爆弾少女と遊園地 3
関節キス。それは初心で純真な俺にとって、感情を暴れさせるような、ピュアで甘酸っぱい行為のはずだった。
だが何故だろう。恥ずかしさが全面に出るだけで、高揚感や幸福感が湧き上がらない。
だが考えて見れば、それも当然といえば当然だった。
俺は普段、明久里と同じ料理を食べ、大皿の料理を箸でつつくこともあるのだ。
ある意味それも関節キスになっているし、その度に胸が高鳴るなんてことも無い。
同じ釜の飯を食べ、同じ屋根の下で眠る。
そんな相手にドギマギするのは、うっかり裸体を見てしまった時くらいだ。
関節キスの相手が、花咲さんや紅浦なら当然ドギマギするだろうし、もし仮に富山君や西澤君相手だとしても、多少狼狽えたり、変な意識をしたりするはずだ。
だが明久里に対しては、彼女が行為で恥ずかしくなり心拍が上がったという事実が、何故か俺に恥じらいを感じさせた。
明久里が動揺したから、俺も動揺した。
まるで主体性を感じさせない、人の機微とも言い難い何かである。
「はじめさん、はじめさん」
降りてすぐの所で立ち尽くしていると、明久里が肩を叩いた。
「ん、どうした」
「いえ、なんだか難しい顔をしてたので」
「あー、気にしないでいいよ。それより、次は何に乗りたい」
「そうですね⋯⋯」
明久里はキョロキョロと周りを見回すと、身体を子供向けジェットコースターが走る方向へ向けて止まった。
子供向けと言っても、保護者同伴で乗れるため、大きな人間が乗ること自体はなんの問題もない。
現に今も、絶叫系が苦手であろう我が校の生徒が乗るばかりで、肝心の子供の姿は見当たらない。
「⋯⋯」
沈黙しながら、明久里は鼻の穴をピクっと膨らませた。
別に、絶叫系に乗ったら心臓が止まる恐れがある訳では無い。
問題は興奮や恐怖で心拍が上がることだ。
ならば速度も遅く、回転したりほぼ垂直に近い降下がある訳でもない、マスコットキャラの姿が模様されたジェットコースターなら多分大丈夫だろう。
「⋯⋯乗りたいのか?」
「そんなわけ⋯⋯あんな子供向けのなんか」
「いまさっき子供向けの乗り物に乗ったばっかりだけどな」
「そんなことありませんよ。ほら」
何故ここで強がってしまうのかと呆れていると、明久里は先程俺達が乗っていたペダル付きの乗り物を指さした。
そこには、我が校の制服を着た男女が、仲睦まじそうに、肩を寄せ合いながら和気藹々とペダルを漕いでいる。
明らかに逢瀬をたのしんでおり、ただの男女の友情という訳ではなさそうだ。
「あのように、あの乗り物は仲の良い男女がお互いの募らせた想いを丸見えの場所で開放するために存在する要素もあるのです。まあ私はただ景色を楽しみたくて乗っただけですが」
「言い方考えろよ⋯⋯」
回りくどい言い訳をしているが、要するに子供向けアトラクションで遊ぶ理由が欲しいだけだ。
その証拠に、ずっとちらちらとジェットコースターを見ている。
「ほら行くぞ」
俺は明久里の手を取り、強引に引っ張った。
「ちょ、ちょっと」
明久里は戸惑った声を出すが、俺の手を拒む素振りも、その場に留まろうとする素振りも見せず、俺に引っ張られるままについてきている。
「私は乗りたいとは言ってませんが」
「よく言うよ⋯⋯」
試しに手を離して見ても、明久里はそのまま俺の後を歩き続けた。
言葉では嘘をついていても体は正直というシチュエーションは多々あるが、これではまるでジェットコースターに引き寄せられている子犬である。
「まああれだ。俺もちょっと気になるから付き合ってくれ」
仕方なく言うと、明久里の頬と目に、微笑みが浮かんだ。
「しょうがないですね。それなら付き合ってあげます」
愉快そうに声色を弾ませた。
めんどくさい女だとは思うが、素直に喜びを感情に表してもらうと、悪い気はしない。
明久里のローファーの音も、心做しか弾んでいるように思える。
「でも頼むから平常心でいてくれよ。平常心で」
「心配しなくても大丈夫です。あの程度でどうにかなるようなやわな心臓は持ってませんから」
「⋯⋯結構やわな気がするけどなぁ」
その自身はどこから出てくるのかと苦笑いしながら、数人が並んでいるジェットコースターの入場口に向かう。
並んですぐ現在の走行が終了し、俺達の番が来た。
「どこ座りたい?」
「どこでもいいですよ」
一番前の列はもう座られてしまったが、ほかのシートはまだまだ空いている。
何となく俺は一番後ろを選び、先に車両へ乗り込んだ。
「まさか⋯⋯こっそりなにかするつもりじゃ」
席の前部にある長い安全バーを太腿の位置に下ろしていると、明久里が冷ややかに言った。
表面の記事に光が反射した、黒く太く硬い安全バーを撫でながら、歎声を漏らした。
「お前紅浦に影響されてないか⋯⋯」
明久里が転校してきてから最初に親しくなった紅浦。話しかけてくれる紅浦と仲良くなりたくて、つい緊張してあのタイマーを鳴らしたりしていたのはもはや懐かしい。
あれ以降、お昼は俺を入れて3人で食べることが多いし、休み時間もよく2人で話している。
紅浦と何を話しているのかは、知るつもりは無いし、知りたくも無いが、大方予想はできた。
「いや⋯⋯でも結構前からそんな感じか⋯⋯」
だか考えてみると、恵梨が我が家に遊びに来た時も、そのような類の発言はしていた。
ということは、紅浦の影響など無く、元々の明久里の気質なのだろうか。
