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進入

「遅いなぁ愛香は」


 待ちきれなくなってつぶやいた僕の目の前を、何本目かの三軒茶屋行きバスが重だるそうに通り過ぎていった。


 コートのポケットから携帯を取り出し、愛香からのメールを今一度確認する。うん、間違いない、祐天寺駅の改札を出て、西口近くのパンカノンの前で午後2時。ここのクリームパンがそこそこおいしいと言うインターネットで仕入れた情報を信じて、買ってからもう30分が立つ。


 晴天だと言うのに、冷気が足下からよじ登って来るようで、いらだちに拍車をかける。

 僕が東京で家を探すと相談を持ちかけたのがきっかけで、参考までに自分地を見にこないかとの誘いに乗ったと言う今日の約束だから、世話になると言うことを考慮したってちょっと遅れすぎだぞ。


 しかし、僕が幸弘とどれほどの親友かは、十分に解っているとしても、女の一人暮らしの部屋に男の僕を招き入れると言うんだから、愛香のワイルドと言うのか神経の図太さには感心する。

 きっと幸弘の彼女が愛香で、二人の共通した友人が僕だってこと以外に、僕と愛香に間違いが起きると言う事は、確信を持って無いと言える何かが彼女にあるんだろう。

 僕にしても彼女を女と言うより、兄弟と言った感覚で見ている節があるから、おそらく愛香も一緒の気持ちなのかもしれない...




「ごめんごめん、待たせたねぇ。仕事で急にアポが入ってさぁ」


聞き慣れた声に振り向くと、いつもと変わらない愛香の笑顔がそこにあった。

 少しのいらだちと思いにふけっていた僕のおかしな顔を見て、さも愉快そうに笑いながら、


「なに、怒ってたの?男はもっとどんとしてないと。それだから一樹はいつまでも女にもてないのよ」


なんて言いながら先を歩き出した。


「仕事とはいえ、これだけ遅れてきてこのざまだもんな。おまえの無神経さを見習いたいよ」


 僕も懸命に応戦しては見たけど、聴いてないよと言った感じで、幸弘と昨日行った映画の話なんぞをしてやがる。

 でもこのマイペースさが以外に心地よく、同じ年なのに姉貴みたいに彼女を思える僕なのかもしれない。


 バス通りから一つ目の筋を左に入り、少し行ったT字路を右に入ると、もうそこが愛香の住むマンションらしい。

 駅から徒歩で3分ってところか?


 駅前はにぎやかなのに、少し中に入るだけで本当に静かだ。愛香が指差す赤提灯の居酒屋の横にある狭い通路が彼女の住まいの入り口に繋がっているようだ。


 赤を基調にしたそのマンションはちょっと古めかしいけど、おしゃれで、それに不似合いなほどに自転車が乱雑に並べられていた。

 ふと見やった壁面にあるハート形のプレートに書かれたマンション名に僕はびっくりして足を止めてしまった。


  == 桜レディースハイツ ==


 プレートを凝視している僕にはお構いなしで、バッグから鍵を取り出す愛香。

 そして愉快げに僕を見て言った。


「あぁそれね、ぜんぜん大丈夫だから、さぁ入って」


「入ってって、ここレディースだろ?俺入れねえじゃん?」


 と返しても、じれったそうな顔をするだけで、動じてくれない。それどころか、鍵を入れたドアノブを回し、強い力で僕の腕を引き寄せる。


  「ちょ ちょっと待てってば。誰かに見つかったらどうすんだよ?」


 問答無用と言った調子で会い香は、僕を中に押し込むと、やっと手を離した。後ろでがちゃっとドアの閉まる音がして、僕は悪党の仲間入りをしたような強い嫌悪感に襲われた。


  ロビーに煮立てた広めの下足場、右手にある数百個の靴箱・左には管理人室も見える。天井にはけっこうりっぱそうなシャンデリアが辺りを明るく照らし、正面には、監視カメラが、


『男性禁止区域に踏み込んできたおまえを逃がさないぞ』


と言わんばかりにそのレンズを不気味に光らせている。


 愛香の半ば強制的な招待に、今日ここに来たことをちょっと後悔しながらも、僕の別の心が、暢気で神経の図太いこいつに任せておけばいいんだよって言ってるような気にもなって来るし、

 いろんな妄想が僕の中を駆けめぐる。


 レディースってんだから、もちろん女性誌かいない訳だ。どの部屋からも女性独特の甘い香りが優しく漂ってきて、それはエレベーターにもロー化にも染み渡って行く。

 部屋からもれてくる声の一つずつは黄色く張りのある女の子たちの声ばかり。なんだかスリリングな気持ちに僕を誘って行くこの「レディース」と言う響きは、何なんだろう?


