4.孤児院のマリア
港湾都市ウェルディはラスナー辺境伯が治める領地だ。交易と漁業が主な産業。人口は8000人ほどの中規模の地方都市。辺境伯領では中心都市を担っており、領主の館もウェルディにある。
ウェルディは南が広大な海、北側は山になっており、基本的に東西に道が拓けている。ラスナー辺境伯が治めるウェルディ以外の街や集落もその街道沿いに存在する。それらの集落の人々を含めれば、辺境伯領だけで15000から20000弱といった人々が生活しているはずだ。
辺境伯の為人は、規律を重んじる、と一言で言ってしまえばそんな感じだろうか。もっとも直接お会いしたことはなく、これらすべての情報は軍から上がってくる基本的な情報でしかない。
北側にある小高い場所に作られた辺境伯の館からまっすぐ南へ延びる大通りや、東西へ繋がる街道のその近辺は非常に活気があるのだが、街の外れは貧しい者たちが身を寄せ合うように住んでいる者が多い。
わたしの寝所はそういった場所にある。古い石造りの教会がそれだ。
「ただ今帰りました」
扉を開けそう告げると、奥からパタパタと小さな足跡がいくつも響いてくる。
ここの子供たちだが、ここの家主の子供というわけではない。この子たちは孤児で、行き場を失った子供たちが生活している。いわゆる孤児院というやつだ。
「おかえりなさい、どうもお疲れさまでした」
そう言って子供たちの後から姿を現せたのは、ショコラグレージュの長い髪と琥珀色の瞳を持つ女性だ。年齢は20代半ばくらいだろう。身長はわたしより頭一つ低いが、均整の取れた肢体をしている。見下げる形になるが、わたしはこの女性に頭が上がらない。笑顔を絶やさず朗らかな雰囲気の女性だが、結構推しは強い。笑顔で詰め寄ってくる美人というのはなんとも質が悪いことを、わたしはこの3カ月で学ぶことになった。戦場でもこの笑顔で押し切ることができるんじゃあないのか、などと埒の無いことを考えてしまう。
彼女の名はマリア。わたしの命の恩人で、この孤児院を切り盛りしている女性だ。この協会の運営もしている。
そして彼女の周りを取り囲むようにして佇む子供たち。アル、レナ、シーリス、エルミナの4人だ。
年長者で男の子のアルをのぞけば、あとはすべて女の子だ。
最年少のエルミナがトテトテとわたしの足元へ駆け寄ってきた。そしてズボンの裾をクイクイと引っ張る。つぶらな瞳がわたしを見上げてくる。
「おじちゃん、だっこ」
おじちゃんかぁ、そう言われて困った表情を浮かべるが、年齢的に考えれば35は立派なおっさんだな。なるほどこの子は幼児にして立派な賢者であるらしい。物事の心理を見抜くとは恐れ入った。
そんな幼児の願いをかなえるべく、わたしはエルミナを肩に乗せてあげる。彼女の幼い手がわたしの頭をしっかりと抱きかかえた。
そんなわたしとエルミナを、マリア殿はニコニコと眺めている。まったく照れ臭い。
「では、おじちゃんも帰ってきたことですし、ご飯にしましょうか」
「はーい!!」
元気のよい声が、孤児院に響く。
マリア殿、おじちゃん呼びはやめてくれ。
ささやかな夕食が終わり、子供たちが寝静まる。
わたしはマリア殿とテーブルを挟んで向かい合う。そこで銀貨の入った皮袋を差し出した。彼女がそれを望まないと知っていても。
「受け取れません」
「そうは言われても、わたしにはあなたの恩に報いる方法が今のところこれしか無いのです」
「子供たちの面倒を見てくれれば、それで十分です。レイン様が重荷に感じることはないのですよ」
マリア殿がいくら鋼の意思を持つ女性だとしても、こればかりはこちらも譲れない。
多い金額ではないが、受け取ってもらうまでは一歩も引けない。元騎士の名誉にかけて。
だから、強引な方法であったとしても、彼女が納得する形で受け取ってもらう。
「わたしは子供たちに読み書きを教えたいと思っております」
「読み書きですか?」
「はい。マリア殿は仰られた。騎士も冒険者も弱者を助けるという一点において、志は同じだと」
私はマリア殿を見つめる。
「ゆえにわたしは、自分の持っている知識を子供たちに教えたい。あの子たちが将来、より多くの選択ができるようになるために、その助けをしたい。この銀貨はその一歩です。本や読み書きするための道具をそろえる資金としてください」
マリア殿の琥珀色の瞳がキラリと光る。彼女はフゥと嘆息し、苦笑した
テーブルに置かれた皮袋から銀貨を数枚取り出し、残りをこちらへ差し戻した。
「まったく、そういうずるい言い方、とても騎士様のすることではありませんよ? どこで覚えてきたのでしょうか」
「ここ3カ月ほどで覚えた知識です。なにせそういう言い方をされるお方が目の前にいますから」
キョトンとしたマリア殿の表情。歳相応に可愛らしい。
そしてプッと噴き出すと、コロコロと笑いだす。それにつられわたしも笑う。
緊張した騎士団生活では味わうことのなかった、穏やかな夜だった。
お読みいただきありがとうございました。
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パリッとした食感が美味しいです。