爆弾少女は人気者? 2
「眠い⋯⋯」
放課後、日差しが窓側数十センチ差し込む部室で、俺は机に伏せていた。
手は脱力し、床に向かって垂直に伸ばし、明久里への無言のアピールとして、優雅に漫画を読む姿を、今にも途切れそうな意識のまま見つめた。
だが明久里は、俺の念がこもった視線なんて屁とも思わないのか、一切こちらを見ることもない。
明久里の机には、漫画が積み上げられ、読み終えてそれを机の反対側に置き、次の刊に手を出した。
「家でやれよ」
か細い声で、俺の心の叫びが漏れ出る。
だがその声はあまりにもひ弱すぎて、明久里には届いてなかった。
一瞬、こちらに向けられると思っていた明久里の眼球は、ただひたすらに漫画を追っていた。
もはや俺の意識は限界を迎えていた。
このまま眠ってしまえば、朝まで目覚めないかもしれない。
そうはなくとも、今寝ると中途半端に目が覚めてまた夜眠れなくなる確率が高まる。
だが、人間の三大欲求のひとつに、俺ごときの胆力で抗えるはずがなかった。
眠る。
もはや諦めてしまうと、ふんわりと柔らかな布団に包まれるような、心地良い感触が全身を包んだ。
意識が遠のく。夢の世界へさあ行くぞ。
と心の中で呟いた途端、入口のドアがガラガラと開いた。
「こーら、部活中でしょあなた達」
薄れゆく意識は、ドアの解放音によって、微小ながら覚醒へ向かった。
依頼人でも来たかと思ったが、どうやら山本先生が様子を見に来たらしい。
また明久里から以前の掛け金を徴収に来たのか。
目を開けると、明久里はカバンの中から缶ジュースを取り出していた。
「では先生も部活中に取り立てにくるのはやめてください」
缶の上部を、上から指で囲うように持ちながら、明久里は入口に顔を向けた。
「あぁぁっ碧山さん!? なんの事かなぁ、先生分からないよ」
先生の狼狽える声が、後頭部のさらに後ろから聞こえる。
昨日も回収には来ていたのに、なぜ今日はそれほど慌てているのだろう。
まさか良心が傷んだのだろうか。
「ほら、業平君も起きなさい。依頼人が来てるんですよ」
「え?」
その言葉に驚いて、頭を起こして入口を向いたが、入ってすぐの所に先生がいるだけで、他には誰もいない。
「先生、冗談はやめてください。冗談じゃないならお祓いにでも行くことをオススメします」
明久里が目を細め、苦い顔をして言った。
いや、ただドアの向こうに待機してるだけだろう。
明久里も冗談で言ったのだと思う。
だが先生はなにか思うところがあったのか、眉を八の字にし、顔を引き攣らせて目を逸らした。
「変な冗談やめてよ⋯⋯お祓いなんてそんなお金ないし」
「お祓いはしなくていいからギャンブル辞めたらどですか」
「ななななっ!? 業平君!? なんのことかなぁ。先生がそんな、ギャンブルなんてする訳⋯⋯」
「先生、その反応はもうモロです。確定です」
冗談のつもりで言ったのに、反応は想像以上だ。
眼鏡の向こうの目が大きく見開かれ、薄ら笑を浮かべ、顔全体に血の色が浮かび上がっている。
あからさまに混乱しすぎだろう。
これでは廊下で待機している誰かに、自分が博打打ちだと自白しているようなものだ。
「もう、先生をからかうのはやめなさい!」
咳払いをしながら体面を整えているが、もう手遅れだ。
「それで先生、先週の小宮のレース結果は後で聞くとして、一体なんの用でしょうか」
日本に来たばかりの明久里が競輪場の名前を知っているのは置いておいて、そろそろ本題を聞きたい。
先生の目元に影が差した。きっと負けたのだろう。
「うん⋯⋯この子があなた達にお願いがあるって言ってたから連れてきたの。ほら、入ってらっしゃい」
敗北の記憶が蘇ったのか、沈んだ声色で言いながら、廊下で待つ依頼人に手招きをした。
すると、身体の前で鞄を両手で持ち、若干顔を伏せた姿の、女子生徒が現れた。
三つ編みおさげの黒髪の小柄な生徒。
この子のことは知っている。話したことは無いが、クラスメイトだ。
名前は確か、花咲⋯⋯花咲⋯⋯。
「はぁぁぁぁぁ」
「えっ!? どうしたの業平君!?」
顔を手で覆い、大きく溜息を吐くと、何事かと心配した先生が慌てた様子で聞いた。
花咲⋯⋯もはやその名前を聞くだけで、忌々しい疫病神の記憶が呼び覚まされる。
今もまさに、あの疫病神が
『離さないでお兄ちゃん!!』
などと言って全校生徒が注目する前で後ろからしがみつき、我に返った疫病神が羞恥のあまり逃走。
そして海に帰ったという、理不尽すぎるバッドエンドを思い出した。
『私⋯⋯あんなことになったら⋯⋯もうお嫁にいけない』
なんてことの無いそのセリフに、これまで湧いたことのない怒りが沸々と滾ったのは、記憶に新しい。
「気にしないでください。はじめさんは画面の向こうの女の子を思い出して憤懣やるかたないだけです」
代理で明久里が説明してくれるが、なんだか言い方が気になる。
「あ⋯⋯そうなんだ。へぇ⋯⋯。ねえ業平君、推し活も程々にね」
案の定先生は勘違いしている。
「先生⋯⋯俺はあの女にはただの1度も、好感なんて抱いたことありませんよ。出会った時から負の感情100パーセントですよ」
