Cace.22
数年前、共和国と隣国の帝国で戦争があった。
長年に渡る戦争は塹壕や化学兵器の登場で大きく変化した。
長期化した戦争において塹壕戦と呼ばれたその戦いは、戦場を地獄へと変貌させ。数多の鉄と血が流れ、大地を犯した。
自分も徴兵対象となり、多くの兵士が動員され、街の大通りを更新して戦地に向かっていた。
九年間続いた戦争は事実上は帝国の勝利という形で集結し、共和国側に非武装地帯が設けられていた。
グレース・パトリアは共和国生まれの砲兵勲章持ちの元軍人、年齢は二〇。
現在はロンデニオン郊外にて書店を経営している女性で、数日前に狙撃を受けた。
狙撃に使用された弾丸は帝国製7.92mm小銃弾、前の狙撃事件でも使用されたのと同じ銃弾である。
まだ弾頭の旋条痕の解析結果は上がってきておらず、この事件を受けて共和国の警察は彼女から情報収集の為に保護を目的に移送する手筈になっていた。
現在共和国で起こっている紋様事件の被害者は全員、東西戦争中に砲兵勲章を授与された元砲兵。
いずれも射殺か毒殺で殺害され、被害者は分かっているだけで五人いる。
「(そして表に出ていないだけで、被害者は全員同じ砲兵隊出身の可能性がある…)」
タバレはそこで常に持っているあの砲兵の集合写真を手に取って見る。
この写真は、自分以外だとジュリー・ジュネスと警部補のみ共有している写真だ。彼女がジェブロール警部や他の刑事達にこの写真の事を話した様子はなく、またタバレもそのように振る舞っていた。
犯人は自らをメメント・モリと名乗っており、明らかにこの砲兵隊を狙っていると自ら犯行予告をしている。
名探偵と高く評価し、自分に挑戦状を叩きつけてきた彼女にタバレは真っ向から対決をする。
「(ほぼ確実にグレース・パトリアは被害者の共通点を知っている…)」
だが犯人に関しては皆目見当がつかない様子というのは、彼女の節々の動きから察せる。
「(彼女は何かを話す際に必ず震えていた。あれは砲弾病の症状だ…)」
後にPTSDの一種とされる砲弾病。それは永遠となり続ける砲弾の音を前に兵士が怯えて何も話せなくなったり、動けなくなったりする病だ。
一種の臆病者と判断され、戦時中は無理やり戦地で戦闘をしていたこともあると言う。
「(わからんな…)」
被害者の共通点はこの集合写真と砲兵勲章のみ。そしてこの砲兵隊がどこのどの部隊の所属なのかは一切が不明。
おまけにジュリーからの話では、この砲兵隊の後ろに映る建物は砲兵の訓点施設では見たことのない施設であると言う。
「先生〜」
「?」
すると廊下の奥からルコックが小走りで寄ってきた。
「どうした?」
「カレドニアヤードからグレース・パトリアさんに通達が…」
「どんな?」
そこでルコックはタバレに届いたばかりの新鮮な情報を伝える。
「はっ、共和国政府がグレース・パトリア氏の亡命を受理しました」
「亡命…」
タバレは亡命という言葉を前に苦笑する。
「亡命か…」
程の良い押し付けではないかと彼は思う。
連合王国政府としては、国内に連続殺人鬼がいる可能性以上に模倣犯による犯罪を懸念しているのだろう。有名なジョン・ザ・リッパーの事件の際も数多の模倣犯による犯罪のおかげで捜査が大混乱したという苦い経験を味わっていた。
ただでさえ共和国にジョン・ザ・リッパーなどと言われているこの事件。当然連合王国内でも話題の的であり、それゆえに先日のような荒れ狂う報道合戦が繰り広げられていたわけだが…。
「なるほど…そのほうが我々も動きやすいか…」
「えぇ…今回は緊急ですので、事後承認という形で入国管理局の許可も出ています」
「そうか…」
するとルコックはこれからその旨を報告に行くと言って廊下を歩いていく。
「…」
窓の外では雲が月を隠し、直後に雨が降る。
