↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

妖精令嬢を怒らせた王太子の末路

妖精令嬢を怒らせた王太子の末路 〜婚約破棄のはずが、王太子の地位まで失いました〜

掲載日:2026/09/26

今回は、ネタバレ含むため、人物紹介イラストは後書きにあります。


今回は、いつもの切ない感じや虐げられ系ではなく、笑って読んでいただける話を目指して書いてみました。

クスッと笑って読んでいただけたら嬉しいです。

その夜、王城では盛大な夜会が開かれていた。


大広間の天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、無数の光を放っている。磨き上げられた大理石の床には、貴族たちの姿が鏡のように映り、壁際には色とりどりの花が飾られていた。


楽団が奏でる優雅な音楽に合わせ、男女がゆったりと踊っている。香水と料理の香りが混じり合い、あちこちから楽しげな笑い声が聞こえていた。


今夜は王家主催の夜会。


王都中の有力貴族が集まる、格式ある催しだった。

そんな華やかな会場の中でも、ひときわ人目を引いている二人がいた。


公爵家の嫡男、アルベルト・グランフォード。

そして、その婚約者であるセレフィーナ・フェルメル。


アルベルトは濃紺の礼服を身にまとい、背筋を伸ばして立っていた。端正な顔立ちに落ち着いた物腰。公爵家の嫡男として申し分のない立ち振る舞いをしている。


その隣にいる少女は、対照的だった。淡いピンクブロンドのふわふわとした髪。白い肌。大きく澄んだ瞳。小柄で華奢な身体つきは、少し強い風が吹けば飛ばされてしまいそうにも見える。誰かに声をかけられるたび、彼女は小さく微笑み、


「……はい」


「……ありがとうございます」


と、鈴が転がるような小さな声で答える。しかし、それ以上自分から話しかけることはほとんどない。

大勢の人がいる場所では少し俯き、長い睫毛が頬に影を落としている。その姿を見た人々は、自然と声を潜める。


「まあ……可愛らしい方ね」


「本当に妖精みたい」


「フェルメル公爵令嬢は、どうしてあんなに儚げなのかしら」


「アルベルト殿も、あんな可愛らしい婚約者がいて羨ましい」


いつしか、彼女には社交界である呼び名がついていた。


『妖精令嬢』


森の奥から迷い込んできた妖精のようだとつけられた呼び名だった。その呼び名にふさわしく、セレフィーナは夜会の喧騒の中でも静かに佇んでいた。


誰かが近づけば小さく頭を下げる。

話しかけられれば、控えめに微笑む。

決して大きな声を出さず、他人の会話を邪魔することもない。その姿は、華やかな夜会の中にありながら、どこか現実離れしており、まるで一人だけ別の世界から迷い込んできたようだった。


アルベルトはそんな彼女の横顔を見つめた。


「少し疲れた?」


周囲には聞こえないよう、小さな声で尋ねる。

その声に、セレフィーナはほんの少しだけ顔を上げた。


「……少しだけ」


その声はやはり小さい。


「なにか、飲み物でも貰ってこようか?」


「……はい」


セレフィーナの表情がわずかに緩む。

アルベルトはそれを見て、口元に柔らかな笑みを浮かべた。

彼女は人混みが得意ではない。だからアルベルトは、夜会ではいつも彼女の様子を気にかけていた。


無理に会話へ参加させることもしない。

疲れているようなら、人の少ない場所へ連れて行ったり、飲み物を取ってきたり、それがアルベルトにとっては、ごく当たり前のことだった。


だが、少し離れて飲み物を受け取ろうとした時にそれは起こった。


「アルベルト・グランフォード!」


突然、大広間中に響き渡った大声に、楽団の演奏が途切れた。談笑していた貴族たちも、一斉に口を閉じる。まるで水面に石を投げ込んだように、静寂が広がっていった。

アルベルトは驚いて振り返る。


そして、声の主を見つけた瞬間、その表情から柔らかな笑みが消えた。


その声の持ち主は、王太子クロード・アレクサンドル・ヴァレンティア。ヴァレンティア王国の第一王子であり、次期国王である。


そのクロードの周囲にいた貴族たちが、次々と左右へ退いていく。誰かに命じられたわけでもない。けれど、王太子の前に道を作ることが当然であるかのように、人々は静かに離れていった。


