爆弾少女と部活動 販売編 5
いつのまにかブックマークが少し増えてて…本当にありがとうございます。
「じゃあふたりとも、そろそろお客さんが来る頃だから簡単に説明しますね」
椅子に座ったまま、滝沢さんがようやく今日の仕事について説明してくれた。ついでにアタッシュケースの番号も。
俺達がやることは物凄くシンプルで、本を渡し、お金を受け取ってアタッシュケースからお釣りを出す。
しかも、収益の管理は滝沢さんが会計アプリを使ってするようなので、俺達の仕事はただお金を受け取り、お釣りを間違えないように気をつけることと、売れる度に本を補充することだけだ。
あとは、俺にとってはいちばん難しいかもしれない、できるだけ愛想良くするということだ。
今から頬を上げ、笑顔の練習をしておく。
発声練習もしておきたいが、それは恥ずかしい。
販売で明久里が緊張して心拍が上昇しないか、しっかりと気をつけておくことを心がけ、深呼吸した。
少しして10時になると、さっそくお客さんがチラホラとフロアにやってくる。
昨今の出版業界は苦しいが、こういうイベントに来るマニアはまだまだ健在なのだろうか。
と言っても、若い人達のお目当てはだいたい決まっているのか、同人サークルや大学のグループにばかり人が集まり、俺達の所にはやってこない。
唯一、少々年季の入ったおじさんが顎に手を当てながら、机の上を物色し始めた。
おじさんは本を手に取ると、軽く中身を確認し、それを何度か繰り返してから、滝沢さんと誰かの作品を持ってカバンから財布を取り出した。
「これを」
おじさんは俺の正面に居たのに、何故か明久里にお札を手渡した。
まあ、気持ちはわからんでもない。
「ありがとうございます⋯⋯こちらお釣りです。どうもありがとうございました」
明久里はお札を受け取ると、素早い手つきで釣り銭を渡して頭を下げた。
その間、全く揺らぐことなく無表情を貫いていたのが気になるが、おそらく俺より動きがいいだろう。
俺なら少なくとも、5回はお釣りの確認をしているが、明久里はほぼノンストップで取り出し、1度手元を見ただけで終わった。
「いい感じですよ碧山さん」
さっそくスマホ画面になにか入力している滝沢さんに褒められると、鼻の穴が膨らんでいる。
今明久里がどんな心境なのか、脈拍のアプリを見ればすぐに分かるのだが、万が一バレたら恐ろしい。
とか考えていると、若い女性が何人かやってきた。
俺達よりは大人びている、大学生か社会人なりたてくらいの風貌だ。
彼女達は机の上を物色し、目を光らせた。
「あっ、あったあった。紅浦先生の新作だ」
「やったぁ。えっ、しかも2作も!?」
「すごっ、早く買っとこうよ」
「ああ今朝mix開いといてよかった。まさかギリギリで告知されるなんてね。紅浦先生⋯⋯いただきます」
女性達は紅浦の作品がお目当てだったようで、机の前で嬉々としている。
しかもひとりは紅浦の本を両手でおでこの前に持ち、祈るように目を閉じている。新手の宗教なのだろうか。
明久里がひとりずつ精算を済ませていくが、先程本を持って祈っていた女性が俺の前に立って口を開いた。
「あの、もしかして紅浦先生とお知り合いですか」
「えっ⋯⋯せ、先生⋯⋯? あいつが⋯⋯?」
最近は一部の女子とよく話している気がするが、初対面で年上が相手となると、緊張して口篭る。
「はい。紅浦先生の作品を楽しみに生きてます」
「そ、そんなに⋯⋯」
それにしても、この女性の目のなんて美しいことだろう。
この人が崇拝している紅浦という人間は、心が澱み、汚れきっているのに、信仰者である彼女の目は曇りがなく、純粋そのものだ。
まあたしかに、時々家にやってくる宗教勧誘のおばさんも、何故かみんな目だけは澄み切っている。
上にいる教祖は人を騙すことしか考えない悪人なのにだ。
まあ、紅浦は別に人を騙してはいない。
ただ俺や滝沢さんのような一般市民に精神的被害を与えるだけで、こうして真っ当に人を楽しませているのだ。
「ま、まあ、知り合いといえば知り合いですけど⋯⋯」
「え、ええっ。先生は普段どんな様子ですか」
グイグイ来ると思いながら、真実をぶち撒けてやろうかとも思ったが、そんなことをしたら逆上した彼女に襲われかねない。
明久里と暮らし始めて染み付いたバイブ音が、脳内で鳴り響いている。
「まあ、普通ってかんじですね⋯⋯」
「へー意外です。私的には内気な文系かと思いきや実は活発な体育会系ってイメージなんですけど、合ってますか」
「⋯⋯さあ、どうでしょうか」
