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24/7 - Twenty Four/Seven -  作者:
第十四章
124/245

悪魔は魂を欲す 009

 ファウストが笑った。

「それで悪魔の手を封印したつもりなの?」

 悪魔の手とはよく言ったものだとエルザは内心笑う。

 地獄を司る黒い手のイメージ、その左手にあるものだ。

 相手を必ず殺すと決めた時だけの封印すべきもの、使用するリスクは高く、それを受けて生きている人間は少ない。

 エルザの元々の利き手だが、普通ならば右手で事足りる。制御不能になる危険を孕んでいるからこそ、よほどのことがなければ使わないと決めている。

「使う気はない。使うまでもないわ。だって、彼はあの人じゃないもの」

「ふふっ、死期を早めるのは賢明だとは思えないね。別にあなたが今死んでしまっても構わないんだよ? まあ、アナタはどうやっても彼を殺すことはできないよね。〈黒死蝶〉は身内に甘いんだから」

 今から勝ち誇るのは彼らしくないが、間違ったことは言っていない。それでも、エルザには証明しなければならないことがある。

「アナタ、さっきからベラベラと喋り過ぎなのよ。どうせなら、男らしく拳で語ってみたら?」

「野蛮なことは俺様のスタイルじゃないんだよ。わかるでしょ? まあ、いい。さっさと始めなよ。喋りすぎて喉も渇いてきたし」

 気だるげにファウストがペットボトルを口元へ運ぶ。それが合図になった。


 男が動く、ナイフを閃かせて。

 金属がぶつかり合う鋭い音、エルザにとって厳しい攻防が始まってしまった。

 〈第三の男〉には劣るが、アナベラやアナイスの比ではない。

 そして、エルザにも限界がある。

 蓄積されたダメージと限られた武器、いつゾンビが蘇生するかもわからず、〈盲蛇〉が何をするのかもわからない上に、〈蝙蝠〉が何もしないとも限らない。

 どう仕掛ければ良いか、そう考えた瞬間、エルザの頬に痛みが走る。

 戦いの場で一瞬でも考えるべきではなかった。彼から意識を逸らすべきではなかった。

「借りておいたんだ。返したぜ」

 ヴィクターが指さすところにダガーが落ちている。エルザのものだ。

 手首に装着していたシークレットダガーは外されていて、代わりに革の手枷が嵌められていた。

 返された武器の中になかったのは彼が持っていたからなのだ。

「こんなの返した内に入らないわよ」

「そうだな。だが、まだ返すものはあるんだぜ?」

 エルザのナイフはダガーだけではない。自分のナイフで傷付けられるというのは皮肉だが、それが彼の、もしくは彼らの狙いなのだろう。

「こんなもんかよ、レグルス最強ってのはよ!」

 自分が優勢であるという確信からか、距離をとったヴィクターは獲物を追い詰めたように獰猛な笑みを浮かべた。

 確かにパワーとリーチの長さは彼の方に分がある。あと、何ラウンド戦えるか、考えてみたところで、明確な答えなどありはしない。

 考えるべきではないのだ。目で見て反応するべきではない。なのに、最早集中力は切れかかっている。

 色々と煩わしいことが多すぎる。

「レグルス最強は兄さんに決まってるじゃない。アタシより強い女はいないけど」

「そうかよ。じゃあ、証明してみろよ」

 エルザも負けるわけにはいかないが、このままでは目覚めてはいけないものが覚醒してしまうかもしれない。

 自分の中の最も深い闇、生存本能あるいは殺害本能、狂気、荒ぶる感情のままに本能を抑え切れなくなればこの場にいる全員を皆殺しにするかもしれない。

 だから、きっと証明はできないだろう。

「結局、アナタ、何をしたいのよ? 愛しのお兄様にでもなりたかった? 〈虎豹〉だかなんだか知らないけれど」

 復讐が目的だと明らかになってもエルザには見えないものがある。

 自分の知らない彼の過去からの復讐、彼の抱く十字架、時折見せる苦しそうな表情の理由だったのかもしれない。

「あんな奴、兄貴だなんて思っちゃいねぇよ!」

 一体、二人の間に何があったのか。

 吐き捨てるヴィクターの表情が憎しみの深さを物語っている。

「まあ、髭だし、陰気だし、ロックスター気取りのギター馬鹿だし、スピード狂だし、そのくせ責任感は無駄に強くて、ちょっと思い込みの激しいロマンティストだけど、レグルスのアンダーボスを務める資格はある。アナタに越えられるかしら?」

