爆弾少女と部活動 販売編 2
やはりゴールデウィーク初日ということもあって、電車はかなり混んでいる。
いつもの通学のように、明久里を守ることができないが、だいぶ電車にも慣れただろうし、明久里の精神に期待したい。
ふと近くにいるはずの明久里に目を向けると、手の届かない距離で若い男女に囲まれながら、窮屈そうに揺られていた。
不満そうに、この混雑の中談笑する人達に目を向けているが、スマホが振動することもない。
『次は○○駅──』
乗り換えの駅に着く頃なので、明久里に目配せをしたが、明久里は何故か反対側を向いていた。
だが幸い、開く扉は明久里の向いている側だ。
乗り換えの駅だと覚えていなくても、降りる途中で連れていけば問題は無い。
電車が駅に到着するのと同時に、せまい車内をくぐって明久里の背中をつついてそのまま扉から出た。
俺が降りると、明久里も気がついたのか降りてきたが、同時に凄い剣幕をした若い男女が降りてきて、俺の前に迫った。
「おい君、今あの子の背中に触っただろ」
「はぁ⋯⋯」
黒い七三分けで正義感の強そうなお兄さんが顔を近づけて言ってくる。
何故か触ったと聞かれ、怖い顔をしている。
これはあれだ。完全に痴漢と間違えられている。
よもやよもや、痴漢だと疑われるなんて想像していなかった。
たしかに、電車内ということを考えれば軽率な行動だったかもしれない。反省しよう。
お兄さんの隣にいるのは、恋人だろうか。
物凄く顔を顰めながら、俺をまるで汚物を見るような顔で睨んでいる。
「高校生でも許されることでは無いぞ。ちょっとこっちにこい」
「えっ⋯⋯いやちょっとそいつは⋯⋯」
お兄さんに腕を掴まれると、周りに人だかりが出来ていることに気がついた。
しかも、堂々とスマホを構えているやつまでいる。
まったく、現代人はスマホに依存しすぎだ。
騒ぎを嗅ぎ付け、カメラを開くまでが早すぎる。
お兄さんが腕を引っ張ろうとしたので、俺はその場で踏ん張った。幸い、お兄さんの力はさほど強くない。
だが周りの視線が痛いし、あとものの数秒で駅員さんがやって来るはずだ。
それにしても、明久里は何をしているのかと思っていると、何故か俺の斜め後ろで俯いている。
明久里が事情を説明してくれたらそれで終わる話なのだが、まさかこいつは俺を陥れようとしているのだろうか。
そんなこの場の新たな疑いが俺の中で浮上する中、スマホが嫌な振動を響かせた。
「あっ⋯⋯」
どうやら、明久里が俯いているのは、この野次馬達に囲われているせいらしい。
「とにかく早く来い」
お兄さんがさらに俺の腕を引っ張るが、俺としてはさっさと逃げて欲しい。
ここにいる野次馬もこの正義のお兄さんも、このままだとみんなお陀仏だ。
とそんなことを考えていると、人だかりの中からラガーマンみたいな体格の怖いお兄さんが出てきて、その後ろには駅員さんの帽子も見えた。
どうやら、俺の抵抗もここまでらしく、こうなったら明久里に無理矢理口を開いてもらうしかない。
ていうか、この人だかりが解かれないと、全てが終わる。
「おい明久里ー、お前から説明してくれないと俺捕まっちゃう。もう掴まってるけど。なんちゃって」
空いた方の手で明久里の肩を掴んで揺らすと、青白く引き攣った顔が上がった。
やはり、いきなり俺が捕まったことと人が集まったことで動揺しているのだろう。スマホはずっと震えている。
「おい、またその子に」
「離してください⋯⋯」
お兄さんが声を荒らげ、新たな怖いお兄さんと駅員さんがすぐ側に来た時、ようやく明久里が口を開いた。
だがやはり心拍が物語るように緊張状態なのか、声がいつもより低く、震えている。
「その人は私の大切な人です。早くその薄汚い手を退けてください」
「えっ⋯⋯あっ⋯⋯」
まさかの毒舌に、お兄さんはたじろぎながら腕を離した。
そして俺と明久里を指さして首を前に突き出した。
「も、もしかして、君達知り合い?」
「知り合いっていうか、部活仲間ですね。乗り換えなきゃだから合図しただけです。はい」
お兄さんに掴まれていた腕をこれみよがしに揉みながら、駅員に聞かせるように言う。
「そ、そうだったのか。それは本当に⋯⋯申し訳ない」
