病んだ思い
捜査の行き詰ったクロスとレオンハルトは残った手掛かりの廃屋に来ていた。レオンハルトが顔をしかめる。
「気持ち悪いな、この魔力は」
「そうなのか?」
シグラトの王族には魔法の資質がある。レオンハルトは魔力の流れが視えるのだ。その眼からすると魔力の残滓がぐちゃぐちゃに攪拌されているこの廃屋はいるだけで気分が悪くなる。
「……何度も魔法が行使され、その痕跡を乱すための術が何度も使われている。何かの通り道として利用されていたと見るべきだろう……シーリスはよくここで捜査できたな」
ぶるりとレオンハルトは身震いした。
魔法に対して適性のないクロスには分からないが、ここは魔力を感じることのできるものには気分が悪くなるほど魔力の流れが乱されているのだろう。
「埃があまりたまっていないところをみると、頻繁に出入りしていたんだろうな。だが、どこでなにをしていた?」
「ろくなことではないな」
「もうひとつ、あるいは二つ三つ、根城があるということか」
「どちらにしろ、あちらの情報待ちか」
手掛かりがあるとすれば名前を貸している貴族だが、そちらはアルンハイト侯爵家の受け持ちだ。
「情報が来ているかも知れん。叔父上のところに行くか」
機嫌よさそうに提案するレオンハルトにクロスも同意した。
「そうだな」
おっかない家宰は戻っているが、あそこで過ごす時間は二人にとって癒しになっていた。
弾かれたようにクロスが入り口を振り返った。その眼は険しく武人の顔になっていた。
「どうした?」
「しくじった。囲まれたぞ」
魔力の流れとやらは見えないクロスだが、人の気配や害意には鋭い。すでにあたりは囲まれていた。忍びということで二人は護衛をつけていなかった。乗ってきた馬車も少し離れた場所に待たせてある。
「囲まれた? いったい何者に?」
「ここを使っていた連中以外にあると思うか?」
実戦を重ねてきたクロスの方がこうした場合腕が立つ。気を静め音と気配で人数を探る。
(一〇を越えるか……少し厄介だな)
ひとつの足音がこちらに近づいて来ているのを感じ取った。
「来るぞ」
姿を現した男にレオンハルトが眼を見張った。
「メディアス団長……まさか、騎士団長ともあろう者が謀反人の一人だとは思わなかったぞ!」
レオンハルトが吠える。
「謀反などとは心外ですな。皇太子殿下、我々はウィンダリアとの共存など望んでいないのですよ」
男が騎士団長であり開戦派であることをクロスは知った。ウェアルトはシグラトの内部にかなり深く食い込んでいるようだった。
「王の命に逆らうと? それを謀反といわずなにを謀反というのだ?」
「ウィンダリアはあくまでも叩き潰さねばならぬ仇でございます。その仇と手を組むなどあってはならぬこと」
「貴様らが今やっていることはなんだ? ウィンダリアと手を組んだのは貴様らだろうが!」
「あれはウィンダリアにとっても不利益となることをしようとしております。利用させてもらっているだけですな」
男の言い分にクロスは眉をしかめた――皇太子の暗殺――それはウィンダリアの不利益になるのだろうか? クロスは誰にも――父にさえ期待されていなかった。いつか除外され次の皇太子が立つまでの「つなぎ」国内ではそう認識されている。
「ウィンダリアの皇太子が我が国で暗殺されれば、我が国はウィンダリアにとって大きな負い目を背負うことになるのだぞ」
「クロスリート皇太子殿下は暗殺されるのではありません。不治の病に罹り、儚くなるのですよ。この病は我が国で流行し、その罹患者の中の一人にたまたま殿下がおられただけのこと」
「! 呪病か! まさか貴様ら呪病を撒き散らすつもりではないだろうな!」
メディアスは笑って答えなかったが、それ自体が肯定していた。
魔法――もしくは呪術ともいえるものだ――そうと分からなければ完治させることはできない病だ。一人二人を指定して罹らせることのできるものではない。いったん発動させればどれだけの犠牲が出るものか。
「この狂人が!」
メディアスが開戦派であることは知っていた。だが――戦争をするためその敵国の者と手を組み自国のものを傷つけるのも辞さないとは――理屈に合わない。血迷っているとしかレオンハルトには思えなかった。
「多少の犠牲は払いませんとな。さあ、その敵国の皇太子を引き渡していただきましょうか?」
「……あきれてものも言えんな」
クロスは剣を抜いた。
「守るべき民を切り捨てるものにするなど、もはや騎士ともいえん。この命たやすくやるわけにはいかん」
剣を構えるクロスの脳裏には約束を交わした少女の姿があざやかに浮かんだ。
「約束したのでな」
王になれと言った少女。今まで誰もそんなことは言わなかった。だから――死ねない。死ぬつもりはない。
「我欲に負け、自らの行いが分かっていないらしいな、謀反人が!」
レオンハルトも剣を抜いた。
メディアスの腕前は分からないが――おめおめと友を渡すわけにはいかない。シグラトの不始末はシグラトでつけなければならない。
「残念ですよ、殿下」
メディアスの合図とともに武装した男達が室内に乱入してきた。間髪いれずクロスが切りかかる。相手の体勢が整う前の奇襲だ。さすがに場慣れしている。レオンハルトもそれに習ったが、クロスほどの効果はなかった。
戦場において名をはせていたのは伊達ではない。クロスは数で勝る相手を押していた。剣が閃くたび血飛沫が上がる。
その腕前にはレオンハルトは舌を巻いた。
メディアスは不利と見たのか部下とともに引いた。
「追うぞ!」
ここで逃がしては同じことになる。レオンハルトはメディアスを追いかけた。
ホールのひとつを突っ切ようとしたとき――ふいに足元が輝いた。
ぼろぼろに擦り切れたような絨毯――その裏には魔法陣が縫い取られていたらしい。浮かび上がる円陣にクロスも巻き込まれていた。
「しまった!」
暴力的な魔法の白い光に辺りが包まれ――その光が消えた後には二人の皇太子の姿はなかった。
野郎が攫われて何が面白いんだとお思いでしょうが、攫われる理由というのがこいつらにしかありません……雄姫さましてもらいます。