 こんな形で兄弟喧嘩に巻き込まれるのはエルザとしても不本意だが、拾った責任を取るのが飼い主の務めであり、たとえ崩壊しかけの関係であるとしても見捨てたりはしない。

 結局のところ、〈第三の男〉という切り札を失いたくはないのだろうと思えば自嘲したくもなる。他人が言うほど綺麗な関係などではない。

「お前には踏み台になってもらうぜ」

「お断りよ」

「掟を守り続け、自分の心を殺し続けるお前に何が残っている?」

 掟とはエルザがエルザでいるための、人間であるための戒めだ。

 ヴィクターが言うことは正しくもあり、間違ってもいる。何も残す必要はなく、心を殺しているわけでもないのだ。

「じゃあ、アナタには何が残っているの? 彼から全てを奪い尽くしてどうするの? それは、アナタを孤独にするだけだわ。そこの〈蝙蝠〉みたいにね」

 きっとこの男はあの男に誰よりも近く、遠いのだろう。

 だから、何もかもを奪いたくてセルペンスに利用されているのだ。

 その気持ちは、わかりたくないのに、わかってしまう。

 かつてエルザも同じだったが、今は違う。

 攻撃を受けた場所が痛んでもこんな痛みは彼の心の痛みには及ばないだろうとエルザは堪える。

「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」

 繰り出された暴力的な蹴りを避け切れなかったエルザは地面に転がる。

「降伏したっていいんだぜ?」

 エルザを見下ろしてヴィットリオはトドメを刺そうとはしなかった。

 勝利へと着々と駒を進めているつもりなのだろう。

 降伏以外はないだろうが、一度捕まってしまえば抜け出せなくなる。あと、どれだけ凌げばいいのかも、本当にレグルスが来るのかもわからない。

 かつてイグナツィオと戦った時は左手だったが、今は使えない。

「もう何も言えないみたいだぜ?」

 立たなければならない、這ってでも前に進まなければならないと言い聞かせても、エルザの体は限界を訴えている。

 何も言えない、最早何を言うべきなのかわからない。

 わからないものをわかりたいと人は願うが、わかり過ぎてしまうのも幸せなことではない。


 ナイフに手を伸ばして、不意に脳内に声が響く。

 ついに、幻聴かとエルザは自嘲する。だが、次第にはっきりと響く。

『あんたは俺の天使だ。俺はあんたを信じる。だから、あんたも俺を信じてくれ。それだけでいい』

 鮮明に覚えている言葉、強さを宿した瞳の色を思い出す。

 一度死んで、また生き返った命の輝きがそこにはあった。

 映画の見過ぎだとエルザは笑いもしたが、確かに受け止めた誓い、その男の魂を預かる契約だった。

『真実の愛は裏切らない。どんなことがあっても俺達の心は決して離れたりはしない。忘れるな、お前のための俺だ』

 誰よりも強く優しい兄の言葉、いつだってそれはエルザにとって絶対的な救いであり、十字架でもあった。

 最早、待つ資格などないのかもしれない。けれど、許されるならば、とエルザは願う。

 金色の獅子は必ずやってくる。〈第三の男〉を従えて。

「少し昔話をしてあげるわ――もうどれぐらい前になるかしら? ある雨の日、アタシは路地裏で男を拾った。そのくすんだ金髪にブルーグレーの瞳の彼はただ死を待ってギターを抱いていた。アタシはその男に手を差し伸べ、魂の売買をした。それが、イグナツィオ。アナタのお兄様よ」

