8章:宣戦布告
――私が犯人を見つけてあげる。
その言葉を口にした瞬間、自分でも驚いた。
「なーんでそんなこと言っちゃったの。今までならアルヴィスと行動するのすら嫌がってたじゃないか」
窓際に止まったアマツバメが、黒曜石のような目でリナを見つめている。
――フォーグだ。
彼はいつも何か面白いことが起こりそうだと嗅ぎつけると、こうして色々な鳥や動物に変身してリナの様子を見に来る。
まさかリナもフォーグが王宮まで来るとは思ってなかったけれど、魔女の家系だけあってフォーグの魔法の力は強いので、リナを見つけるくらい朝飯前なのだろう。
リナは小さくため息をついた。
「なんていうか……勢いで言っちゃったのよ」
気まずさを紛らわすようにリナは綺麗な壁に額を押しつけた。
ここは王宮の中のリナの新しい部屋だ。
アルヴィスの寝室の三つ隣――リナの寝室とは別に扉を挟んでもう一室あるここが、調合室兼診察室として使わせてもらうことにした場所。
並べられた薬草とガラス瓶たちがリナを落ち着かせた。
本当は侍女たちの近くに部屋をもらいたかったが、それだけは許されなかった。
アルヴィスが頑として認めなかったのだ。
『アルヴィスの部屋に近いからって、もし夜に部屋に忍び込んできたら本当に許さないから』とくぎを刺すことだけは忘れずしておいた。
フォーグが口ばしを開けて言う。
「勢いで、ねぇ。じゃあ、なんで勢いで結婚しなかったの。だってこのまま王宮にいるつもりなんでしょ?」
「恐ろしいことを言わないで。犯人さえ見つかれば、私は村に帰るわよ」
ふと昨夜のことを思い出した。アルヴィスにまた求婚されたことだ……。
『これからも城にいてくれるなら、結婚したい』
あまりにさらりと言われて、一瞬意味がわからなかった。
リナは当然、断った。
彼女は王宮薬師としてここで犯人探しをすることにしただけなのだ。
しかしアルヴィスは納得しなかった。
『それもそうだけど。でも、それじゃ……俺がリナとあんなことやこんなことができないじゃないか。一緒に住んでどうして我慢できると思ってるの。昨日だって耐えるのに必死だったんだよ』
『いや! なんでそこで協力者に手を出そうとか考えてるの。ダメよ、手を出したらもう協力しない!』
『愛する女性を毎日目の前にして、俺はどうすればいいんだ』
『知らないわよ!』
呆れるやら、腹が立つやらだったが――それでも彼が、いつもの調子に戻っていたのは救いだった。
「……アルヴィスのことが好きになったってこと? だって何の得もないのに、犯人探しを手伝うなんておかしいじゃん。自分が狙われてたって遠くに逃げればいいだけだし」
フォーグが首を傾げる。リナは、ゆっくり首を横に振った。
「ただ……悲しい顔も、真面目な顔も、アルヴィスには似合わないって思っただけ。彼は、ただ幸せそうに笑っていればいいのよ。まだ子どもなんだからさ……」
もうアルヴィスもリナも十八歳になっていたが、リナの前世の記憶からすれば十八なんて本来まだまだ子どもだ。
アルヴィスは昔から妙に大人びすぎている。
りなの言葉を聞いて、フォーグが口角を上げた。
「何よ、その顔は……」
「べっつにー。で、今は何をしてるの? その手に持ってるの、ハーブ?」
リナは小さく微笑んで手の内の葉を見せた。
「そう。王宮裏の畑の出入り許可ももらったの。畑ではね、薬草やハーブ、野菜、果物、花もきれいに手入れされてたわ。さすが王宮で庭師も一流。これはそこで摘んできたレモングラスなの」
「それで、何を作るって?」
「ふふ、私の得意なもの」
リナの笑顔に、フォーグは「あぁ」と頷いた。
それが完成すると、リナはすぐに調査を開始した。
フォーグはアマツバメの姿から、学園でしていたようにグレーカラーのハムスターへと変化し、リナのポケットに潜り込む。
『ちょうど暇してたし、僕も手伝ってあげる』
野次馬根性が丸出しで彼は言ったが、リナはフォーグなら小さくて隠れられるし、役立つこともあるかもしれないと頷いた。
アルヴィスも同行すると言っていたが、それは断っていた。
王子と一緒では、話しづらい人もいるだろう。
「わー、今から侍女の休憩室に行くんだね。女の園かぁ。楽しみだなぁ」
フォーグは浮かれていた。しかしリナの顔は真剣だ。
「……情報の宝庫なのは確かだわ。あと、噂も拾いやすいだけでなく、広めやすい」
休憩室の扉の前で息を整え、ノックして中へ入る。
部屋の中には、昨夜の湯浴みで見かけた侍女たちがいた。
交代で休憩しているのだろう。
「少々、お話よろしいですか?」
「リナさま! こんなところにいらしては……」
慌てる侍女たちを制し、リナは微笑む。
「今日から、王宮薬師になりました。ですから、お気遣いなく。それよりも、よければこちらをどうぞ」
差し出したのは、先ほど作ったばかりのものだった。
――リナの考案した、ほんのりとレモンの香りが漂う、滑らかなハンドクリームだ。