やがて、アルベルトとクロードの間に、人のいない空間ができあがる。その異様な光景に、会場のあちこちから小声が漏れた。


「何が始まるんだ?」


「王太子殿下がグランフォード公爵令息を呼びつけたぞ」


「何か問題でも起きたのか?」


アルベルトは周囲の視線を感じながら、ゆっくりと歩き出した。

足取りに乱れはない。

しかし、胸の奥には小さな違和感が生まれていた。

王太子が、自分をわざわざ大勢の前で呼びつける理由が分からない。

クロードの表情を見る限り、穏やかな話ではなさそうだった。


「私に何か御用でしょうか、殿下」


アルベルトが頭を下げる。

顔を上げたとき、クロードの隣にいる人物が目に入った。


「……セレフィーナ?」


思わず声が低くなる。

そこには、自分の婚約者が立っていた。

いや、立っているという表現は正確ではなかった。

クロードが、その腰に腕を回していた。


一瞬、アルベルトの思考が止まる。

次の瞬間には、胸の奥から冷たい怒りが込み上げていた。普段のアルベルトなら、感情を表に出すことはほとんどない。だが今だけは違った。

眉間にわずかに皺が寄る。

声から温度が消える。


「殿下」


クロードが面白そうにアルベルトを見た。


「何だ?」


「その手をお離しください」


低く抑えた声に、周囲にいた者たちの何人かが息を呑んだ。しかしクロードは、アルベルトの怒りを気にする様子もない。


「そうはいかない」


むしろ勝ち誇ったように口元を歪める。


「今日、この場ですべてを明らかにするつもりだからな」


アルベルトの眉がわずかに動く。

意味が分からない。アルベルトはセレフィーナへ視線を向けた。

彼女は俯いて、白い指先が、ぎゅっとドレスの布地を握っていた。肩もわずかに強張っている。


クロードの腕に腰を抱かれたまま、じっと耐えているように見えた。

アルベルトの胸に不安が広がる。


「セレフィーナ?」


小さく呼びかける。

セレフィーナが顔を上げた。大きな瞳が一瞬だけアルベルトを見る。その瞳には、戸惑いと申し訳なさが浮かんでいた。何かを伝えたい。けれど、大勢の人の前では言葉にできない。

そんなふうに見えた。


アルベルトは彼女を安心させるように、ほんの少し頷いた。大丈夫だ。そう伝えるように。

しかし、その直後だった。


「決まっている!」


クロードが声を張り上げた。


「アルベルト・グランフォード!」


「はい」


「貴様との婚約を破棄する!」


「…………は?」


あまりにも突然だった。

アルベルトの口から、間の抜けた声が漏れる。

大広間も完全に静まり返った。

誰かが持っていたグラスが、かすかに震える。

女性の一人が驚きのあまり口元を扇で覆った。

ざわめきが起こりそうになり、誰もが次の瞬間を待つように息を潜めた。


アルベルトはクロードを見つめた。何かの冗談なのかと思った。しかし、クロードは真剣そのものだった。

むしろ、自分が正義を執行しているとでも言いたげな表情を浮かべている。


その様子を見て、アルベルトはゆっくりと目を細めた。しかし、彼以上に困惑していたのは周囲の貴族たちだった。


「失礼ですが殿下、私は殿下とは婚約しておりませんが?」


眉をしかめて答えると、それに対してクロードは顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。


「なっ…当たり前だ!!セレフィーナとの婚約の破棄だ!!」


ますます意味がわからない。

なぜなら、アルベルトとセレフィーナの婚約は、単なる口約束ではない。両公爵家の正式な合意のもとに結ばれ、国王の承認まで受けた、王国公認の婚約だったからだ。王太子であるクロードといえども、単独でその婚約を法的に消滅させる権限など持っていない。


