改めて、はじめまして
「ローズ、ローズではないか」
かけられた言葉に反応したわけではないが、振り向くと豪奢な金の巻き毛が目に入った。青い瞳に甘いマスクがこぼれんばかりの笑みをたたえている。
その声、顔はどこかで見たような気がするのだが――気のせいだろう。
そう、あったことのない人だ。見覚えがあるとか――絶対気のせいだ。
あれは夢だ――あの、穏やかなノールさんが皇太子を滅多打ちにするとか、刻んで家畜の餌にするとか宣言するとか――あるはずがない。夢と同じ顔で同じ声だったとしても――初対面だ。うん。そういうことにしておこう。
その隣にいた黒髪の青年が軽く首をひねったあと口を開いた。
「はじめましてレディ。わたくしはウィンダリアの皇子クロスリート・フィグ・ウィンダリアと申します。ロゼリア大公家の縁の方とお見受けします。名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「なにを言っておるのだ? ローズとは顔見知りだろう?」
金髪の初対面男(仮称)を無視してフィニアは黒髪の青年に微笑みかけた。
「初めまして、ウィンダリアの皇太子様。わたくしはラゼリア大公の娘フィニアと申します」
自己紹介をしながらフィニアは、これが噂のウィンダリアの皇太子さまかと思った。
フィニア達の祖国シグラトは小国ではないが大国と呼ばれるのには少しばかり力が足りない。シグラトは三つの国と隣接しているが、そのうち二つの国とは比較的友好的である。唯一の仲良くしていない国がウィンダリアであった。過去形。
ウィンダリアは大国に分類されシグラトより少し大きい。野心的なところで諸外国に対してちょっかいを出すことが多い。シグラトとも何度も紛争を起こしている。
三年前にも戦争になりかけたところだ。
シグラト、ウィンダリア両国は戦争回避後、友好的な関係を築くため両国の重要人物が互いの国を行き来している。
今回はウィンダリアの皇太子がシグラトを訪問しているのだ。
クロスリートは三人兄弟の末っ子なのだそうだが、兄二人は夭折している。詳しい事情はさすがに外国(商人レベルの噂話)には流れてきていない。
金髪の初対面男(仮称)が驚いたように言う。
「お前、妹の方か!」
「ええ、ローズはわたくしの双子の姉です……初めて……お目にかかります。どちら様でしょうか?」
一瞬、金髪の初対面男(仮称)の目が泳いだ。
「……」
「……」
「そうだな……初対面だ……余はレオンハルト・フィグ・シグラトだ」
ええ、誰がなんと言おうと初対面です。
「フィニアです。事情がありまして今まで離れて育てられましたが、これより王都の屋敷の方で暮らすことになりました。お初にお目にかかります」
フィニアは二人の皇太子に頭を下げた。
ずいぶんと対照的な皇太子である。金髪の甘い顔立ちをしたレオンハルトと、それより少し長身で黒髪の精悍な顔をしたクロスリートはひとつしか歳が違わないはずだが、老成した雰囲気をまとうクロスリートはもっと年上に見えた。レオンハルトはフィニアより二つ年上のはずなのだが、年下のように思える。
「それにしても、よくお分かりになりましたわね。皆様姉と間違えましたのに」
王宮に来たのは初めてだが、何人もの人が親しげに声をかけてくる。皆姉のローズと間違えるのだ。
それなりの衣装をまとい髪を結い上げると、もう一目では見分けがつかないらしい。
「ローズ姫とは面識がある」
「ですから、不思議ですわ。皆様一片の疑いもなく姉だと思われましたのに」
レオンハルトが視線をそらした。姉と幼馴染の皇太子さえ見誤ったのだ。
それをウィンダリアの皇太子は見分けた。
「三年前、我が父をローズ姫がおどし……諌め、矛先を収めさせたときそばにいた」
今なんか言った!
言い直した!
遠い目をした!
「……あれは忘れようとしても忘れられない……」
(涙目になっていません? わたしの気のせい?)
なにをしたの、お姉さま!
三年前ナニがあったのだろう。当時庶民のフィニアの聞いた話では、両国の王をローズが諌め、戦争を回避させたのだという。
自国の王には王宮で直談判し、ウィンダリアの王には、今まさにシグラトを攻めんとする軍に数騎で乗り込み、陣を突っ切って王の面前にたどり着き、戦争の無益さを訴えたのだという。
麗しくも凛々しい勇気ある救国の姫と讃えられたのだが――現実にはナニカが違うらしい。
ウィンダリアの皇太子はなにを見たのだろう――興味はあるが――恐くて聞けない。
「ゆえに、どれだけ姿が似ていようと見間違えることはない」
「そうですか」
フィニアは微笑んだ。汗が出てくるのはきっと気のせい。
「今日はどうしたのだ?」
レオンハルトが会話を変えた。
「怪我が治りましたので、一度ご挨拶に参りました。父と登城したのですが、用事があるらしく別室に」
「そうか……」
ナニカ悩むそぶりを見せたレオンハルトが罰が悪そうに口を開く。
「話は聞いた……すまなかったな」
「なにに対しての謝罪でしょう?」
「……色々とだ」
「そうですか」
たぶん、手配の手違いと、姉と間違えたことだろう。それぐらいしか謝罪される心当たりはない。
ええ、ありません。
だって初対面だし!
