毒婦死す 004
人間性で明らかに負けていること以外にロメオに敗因などあるだろうか。
考え、エルザは探りを入れるつもりだった。
「そう言えばさ」
話を逸らされる。そうエルザが思った時、続くロメオの言葉を掻き消すように予想外のことが起きてしまった。
「アゼル! やっぱりアゼルじゃないかい。こんなところで何してんのさ?」
確信を持って呼ぶ声、なんてタイミングが悪いのかとエルザは恨みすら覚える。
振り返った先にいたのはブルネットで豊かな体つきの女だ。美人というほどではないが、存在感があり、人目を引きつける。たとえるならば、オペラ歌手のような出で立ちをしている。
「それ、こっちのセリフ。って言うか、その名前で呼ばないで」
アゼルとはエリザベスの相性とは関係ない。つまり、変装中の名前とは違って正体がバレたところで困るわけでもないのだが、配慮はしてほしいものである。
尤も、これまでに何度も注意して、その度に彼女はアゼルとしか呼んでくれなかったわけだが。
「ああ、この辺りはあんたの領域だったね。でも、まさか会うとは思わなかったよ。ここを選んだのはたまたまだからねぇ」
要するに自分の運が悪いのかとエルザはうんざりした。ゆっくりと傷を癒すことなどできそうもない。
「そっちの色男は……あんた、どっかで見た顔だねぇ」
女がじっとロメオを見る。
ロメオの方は鬱陶しそうな表情をしながら目でエルザに「説明しろ」と訴えていた。
「彼女はキグナスのギエナ。トラッド系メタルバンドのヴォーカルさん。アタシをこき使ってくれちゃってる人」
エルザは簡潔に紹介したものの、ロメオが知っているとも思わない。
多少名前は聞いたことがあるかもしれないが、彼の趣味とは異なるし、彼女の顔に見覚えもないようだった。
「ギエナ、この男は」
「ああ、あんた、レッド・デビル・ライのイーグルかい? あのピンク頭でしか認識してなかったよ。化粧薄いと結構普通なんだねぇ」
エルザはギエナの方にも簡単に紹介しようと思ったが、彼女の方には必要なかったようだ。
だが、残念なことにギエナははっきりと思ったことが口に出てしまうタイプだった。
対するロメオは心が狭い。特に自分の容姿には自信があるナルシストだ。普通と言われて黙っていられるはずがない。
「あぁ? 喧嘩売ってんの? クソババア」
「クソババアだ? ケツ叩いてやろうか? クソガキが」
「俺、スパンキングの趣味はないから。するのも、されるのも。縛りの趣味があるのも愚弟の方だし」
妖しげな空気になってしまった。
エルザは溜め息を吐く気力もなかったが、エドが「どうにかしろ」と視線を送ってくる。ここでのトラブルは彼が最も嫌うものだ。
「……一応、仲良くしておけば? バンドやってる組織仲間なんだし」
否、仲良くしてくれないと後々自分が困るのだとエルザは思う。
北方と東方は強く結びつかなければならない。
「ロメオ・アクイラの名前を聞いたことは?」
隣に座ったギエナにエルザは問う。
「〈砂漠の鷲〉んとこの放蕩息子かい。なるほどねぇ……」
たとえ、ロメオがギエナを知らなくとも、彼女は彼を知っていなければならない。少なくともアクイラの名は。
それほどまでに〈砂漠の鷲〉アルテア・アクイラの名は大きい。
「あんた、あたしらに東と協力しろって言うなら、もっとライヴやらせてほしいんだけどねぇ」
以前からエルザは彼女にアルデバランへの協力を頼んでいた。キグナス自体は小さな組織だが、侮ることはできない。
「やればいいじゃない。いくらでも」
ギエナが言った意味をわかっていながらエルザは言う。彼女が望む言葉を与えてやることはできない。
「ヴァイオリンのあんたがいないとできないんだよ!」
「アタシは忙しいの。大体、サポートなのに、なんで七人目のメンバーに決まってるのよ? 名前だっていらないのに」
エルザはアゼルという名前ですっかりキグナスのメンバーにされてしまっている。
「なんで、そういう面倒臭いことやってんの? 女の頼みを安請け合いすると、ろくなことないって知ってるでしょ?」
ロメオが呆れ顔をした。