「婚約を……破棄?」


「ああ!」


クロードは胸を張った。

その表情には、周囲が自分を支持していると疑っていない自信があった。


「理由は明白だ!」


そして、隣のセレフィーナを見る。

腰に回した腕を、さらに少しだけ強める。

セレフィーナの肩がぴくりと動いた。


「貴様がセレフィーナを蔑ろにしているからだ!」


アルベルトは一瞬、言葉を失った。何を言っているのだ。セレフィーナを蔑ろにしている?むしろ、誰よりも大切にしてきた。


アルベルトはゆっくりとセレフィーナを見る。

彼女は困ったように目を伏せている。


「貴様は彼女を茶会にも連れて行かず、夜会でも一人にしている!」


「それは……」


アルベルトが説明しようとすると、クロードは待っていたと言わんばかりに続けた。


「さらに、贈り物一つしない!彼女がどれほど寂しい思いをしてきたと思っている!」


クロードの声が大広間に響く。

周囲の貴族たちは、気まずそうに視線を交わした。中には、セレフィーナへ同情するような表情を向ける者もいる。


しかしアルベルトは知っている。セレフィーナは大勢の人が集まる茶会が苦手だった。

以前、自分から言っていた。


『大勢の方がいらっしゃる場所は……少し疲れてしまいます』


だから無理に連れ出さなかった。

夜会でも、疲れたときにすぐ休めるよう、あえて一人になる時間を作っていた。


贈り物だってしている。

ただし、高価な宝石などではない。

一度、宝石を贈ったときのことを思い出す。


『こんな高価なもの……落としたら怖いです』


本当に怯えた顔をしていた。

それ以来、アルベルトは彼女が好きだと言っていた本や焼き菓子、髪飾りなどを選ぶようになった。高価だから喜ぶわけではない。彼女が喜ぶものを贈りたい。それだけだった。


「私はセレフィーナを蔑ろになどしていません」


アルベルトは静かに言った。その声には、怒鳴り返すような荒々しさはなかった。だが、普段より明らかに低い。


「嘘をつくな!」


「嘘ではありません」


アルベルトの瞳が鋭くなる。

クロードは一瞬たじろいだ。

しかし、すぐに強気な表情を取り戻した。


「では、なぜ彼女は私に助けを求めてきた!」


「……え?」


アルベルトの視線がセレフィーナへ移る。


「私が、殿下に……?」


セレフィーナ自身も驚いていた。

その声には、隠しきれない困惑が滲んでいる。


「そうだ!」


クロードは迷いなく断言する。


「彼女は貴様との婚約が苦しいと、私に訴えてきた!」


「……私、そんなこと……」


セレフィーナの眉が困ったように下がる。その様子を見て、周囲から小さなざわめきが起こった。どうやら話が食い違っている。


「怖がっているのだな!」


クロードは勝手に結論づけた。


「アルベルトが怖くて、この場では何も言えないのだろう!」


「そんなことは――」


「さらに!」


セレフィーナの言葉を遮り、クロードはアルベルトを指差した。


「貴様は彼女を社交界から孤立させた!」


「していません」


「家から出ることすら禁じた!」


「していません」


「使用人たちにも虐げさせている!」


「そんな事実はありません!」


アルベルトの声が大広間に響いた。さすがに怒りを抑えきれなくなっていた。その声に、何人もの貴族が肩を震わせる。だがクロードは止まらない。


「もうよい!」


クロードが片手を上げた。

その顔には、自分が完全に勝っているという確信が浮かんでいた。


「貴様のような男に、セレフィーナを任せることはできない!」


アルベルトは唇を結んだ。言い返そうとした。しかし、セレフィーナの様子が気になった。彼女はまだクロードの腕の中にいる。その手は小さく握られ、俯き、肩は微かに震えていた。