 ふらりと立ち上がってエルザはヴィクターを見据える。

 イグナツィオとはよく似ている。けれども、彼とは違う。

 たとえ、遺伝子上はほぼ同一人物でも、どれほど似せようとしても、細かな癖は違う。

 何よりも目が違うとエルザは思っていた。宿すものが違う。

「なら、その願いを俺が叶えてやるさ。尤も、簡単には死なせてやらねぇけどな」

 過去を知らないエルザと現在を知らないヴィクター、それでは役者が足りない。

 やはり彼はこの場にいなければならないのだ。彼でなければ解決できない。

「過去は捨てたなんて言いながら今でも十字架を背負っている。それはアナタのことじゃないの?」

 まったく男というものは面倒臭い生き物だと思いながらエルザは言葉を連ねる。

「あの男は俺から全てを奪ったんだ!」

「彼はアタシを殺せる三番目の男。アタシは彼になら殺されても構わないと思っている。だけど、アナタは彼じゃない。殺される理由はないわ」

 それは権利ではなく義務、魂を売り渡した見返りというよりは代償と言うべきだろう。

 少なくとも彼が快く思っていないことはエルザにもわかっていたが、可能性を持つ以上はその役目を彼に押し付けるしかなかった。

 エルザの人格は決して安定しているわけではない。枷がなければ崩れるほど脆弱なわけでもないが、多い方が安心できるのだ。

 デュオ・ルピ、オルクス、その他大勢――候補はいくらでもいるが、今はまだ三人だけだ。たとえ、その三人全員が拒否しているとしても。

「俺は……! くそっ!」

 ヴィクターが悪態と共に投げたナイフを今度は受け止めて、エルザは投げ返した。

 ナイフは腕を掠め、彼の中にある闇を本格的に目覚めさせたらしかった。

「時間稼ぎも無駄だ。直に終わりにしてやる」

「アナタの手で一体何を終わらせられるのかしら?」

 行き場のない怒りに満ちた瞳に射抜かれながらエルザは見返す。

 時に人はその凍て付く色に胸が詰まるほどの悲哀、苦痛を見る。

 エルザは相手の心を折る時には意図的に言葉を使うが、その目そのものが自白剤であると言う者もいるぐらいだ。

「何か遺す言葉があるなら聞いてやるさ」

「アナタに言う言葉なんてない」

 まだ終わりではない、まだ始まりはこれからだ。

 待つことしかできない辛さを思い知らされながらもエルザは戦いを捨てない。

 見えない希望を暗闇の中で待ち続けるのだ。

「だったら、さっさと死ねよ!」

 突っ込んでくるその男から逃げられないことはエルザもわかっていた。

「っ……!」

 再び転がる痛みは生きているということを思い知らせる。

 まだ生きている。まだ終われない。

「せいぜいお前を見捨てたあの男を恨めよ」

 衣擦れの音、背後を取られたエルザの首にそれは巻き付いた。

 おそらくネクタイなのだろうが、最早指を入れる隙間もなく貼り付いてギリギリと締め上げられていく。

「足掻いても無駄だ。死へのカウントはもう始まっている」

 どうにかしなければと思っても、死刑宣告のように残酷な言葉が吐き出され何も考えられなくなる。

 だが、一瞬、緩んだのがわかった。

「なんだよ」

 不満げなヴィクターの声、けれど、その隙に逃げるだけの力がエルザにはもう残っていない。

「ストップしてもらいますよ。勝手なことをされると困ります。んふふふふ……」

 中断したのは今までずっと爪を噛みながらただ観ていることしか許されなかった男だった。

 カツカツと蛇柄の靴を鳴らして近付いてくる。

「図太い根性してやがるぜ。とっくに逃げてると思ったのに」

 結局のところ、その男は利用されていたに過ぎない。

 狡猾さだけが取り柄の彼は戦闘になれば自分の身が危うくなることをわかっていた。

 しかしながら、手駒を潰されたところでボスとしてのプライドは身に余るほどある。

「私もシナリオに混ぜてもらいたくなりましてねぇ。こんなプレゼントを。んふふ」

「……そうだな。それも面白い」

 ヴィクターがネクタイから手を離し、エルザは咳き込む。

 一つ難を逃れたが、まだ助かったわけではないとわかっていた。


 背後から羽交い締めにされ、前からは腕を掴まれる。

「何もいらないから、さっさと殺してよ」

 視界に入るのは注射器。中身は麻薬だろう。彼らが手を出していることはエルザもよく知っている。

 だから、蛇を絞め上げるには茨では力不足だった。

 獅子の爪で切り裂き、その牙で噛み殺すしかない。

「せいぜい惨めな姿を晒してください」

 絶体絶命、こんな場面につい最近遭遇したばかりだ。今、エルザにとっての問題はこれが自分の戦いではないということだった。

 戦いの主役は登場が遅すぎる、来ないのではないかとさえ思うほどに。

「何か言いたくなりましたか?」

「それ、公園に捨てるのはやめなさいよ」

 迫り来る注射器、勝ち誇った笑み、狂気が張り付く。

 希望が零れ落ちて、何もかもが吸い取られていくようだ。

 もしかしたら、かつてカッサンドラが見た映像はこちらだったのかもしれない。ふとエルザは思う。

 もう義務だとか権利だとか宿命だとか言わずに死んでしまった方が良いのではないかと考えるほど、その心は限りなく闇に近付いていたのかもしれない。


 だが、その闇を裂くように銃声が響き、エルザは拘束が緩んだ隙に抜け出す。

 最後の気力を振り絞って、弾かれたように。

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