虜囚の言い訳
ローズが魔術師の長との結婚を望んだという。父上は許し、二人は婚姻を結んだ。
なぜだ? ローズは俺の運命の相手ではなかったのか?
我が国シグラトには王侯貴族の家に子供が生まれると予言を贈る習慣がある。ローズが生まれた日魔術師が送った予言は「国を救い愛するものと結ばれる」「王となるものを助けその伴侶となる」というものだった。普通予言はひとつである。だからこれを「国を救い」という部分と「王となるものを助け」という部分が重複し、「愛するもの」が「王となるもの」だと解読された。
だから、俺はローズが伴侶になるとばかり思っていた。回りの大人もそういっていた。
ローズは美しく賢く気品もあり、身分も申し分ない。初恋だった。なのに、いまさら「王となるものを助けその伴侶となる」が別人への予言だったなどと言われても――認めない。
俺の伴侶となるべきものはローズだけだ。
存在さえ知られていなかった双子の妹? そんなのはローズ以外をあてがうために急遽取り繕った身代わりだとしか思えなかった。
欺瞞を剥ぎ取ってやろうと屋敷に乗り込んだ。
正面からたずねていっても拒否されるだろう。だから塀を乗り越え、警備のものには権力を振りかざして口止めし、偽物の部屋を聞き出した。
…………多少強引で無礼な手段だったことは認める。
本来他家に訪問する際は書面でのやり取りで許可を貰い――突然の忍びであっても門番に取次ぎを頼む。
それらを一切無視したのだから。
また昼日中であっても淑女の寝室に押し入れば殺されても文句は言えない――普通なら。
俺は皇太子なのだから多少のことは許される――もっともここの家宰にはそれは通じなかったが。
ノール――恐ろしい男だ。
何のためらいもなく自国の皇太子を滅多打ちにし、牢に放り込むとは。手当てぐらいしてくれよ。
このままでは本当に単なる侵入者として抹殺されるかもしれない。
そう思っていたら牢の前にローズが現れた。
「ローズ!」
「レオンハルト様ですの? 本当に?」
「そうだ、余だ。ここから出してくれ」
ローズは少し困ったように首をかしげた。ローズの手の中に治癒魔法の光がともり、俺の傷が消えていく。
「困った方。ノールに聞きましてよ? 勝手に屋敷の中に入り込んで、フィニアを罵ったそうですわね」
「……それは……」
「眠っている淑女の部屋に入り込むなんて、人に知られたらなんと言われるか分かっていますの?」
若い独身の女が男を寝室に入れたとなれば、どういわれるかは火を見るよりあきらかだ。確かにうかつだった。家宰が怒るのも無理はないが……
「寝ているとは思わなかったんだ。居場所を聞いただけだったから……」
「あの子があんな怪我をしたのは王宮の手抜かりのせいですわ。その傷も癒えていないのに、罵るなんて」
「手抜かり?」
聞いていないぞ。
「宰相様の手配書のせいですわ。詳しくは王宮でお尋ねください。あの子は魔法が効き難い体質で普通に治療するしかありませんの」
それで寝ていたのか。包帯だらけでもあった。
「なにをされたんだ?」
「暴力を受けたのは確かですわね。馬に括り付けられ運ばれながら四日ほど食事も与えられなかったとか」
俺はうめいた。四日も食べていなければ弱るのも仕方ない。
「顔に傷が残ったらただでは置かないとノールは言っているわ」
…………あの男ならなにをしても不思議ではないが……マイスリーのためにも顔に傷が残らないよう祈ろう……
「あとであの子に謝ってくださいね」
「マイスリーが謝罪するのは仕方ないが、なぜ余が謝らねばならんのだ?」
すっとローズが目を半眼にした。
しまった、怒らせた。
「そうですか。ではあなたはわたしの知る殿下ではありませんね。自らの非を認めることもしないのなら――ただの侵入者ですわ。あとはノールに任せるといたしましょう」
ローズが踵を返した。
ここでローズに見捨てられたら!