「まあ、よくわかんないけど⋯⋯とりあえず話聞いてあげてね。先生はもう行くから」
じゃあ、と手を上げると、先生はそのまま教室を出ていった。
静かな廊下に、小走りで遠ざかる足音が響いた。
その足音が消えるまで、依頼人らしい花咲さんは入口のところで俯いて立ち止まっていた。
花咲さんのことはよく知らない。
一応、クラスメイトの名前と顔は全員覚えているが、花咲さんも大半のクラスメイトと同じく、交流がない。
「ああごめん、席用意するから待ってて」
気が付かなかったが、俺と明久里はそれぞれ机と椅子を少し離して横並びにしていたが、依頼人用の席を用意してなかった。
急いで教室の後ろの机と椅子を運び、ちょうど俺と明久里と三角形を作るように、前方に置いた。
「さあ、どうそどうぞ」
「⋯⋯ありがとうございます」
椅子を引き、手で指すと、恐る恐る花咲さんは足を踏み出し、一礼して席に着いた。
俺が自分の座っていた席に戻ると、明久里は漫画を片付け、鞄の中を漁っていた。
そして、大きな煎餅が入った袋を取り出すと、立ち上がって花咲さんの机へ置いた。
「紅茶やクッキーでも出せると格好がつくのですが、これしかないので許してください」
「えっ⋯⋯あ、ありがと⋯⋯」
花咲さんは何度も瞬きしながら、明久里と煎餅の袋を何度も見た。
袋はまだ開封されていない、新品そのものの状態だ。
いきなり親しくもない相手からこれを渡され、袋を開けることが出来る人間は少ないだろう。
花咲さんも多数派なのか、両手を机の下にしまったまま、動かそうとしない。
「では、名前と学年を教えてください」
席に戻ると、明久里は背筋を伸ばしてハキハキと言った。
相変わらず、表情は無と形容するに相応しいが、鼻の穴を見れば、高ぶっていることが容易く窺える。
部活始まって、2度目の依頼で、尚且つ花咲さんは明久里にとってはほとんどはじめましての人だ。
前回のように、知り合いが興味本位で依頼に来たのとは事情が違う。
明久里が張り切って自分を大きく見せるのも理解できる。
かく言う俺も、少し緊張している。
「えっと⋯⋯花咲志乃。2年です」
花咲さんは身を屈めながら、上から見上げるように明久里を見つめた。
「花咲さん⋯⋯花咲さんですね」
一瞬⋯⋯明久里の額に青筋が立った気がするが、気のせいだろう。
「あの、いきなりで失礼かもしれませんが、一身上の都合で志乃さんと呼ばせてもらってもよろしいですか」
「えっ⋯⋯あ、は、はい⋯⋯」
青筋は気のせいではなかったようだ。
明久里も俺と同じく、今はあの名前を口にするのも耐えられないらしい。
「では志乃さん。さっそくですが依頼内容を」
「⋯⋯⋯⋯しくて」
花咲さんは肩をすぼめると、両腕を伸ばしたまま内側に捻り、縮こまってしまった。
明久里の方を見ると、ちょうど目が合う。
明久里は俺に、
「もっと声を大きくするように伝えろ」
と催促するように、花咲さんに向かって目と首を振った。
だが俺達は聞き役として、できるだけ依頼人が話したくなるまで待ってあげるべきだろう。なにせ暇なのだし。
拒否する意を、首を振って伝えると、明久里はさらに催促するように目線を移動させた。
俺は拒んだ。頑なに拒み、首を振り続けた。
すると、明久里は瞼を中ほどまで閉じ、冷淡な眼差しを突き刺した。
なぜそこまで待つのが嫌なのか。まさかさっさと依頼を済ませ、漫画の続きを読みたいのか。
このまま睨み合っても、俺に勝ち目は無いと悟り、花咲さんを見ると、花咲さんはここに来てから初めて、ハッキリと顔を上げていた。
「今度の校外学習⋯⋯私も班に入れて欲しくて」
今度は明確に聞こえた。
言い終えると、花咲さんはまた俯いてしまった。
「班というのは、私達の班ですか?」
明久里が質問すると、無言で頷いた。
「何故それだけのためにわざわざ放課後ここへ? 入りたいのであれば、休み時間にでも」
「まあ待て明久里」
ほとんど間髪入れずに続ける明久里を止めた。
花咲さんは俯いたまま、モジモジと身体を捩っている。
花咲さんが教室では話しかけず、わざわざ部室に来た理由は、何となく想像が着く。
明久里も分かりそうなものだと勝手に思っていたのだが、この様子だとどっちか判別できない。
「⋯⋯それは⋯⋯その⋯⋯教室だと恥ずかしくて⋯⋯」
身体を捩らせたまま、ボソボソとか細い声で花咲さんが言う。
「つまり⋯⋯教室だと恥ずかしいですが、部室なら平気ということですか? それはまたどうして」
「⋯⋯部への依頼ってことにしたら⋯⋯受け入れて貰えると思って⋯⋯」
花咲さんの正直な気持ちが、そのまま言葉となって出たようだ。
依頼を聞いた時から、そうじゃないかとは思っていた。
そもそも、明久里はまだ日が浅いとはいえ、クラスメイトの花咲さんを認知していなかったのだ。
俺も話したことないし、富山君も当然ないだろう。そして女子同士の紅浦もほとんどないのは想像が容易い。
だが彼女は、こうして自分の存在を示し、俺達に頼んだのだ。
別に誘いたい人がいる訳でもないし、俺としては断る理由はない。
だが、どうやら明久里はそう思っていないのか、じっと花咲さんを見据えながら、静かに言い放った。
「なんだか⋯⋯卑怯ですねそれは」