その姿を見た瞬間、怒りよりも先に、早く彼女をここから連れ出したいという気持ちが込み上げた。


「よって、私は王太子として――」


クロードが大きく息を吸った。

そして、会場中に聞こえる声で宣言する。


「この場で二人の婚約を破棄する!」


ざわっ――。


今度こそ大広間が大きく揺れた。

貴族たちは互いに顔を見合わせる。


「王太子殿下……?」


「本当におっしゃったのか?」


「しかし、王太子殿下にそんな権限は……」


「正式な婚約なら、国王陛下の承認も必要だったはずだ」


「それ以前に、フェルメル公爵令嬢本人の意思はどうなのかしら?」


困惑が広がっていく。クロードはそれに気づいていない。いや、気づいていても、自分の権威があれば押し切れると思っているのだろう。


「そして!」


クロードはさらに声を張った。


「セレフィーナ・フェルメル公爵令嬢!」


セレフィーナの身体がわずかに強張る。


「私は貴女を、私の正式な婚約者として王家に迎える!」


「…………え?」


今度こそ、セレフィーナは目を丸くした。翡翠のような蒼碧の瞳が大きく見開かれる。

アルベルトも完全に言葉を失っていた。

周囲では、驚きのあまり扇を落とす者までいた。


「殿下」


やがてアルベルトが口を開いた。声は冷静だった。しかし、その手は拳を握りしめている。


「それは、殿下お一人では決められません」


「何?」


「セレフィーナとの婚約は、両家と陛下の承認を受けたものです。王太子殿下の一存で破棄できないことくらい、殿下もご存じでしょう」


「黙れ!」


クロードが怒鳴る。

その声に、セレフィーナの肩がまた小さく動いた。


「私は王太子だ!」


「王太子であることと、他人の婚約を自由に解消できることは別問題です」


アルベルトは一歩も引かなかった。その静かな反論に、周囲から小さく頷く者が増えていく。

クロードの顔が赤くなる。


「私は彼女を救おうとしているのだ!」


「必要ありません!」


突然、セレフィーナが口を開いた。

小さな声だった。けれど、先ほどまでとは違う。


「……え?」


クロードが彼女を見る。


「私、救っていただく必要なんてありません」


セレフィーナは俯いたまま、ぎゅっと拳を握っていた。胸の奥が熱い。さっきから、ずっと我慢していた。


アルベルトが自分を蔑ろにしている


私が怖がっている


私が苦しんでいる


そんな言葉を、次々と並べられる。

全部、違う。全部、嘘だ。

しかも、自分の婚約者を悪者にした男が、その直後に自分を婚約者にすると言っている。

もう、意味が分からない。

けれど、ここは大勢の貴族がいる場所。だからこそ、セレフィーナは必死に声を抑えた。

顔を上げる。


「殿下の誤解です」


「怖がらなくていい」


「違います」


「アルベルトに脅されているのだろう?」


「違います!」


その瞬間だった。

セレフィーナの声が、大広間いっぱいに響き渡った。

楽団の奏者たちが驚いている。

近くにいた貴族たちが目を見開く。

誰もが、今まで小さな声しか出さなかった『妖精令嬢』を見つめていた。

セレフィーナ自身も、しまったというように目を見開いた。けれど、もう止まらなかった。

これ以上、愛する婚約者を悪者にされるのを黙って見ているなんて無理だった。


「違います!」


今度は胸を張って言う。


「私は、アルベルト様に脅されたことなんて、一度もありません!」


アルベルトの目が大きく見開かれる。その表情に、驚きと、どこか予感していたような色が浮かんだ。


「茶会のことも!」


セレフィーナはクロードを見た。


「夜会のことも!」


一歩前へ出る。


「贈り物のことも!」


さらに声が大きくなる。


「全部、殿下が勝手に誤解しているだけです!」


クロードの表情が引きつった。


「私はアルベルト様が大好きです!」


その言葉が、大広間に響いた。

一瞬、誰もが息をするのを忘れたように静まり返った。

アルベルトの顔が赤くなる。