「これを使ってみてください。荒れた手もしっとりしますよ」
彼女は手の甲にそれを塗り込みながら言った。
見本を見せたのがよかったのか、侍女たちは興味深そうにクリームを手に取り、恐る恐る肌になじませる。
「まあ……すごい! 本当にしっとりする!」
「水仕事でひび割れていた手が……これなら痛くないかも」
侍女たちの顔に驚きと歓喜が広がる。リナはひそかに息をついた。
(まずは第一関門突破。情報を得るには、まずこちらに心を開いてもらわないと……)
ちなみに、このハンドクリームは、リナが実家を手伝っていた時、独自に開発したものだった。
リナもリナの母も手荒れがひどかったのだ。
この世界にはハンドクリームがなかったので作ろうと思ったが、何からできていたのか思い出せなかった。
そのときふと、リナの前世の母が、毎晩ハンドクリームを塗りながら呟いていたのを思い出した。
『この〝尿素〟って誰の尿素なのかしらね?』
その言葉を聞いたとき、リナは化学に興味を持ったのだった。
余談だが、ハンドクリームに含まれる尿素は合成されたもので、誰のものでもない。
リナは色々調べながらも、この国で尿素を主な成分としたハンドクリームを作った。
尿素自体はアンモニアと二酸化炭素で、案外簡単に合成できる。シンプルイズベスト、とでもいうように、よく肌に浸透し、保湿効果もあったのだ。
もう一つイメージとして〝ヒアルロン酸〟も入れてみようと意気込んで作ってみたものの、手に塗るとあまり保湿されないことに気付いた。
ヒアルロン酸は、高分子化合物というとんでもない数の分子が繋がった構造をしており、あまり肌に浸透しないのだということにリナは作り終わってから気付いた。肌を保護するのには効くので、割合を少し減らして入れた。
その後もリナは保湿成分をいくつか考えて配合した。
そんなわけでリナの二人の母の存在によって生み出されたリナのハンドクリームは、そのうち薬屋でも売るようになり、大人気になったのだ。
今回は尿素を配合したハンドクリームに、レモングラスのハーブを混ぜて、香りのいいハンドクリームを先程部屋で作り、ここにお土産として持ってきたのだ。
「もし、もっと手荒れがひどい方がいたら、個別に調合もできますので、お気軽に声をかけてくださいね」
侍女たちは感激しながら頷いた。
活気のある笑顔が広がり、場の雰囲気が和らぐ。
(これで、核心に迫る質問もしやすくなったわ)
早速リナは口を開いた。
「ところで……ひとつお聞きしたいことがあります」
リナの声色が変わると、侍女たちは自然と耳を傾けた。
「これまで、夜に王子の部屋を訪れた女性は、翌朝も食事を共にしていたのでしょうか?」
その場の空気が一瞬張り詰めた。やがて、侍女の一人が口を開く。
「いえ……リナさまが初めてです」
「そう。やはりね……」
「アルヴィス様と朝まで過ごす女性なんて、今までいませんでしたもの! いつもすぐ追い出されてしまって……。だからもし、リナさまがご懐妊されたら……これほどおめでたいことはございませんわ!」
興奮気味に話す侍女に、リナは軽く息を吐いた。
この誤解は早々に解いておいた方がいいだろう。
リナは首を横に振った。
「それは違います。昨夜は本を読んだり、ゲームをしていただけです。私たちは魔法学園の同級生で……ただ楽しく遊んでいただけなんです」
侍女たちの表情が、一斉に驚きへと変わる。
「そんな……てっきり……」
「誤解を招いてしまったなら申し訳ありません。ですが、私はアルヴィス王子の相手としてここにいるわけではなく、薬師として王宮に滞在するだけです。ですから、どうか遠慮なく接してくださいね」
侍女たちはしばし沈黙したのち、納得したように頷いた。
「そうだったのですね……」
「ぬか喜びさせてしまってごめんなさい」
リナは誠意を込めて頭を下げた。
「いえいえ、私たちが勝手に喜んでしまっただけです! 頭をお上げください!」
侍女たちは慌てた様子で手を振った。
その姿を見て、リナはひとまず安心する。
——たぶんこれで話は広まるはず。この後、状況がどう変化するか……。
リナが考えていた時、侍女の一人が言った。
「それにしても……毒を盛るなんて、ひどすぎます」
「……ええ、本当にそう思います」
そう言いながら、リナは唇をきゅっと引き結ぶ。
気に入らない人間を排除するために毒を使うなんて、卑劣極まりない。
前を見れば、侍女たち全員が不安そうな顔をしていた。
それはそうだろう。
知らないうちに混ざっていれば自分たちも口にする可能性もあるのだ。不安になるのも無理はない。
リナはさらに犯人が許せなくなった。
「毒と薬は表裏一体なんです。用法用量を守れば薬になり、それを超えれば毒となる」
噂ででもいいから、犯人まで伝わってほしいと思いながら、リナは続ける。
「薬師である私を毒で殺そうとするなんて……一体どんな顔をしているのか、気になります。一刻も早く捕まえて、その顔を見てみたいものです」