ウィンダリアの闇
バルコニーには庭に下りる階段がついていた。大広間の灯りは庭にまで届き足元は明るい。王宮の庭は見事に手入れされていた。手の込んだ生垣や作られた茂み。季節の花の香りがほのかに香る。
月明かりに誘われ庭に出たフィニアは先客がいることに気づいた。
黒い髪に黒い衣装。人型に切り取られた闇のようだった。月の照らされた顔は精悍だが、かすかに目元が赤みを帯びていた。会場から失敬したのだろう、手に杯を持っている。
その人はフィニアに気づいたようだった。
「フィニア姫」
「ごきげんよう、ウィンダリアの皇太子さま。どうなさいました? こんなところで」
ウィンダリアの皇太子は罰が悪そうに杯の中身を一口飲み下す。
「……どうにも身の置き所がなくて……抜け出したしだいです」
無理もない三年前までは仮想敵国であったのだ。その皇太子ともなれば風当たりもきついのだろう。
「まあ、誰がお客様に粗相を」
いや、とウィンダリアの皇太子は否定した。
「本来ならこのような華やかな場所にいるような人間ではないので」
「といいますと?」
酒のせいかウィンダリアの皇太子は饒舌になっていた。
「俺には二人の兄がいた」
「亡くなられたと聞いております」
「異母兄は立派な人だった。いずれ王となり国を栄えさせてくれるだろうと思っていた。俺はその支えになろうと――いずれ臣下にくだることが分かっていたので軍に入った……だが、異母兄は――」
「ご病気とお聞きしました」
「病気?」
くっと苦い笑いを皇太子はこぼした。
「対外的にはそうなっていますな。けれど、異母兄は毒殺されたのですよ。俺は確信している。異母兄を殺させたのは同母兄だと」
「!」
ウィンダリアは野心的な国である。それは対外的なものだけではないようだった。ウィンダリア王には五人の子がいたが、姫はことごとく育たず、男も三人のうち二人までが亡くなっている。
「皇太子となって浮かれた同母兄もまた暗殺された。同母兄が死んだときは――」
酒のせいかウィンダリアの皇太子は口が軽くなっていた。
「ざまあみろと――」
フィニアは礼儀正しく聞かなかったふりをした。
弟の感想の違いは人徳の差だろう。
「同母兄を暗殺したのは叔父上か従兄弟の誰かでしょうな。思いがけず回ってきた地位ですが、後ろ盾のない身では重くてしょうがない」
予備の予備、そんな王子につく貴族は少ない。真っ先に長兄にすりより、そこから弾かれたものが次兄についた。さらに次兄の取り巻きにもなれなかったものは――同母弟であるクロスリートは避けて従兄弟や叔父に群がった。
誰もが予想していなかった皇太子。自らも望んだわけではない。
「――あの、すぐ上の兄を暗殺させたのが叔父さんか従兄弟なら――」
クロスリートは肩をすくめた。
「そういうことですよ」
クロスリート自身も命を狙われているということだ。
「それでシグラトに?」
二国の友好を深めるというよりは避難の意味が強いのかも知れない。
「遊学です。シグラトの酒は質がいい」
くいっとクロスリートは杯をあけた。
「葡萄と製法の差ですわね。失礼ですが、ウィンダリアの葡萄の質はあまりいいものではありませんわ。たぶん、栽培方法と収穫の仕方を見直した方がよろしいかと」
「詳しいので?」
「少しばかり。商人に知り合いがいますの」
ウィンダリアの生産物は少々質が落ちる。それは国を広げることのみに腐心し、国内の生産業、工業の発展に力を入れていないためだ。それは商人にとってはもはや常識であり商業にかかわってきたフィニアにも周知の事実だ。
「ウィンダリアはすでに大きな国ですわ。もう少し内政に力を入れたほうがよろしいかと存じますわ」
「そのとおりだな。領土を広げるばかりで内政が疎かだ。皇太子が二人も暗殺されるなど、内部にガタが来ている証拠だな。武力、力など――さらなる力に叩き潰されるだけだ」
――ウィンダリアの皇太子は元軍に所属していた武闘派のはずなのだが――過去にその思想を一新させるナニカ――『さらなる力』に遭遇でもしたのだろうか?
クロスリートの身に着けていた指輪が輝いた。
「しまった!」
慌ててクロスリートが振り向き――茂みの向こうからなにかがまっすぐに飛んできた。それはクロスリートの前面で弾かれるように四散し――フィニアの内部に吸い込まれた。
「え?」
クロスリートは目をむいた。
「なにをした?」
「な、なにって?」
「いま、魔法を無効化させただろう?」
「え、え~と」
言われてなにが起きたのかフィニアにも分かった。
おそらくクロスリートに対して魔法による攻撃が加えられるところだったのだ。その魔法をクロスリートが身につけている装飾品――おそらくは魔具が弾き、その四散した魔法の残骸からフィニアが(無意識に)魔力を吸い取って無効化したのだろう。
特異体質万歳。
「指輪が!」
再びクロスリートの指輪が輝いた。
クロスリートは指輪に目を走らせた。
「大丈夫。どうやら転移魔法のようだ。離脱したな」
ほっとしたようにクロスリートが言う。
その頃になって攻撃魔法が使用されたと分かったのかあたりがざわめきだした。
「会場に戻ってください。あなたはその方が安全だ」
「皇太子さまは?」
「事情説明しなくてはならないでしょうな。それから――」
「なんでしょう?」
「できれば名前で呼んでもらえますか? ここに皇太子は二人いるので紛らわしい。できればクロスと」
いがいにおちゃめ(?)なクロス。
死んだ後の感想からわかるように長男とは仲良しこよし。次兄とは犬猿の仲。
命狙われてました。でもウィンダリアではよくあること。これを生き延びてこそ王になる資格があると。
金髪皇太子の余波を受けていた感のある黒髪皇太子。少しは復権……無理かな?
どうだろう?