セレフィーナ自身も、言ってしまったと気づいた瞬間、耳まで真っ赤になった。けれど、もう後には引けない。


「アルベルト様は、私が人混みを苦手だと知っているから、無理に茶会へ連れて行かないだけです!」


「夜会で一人にされるのも、私が疲れたときに、休めるようにしてくださっているからです!」


周囲の貴族たちの表情が変わっていく。

さっきまでセレフィーナを可哀想だと思っていた者たちも、次第に事情を理解し始めていた。


「贈り物だって、毎月いただいています!」


クロードの口元が引きつった。


「それに!」


セレフィーナはアルベルトを振り返る。


「アルベルト様は、私が欲しいものを全部覚えていてくださいます!」


「セレフィーナ……」


「私が好きだと言った本も!お菓子も!髪飾りも!私が寒そうにしていたら、すぐに気づいて上着をかけてくださるし!」


アルベルトは照れたように視線を逸らした。


「私が階段で転びそうになったときなんて、ものすごい勢いで飛んできて……!」


「それは君が危なかったからだろう」


「そういうところです!」


周囲から、くすくすと笑い声が漏れ始める。先ほどまで張り詰めていた空気が、少しずつ変わっていく。

クロードだけが、取り残されたように立っていた。


「とにかく!」


セレフィーナが胸を張る。


「私はアルベルト様が大好きです!」


広間に、再び静寂が落ちた。

アルベルトはしばらく彼女を見つめていた。

やがて、その口元に小さな笑みが浮かぶ。


「……僕もだよ」


「え……」


セレフィーナの顔が一気に赤くなる。

その様子を見て、周囲から微笑ましげな視線が集まった。だがクロードだけは、納得できない顔をしていた。


「……では、私の婚約者になるという話は?」


セレフィーナは真顔になった。


「嫌です」

「絶対に嫌です」

「私はアルベルト様と結婚します」


きっぱりと言い切った。

その迷いのなさに、クロードの顔が引きつる。


「しかし……君はいつも大人しく、儚げで……」


「はい?」


セレフィーナの声が低くなった。

笑顔が消える。


「私が何ですって?」


「いや……その……」


「儚げだから、何です?」


クロードが一歩後ずさる。

周囲の貴族たちも、その変化を感じ取った。さっきまで可愛らしく頬を赤くしていた少女が、今はまるで別人だった。


セレフィーナは一度、静かに目を閉じた。

そして諦めたように、小さく息を吐いた。


「もう、いいです」


その声から、先ほどまでの儚さが消えていた。セレフィーナはゆっくりと顔を上げる。そして、セレフィーナは両手を腰に当てた。


「私、黙っていれば妖精みたいだと言われますけどね」


桃色の髪が肩からさらりと落ちる。


「別に、か弱いわけじゃありませんから」


その声には、もう儚さなど微塵もなかった。


「むしろ、私は昔から気が強いんです!」


貴族たちがざわめく。


「家族から、他人の前では大人しくして、極力喋らないように言われていただけです!」


クロードの目が大きく見開かれる。


「……何?」


セレフィーナは、その言葉を聞いてさらに堂々と胸を張った。


「私が本気で喋ると、相手が泣くか、喧嘩になるからだそうです!」


会場の何人かが、思わず顔を見合わせた。


「だから、ずっと猫を被っていました!」


「猫を……?」


「はい!」


セレフィーナは、とうとう隠すことをやめた。


「家族を困らせたくなかったので、外では儚げで大人しい令嬢を演じていたんです!」


そして、そのとき初めて、アルベルトが小さく苦笑した。セレフィーナが振り返る。視線が合う。二人の間に、言葉のないやり取りが交わされた。


アルベルトは知っていた。

最初から、彼女がどれほど気が強く、どれほど活発で、そしてどれほど優しい人間なのか。誰にも見せていない彼女の本当の姿を。それを知ったうえで、アルベルトは彼女を愛していた。しかし、それを今ここで説明する必要はない。セレフィーナ自身が、自分の口で語り始めたからだ。