 僕は「のぞき」も「ちかん」もしたこと無いけど、今僕が持ってる感情は、きっとそれらを実行する前の犯罪者と全く同じ面持ちなのかもしれない...




「なにぼさっと立ってるのよぉ、早く靴を脱いで上がって」


 愛香の言葉にはっと我に帰った僕は、その時になってどうして靴箱がこんなに沢山有るのかが解った。

 って言うか、下足場以外は、すべて赤い絨毯が敷き詰められているんだ。そしてそのローかには、さっきよりもじれったそうな顔をした愛香がピンクのスリッパを履いて立っていた。


「ほんとに大丈夫なのかよ?ルール違反で追い出されても知らないからな、俺は」


廊下を進んで左にあるエレベーターのボタンを押しながら、それには答えずに、コーヒーと紅茶、どちらが良いかとかどうでもいいような質問ばかりにこにことしてくる愛香。

 どうにも解せないやつだ、ほんと。とにかく僕はよからぬ侵入者なんだから、静かに早く部屋に押し込んでほしいだけなのに。


 と思いつつも、ちらっと廊下の向こうを見てしまう。


 両サイドに沢山のドアがあり、突き当たりはさらに左右に廊下が分かれていて、そこにも部屋があるようだ。

 この部屋のそこにもここにも女がひしめいていて、言いようのないフェロモンを放出しているのかと思うと、ちょっとだけ頭がくらくらしてきそうだった。




「おばあちゃん、こんにちは」


 突然の愛香の声にふと我に帰ると、開いたエレベーターの扉から、押し車を押した老女が現れた。


 僕は一瞬自分の目を疑ったけど、二人に気づかれないように小さく頭を下げた。老女は、にっこり笑い愛香に挨拶を返すと、ちらっとだけ僕を見て、やっぱりにっこり笑ってくれた。


「どうしてあのおばあちゃんは、俺に不信感を持たなかったのかなぁ?」


 6階のボタンを押す愛香に聴いてみた。


「ふつうのぼけっとした男だったからじゃない?」


 と今にも吹き出しそうな顔で答えながら、ついでに僕の心を見透かしたように付け加えた。


「ここ、おばあちゃんも沢山いるのよ。あたしいっぱい顔見知りだもん」


 そっかぁ!老女だって女には変わりないもんな。


 「レディース」って響きは、若くてむせかえるようなオーラを漂わせた女の子たちを無条件に僕に想像させてきたから、総ての女性が「レディース」であると言うとっても当たり前な現実に、その固定観念はがらがらと音を立てて崩れ落ちた。


 そんな男のつまらない妄想をこれ以上愛香に感づかれないように、わざとむっとした表情をして見せる僕だった。




 僕たちを乗せたエレベーターは、与えられた指示に忠実な家来のように上昇しながら、各フロアの光景をその小さな窓に映して行く。

 でも僕の目に映るそれらは、どのフロアも同じで、1階で見た長い廊下と赤い絨毯・そこにひしめき合う多くの部屋たちが、僕に「変わったマンション」と言うレッテルをぺったり貼り付けて行くような気さえしてくる。


 それにしても、あのハート形のプレートを目にしたときから、僕はそわそわと落ち着かない。


 おしゃべりな愛香のどうでも良い話にも適当にうなづくだけだ。


 それを知ってか知らずかやつは上機嫌で僕を観察している。

 それなりの年数を友達でいた二人だ、僕の動揺した気持ちを解ってない訳がない。


 そんないろいろと僕たちをはき出すべく鉄の箱は、静かに停止した。


お読みいただき、ありがとうございました。いちよう連載にはしましたが、なにぶん文才がありませんので、書き続けて行けるかどうかがやや心配なところです。でも、完成すればけっこう面白い物に仕上がると思うので、応援よろしくお願いいたします。

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