エルザとて彼女のような人間の頼みを一度聞いてしまえば、ずるずると続いてしまうことはよくわかっていた。
「でも、家出してからはなんとかネットワークを広げるしかなかった。おかげで上手くいってることもある。それに元は東でイケメンのチェリストに声をかけられたの」
「男にホイホイついてったってわけ?」
ロメオの目付きが鋭くなるが、エルザは気付かないフリをした。
「まあ、そんな感じでいいわよ」
そこに嘘はない。彼女達の情報収集力をエルザも評価している。
「ただ、組織としてもアタシの力を借りたいなら、契約は守ってほしいわね、ギエナ。次のメンバーが決まるまで、って約束だったのに、なんでオーディションをしないの?」
「あんたの音しかないんだって! あんたはもううちのメンバー、これは決定だよ」
「それは聞き捨てならないな。俺だって、諦めたつもりはないんだけど。今、丁度愚弟もいないし」
以前にレッド・デビル・ライに入るようにロメオ達に言われたことがあるが、エルザは断っている。
「アナタのところはもうスタイルが確立してるでしょ?」
「スタイルなんていくらでも変えられるよ?」
「アルバム出す度に違うバンドになるくらい?」
「そう、ブルースからロックに行って、またブルースに出戻るくらいね」
レッド・デビル・ライはイーグルとファルコンのどちらかが欠ければ成り立たない。
そして、仲間との絆の中に自分は入り込めないだろうとエルザは考えていた。ロメオもまたわかっていることだろう。
「どっちかに入るくらいなら、ヴァイオレット・ムーンの方がまし」
それは本心ではない。
「あそこはギターがもう一人入ってもいいかもね」
「アカツキにキーボードがダメならヴァイオリンって言われたんだけど」
「エレキ?」
「アタシ、アコースティックしか持ってないけど、どっちにしても路線が違うわよね」
ギエナが口を挟みたそうにしているのがわかったが、エルザもロメオもその隙を与えなかった。
「そうそう、学園の話を聞かせてよ。ヴァイオレット・ムーンと学園生活が過ごせるなら、俺も潜入したいし」
エルザがレオン・ディ・レオとして学園に通っている間、ずっとヴァイオレット・ムーンに付き纏われていた。
こっそりと問題を解決してまた不登校に戻るつもりだったが、彼らのせいですっかり騒ぎ立てられてしまった。
「遊びじゃないんだけど」
「知ってる」
にっこりとロメオが笑う。彼が加われば、とても面倒なことになってしまうだろう。
「あんた、一体、うちの何がそんなに不満なんだい?」
ギエナは痺れを切らした様子で問いかけてくる。
「全てに決まってるじゃない。待遇もっと悪くして」
それは前々からエルザが訴えていることである。彼女達だけに構っている暇などない。大人しく独占されてやるエルザではない。
「残念だけど、デネブがあんた用の新曲作っちゃったんだよ。これは歌ってもらわないと困るねぇ」
ニヤニヤとギエナが笑う。
「アナタ、ヴォーカルなんだから、ちゃんとそういうのは反対しなさいよ。いくら相手がリーダーでも」
デネブとはキグナスのリーダーであり、ボスとも言える。
「あたしとしても大賛成なんだけどねぇ」
コーラスだけならまだしも無理矢理歌わせようとしたり、見せ場を作ろうとしたりと、エルザとしては面倒なことになってしまっている。
「ヴォーカルより派手な衣装着るメンバーがどこにいるのよ?」
「あたしは派手なのが嫌いなんだよ。でも、華が必要だろ?」
ギエナが言っていることはエルザにもわからなくもない。だが、真っ赤なドレスを着せられるのは話が別だった。
「音楽に華があればそれでいいんじゃない?」
「うちはね、あんたとアルビレオしか綺麗なのがいないんだから」
「あの人だって、派手なのは嫌いでしょうよ。って言うか、それ認めちゃダメでしょ」
アルビレオというのが、チェリストだ。
綺麗と言うにふさわしい顔立ちだが、どちらかと言えば地味な方である。
そして、彼も厳密にはキグナスの人間ではない。
「あんたとアルビレオ抜いたら、デブとかヒゲとか、ハゲかロン毛か、そんなむっさいのしかいないじゃないのさ。あたしも含めてね」
