Cace.23
雨が降るロンデニオン。夜の間に瀑布の如く降る雨の中、共和国の私立探偵タバレ・ガボリオは走っていた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
雨が降り、雷も鳴っている中。彼は必死の形相で走っていた。
「くそっ、どこに消えた?!」
街を走り、交差点で左右を確認した後に再び走る。
先ほど屋上から降りて街に消えたメメント・モリ、それと同時に収容されていたグレース・パトリアが病室から脱走をしたのだ。
おそらくメメント・モリは彼女が病室から逃げているのを目撃していた。そして彼女が逃げる先をメメント・モリはまだ知らない。
「グレース・パトリア…」
彼女を撃った犯人は、メメント・モリでは無い。
魔法を三つ以上展開可能な異能者であると推測されるメメント・モリ。それほどの能力がありながら、かの人物は銃撃と毒殺で共和国を恐怖たらしめている。
自分の顔と被っていたコートに認識阻害・消音・貫通・変声の五つの魔法を使っていた。
「…」
先ほどメメント・モリが消えた方向を基本にタバレは走っており、周囲の街の人々は彼を大して気にしている様子もなく雨宿りのために屋根のある場所を探し求める。
「(では彼女を撃ったのは誰だ?)」
そこで疑問に思うのはグレース・パトリアを狙撃したのは誰なのかと言う問題である。
使用された弾薬まで同一のものであり、この情報は既に市井に出回っていた。
「(模倣犯の可能性もあるか…?)」
模倣犯であれば、使う弾薬を同じにする事くらいするであろう。
「(いや、それは無いな…)」
彼女は狙撃後に初めて出会った時、自分が狙撃された理由を彼女は知っていた。
決して手の内を明かすことはなく、その前に病室を逃げ出してしまったが…。
「?」
そしてメメント・モリの展開していた魔法を、異能を頼りに辿っていると途中でその痕跡がフッと消えたのだ。
「どこに行った…?」
自分の魔法使用の痕跡を探す異能は、戦場においては無用の長物であるが、使用が規制された街中では実に有用に使用することができた。
また異能は、最近設置が急速に進んでいる魔導レーダーでは一部では探知しにくい傾向があった。このため、後で怒られても知らぬ存ぜぬで案外通せたりするのだ。
「…」
魔法が消えたこの場所を彼は探し始める。
彼は自分にヒントを与えて、答えを探させる仕草を何度も見せていた。だからここで気配を消したのは理由があるはずだ。
「…」
そしてここは建物の裏路地の何もない場所、まっすぐ進むと通りに出る。
なので近くを探していると、そこで煉瓦積みの建物の地下に繋がる一つの扉を見つめた。
タバレはそこで扉を開けると、そこは地下に繋がる階段があり。カタコンベに繋がる階段であると言うのは、打ち付けられた看板で理解した。
「…」
カツン…カツン…
階段の下は漆黒が包んでおり、タバレは徐に拳銃を手に持ち銃弾を一発ずつ装填する。
今は戦争の影響で新型が警察でも使用されるほどになった。なのでタバレもこの古い拳銃を入手可能だった。
『ーーー!』
カタコンベの奥、死体の香りが漂う中で微かに声が聞こえ。その方に向かって足音を殺して近づくと、一歩進むごとにその声が鮮明に聞こえた。
『私は何も言っていないわ!』
『そうか…その証拠は?』
その声のする方に移動すると、暗闇の中で二つの人影が言い合っているのが微かに見えた。
『あなたなら分かるはずよ!私が何か喋ったら、あなたの元に届くんじゃないの?!』
『…』
カタコンベの奥、火ですら灯らぬ常闇の空間。その場所の最奥に近いところで聞こえた声の片方はグレース・パトリアその人だった。もう片方のフードを被った人物は不明、しかし変声魔法を使っていると言うのは把握できた。
『それはどうだか…』
その人影は狙撃鏡付き帝国製小銃を背に持っており、タバレはその人物が狙撃の容疑者候補に入った。
「(グレース・パトリアの関係者なのか?奴は…)」
それを後ろから聞いていたタバレは考える。
グレース・パトリアの狙撃事件にはいくつか疑問が残った。
貫通魔法ありきとはいえ、二千メートル級の狙撃をやってのける犯人が、たった数十メートルの狙撃で致命傷を与えられないものなのかと疑問に思う。
そして先ほど、自分を待っていたメメント・モリの動きには少々焦りがあった。その証拠に、メメント・モリは自分が来た瞬間に魔法陣を崩壊させるための演算式を構築していた。
『どうしてあなたが撃ったの?』
その時、グレース・パトリアは非常に残念そうにその言葉を溢す。
しかしその人物は非常に冷淡な声で返した。
『君の勝手な行動で、僕達の動きを察知されては困るんだよ』
「それは…!仕方のないことだったのよ!」
グレース・パトリアはそこで弁明するように悲痛な叫びをあげる。
「私だって怖いの…毎朝新聞を読んで、次々とクラスメイトが死んでいくのを見るのは…」
そしてその良いしれぬ恐怖を前に泣き崩れる彼女を前にフードを被るその人物は持っていた拳銃を突きつけた。
「っ!!何をするの?!」
『君は…少々目立ちすぎた。生き残っていても、うるさい連中が君をつけ回す』
