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七.

 唐織からおりは、結局高田(たかだ)仁左衛門(にざえもん)に身請けされた。駆け落ち騒ぎを聞いてなお、話が流れなかったのがさらさには不思議でならなかった。


 見た目だけは着飾って、けれど痩せ細って紙の人形のようになった唐織を、仁左衛門は壊れ物を扱うように大事に駕籠に乗せて連れて行った。唐織ほどの花魁ならば、名残を惜しむ者が列をなすのがあるべき姿だっただろうにそれもなく、誰もが息を潜めて見送るだけだった。だから、さらさが声を掛ける隙など見つけることはできなかった。


      * * *


 そして空いた唐織の名と座敷は、さらさが継いだ。前の唐織の稼いだ金で飾り立てられた彼女を見て、その老人は相好を崩した。


「お前が新しい唐織かい。姉さんが駆け落ち騒ぎを起こしたとかいうのは本当かね」

 さらさの──唐織の水揚げを買って出たのは、姉の馴染みでもあった大店おおだなの隠居だった。清兵衛が相手だったら、と。さらさという振袖新造ふりそでしんぞうなら思っていただろうか。でも、唐織と名乗るようになった彼女は、もう少し擦れている。


「わちきの水揚げに、姉さんの話をなさんすとは何と無粋な」


 新造の水揚げには、年配の通人を宛がうのが倣いというものだ。始めから分かっていたことだし、何より、清兵衛はもう吉原には姿を見せない。勘当されたとも叩き殺されたとも噂されるけれど、唐織にとってはどちらだろうと同じこと。いない者のことを考えたところで何にもならない。いいや、そもそもそんな男がいただろうか。花魁としての道を歩み始める大事な夜に、余計なことを考えていはならない。高い水揚げの代金を払った甲斐があると、見どころのある娘だと見せなければならない。


「遊女と客人といえど、仮初といえど夫婦になるのではありんせんか。初夜から心移りなどされては、わちきの立つ瀬がござんせん」


 つんと顎を逸らして拗ねた振りをすると、客は楽しそうに困ってみせた。


「いや、お前の言う通りだな。ただ、気になったものだからな」

「姉さんは高田屋様と睦まじゅう過ごしておりんしょう。大体、かような騒ぎを起こした女郎の名なら、わちきは継ぎとうござんせん」


 嘘を吐く心の痛みをねじ伏せて、唐織は唇に笑みを乗せた。嘘は女郎にとっては大事な手管、それを使うのに痛みを感じてしまうのは未熟の証拠。早く早く、もっともっと、巧みに滑らかに嘘を操れるようにならなければ。


 見世に恥をかかせた花魁の名を継がせることに、楼主は確かに最初は難色を示していたのだ。でも、さらさであったころの彼女が涙を浮かべて懇願したら叶えてくれた。


『大それたことをしでかしたとはいえ、わちきには大事な姉さんでありんした。わちきがその名を継いで、悪い噂などすすいでやりとうございんす』


 楼主は感心な心掛けとしきりにさらさを褒めた。海千山千の忘八ぼうはちでさえ、彼女の嘘と真を見分けることができなかったのだ。だから大丈夫、彼女はちゃんと上達しているはずだ。


 彼女はただ、あの夜のことをなかったことにしたいだけだったのに。前の唐織花魁は、駆け落ちなどしなかった。全てを捨てて手を取り合う情人などいなかった。みそかの月などありはしない。望まれて、千金を積まれて身請けされた果報者と、そのように仕立て上げなければ。新しい唐織の願いはそれだけだった。


「ふむ、それもそうか」

「どうぞどうぞ、唐織を吉原一の名妓にしておくんなんし。姉さん孝行にもなりいすもの」

「はは、殊勝だか小癪だか分からん奴め。だが、愛いのう」


 初々しい新造に寄りかかられて客は興を覚えたようで、唐織の帯に手を掛けた。かさかさした年寄りの手が素肌を這っても、何ということはない。女郎が閨が嫌などと言っていては務まらない。彼女には想う相手などいないのだから、誰が相手だろうと同じことだ。

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