大正解と言ってあげたいが、紅浦のプライバシーのためにも言葉を濁しておく。
そうして彼女達は精算を済ませると、別のブースを物色しに向かった。
「まさかほんとにあいつのファンがいたとは⋯⋯世間は広いなぁ」
いきなり現れたあいつのファンと言う存在が未だに信じられないが、確かにいまさっきまで目の前にいて会話してたのだ。
なんだか、紅浦が少し遠くに行ったように感じ、秋の夜長の焦燥感のようなものを覚える。
「紅浦さん、どうやらネットでも1部界隈で人気らしいんですよ」
ぼんやりと今の季節にはに使わない紅葉を想像していると、スマホを置いた滝沢さんが言った。
「みたいですね。さっきもmixで告知されてたとか言ってましたし。俺は知りたくないけど」
「まあ、業平君は紅浦さんの被害者ですしね」
「そう思ってるならせめて出品は阻止してくださいよ⋯⋯訴えますよ」
「そこは⋯⋯僕には関係ないので⋯⋯おふたりで争っててください」
この人、ただ人がいいだけかと思いきや、狡猾さもきっちりと兼ね備えている。やりおる。
それからも、この販売会にはそれなりの人が訪れ、この聖信高校文学部の作品もちょくちょく売れた。
そして、滝沢さんの言う通り、紅浦という人間は本当に1部界隈で人気があるらしく、マニアックそうなサブカル女子や、普通の一般的な女子などがやつの作品目当てにやってきた。
「あ、その作品のキャラのモデル自分です」
とでも美人に伝えれば、チヤホヤされたりすることもあったかもしれない。
最もそんなこと、その行為自体が恥ずかしいことだし、それを想像して鼻の下を伸ばしていた俺を見る明久里の目が、まるでひっくり返ってもがいているゴキブリを見るかのように無機質だったのでしない。
「はじめさん⋯⋯鼻の下伸びすぎです」
明久里も感情が鼻腔に出るタイプだから、本来人のことは言えない。
そういえば、もうすぐ昼なのだが、結局俺も明久里も特に休憩など取っていない。
まあ、正直なところ上のショッピングモールにいても、なにかしたいことがある訳では無いので、ここに座っている方が疲れなくていいのだ。
だからどこかで滝沢さんに休憩を取ってもらいたいのだが、俺と明久里では売上の管理が出来そうにないのだ。
「ああそうだ」
また紅浦の作品を買いに来た女性が去り、本を補充していると滝沢さんがポケットをまさぐりながらこちらを向いた。
さっきから紅浦の本ばかり補充している。
やはりあいつは文学部でもひとりレベルが違うのだろうか。
「どっちかでいいですので、お昼を買ってきてくれませんか。上の食料品売り場にお弁当でもパンでも売ってるので」
そう言って、滝沢さんはポケットから黒い折りたたみ財布を取り出した。
手を伸ばして差し出したそれを、明久里は受け取ると、早速中身を確認していた。
「これは、滝沢さんのお金ですか。だとしたら⋯⋯」
その行為に少し明久里に対する感情が減退したと思いきや、その意図が判明し、すぐ元に戻った。
どうやら明久里は、財布が滝沢さんのものでは無いかと疑ったらしい。
滝沢さんが自費で俺達の昼食代を出すと言えば、さすがに受け取るのは申し訳ない。
「ああ、違いますよ。それは部費です。安心してください」
「そうですか⋯⋯ならよかったです」
明久里は財布を両手で挟むように持った。
「どっちかに頼んでいいかな。僕はここを離れられないので」
「では私が買ってきます」
「ありがとう。じゃあ僕はスーパーのカツ丼でお願いします。無かったら1番安いお弁当で。あとペットボトルのお茶を」
流石は滝沢さんだ。ここで「なんでもいい」なんて言っていたら、好感度が下がっていたところだ。
しかも、カツ丼がなかった時のチョイスも完璧だ。
他の部員が全員サボって、ひとりだけ苦労しているのに、部費のことまで考えて選択している。
「あ、じゃあ俺は唐揚げ弁当で頼む。無かったら同じく安いので。あとお茶」
「わかりました。では」
立ち上がった明久里を見上げながら頼むと、そそくさとこのフロアから立ち去っていった。
明久里を眺めていると、濱野というOBが明久里の背中を目で追っていた気がするが、まあ気にしなくていいだろう。
そう思っていると、濱野という男はサークルの仲間になにか謝るような手振りで話し、明久里の後を追うように外へ出た。
なんだか胸騒ぎがする。
実際大したことは起きないだろう。
俺の予想が正しければ、ただあの男が明久里に声をかけるだけだ。
俺は念の為、心拍監視用のアプリを開き、何かあればいつでも探しに行けるように準備した。




