Cace.5
「ZZZ……」
その日、ジュリーは勤務先のルテティア警視庁の刑事部のデスクに座って寝ていた。
一昨日に勃発した大規模デモの逮捕者に事情聴取を取り、その報告書を書き上げたときには日にちは既に二日経っていた。
報告書を書き上げたときに何度かミスを指摘され、眠気と戦っていた彼女は疲れ果てていた。トレードマークのスカーフもヨレヨレで、だらしなくなっていた。
「ジュリー警部補」
「っ?!?!」
名前を呼ばれて肩を叩かれた彼女は体をビクリとさせて飛び起きる。
「ファイ!何か間違いでもありましたか!?」
真っ黒な隈の浮かぶ寝ぼけた目でそう答えると、そこに立っていたのはタバレだった。
「どうかされました?」
「あれ、タバレ探偵?どうしてここに?」
彼女はそう聞くと、そこで彼はここに足を運んだ要件を伝えた。
「いや、二日前に頼み事をしていたのですが。一向に返事がなかったので、直接結果を聞きに来ました」
「……っ!!」
そこで彼女はしばらく考えた後にハッとなって、その後顔が青ざめた。
「行けない!忘れてた!!」
そう言うと、彼女は慌てた様子で席を立つとそのまま椅子の脚に引っかかって盛大にこけてしまった。幸いにも彼女はスラックスのスーツだったのでうっかりチラ見はなかったものの、一瞬ヒヤッとなる光景だ。
「あいたっ!」
「……」
あまりの慌てっぷりにタバレも半分唖然となりながら、転けた彼女に手を差し伸べた。
「大丈夫かい?」
「は、はい。ありがとうございます……」
彼女はズレた眼鏡を治すと、手を取ってそのまま彼に言った。
「すみません!急いで調べます!!」
そう言い、彼女は慌てて刑事部の部屋を後にすると。タバレは彼女の消えて行った方を見やった後に、地面に落ちていたブランケットを手に取って彼女のデスクの椅子に被せていた。
彼女のテーブルにはタイプライターや多くの資料が置かれており、赤文字で修正を入れられている報告書などが置かれていた。
「あの!それでっ!」
すると彼女が刑事部の部屋に戻って来ると、タバレに聞いた。
「結局何を調べれば良いんでしたっけ?」
「……」
この二日間で何があったのか容易に彼は想像できてしまった。
「すみません、何せ一昨日のデモの逮捕者の後始末に追われてしまって……」
彼女は申し訳なさそうに黒い手袋をしながら保管庫からトレーを持ってくる。
「黒い手袋とは珍しいですね」
「そうですか?」
「ええ、私が見て来た刑事は多くが白い手袋を付けていましたからね」
そう答えると彼女は言った。
「黒い手袋の方が、何か物がついた時に見えやすいと思いまして……」
「ああ、なるほど」
なぜか納得できたタバレはそこであえて深く言う事は無く、彼女の持ってきた遺留品を見ていた。
「……やはり無いか」
「?」
タバレの呟きにジュリーは首を傾げると、彼はジュリーを見ながら言った。
「これから言う事は、秘密にしてくれますか?」
「は、はい……?」
彼女はそう答えると、そこでタバレは彼女に話し始める。
「一昨日、ジーン・ガードナーの家に行って調べて来ました。その時に、彼女の部屋の箪笥の中から一枚のスクラップ記事がありました」
「え?」
「警部補、被害者にスクラップ記事に関する趣味などはありましたか?」
「あっ、少し待っていてください!」
そう言うと、彼女は常に持っている手帳を捲ると、そこに調べた被害者の周辺の人物から聞いた聴取をまとめたページを見つけた。
「えっと、被害者に新聞のスクラップを集める趣味は無さそうですね」
「そうですか……」
「あの、そのスクラップ記事って?」
ジュリーが聞くと、タバレは彼女に教えた。
「ああ、記事は二件目の被害者。マイント・カーディッシュが自殺した記事でした」
「え?自殺?」
「まだ公表されたばかりの頃の記事ですからね。自殺と公表されていたんです」
そう言うと、彼はジュリーにその見つけた新聞記事を見せた。
「これがその見つけた記事です」
「……」
そう言い彼は切り取られたその新聞記事を見せると、ジュリーはやや驚いた目をしていた。
「どうして、二件目の被害者の記事を切り抜いたのでしょうか?」
「私にも分からないが、一つ言えるのは。二件目の被害者と、三件目の被害者は面識があると言うことだ。そして……」
そして徐にタバレはある一枚の写真を彼女に見せる。
「この写真は?」
「ジーン・ガードナー。そしてマイント・カーディッシュの部屋にも飾られていた写真です」
「?!」
ジュリーは目を見開いてその写真を見ていると、彼は彼女に言った。
「警部補、以前マイント・カーディッシュの時に調べたと言っていましたね?」
「は、はい」
彼女はやや虚取りながら答えると、タバレは彼女に言った。
あの時、彼は軍に所属していなかったと軍務省の人事課からそう答えられていた。
「ではこの部隊章で調べてください」
そう言い彼は写真の兵士達の肩に付いている部隊章を指差した。
「すみません、少しお借りしても?」
彼女はそう言うと、そこでルーペを取り出してその部隊章を見ていた。
「どこかの砲兵隊の部隊章でしょうか?」
「ええ、おそらくは…」
