掃き溜めの街 001
大通りの喧噪の奥、路地を進めば隔離されたような静寂が広がる。まるで檻のように囲われ、見上げても切り取られた空に自由はない。あるいは、街の全てが巨大な監獄のような閉塞感がある。
隙間を吹く風は悪戯に少女の腕に抱えられた花束を弄ぶ。カサカサとセロハンが立てる音がやけに大きく響いたように聞こえた。
死者の声か。いや、死人に口はなく、口を付けられる者も今この場には存在しない。所詮は幻想に過ぎない。後ろめたさがあるからこそ罹る厄介な病だ。
人どころか野良猫さえいないような場所だが、既に多くの花束が捧げられ、いかに彼が愛されていたかを示しているかのようだ。
いつも笑っていた明るい青年は誰からも愛される憎めない人物だった。
数日前、彼はここで冷たい亡骸となって発見された。若すぎる死、誰も予想しなかった惨い結末だった。
彼は殺された。処刑された。裏側の世界に踏み込んでしまったがために消されたのだ。
厳密にはこの場所で命を落としたわけではない。だから、凄惨な血の跡も残されてはいない。
少女はそっと自分の花束を置く。手向ける白い薔薇を愛していたのは彼ではない。けれど、彼が愛する花を少女は知らない。
違う男の姿を重ねることは死者に対して礼を失することだろう。わかっていても重ねずにはいられず、気付けば何度も供えてきた花をまた買ってしまった。
その意味を知るのは自分だけなのだと言い訳をして。知らなければ、他の白い花と同じに過ぎない。
重なるからこそ、こうなってはいけないとわかっていた。この結末を回避しなければなかった。それなのに、結果は同じことの繰り返しだった。
また許されない罪が一つ増えた。
不意に近付いてきた気配に少女は一瞬身構え、すぐに警戒を解く。
それからゆっくりと振り返れば茶髪の童顔の青年が驚いたような顔をしている。大きなブラウンの瞳が見開かれている。
顔を合わせたくなかった相手だが、今の少女に逸らす理由はない。
「あ、あの、俺、アルド。えっと、〈カニス・マイヨール〉の、ウェズの弟で、それで」
青年――アルドは妙に慌てた様子だ。大方、何を言っていいかわからなくなって混乱しているのだろう。
ふらりと立ち寄ってはみたものの、誰かと会う可能性を考えていなかった。そんなところだろうか。
少女はただ首を傾げるしかない。彼のことは知っている。時々パニックになってよくわからないことを言い出すこともわかっている。
だから、自分がここにいることがそんなにも予想外だったかと不思議になる。
「君も花を……?」
少し落ち着いたアルドの問いに少女は頷く。少女にとっては、ここで彼と会うことは全くの想定外ではない。しかし、運が悪かったという言い方もできる。
彼はここで遺体となって発見された青年ウェズ――ウェーズリーの義弟であり、親友でもある。
ここは彼にとって悲しみの場所だ。今、ここにいるのも辛いはずだ。それなのに、アルドは小さな微笑みを見せる。無理をしているのは明らかだ。
「ありがとう」
礼を言われることなどありはしないのに、少女は胸の痛みを押し殺す。
罵倒された方がましだ。そうされたところで何にもならない。そして、彼は一切の事情を知らない。
だから、何も言えずに一礼だけで少女はその場を半ば逃げるように去るつもりだった。
「ま、待って!」
咄嗟に引き留める声に少女はぴたりと足を止める。
縮んでしまった距離が苦痛をもたらすのに一歩も動けなくなる。無視することはできない。
「ね、ねぇ、これから、店に来ない?」
アルドからの思いも寄らぬ問いかけに少女はまたも首を傾げる。
彼の言う店とは彼らの養父がやっている喫茶店〈カニス・マイヨール〉のことだ。少女も通っているからこそ、彼とは顔見知りであるし、花も手向ける。
だが、今は臨時休業中のはずである。マスターの息子であり、ウェイターでもあったウェーズリーが死んでしまったのだから無理もない。
「えっと、みんなで集まるんだ。み、みんなって言っても、俺と父さんとエドさんとジムさん……あの常連の二人が来てくれるだけなんだけどね……」
ああ、と少女は心の中で納得する。常連客二人の顔はすぐに思い浮かぶ。それこそ彼らと家族のような仲だ。
自分とは違う、そう言いたくても言葉が出てこない。少女は言葉を発することができなかった。それが制約だからだ。
「ほら、君もよく来てくれるから、きっと、あいつも喜ぶと思うし……いや、えっと、強制はしないんだけどさ。でも、来てくれたら俺も嬉しいから……あ、ほら、やっぱり人数が多い方がいいって言うか……」
青年は時折止まりながらも賢明に言葉を紡ぐ。
本当に彼は喜んでくれるだろうか。少女はウェーズリーの顔を思い浮かべてみる。焼き付いているのはよく見せていたはずの笑顔ではない。
それでも彼は社交辞令を言うまい。本当に言葉通りのことを思っているのだろう。良くも悪くも素直、あるいは単純というのがアルドという人物だ。
だから、少女は断るのも無粋だと判断して、小さく微笑んでみせる。それが答えの代わりだった。