お兄さんは申し訳なさそうに頭を下げ、隣の恋人らしき女性も、表情をマイルドにして謝ってきた。
ほんと、俺的にはお兄さんに疑われたことよりも、この女性に睨まれたことの方が怖かった。
群衆は勘違いだとわかると解散し、怖いラガーマン風お兄さんも何も言わず去っていった。
「いや、いいんですよ。俺も軽率でしたし。あ、行為がじゃなくて、お兄さんみたいな正義感の強い人に疑われると考えてなかった事がですけどね」
「ほ、ほんとに申し訳ありません」
俺はニヤッと右の口角を上げながら、とりあえず一言だけ嫌味を吐いた。
お兄さんの気まずそうな顔を見れて、もう十分だと思った。
だか彼女は⋯⋯俺の隣でワナワナと震えている爆弾少女は、何やら気が収まらないようだ。
「たった一言の謝罪で許されると思ってるのですか。人の事疑っておいて⋯⋯」
「えっ⋯⋯あ、いや⋯⋯それは」
「あなたは今人の事犯罪者扱いしたんですよ? それなのに一言謝るだけで許されるなんて、そんな都合のいい話ありますか。あっていいんですか」
何故か疑われた当人以上にヒートアップしている明久里をなだめようと、俺は明久里とお兄さんの前に立ち塞がった。
スマホはまだ震えている。
だが、警告音が鳴る訳でもないので、恐らく心拍は高めで安定している。
「まあまあ、いいんだよ明久里。誤解が解けたならそれで」
「ですがはじめさん⋯⋯」
明久里の目は本当に冷めきっている。
汚物を見るような目で俺を見ている時とはまた違う、まるで、相手を汚物とすらも認識していない。
というより、野生動物が敵と認識した相手に向ける目に似ている。
これは俺が冷ましてやらねば、明久里の感情が収まりそうにない。
既にお兄さんの彼女は若干怖がってるし、駅員さんも口出しできずにオドオドしている。
───いやお前が仲裁してくれよ。
と言いたくなったが、この随分と若そうな駅員さんには厳しいのだろうか。
何せ今の明久里は、本当に怖い。
完全に怯み、狼狽えているお兄さんを容赦なく正面から睨みつけ、怒気を全身から放っている。
「別に明久里だって、この正義感が強いお兄さんに土下座させたり、慰謝料請求するとか言いたいわけじゃないんだろ? この正義感の強いぴっちり七三お兄さんに」
「それは⋯⋯そうですけど⋯⋯しかしはじめさん」
明久里の心を少しでもほぐそうと、冗談を交えながらいい、明久里の手を取った。
明久里の手は冬の外に暫くいたかのように冷たい。
俺は両手でその手を包みこみながら、さらに続けた。
「ならいいじゃないか。この七三兄さんはお前を守ろうとしたも同然だ。実際俺は冤罪だし、明久里も被害に遭ってないなら感謝なんてする必要は無いけど、別に怒る必要も無い。ね? そうですよね? 駅員さん」
「あ、は、はいっ。その通りでございます」
「じゃあそういう事なので、七三兄さんも駅員さんも、俺達は失礼します」
軽く会釈をして、俺は明久里の手を引いてその場を離れた。
駅の通路に向かう階段を降りる最中も、俺は明久里の手を引き続けた。
段々と手は春の日差しのような温かさを帯び、スマホの振動も鳴り止んでいた。
「とりあえず、乗り換えの電車に早く乗ろう。ここにいるのはさすがに気まずいからな」
「は、はい⋯⋯」
若干上ずってはいるが、いつものトーンに戻った声を聞くと、俺も安心した。
「さてと、八子駅だからな。間違えるなよ」
自動改札の手前の切符売り場で、明久里の手を離す。
俺は交通系ICを持っているが、明久里は持っていないので、切符を買わなければならない。
「わかってます」
明久里が切符を買うのを確認し、電光掲示板に目を向ける。
予定していた電車はもう出発してしまっているが
次にくる電車に乗り込めば、余裕で時間には間に合う。
それにしても、今になってどっと疲れが来た。
さっき騒ぎを見ていた人達はもう居ないのか、俺に奇怪な目を向けるような人は周囲にはいない。
ただそれでも、まだ疑われていないかとは不安になる。
「行きましょうはじめさん⋯⋯はじめさん?」
「あ、ああ。行こうか」
視界を手のひらが行き来し、何事かと思うと切符を無事購入した明久里が呼びかけていた。
こんな所で僅かな隙間時間にぼーっとしてしまうとは、やはりかなり疲れているようだ。