ギエナは言いたい放題であるが、事実でもある。自身のことも認めるあたりは尊敬すべきなのか。
そして、彼女が音楽を愛していることはエルザもよく知っているつもりだった。
彼女は組織としてのキグナスの中では最も弱い。否、戦闘力をほとんど持たないのだ。
だから、組織的な交渉はデネブとする必要があるだが、彼女の機嫌を損ねても良いことはない。
ただ、言うことを聞きすぎてもいいことはない。
「いいじゃん、やってあげれば」
ロメオは適当なことを言うが、物事は難しいのだ。
「簡単に言わないでよ。物凄く忙しくなるってわかってるでしょ?」
「大丈夫でしょ。年中無休なんだから」
ロメオはあまりに無責任だが、エルザも彼がギエナを止めることを期待していたわけでもない。
「ライヴやるなら、是非、俺とトールお兄様のチケットは手配してほしいね。あと、イシュタルとヴァイオレット・ムーンの三人も、誘っちゃいたいな。ついでにサイも」
それは、つまり組織として組む気があるということなのだろう。そうなるとエルザはロメオの機嫌を取らなければならなくなる。彼にとってもメリットがあることなのだから気も変わらないのだろうが。面倒なことを言われてもエルザは困るのだ。
「よし、決まりだね!」
「アタシの意思は?」
「あんたはもうキグナスのメンバーなんだよ。あたしの決定はリーダーの決定であり、ボスの決定ってことさ」
「格下げされてるよ」
ケラケラとロメオは笑う。
ヴァイオレット・ムーンもそうだが、なぜ、自分をメンバーにしようとするのかとエルザそしては甚だ疑問だ。シックス・フィート・アンダーではまだ相談役という上位のあつかいだったが、キグナスではメンバーであってギエナと同等かそれ以下の扱いなのである。
「今までの借り返してもらったっけ?」
「ツケといてくれよ。その内、どーんと返してやるからさ」
「それ、返さない人が言うことよね」
信用していないということではないが、期待できないものだとエルザは思っている。今はまだ、その力は弱い。それでいて、彼女達はエルザを使い倒そうとする。
「話がまとまったところで俺と一曲どう?」
こんなロメオの誘いは珍しかった。ヘラヘラ笑うわけでもなく、真剣な面持ちだ。
そもそも、ロメオはこういうところでは歌わない男だ。
「レクイエムのつもりなの?」
「俺が、毒婦に捧ぐ、って柄だと思ってるの?」
「じゃあ、行方知れずの半身に捧ぐ、とか?」
まさか、とロメオは肩を竦める。
「ただ、歌いたいって気分なだけだよ。いいよね? エドお兄さん」
「ああ、ギター持ってくる」
「アナタが何を歌うって言うのよ?」
ギター一本で、自分を巻き込んで何を歌うというのか。
「俺だってバラードも歌えるし。お前の十八番は覚えてるから」
そこでエドがギターを持ってきた。
「だから、弾いて。適当にハモって」
ロメオがギターを押し付けてくる。
それをエルザも渋々受け取る。歌って何かを忘れたい気持ちはエルザにもわかる。今の彼にはエルザしかいないのかもしれない。
「あんた、美声の無駄遣いするって噂じゃないか。大丈夫なのかい?」
ギエナが心配そうに問う。ロメオは美声の持ち主ではあるが、シャウトやデスヴォイスを多用することで知られている。
「何それ、俺のどこが無駄だって?」
「レッド・デビル・ライのイーグル様によく言えるわね」
奔放な物言いのギエナにエルザが呆れればロメオが驚いた表情を見せた。
「俺を認めるなんて珍しいじゃん」
「学校行ってよくわかった。若者達の間でカルト的人気を誇り、頭の腐った女どものセックスシンボル。ツインセストとか妄想されて、よく耐えられるものだって感心した」
「そっちも、かなり噂になってるけどね、レオン?」
問題は解決したのにアカツキから『俺の問題を解決してくれ』という旨のメールが毎日のように届き、そのことを思い出せば気分が重くなる。
「ん? なんの話だい?」
「アナタには関係ない」
何も知らないギエナに説明するのは面倒で、エルザはギターを掴んで、歩き出した。