「そんな…私はあなた手紙を頼りにここまで来たのに!?」
グレースはそこで驚愕した様子でその人物を見る。しかし突きつけた銃の引き金に力が入る。
「(拙い!)」
あの人物は本気でグレースを消すつもりだと確信したタバレは、彼女を守るために銃を強く握った。
『本当は囮にするつもりだったのだが…』
フードの人物も悲しげな声色で銃をグレースに向ける。
『だから他の連中が来る前に、君は消えてもらう必要がある』
「や、やめて!!」
タバレはそこで柱から飛び出そうとした瞬間、
『っ!』
フードを被った人物が持っていた拳銃をカタコンベの一角、タバレのいる場所に向かって撃った。
『誰だ!!』
その瞬間、タバレは隠れられないと思って自身の持っていた拳銃を突きつけながら叫んだ。
「動くな!」
『…』
その瞬間、タバレを見たフードの人物はニヤリと笑うと、持っていた銃の引き金を引いた。
弾道はタバレの心臓に命中する軌道を取り、タバレも発射したが、それは当たる気配を見せなかった。
「チッ…」
タバレはもしこの場所で倒れた場合の事を考える。
現在警戒体制が敷かれてパトカーが回っているロンデニオン、通報があって到着するまで約十分。
場所はこのカタコンベであり、雨が降っているので銃声が聞こえにく環境であることも考えると最低一時間を見込む。
近くの病院にかかるであろう搬送時間まで約一時間。
胸部銃創の致死率は腹部銃創よりも低いので生還する確率は高い。しかし撃たれてから二時間ともなると生存率は下がっていく一方だ。
「(しまったなぁ…)」
近づく銃弾がやけに遅く見える中、タバレは最後の抵抗として両腕を前に突き出す格好を取って体への銃創を押さえ込もうとする。
「(先にルコック君に、私の資料を手渡せばよかった…)」
そして銃弾を前に簡単に後悔をしていると、
〜♪
骨笛のような微かな音色がカタコンベに響いた。どこから骨が鳴ったのかと思うと、
「?!」
突如自分を覆うように球体の障壁魔法。拳銃弾を防ぐ硬度のそれが瞬時に展開されると、タバレを銃弾から守った。
「これは…!」
『…』
展開された障壁魔法を前にタバレとフードの人物は驚愕した様子で今のを見ると、影から腰を抜かして地面にへたり込んでいたグレースに消音器のついた拳銃をむけて引き金を引いた。
パスッ!パスッ!パスッ!
「ごはっ!」
「『っ!!』」
一瞬にして殺害されたグレース・パトリア、その最期は実にあっけないものであった。
カチンッ
そして何か金属製の蓋の閉じる音が聞こえると、二人の後ろから一つの影が現れた。
「…」
その人影は、少し濡れた黒いトレンチコートを羽織った不気味な人物で、その顔は見えなかった。
黒い中折れ帽子に、手には黒手袋をしており、その姿はまるで地獄から這い上がってきた屍者のようだった。
『…メメント・モリ』
『…』
その姿を前に恨みの籠る声で睨みつけたフードの人物。しかしメメント・モリは悠然と立っていた。
『死ね』
そしてその姿を見た瞬間に持っていた銃を向けたフードの人物は即座にあるものを地面に転がした。
『っ!』
「手榴弾っ!」
すでに安全ピンの抜かれていた手榴弾は安全レバーも外れた状態で転がされ、その姿に咄嗟に防護姿勢を二人が取った瞬間、
バシュゥゥウウッ!
カタコンベに緑色の煙が噴射して立ち込めた。これは手榴弾ではなくただの発煙手榴弾であった。
『チッ』
その瞬間、フードの人物が持っていた拳銃を乱射したが、反撃を受け、その銃弾はフードの肩を貫いた。
『っ!!』
しかし障壁を展開した事でその銃弾は阻まれた。
そして同時にタバレも動こうとしたが、直後に彼は金縛りにあったように動けなくなった。
「くそっ…」
煙に包まれる最後の瞬間、タバレは煙の奥に消えていくメメント・モリを見ることしかできなかった。
ウゥ〜…
青いランプを灯してパトカーと青十字の救急車が通りを封鎖していた。
無論、報道機関も来ていたが。警察官に睨まれてしおらしくなって撮影は前よりも控えられていた。
「…」
担架に乗せられて運ばれていく遺体を呆然とタバレは眺めていた。
「くそっ…」
その近くでジェブロールは毒吐いた。
「頸部一発、胸部二発…即死ですね。至近距離とはいえ、動脈にこうも綺麗に命中させるとは」
悔しげにアンドレイは受け取った報告書を読む。
「不甲斐無いばかりです」
「あぁ、それは俺もだ」
遺体となったグレース・パトリアは今後共同墓地に移送される。一応、まだ連合王国籍を有した人物であるので、埋葬は連合王国で行う事にしたのだ。
「…」
一応被害者であるタバレは、この後事情聴取を受ける。
あの時、同じ場所にいたフードを被ったあの人物は、カタコンベにジェブロール達が到着した時には消えてしまっていた。
そして救急車に乗せられたグレース・パトリアは、そのまま納棺の為に運ばれていく。
紋様事件最大の証人となるはずだったグレース・パトリアは、わずか二〇歳にしてその生涯に幕を下ろしていた。
なおこの事件をきっかけに、連合王国・共和国を中心に加熱する報道機関に対する世間の目線は厳しいものへと変わっていく、大きなきっかけともなった。