「ローズ姫に妹姫がいたとは存じませんでした」
ウィンダリアの皇太子が不思議そうに言いました。
「はい。わたくし達は双子で――四年ほど前に亡くなった母がネイラの出身でしたので」
「ああ、ネイラの――確かにあそこでは双子は――」
「はい。ですけど、ここはネイラではありませんし、姉が婿を取り跡継ぎが決まりましたので、戻ってまいりました」
ということになってます。
ネイラというのはシグラトと国境を接する国のひとつです。
昔はもっと大きな国でしたが、今では半分ほどしか国土がありません。
何代か前――二人の王子が王座を巡って争いました。王子は双子で、王様はどちらを跡継ぎにするか明確な意思表示をしなかったそうです。
そうして国を真っ二つに割るような内乱が起きました。悪いことに二人の王子の資質は甲乙つけがたく、戦いは長引いたのです。
二人は双子。たった数分のことで一人は王となり、もう一人は臣下に下る――それが許せなかったのでしょう。
国は荒れ、他国はその隙を突いて領土を奪いました。それでもどちらも譲りません。
そして――これほど国が荒れ、国民を苦しめても、なお譲らぬとあらば王たる資格無し――と妹姫が立ち、二人の兄を打ち倒してネイラ初の女王となりました。
女王は「初めから区別をつけていれば兄達は争わなかったであろうに」と嘆いていたそうです。
このときからネイラでは同性の双子は一緒には育てないという不文律ができたそうです。
区別して育てなければひとつの物を奪い合い共倒れすると――ゆえに片方は里子に出し以後生家とは関係ないものとしてあつかわれるのだそうです。
どうでもいい話ですが、わたし達は母方からこの女王さまの血を受け継いでいるそうです。直系です。
「ではこれからは社交界にもでられる?」
「……そうなりますわ。田舎で育ちましたもの、正直大公家の姫として恥ずかしくない振る舞いができるか心配ですわ」
大公家というのは王家の分家です。三代までは「大公」を名乗りますが、それ以降は公爵となります。
信じがたいことですが、わたしは王族縁の姫君ということになります。
「……大丈夫だろう。ラゼリア大公家を敵に回したいものなど我が国にはおらん」
なぜそこまできっぱりと。
「大公家には恐ろしい男がいるからな」
誰?
フィニアはまず父リチャードを思い浮かべた。優しそうな、フィニアと同じ蜜色の髪に翡翠の瞳をしたナイスミドルである。
恐くない。
「それほどまでに恐れられているものがいるのか?」
クロスリートが不思議そうに言うと、レオンハルトが微妙な顔をする。
「知っているはずだ。三年前ローズが連れていた一人だぞ。ブラウンの髪に細い目でいつも笑っているような――」
「『笑う悪魔』か!」
クロスリートの顔が引きつった。
「たぶん、それだ。我々は『忠実なる狂犬』と呼んでいる」
誰!
二人の皇太子の目が合った。
ナニカを共感しているようだった。
「大公家の人間なのか?」
「家宰だ」
「使用人? 嘘だろ! あの男、我が国が誇る重装騎兵を蹴散らしていたぞ!」
だから誰?
「やつならやるな。もし闘技大会に出場したら、組み合わせ次第では優勝も狙えるやつだぞ」
「……なぜそんな男が一家臣の使用人なのだ? 才能を投げ捨てているとしかっ」
「余もよくは知らん。叔父上が家を持つとき使用人として引き取ったらしいが……」
目で会話した。
ナニカを分かり合った。
「最強の番人だな」
「最凶だ」
うんうんと二人の皇太子が頷きあった。
(聞いていません。『笑う悪魔』も『忠実なる狂犬』もわたしは知りません! 聞きませんでした!)
フィニアは現実逃避した。
たとえ心当たりがあったとしても――にこやかに微笑むノールの面影が鮮やかに脳裏に浮かんでいようとも。
皇太子様との初対面です。ええ、お初です。
お母様の祖国ネイラの諸事情が明らかに。おっかない女王さまだ。
・周りの人が王子二人に対して愛想をつかして担ぎ上げられた。
・伝説のとおり自ら立ち上がった。
どちらだと思いますか? まあ、ローズとフィニアの先祖らしいんで……
他国でも有名でした、あの人。『笑う悪魔』(笑)
こうしてみるとクロスリートも結構ヘタレかもしれない。三年前ナニを見たんだ?
とりあえずがんばれ皇太子ズ。
なんか保身スキルが飛び交った話でした。王宮では必須スキルなのだろうか?
ふと気づくと恋愛フラグ立ってない……