サメに芸を教える事は困難である。
シャチは哺乳類だが、サメは魚類である。
ゆえにサメに芸を教えることは困難である。
だからサメサーカスというものは聞いたことがない。
もしあったとしても、客席から見れば、さっきまであちらを向いていたサメが、今はこちらを向いている、くらいの変化しかないだろう。
拍手をするタイミングが難しい。
ふと、クラゲショーというものを想像する。
ただふわふわと、たゆとうているだけだ。
癒しにはなるが、ショーというには微妙過ぎる。
マグロは泳ぎ続けないと死んでしまうという噂を聞いた。
本当なら、休みたい日はどうするのだろう。
人間なら有給休暇という制度がある。マグロにはない。
気の毒だ。
もっとも、マグロが有給を申請している姿も想像できない。
だとしたら、なんと疲れる人生……いや、魚生なのだろう……。
そんなことを考えながら、地方の小さな水族館を一周し終えた時だった。
ドチサメと目があったのだ。
正確には、目があったような気がしただけだ。
体長一メートルに満たない、灰色の魚。
底生のサメである彼(勝手に雄と決めつけた)は、水槽の底の砂利に腹をぴったりとつけて、ただじっとしていた。
マグロのように休むことなく泳ぎ続けるでもなければ、クラゲのように癒し効果を巻き散らかしながら漂っているわけでもない。
ただ、人生の荒波から逃れて、世界の片隅でじっと息を潜めている。
「お前もか」
わたしはアクリルガラス越しに呟いた。
有給休暇を使い果たし、スマホの電源を切り、新幹線で三時間半かけて地方の沿岸の町へやってきたわたしと、このドチサメの間に、一体どれほどの違いがあるというのだろう。
わたしは、彼も、社会のスピードについていけずにここへ流れ着いたのだと思い込んだ。
そうして勝手に、自分を彼に重ね合わせ始める。
水族館の休憩スペースの椅子に座り、電源を切っていたスマホを取り出す。
ドチサメについて検索をした。
・・・・・・
ドチザメは夜行性である。
昼間は体力を温存し、夜になると活動を始める。
必要な時だけ動き、無駄なエネルギーは使わない。
……偉い。
わたしは昼間も夜も、無駄なことばかり考えている。
ドチザメは、他の魚が窒息するような酸素が薄い泥の底や、環境の悪い海でも平気で生き延びられる。
環境適応能力がものすごく高いのだ。
……偉い。
わたしは都会の満員電車の息苦しさに耐えかねて会社を逃げ出したうえに、枕が代わったため、ビジネスホテルで寝付けずに朝を迎えたというのに。
ドチサメは好き嫌いがなく、甲殻類、小魚と、意外となんでも食べるという。
甘エビでも頭からバリバリと豪快に噛み砕き、生きる執着心が強いのだ。
……偉い。
わたしは大葉は受け入れられたが、セロリとは和解できそうにもない。
ドチサメは魚類なのに、卵ではなく、腹の中で赤ちゃんを育て、人間のように胎生で出産するという。
(正確には卵胎生らしい)
しかも、一度に十匹以上の命を腹に宿して産み落とすという。
……偉い。偉すぎる。
三十路を過ぎても、自分ひとり養うので精一杯のわたしより、よほど立派である。
ああ、ダメだ。
同病相憐れむ、などと勝手に仲間意識を抱いていた自分が恥ずかしくなった。
海のタフなサバイバーはないか。
逃避でも、サボりでもない。
ドチサメは、私よりも遥かに「まっとうに」生きている。
そして、重大な事に気が付いてしまった。
《《ドチサメは》》。
《《今》》。
《《勤務中だ》》。
水槽の底でじっとしているのも、彼の仕事である。
夜行性だから昼の今は休憩中?いや、その休憩姿をも見せる、という仕事をこなしている。
わたしは仕事を休んで、その仕事ぶりを眺めている。
わたしと彼では、最初から比べものにならなかったのである。
仲間だったのは、「水槽の底にいた」という一点だけだった。
閉館を知らせる館内放送が流れた。
いつの間にかそんなに時間が経っていたらしい。
わたしは椅子から立ち上がる。
シャチは芸を覚える。
サメは覚えない。
今日、余計なことばかり覚えて帰るのは、わたしだけだった。
ー完、敗ー