「幼い頃から、お兄様たちと遊んでいました!」


周囲の視線が集まる。


「取っ組み合いの喧嘩をしても負けたことはありません!」

「剣術の稽古では、お兄様たちを打ち負かしました!」

「馬にも乗れます!」

「重たい荷物だって持てます!」


貴族たちは、もはや呆気に取られていた。先ほどまで妖精のようだと囁いていた少女が、自分の武勇伝を次々と並べている。


「お父様には昔から『男に生まれていればよかった』と言われています!」


会場のあちこちから、驚きの声が上がる。


「まさか……」


「本当に?」


「フェルメル公爵令嬢が?」


セレフィーナはそんな周囲の反応など気にせず、さらに続けた。


「家族からは、他人の前では大人しくしていなさいと言われました」


そこで少しだけ遠い目をする。

幼い頃の父や兄たちの顔が、頭に浮かんだ。


『できるだけ喋らないこと』


『余計なことを言わず、微笑んでいればいい』


『お前が本気で話すと、相手が泣くか、喧嘩になるからだ』


あの頃は、なぜそんなことを言われるのか分からなかった。でも今なら少し分かる。自分は、少しだけ令嬢らしくなかったのだ。


「だから、私は外ではずっと大人しいふりをしていました」


セレフィーナは一度だけ周囲を見渡した。

今まで自分を「妖精令嬢」と呼んでいた人々。

誰もが驚いた顔をしている。

恥ずかしい。できれば今すぐ逃げたい。

けれどアルベルトの隣に戻るためなら、もう構わなかった。


「でも!」


セレフィーナは再びクロードを見る。


「アルベルト様を侮辱されてまで、黙っているつもりはありません!」


クロードの顔が青ざめる。


「私はアルベルト様を愛しています!」


その声には、もう迷いがなかった。


「だから、勝手に私たちの婚約を壊そうとするのはやめてください!」


クロードは完全に言葉を失っていた。

先ほどまで、自分の言葉に誰も逆らえないと思っていた。王太子である自分が宣言すれば、すべてが決まると思っていた。だが今、目の前にいる少女は、自分の言葉を真っ向から否定している。


「それに!」


セレフィーナはクロードの腕へ視線を落とした。

いまだに腰へ回されている腕。


「勝手に私の腰を抱くのもやめてください!」


クロードが慌てて腕を離す。

セレフィーナは一歩下がり、じっと彼を睨んだ。


「次に勝手に触ったら――」


拳を握る。

その動作だけで、クロードの顔から血の気が引いた。


「腕を折ります」


大広間が凍りついた。

しかし、数秒後どこかから小さく「……怖い」という声が聞こえた。

続いて、別の場所から、「でも……格好いい……」という呟きも聞こえていた。


それを聞いたセレフィーナは、ほんの少しだけ胸を張った。アルベルトはそんな彼女を見つめながら、口元を押さえていた。笑いをこらえている。セレフィーナがそれに気づき、じろりと睨む。