「待て! 待ってくれローズ! 謝る! あとで必ず謝罪する!」
ローズが振り返りくすっと笑った。
「ノールはいま所要で出ておりますの。半月は帰ってこられませんわ。お父様が王宮に行きましたから、すぐに迎えが来ると思いますわ」
俺は膝をついた……ローズ……分かってて言ったのか……少し酷いぞ……
ラゼリア大公リチャードが国王との面会を望むとそれはあっさりと許された。もっともそれは私的なものであり大げさなものではない。
国王の執務室に通されたリチャードはさっそく国王となった兄に話しかけた。
「お忙しいところ時間を割いていただきありがとうございます」
「リチャードか。宰相から話は聞いている。悪かったな。姫には見舞いを贈らせてくれ」
「光栄でございます、陛下。ときに皇太子殿下は今日はいずこにおられますかな?」
ぴたりと書類の決裁をしていた手が止まる。
「あれはどこだったかな? マイスリー」
「こ、この時間ですと、剣の修行をなさっているころかと……」
その目が不自然に泳ぐ。
「レオンハルト殿下は王宮におられると?」
「そうだ」
すっとリチャードが目を細めた。
「ではあれは単なる騙りでありましょうな」
「なに!」
国王宰相護衛の兵士が目をむいてリチャードを見つめた。
「なに、我が屋敷に侵入者があったのです。その不埒者は我が娘を『偽物』と罵ったとか。ノールが捕まえましたが、あきれたことに我が国の皇太子と名乗っているそうです」
音を立てて陛下の握っていたペンがへし折れた。宰相がふらりと卒倒しかかる。
「今日は来客の予定も報告もありません。ならば件の男は単なる闖入者でありますのに、警備のものが殿下ではないかと惑わされております」
ラゼリア大公家の家のものは皇太子の顔をよく知っている。なんども非公式に訪問しているからだ。
「我が娘を偽物と罵り、皇太子と騙るなど言語道断。ノールが怒りくるっておりまして、刻んで家畜の餌にすると申しております」
「リチャードォオオオオ!」
「皇太子殿下は王宮におられるのですよね」
「! そ、そうだ、あれは城におる……おるが……リチャード、頼む」
「なにを、でございましょう、陛下?」
ラゼリア大公はいい笑顔できいた。
我が子の命の危機に国王は必死になった。
「その曲者を城で引き取らせてくれ! 頼む!」
「陛下がそのように言われるのであれば、従いましょう」
「すぐにお迎えを!」
役人が飛んでいった。
かくて非公式に皇太子は王宮に引き取られることになった。
「それはそうと、我が娘のことなのですが」
「なんだ?」
「おかしなことを言い出すものがおります。わたくしとしては、娘はよき伴侶を得られればよいと思っておりますが、すでにそれが決まっているかのように吹聴するものがいて困ります」
今大きな借りを作ったばかりの国王は強く出られなかった。
「ローズのときもそうですが、予言を妄信するあまり自分の解釈を押し付けられるのは困りますな。まして少々変わった経歴の娘です。そっとしておいて欲しいのですが」
一部の貴族の中に、ローズが皇太子妃になると思い込み、様々なことを企むものがいた。その中に宰相という地位にいるものも含まれるのが頭の痛いところだ。
皇太子にあれが未来の妃だと吹き込むのは――まあ、許そう。
だが、ローズが他のものに惹かれるようになると、その仲を妨害するのは困る。ローズはシーリスとの婚姻を承諾させるのに『戦争を止める』という大技を繰り出し、その功績で妨害工作を振り切るという無茶をした――我が娘ながら恐ろしい――同じことをフィニアができるとは思えない――思いたくもないが。
「……できる限りのことはしよう」
「よろしくお願いいたします。それにしても、我が娘を皇太子妃におすものの気がしれませんな。我が家と王家の婚姻など、なんの利益も生み出しません。せいぜい他国の付け入る隙を潰すだけでしょうに」
「……それが肝要だと思っているものもおるということだ」
ローズお姉さまとリチャードパパン、いい性格です……親子だ。
恋する乙女は戦争さえ止める。無敵かもしれない。愛は偉大だ。うん。