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家族が書き散らかした諸々

新聞配達の少年時代

作者: 佐々木望

父が、日本新聞協会の「はがきエッセーコンテスト」に応募した作品です。もちろん、落選でした。データで残っていましたので披露します。2004年4月4日のタイムスタンプです。

 小学校の五年になったとき、今は亡き父親の言い付けで新聞配達を始めた。

 昭和三十年代後半という時代、確か朝刊四十部を配って月千円をもらった。長野県の上田という土地で、思い出すのは冬の日の辛かったことばかり。大雪が降ると東京からの運搬列車が遅れて、学校を遅刻しそうになった。雪の坂道での自転車の重さ。顔面中にできたシモヤケ。荷台に積んだ新聞紙の間に手を差し入れると、あたたかかった。

 目覚まし時計のオルゴールだった「家路」という曲は、聴くと今でもギクッとなる。店主に褒美で連れていってもらった映画「史上最大の作戦」は、小学生が観てもよかったのだろうか。アルバイト代をすべて月刊の百科事典購入に注ぎ込むという「優等生」だったのは、希有壮大な知識欲からだったと信じていたい。修学旅行時の配達を父親が代わってくれたことを思い出した。


映画「史上最大の作戦」の公開が1962年で、平凡社の世界大百科事典全26巻は1964-68年。山田太郎が「朝刊太郎というんだぜ」と謡った「新聞少年」は1965年です。

配っていた新聞は毎日で、店主が父の父親と定時制の同窓という縁だったそうです。そういえば、父が負担して甥っ子に毎日小学生新聞を読ませていました。

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