「……アルベルト様?」


「いや」


アルベルトは慌てて表情を戻した。


「何でもない」


「笑いましたよね?」


「笑ってない」


「絶対に笑いました」


「……少しだけ」


「もう!」


セレフィーナの頬が赤くなる。

そのやり取りに、周囲から小さな笑いが漏れた。

先ほどまで張り詰めていた大広間の空気が、完全に変わっていた。そのときだった。


「そこまでにせよ」


低く重い声が響き渡り、大広間の扉が開く。

先ほどまでざわめいていた貴族たちが、一斉に左右へ道を開ける。現れたのは、国王だった。


「父上……!」


クロードの顔から、完全に血の気が失せた。

国王は息子を一瞥する。その視線だけで、空気が一段階冷えた。続いてアルベルト、そしてセレフィーナ。最後に、大広間全体を見渡す。


「事情は聞いた」


その一言で、誰も口を挟めなくなった。


「まず明確にしておく」


国王は静かに言った。


「アルベルト・グランフォードとセレフィーナ・フェルメルの婚約は、現在も有効である」


セレフィーナが小さく息を吐く。

アルベルトも、わずかに肩の力を抜いた。


「この婚約を解消するには、王国法に定められた正式な手続きが必要だ。王太子が夜会の場で宣言したところで、婚約が消滅することはない」


クロードの唇が震えた。


「父上……」


「そして、クロード」


「はい……」


「お前には、フェルメル公爵令嬢を一方的に王太子妃候補へ変更する権限もない」


「王族の婚姻は王家だけで決めるものではない。相手方の同意と、必要な正式手続きを経なければならない」


クロードは俯いた。

さっきまでの自信に満ちた姿は、もうどこにもない。


「つまり、お前が今夜したことは――」


国王が言葉を切る。

大広間にいる全員が、固唾を呑んで次の言葉を待った。


「婚約破棄ではない」


静かな声だった。


「ただの無効な宣言だ」


その瞬間.会場の空気が変わった。誰かが俯いて肩を震わせている。笑いをこらえているのだ。別の場所では、貴族同士が視線を交わしている。先ほどまで王太子の宣言を固唾を呑んで聞いていた者たちも、今では何が起きるのかを察し始めていた。


「さらに」


国王の声が低くなる。


「お前は王太子という立場を利用して、正式な婚約関係にある二人の間へ介入した」

「しかも、事実確認を十分にせず、公の場で相手を非難した」

「これは王太子として看過できる行為ではない」


クロードは何も言えない。

握った拳が小さく震えている。


「よって、この件については王国法に基づいて、正式な調査を行う」


「父上!」


クロードが顔を上げる。

その目には、初めて明確な焦りが浮かんでいた。


「弁明があるなら、正式な場で述べよ」


国王はそれ以上、息子を庇わなかった。

クロードは唇を噛みしめる。しかし、もう何も言えなかった。自分が絶対に正しいと思っていた。セレフィーナは自分を頼っている。アルベルトは彼女を苦しめている。自分が彼女を救えば、誰もが称賛する。そう思っていた。なのに、すべてが逆だった。


そして何より、自分が救おうとした少女本人から、完全に拒絶された。その事実が、何よりも彼の自尊心を打ち砕いていた。


その後、王国法に基づき、正式な調査が行われた。

アルベルトとセレフィーナの婚約には、何ら問題がなかった。クロードが主張した「セレフィーナが虐げられていた」という事実も確認されなかった。


むしろ、夜会に出席していた多数の貴族から、アルベルトが普段からセレフィーナを大切にしていたという証言が集まった。


茶会に連れて行かなかった理由。

夜会で一人にしていた理由。

贈り物をしていなかったという主張が、事実ではなかったこと。

ひとつひとつの誤解が、証言によって覆されていった。


さらにフェルメル公爵家からは、セレフィーナが幼い頃から非常に活発で男勝りな性格だったこと。社交界で大人しく振る舞っていたのは、家族の助言によるものだったことも説明された。その事実を知った貴族たちは、驚きを隠せなかった。