だとすると、なぜ神は俺の近くに2人も問題児系美少女を配置したのだろうか。もっとバランスを考えろ。
「何ブツブツ呟いてるんですか」
「いや⋯⋯神に文句を言ってたんだよ」
「そんなスピリチュアルで無益なことよくできますね」
「さすが⋯⋯先生達が見張ってるのに気持ちよさそうに寝てた人は言うことが違うな」
皮肉のつもりで行ったのだが、明久里は褒め言葉として受け取ったのか、目を閉じて深く頷いた。
並んでいた全員が乗り込んだが、まだ席は少し空いている。
安全バーがガチャンという音とともにロックされ、クルーの青年が操作室から手を振った。
『でーはみんな。ドキドキの旅に行ってらっしゃいー』
子供向けの乗り物らしく、セリフも少しメルヘンチックだ。
定番通り、ジェットコースターの車両は早速、ゆっくりと車体を傾けながら、上昇していく。
と言っても、距離は短く、最高到達点もたかが知れている。
「叫んでも聞かなかったことにしとくから⋯⋯遠慮しなくていいぞ」
隣で安全バーの上に手を置き、鼻の穴をヒクつかせている明久里に向かって言った。
「こんなので叫ぶわけないじゃないですか」
「まあそうか」
素っ気ない返事を受け、そういえば明久里の叫び声を聞いたことがないと、今までの記憶を探った。
数日前、8割が嫌いその姿を目の当たりにしただけでそいつに殺意を抱く黒光りの最凶生物がマイホームに現れたが、明久里は叫ぶことも怯えることも無く、対ゴキブリ用スプレーを黙って俺に手渡し、黙って俺が奴を討伐するのを待っていた。
生活する上で、人の叫び声が聞ける一番の機会は、ゴキブリが現れた時だろう。
「あ、ゴキブリです」
だが明久里は動揺も恐怖も声に表さず、いつもの様子でいた。
叫ばなかっただけで、ゴキブリに対して耐性があるというわけではないのだろう。
だが平気なら自分で処理して欲しかった。
「きゃあああ!」
頂点から車体が落下し始めると、先頭の女子が叫び声を上げた。
続いて最後尾の俺達も落下し始めたが、そんな叫ぶような大したものじゃない。
都バスより少し早い速度で、落下し、上昇下降を繰り返し、旋回するだけだ。
明久里の顔は、風圧で強ばってはいるものの、あいも変わらず感情が読み取りずらく、風をうけて髪が真後ろにたなびいている。
「きゃあああ!」
前の客はまだ叫んでいるが、あればただ絶叫系に乗った時の興奮の疑似体験がしたいだけだろう。
などと冷笑している俺も、ついつい両手を肩の高さまで上げ、その興奮を味わってみたいと欲に負けてしまった。
両腕と顔が風を切る爽快感。そんなものは、微塵も感じられない。
「それ楽しいですか⋯⋯」
「別に⋯⋯」
冷めた目をした明久里の双眸が、じっと俺の醜態を凝視している。
アトラクションクルーにこの姿を見られるのを恐れ、緩やかに元の場所に戻る間に、やり場を失った両手を下ろした。
フリーフォールの余韻が残っていたのか、若干頭が揺れる。
階段を下り、またエリアの中央へ戻ってきた。
お昼が近いせいか、このエリアから人が減っている気がする。
お昼を食べるなら、皆レストランエリアか、広場に行かなくてはならない。
中央にある長い鉄の棒の上に設置された時計は、もうすぐ正午だということを知らせていた。
まだ富山君達からの連絡は来ない。今もどこかで遊んでいるのだろうか。
「どうする? そろそろお昼だし、あいつらと合流するか?」
スマホを確認しながら聞くが、返答が来ない。
どうしたのかとスマホから目を離すと、明久里は一点を見つめていた。
明久里の見つめる先には、木製の三角屋根が着いた、白いコンクリートのトイレがあった。
トイレの手前には、入口を隠す壁があり、その前に小さな男の子がひとりで立っていた。
青いシャツに、茶色い短パンを履いた子供は、肩掛けカバンをギュッと握りしめ、その場でキョロキョロと頭を回している。
ここからでは表情まではよく見えないが、もしかしたら迷子かもしれない。
「あの子供がどうかしたのか?」
明久里の顔を覗くと、やはり視点は子供に向けられている。
恐らくだが、あの子供は親と一緒にいたが、急に尿意か便意を催し、つい親に言わずトイレに駆け込んでしまったのだろう。
俺も同じようなことをした記憶がある。
その時は、母が俺がトイレに行ったと気づいて迷子にはならなかったが、トイレに行く時はひと声かけろとしっかり教育された。
「迷子⋯⋯でしょうか」
明久里が子供を見つめたまま口を開いた。
「多分⋯⋯迷子だな⋯⋯」
答えると、明久里はトイレへ向かって足を踏み出した。
俺を置いて、ひとり早足になりながら進む。
子供は目を擦り始めている。泣いているに間違いない。
それを見たのか、明久里は小走りになり、ポケットの中から、黄色いハンカチを取り出した。
今まさに困っている子供を助けようとする明久里を、俺は黙って見ていた。
俺ひとりだったら、きっと見て見ぬふりをしていただろう。
もしかしたら、どこからか係員を呼ぶくらいはしたかもしれない。
だが、明久里のように直接手を差し伸べるような事は出来なかった。
そもそも、彼女は部長になりたいという理由だけで、自ら部活を作ってしまうような行動力を持っているのだ。
これくらい当然のように出来るのかもしれないが、普段とのギャップが凄く、俺の中に親心由来の喜びが芽生えた。
少年の前で膝を着いた明久里に、少しでも早く追いつこうと地面を蹴った。




