。なぜだか、死なせたくなかったと言っているように聞こえたのだ。

「母殺しに父殺しに同胞殺しに友達殺し、その多諸々。これだけの大罪を犯しておきながら、アタシは生きてる。本当に卑しいと思う。だけど、まだ死ねない。まだ、やらなければならないことがある」

 エルザから強く感じられるのは罪の意識だ。生きていることで積み重ねられる罪、それでも押し潰されることなく強い意志で必死に生きている。

「昔、世界の全てが憎くて、世界を消してしまいたかった」

 アルドはエルザがレグルス内でひどい扱いを受けているという話を思い出す。

 世界に愛がなければ憎くもなるだろう。憎悪だけが渦巻く世界にいれば全てを壊したくもなるだろう。外の世界を知ってしまった時に。

 沈黙が訪れて、アルドはじっとエルザの様子を窺った。

 言葉を選ぶような躊躇いの後、再びエルザは口を開く。

「……でも、一人だけアタシを愛してくれた人がいた。とても優しくて、暖かくて、強い愛を持った人。アタシが光を拒んでも、いつだって側にいてくれた。アタシがこの世で最も憎んでいた人、たくさんのものを奪い、ひどく傷付けたのに逃げずに真っ直ぐに向き合ってくれた。だから、今がある」

 愛、そんな言葉がエルザの口から出るとアルドは少し不思議な感じもした。しかし、同時に安堵していた。口振りは先程とは違い、穏やかであったからだ。

 おそらく家族愛なのだろう。エルザにはレグルスのボスである実兄がいることはアダムから聞いている。エルザははっきりと言わないが、話と符合する。

「だから、アタシはその人のためなら死んでもいいと思える」

 簡単に言えることではない。アルドにはエルザの顔がひどく安らいでいるように見え、目頭が熱くなる。

「アタシが生きていいのはその人のためだけ。自分の手で全てを終わらせること、それが償いだと信じてる」

 なぜ、彼女はこんなにも落ち着いた、どこか幸せそうな顔をするのか。

 いつもの作られた表情とは違う、自然に零れてくるような表情だ。

 それこそが彼女の宗教なのか。だとしたら、彼女は救われない。アルドにはそんな気がしてならない。何よりも彼女が救われないことを望んでいるようだ。

 悲しく、儚いが、心は強い。思えば思うほどアルドの世界は滲み、やがてどうしようもなく頬を濡らした。

「なんで泣いてるのよ?」

「だって、知らなかった、からっ」

 エルザは眉根を寄せて困り顔だが、泣きやもうと思うほど涙は止まらなくなる。

「知らない方が幸せ。このご時世、あれだけイカレた家もないわよ。前世がライオンだったとでも本気で思ってたのかしら」

 レースがついた黒いハンカチが差し出され、アルドはエルザを見詰めた。

 肩を竦める彼女は自身が苦しんでいるはずなのに、まるで他人事のようである。

「男の子はそう簡単に人前で泣いちゃいけないのよ」

 エルザの口振りはまるで姉にでもなったかのようだ。年下だというのがアルドは時々信じられなくなる。

「エルザはっ」

 彼女は笑うことも泣くこともできないのだとアダムから聞いたばかりなのにアルドは必死に言葉を紡ごうとした。込み上げてくる嗚咽はその先を口にすることを阻止するかのようだ。

「アタシは泣けない。生を嘆いて泣きながら生まれて、そのまま枯れ果ててしまった」

 悲しいから泣いて生まれるわけではない。アルドはそう言いたかったのに自身の涙に邪魔をされた。


 エルザは立ち上がり、少しテーブルから離れてアダムを見る。

「アダム、相変わらずで良かったわ」

「エルザ様にそう言っていただけて嬉しいです!」

 さっと立ち上がったらしいアダムの声が本当に喜んでいるのがアルドにもわかった。

 いつの間にか彼女の皿は綺麗になっていた。

「もう帰らせてもらうわよ」

「お仕事です?」

「ただのお掃除よ」

 アルドはエルザのハンカチで涙を拭きながら、耳を傾けるが言葉は出てこない。人を殺すのか、掃除とはどういうことなのか、聞きたいのに聞けない。

「最近、働き過ぎじゃないです?」

「お行儀の悪い英雄様のせいで便乗する不届きな連中が増えてるだけ」

 エルザが言う〈英雄〉とはヘルクレスのことだろう。

 アダムはエルザをワーカホリックだと言ったが、どれくらい忙しいのかはアルドにはわからない。

「ちゃんとお食事してるです? 昔よりお痩せになったような……」

「昔よりはまともに食べてるけど」

「それならいいですけど……エルザ様は無理しすぎますですから」

 アダムの納得していないような口振りから、エルザの言葉はかなり疑わしいものだと感じられる。

「アタシはタフだし、限界は知ってる。心配は無用よ」

 華奢な体つきを見れば決して丈夫そうには見えない。アルドには少し力を込めれば折れてしまいそうに見えた。

「ねぇ、今、アタシのこと、舐めるように見たでしょ?」

「えっ、いっ、いや、ほ、細いなぁって……」

 背中に目でも付いているのではないか。エルザが急にくるりと振り返り、アルドはどぎまぎした。

「どうせ、貧相な体よ」

 エルザは鼻を鳴らしたが、そういうところはやはり演技には見えない。彼女にも肉体的なコンプレックスというものはあるらしい。

「飯ぐらい食わせてやる。いつでも来い」

「そうです! みんなでご飯がいいです!」

 フレディが言えばアダムも大賛成とばかりに声を上げた。

「気が向いたらね」

 適当な返事をするエルザはきっと来ないのだろう。孤独でなくなることを避けているようですらある。

「今日はすまなかったな」

「本気でそう思うなら緊急事態だなんて言わないんじゃないの?」

「いや、あれは緊急事態だ。何せ、思いがけず安売りに遭遇したんだからな」

「狸爺」

 恨みがましげに吐き捨ててエルザは店から出て行く。

 笑みを浮かべて見送るフレディは娘も欲しかったのかもしれない。アルドは施設にいた姉や妹のようだった存在をぼんやりと思い出した。どうしているのかは今となってはわからないが、幸せだと胸を張って言えるようにならなければ申し訳ない気がした。

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