「まさか、あの妖精令嬢が……」


「剣術までできるとは」


「しかも兄君たちを打ち負かしていたらしいぞ」


「アルベルト殿だけは、最初から知っていたのか」


そう、アルベルトだけは知っていた。

セレフィーナが、見た目とはまったく違う少女であることを。


初めて二人で剣術の稽古をした日のことも。

馬に乗ってアルベルトを追い抜いた日のことも。

兄と喧嘩をして、なぜか勝ってしまった日のことも。

そして、普段は大人しくしているのに、二人きりになると途端に表情が豊かになることも。

アルベルトは、そんな彼女のすべてを知ったうえで愛していた。


一方クロード自身については、王太子としての権限を逸脱した行動に加え、十分な確認をせず、虚偽の事実を公の場で述べ、他家の正式な婚約を妨害したことが問題となった。


最終的に、クロードは王太子の地位を失うこととなった。王都から離れた領地へ送られ、王位継承権も失う。もちろんセレフィーナとの婚約など、成立するはずもなかった。


一方、アルベルトとセレフィーナの婚約は正式に維持された。


そして数か月後、二人は盛大な結婚式を挙げた。

純白のドレスをまとったセレフィーナを見つめながら、アルベルトは優しく微笑んだ。


「綺麗だよ。まるで妖精みたいだ」


セレフィーナの頬がほんのり赤くなる。


「……アルベルト様」


「ん?」


「それ、褒めてます?」


「もちろん」


セレフィーナは少し考えるように目を伏せた。そして、いたずらっぽく微笑んだ。


「……では、今日は大人しくしています」


「今日は?」


「はい」


アルベルトが苦笑する。


「じゃあ、明日からは?」


「いつも通りです」


「そうか」


セレフィーナは胸を張った。


「私、儚げな妖精令嬢じゃありませんから」


「知ってるよ」


「気が強くて、男勝りで――」


「知ってる」


「アルベルト様より強いですからね」


「それも知ってる」


「……それでも?」


セレフィーナの瞳に、ほんの少しだけ不安が浮かんだ。今まで何度も「令嬢らしく」と言われてきた。自分のこの性格を、誰かに嫌われるのではないかと思ったこともある。


けれど、アルベルトは迷うことなく彼女の手を取った。


「ああ」


「ずっと?」


「もちろん」


その言葉を聞いた瞬間、セレフィーナの顔に満面の笑みが広がった。


「では、私はずっとアルベルト様を守ります」


「……そこは僕が守るんじゃないのか?」


「二人で守ればいいじゃないですか」


「それもそうだな」


二人は顔を見合わせて笑った。

窓の外では、祝福する鐘の音が王都いっぱいに響いている。かつて『妖精令嬢』と呼ばれた少女は、もう自分を偽る必要はなかった。


儚げに微笑むだけの令嬢でいる必要もない。


好きなときに笑い、怒るときには怒り、愛する人を守るときには、誰よりも強くなる。そんな彼女の隣には、最初から本当の彼女を知っていた男がいる。


アルベルトは、隣で幸せそうに笑う妻を見つめた。

そして、少しだけ苦笑する。


あの夜、彼女を「か弱い妖精」だと思い込んだ王太子は、大きな勘違いをしていた。妖精は、見た目ほど儚くない。ましてや、大切な人を傷つけられたときの妖精は、恐ろしいほど強い。


後に王都では、あの夜の出来事を知る者たちによって、こんな言葉が語り継がれることになった。


――妖精令嬢を怒らせるな。


なぜなら、見た目は妖精でも本性は、誰よりも男前な令嬢なのだから。


fin

毎度の事ながら、chat GPTにイラスト作ってもらいました。間違えて2回作成をお願いしたため、2枚あります。

人物紹介イラスト①

挿絵(By みてみん)


人物紹介イラスト②

挿絵(By みてみん)


なお、王太子の「彼女は貴様との婚約が苦しいと、私に訴えてきた!」は、セレフィーナが「(アルベルトが好きすぎて)アルベルトと会うと胸が苦しい」と漏らしたセリフを前に聞いて、勝手に勘違いしています。


夜中の3時に目が覚めて、そのテンションで書いてます。


楽しかったら、下の★や顔マークなど押していただけると励みになります。


王太子のその後も、明日朝10時にアップ予定です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。