雨足は強まるばかりでタバレもその雨を前に軽く溜息を吐く。
「やれやれ…」
醜い押し付けあいを前に彼は呆れると建物を後にした。
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雨足が強く、地面に打ちつける水の音で周囲では歩く音や話し声までもがかき消される。
「…」
周囲は闇であり、建物の灯りのみが視界の頼りであった。
「…」
その男はスコープを装着し、両手に半自動小銃を持って弾倉の確認を行う。
カチャッ
薬室に弾薬を装填し、スコープ越しにグレース・パトリアの収容された施設の窓を捉えると、
「フゥ…」
手元から若干の淡い光が流れ、銃口で小さな魔法陣が二重で展開される。
そして施設の窓をスコープで見た時、
「やぁ〜、今日はひどい雨ですね」
「っ…」
レインコートを着たその人物の後ろにタバレ・ガボリオが立っていた。
「…」
「ここからの距離は約一五〇メートル。障害物の多い市街地であの部屋から狙撃できるのはここだけですからね」
「…そうか」
そこでその人は男とも女とも取れない声で短く答えると、銃を背中に戻して後ろを振り向く。
「初めまして、メメント・モリさん」
「…どうも、名探偵タバレ・ガボリオ」
メメント・モリはそこでタバレの顔を見る。
「(認識阻害…か)」
そこですぐにタバレはメメント・モリが魔法を使っていることを感知する。
一週間以内であれば魔法の使用履歴を確認できる彼の異能であるが、それはリアルタイムでも把握できた。
「(しかし…)」
残念ながら異能者であるタバレは認識阻害魔法を破壊できる術を持っていない。そして彼が見たメメント・モリは、身体中に無数の魔法が展開されていた。
「(銃にも消音と貫通の多重展開とは…)」
目の前のメメント・モリを前にタバレは驚愕する。基本的に三つ以上の魔法の多重展開は、特殊な能力を有した一部の人間にしかできない珍しい能力であり、どちらかと言うと異能者の部類であった。
そして目の前のメメント・モリは最低でも五つの魔法を展開しており、本当に人なのかと一瞬考えてしまうほどであった。
「名探偵とは畏れ多い」
「…そうですか」
するとメメント・モリは施設を一瞥するとタバレに言う。
「貴方とはじっくりとお話ししたいのですが…残念ながら今はありません」
「?」
すると、タバレに緊急で通信魔法が入った。
『先生っ!緊急事態です!』
「何事だ?」
タバレはルコックから何があったのか聞くと、
『グレース・パトリアが脱走しました!』
彼はとても驚いた。ルコックの視界には窓が開き、部屋の中に雨が入る空となったベッドがあった。
彼の周りにはジェブロール警部含めた刑事達が呆然となって見ていた。
「逃走経路は不明です」
報告を聞き、タバレの愕然とした顔を見てメメント・モリは言う。
「私はこれで」
「っ!待てっ!」
タバレは後退りして逃走しようとするメメント・モリに手を伸ばしたが、
「っ!!」
メメント・モリの持っていたの銃口から閃光が飛ぶと、直後にタバレ目掛けて熱風が吹き荒れた。
「魔法陣を暴走させたか…!!」
意図的に展開していた消音魔法と貫通魔法を暴走させ、暴走して崩壊した魔法陣の威力をそのままタバレに向けたことで彼は一瞬目を閉じ、その瞬間にメメント・モリは屋上の柵をこえて建物を飛び降りた。
「くそっ!」
慌てて柵に駆け寄って下を見るが、一瞬遠くにバルコニーを飛翔する影が見え。タバレはメメント・モリが消えた方角を見て思考を巡らせる。
「(奴の狙いはグレース・パトリアだ…)」
そして同時に確信する。
「(これは奴の仕業ではない)」
タバレはそこで市街地の地図と、グレース・パトリアが逃走した理由。そして態とらしくあそこで狙撃する構えを見せ、自分待っていたメメント・モリの思惑に首を傾げていた。