後ろに映るカノン砲や牽引車からして、どこかの砲兵隊だろうと予測していた彼女にタバレは頷いた。
「それから、一件目の被害者のアドルフ・ブレリオの顔がここに無いかどうかも調べてください」
「分かりました」
ジュリーはそう答えると、写真を返そうとした。
「ああ、写真は大丈夫です。あなたが持っていてください」
「え?良いんですか?」
思わず彼女は聞き返すと、タバレは懐からもう一枚同じ写真を取り出した。
「写真はもう一枚ありますので」
「…はぁ、あなたと言う人は……」
思わず彼女はため息が漏れてしまうと、証拠品を入れたトレーを片付けに戻って行った。
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今日の仕事を終え、例の紋様事件の捜査も一向に進まない中。ジュリーはタバレに頼まれた仕事を片付けていた。
「そうですか……はい、分かりました。ありがとうございます」
電話を切り、ジュリーはそこでため息を吐く。
「ジーン・ガードナーも軍には居なかった……?」
ジーン・ガードナーとマイント・カーディッシュは嘗て同じ部隊に配属されていた過去がある事がこの写真では分かった。
しかし二人とも問い合わせをしてみたら過去に同じ名前の人物が軍に所属していた事は一切記されていなかったと言う。
「どうした?」
するとそこで残業中のジュリーにコーヒーの差し入れをしに来た先輩刑事のアンドレイ・ソルニエが話しかけてきた。彼もまた、紋様事件に増援として配属された刑事だった。
「あっ、例の紋様事件の被害者についてです」
「ほう?」
そこで彼は興味深そうにその話に食いついてきた。
「遺留品にあった写真です。被害者のうち二人はどこかの砲兵隊に所属していた過去があるそうで、それを調べているんです」
「軍属に?」
「はい。……軍務省の人事課に問い合わせてみたんですけど、そんな人居ないって……」
「戦時中もか?」
「はい、今まで一回もそんな人は居なかったって…」
彼女はそう答えると、アンドレイは少し考えた後にふとある事が閃いたのか、写真を見ながらジュリーに言った。
「でも戦時中に編成された砲兵隊なら、今はもう解散している可能性があるんじゃ無いのか?」
「ああ……そうか!!」
そこで納得した後、すぐにまた顔を顰めてジュリーは頭を抱えた。
「だとしたらこの部隊章を探すのは苦労しますね」
「ん?どれどれ……」
そこでアンドレイはその写真を見て少し違和感を覚えた。
「砲兵隊にしては随分と人数が少ないな……」
「え?どう言う事ですか?」
ジュリーが聞くと、アンドレイはその違和感を口にした。
「普通、砲兵隊って言うのは中隊規模で動くことが多いから。最低でも百人くらいで一つの部隊を編成する事が当たり前だ。でももしここに映っている砲兵隊の写真が本当なら、この砲兵隊にはたった三十人ほどしか居ない事になる」
「へぇ……」
だとすると変な話だ、明らかに人数が足りないこの砲兵隊。出撃前に撮る写真としては変なところもあるのだろう。
「基本的に出撃前に撮る写真は部隊全員が集まって撮るのが習慣だ」
「訓練兵だっだとかは?」
「いや、訓練兵だとしてもそのまま戦場に送られるからむしろもっと多くが映っていてもおかしく無い。それに……」
そう言い彼はカノン砲や牽引車のさらに後ろの景色にも違和感を覚えていた。
「この背景に映っている建物、俺はこの建物を見た事がないな。俺が知らないだけかもしれないが……」
「よ、よく知っていますね……」
感心した目で彼女はアンドレイを見ると、彼は少し得意げにこう答えた。
「そりゃ俺だって戦場帰りの人間さ。それに俺は元砲兵だ」
彼がそう言うと、ジュリーはやや目を見開いて驚いていた。
その後、アンドレイに部隊章の一件は任せるとそのまま強制退勤させられた。理由は、
『三日も家に帰らないのはまずいよ。それに、二日続けて残業は肌にも悪いしね』
と言う理由だった。アンドレイらしい理由だと思いながらジュリーは時計で時間を見る。
「いけない、もうこんな時間……」
時刻は二二時を回っており、残業もいい頃合いだ。三日も家に帰らないのは色々な意味で不味いので、帰りの地下鉄に乗り込んで帰路に着く。
列車にはほとんど人が乗っておらず、幸いにも横になって寝れるくらい空いていた。
レディスーツに身を纏う女性が夜に独り歩きしている時点で警戒しないわけにはいかず、ジュリーはうっかり寝ないように注意を払っていた。
「……」
特に近頃は女性が狙われる事件も多く、この前も同僚が襲われかけた話を聞いている。
そのため警察官は勤務外でも外に出る時は自衛も兼ねて最近は必ず拳銃を所持していた。
そして彼女が家に帰る途中の道、裏路地に繋がる道を横切ろうとした時。
「っ?!」
いきなり腕を掴まれ、裏路地に引っ張られた。そしてそのまま口元を抑えられた。
「っ!!」
咄嗟にジュリーは格闘術で腕を掴んだ相手を倒そうとした瞬間、
「静かに」
自分にも聞き覚えのある声が聞こえた。
「タバレ……探偵?」
そこには柄にもなく中折れ帽にトレンチコートを着ていたタバレの姿があった。