米山香音は泣かない
「はい、じゃあ隣の人と話し合って〜。」
気の抜けた先生の声。周囲の級友たちは一斉に隣の席と顔を突き合わせる。全くなんの躊躇もなく、ただ特に深くも考えていないが、なんとなく感想を言い合っている。
僕はこの時間が一番嫌いだ。
対話的な学びの促進だかなんだか知らないが、無理くり話させるこの時間が嫌いだ。
いや、少なくとも、つい最近まではそんなことを思ってはいなかった。ただの授業の時間潰しで、適当に話してさえいれば良かったのだから。
男女ともある程度話せるし、特に人見知りが激しい方でもなかったため、話すという行為自体に苦手意識を持ったことはなかった。それが変わってしまったのだ。
- それは2週間前のことだった。
クラスで席替えが行われた。別に希望もなかったため、くじ引きの結果今の席に至った。
担任の先生の飽きっぽさのせいもあったが、出席番号順の座席をわずか1ヶ月で変更してしまうという暴挙ではあったが、高校2年生というまだ子供心を忘れていない年頃である。席替えが嬉しくない訳はなかった。
文理選択後のため、クラスの過半数ははじめましてのスタートだったが、さほど尖った人間もいなければもちろん問題児なども居なかったため、クラス全体に馴染むのに時間は掛からなかった。
しかし、そのときはまだ気づいていなかっただけだったのだ。
席替えとなれば、当然周囲の人とのご挨拶になるのは常識である。例にもれず僕もそうした。
3方向への挨拶を済ませ、残るは左隣の|米山香音を残すのみだった。
米山さんは、いつも女子に囲まれているいわゆる女子に可愛がられるタイプで、身長の小ささとぱっちりと大きな目をしているせいか小動物のようにも見えた。
話したことはないが、傍目はテンションがそこそこ高い人に思えたし、実際に親友の大場佑果と休み時間にはしゃいでいる様子は何度も目撃していた。
それもあって、全く無警戒で、むしろ若干軽い気持ちで話しかけてしまった。
それがすべての始まりだった。
「米山香音さんだよね?話すの自体初めてだね!名前分かる?」
「・・・」
米山さんは固まってしまった。
伝わっていないわけではない。米山さんは、はっきりと聞き取っている。
なぜなら、話しかけた瞬間から目を全く逸したりしていないから。まっすぐこちらを見ているのだ。
口角が少し落ち、それでいて一向に開く様子のない唇を見て、僕は(名前、覚えてくれてなかったんだな・・・)と少し落ち込みはしたが、1年時は別クラスだったし、絡みもなかったしと自分に言い聞かせた。
「中山琢です!ちゃんと覚えてね!」
「・・・」
米山さんは真一文字に結んだ唇を数ミリも動かそうとしなかった。
茶化すように言ったのがいけなかったのだろうか?
もしかしたら、お前が話しかけてくんな的なあれなんだろうか?
頭の中でそんなことがグルグルと回るが、考えたところで答えが出るはずもなく、ただただこのまま時間が経過するのも宜しくないので、思い切った強硬作戦に移った。
「ねえ!米山さんはどこ中?好きな食べ物は?どんな音楽聴く?」
矢継ぎ早質問作戦だ。
しかもそこまで頭を働かせないでもいい程度の質問だ。例え僕のことが嫌いであっても答えられるくらいのレベルの質問だ。
しかし、米山さんから返答は返ってこなかった。
しかも、何故か口はフルフルと震えていた。
瞳がしだいに潤んでいき、ただ静かにそれを零したのだ。
僕は絶句した。そしてパニックに陥った。
なにか悪いことをしたのだろうか。もしかしたら顔が怖かったとかそんな理由なのだろうか。
「だ、だ、大丈夫!?な、なんで泣いてるの!?」
米山さんは静かに首を横に振るだけだった。
「お〜い、中山、なぁに泣かしてんだ。」
その状況だけを見ていた先生がそう茶化してきたせいで、一気に僕は悪者になった。
この状況だけを見て、“僕が米山さんに何かをして泣かせた”以外の構図を想像し得ないからだ。クラス中でひそひそと何か良からぬことを言われている気がしてならなかった。
「中山くん、大丈夫だよ。この娘ね、感情表現が全部“泣く”なんだよねぇ。喜怒哀楽もそれ以外も全部涙で現されちゃうからさ。だから気にしないで。」
席替えが終わった後、大場さんは僕にそう伝えてきた。
大場さんは米山さんと中学校から同じらしく、この状況には全く慣れっこだったようだ。
それならそうと早く言ってほしかったのだが・・・。
「いやぁ、中山くんの焦った顔見てたらフォローできなくてさ。何か、この世の終わり、みたいな顔しててさ。」
「いやいや、趣味悪いって・・・。」
大場さんは悪気なくそう言うと、まだ少し目の赤い米山さんの頭を撫でた。米山さんはまるで飼い猫がそうされているかのように目を細め、大場さんの方に頭を傾けた。
「きっと、初めて話すから緊張しちゃったんだよね。慣れてくればさ、直に話せるようになると思うよ。それに、中山くん良い人そうだし!」
「何だそれ・・・。」
大場さんはそう言うと、米山さんと「ねっ。」と目を合わせた。
米山さんは軽く首を縦に振った。どうやら話す意思はありそうだが、結局その日、僕と米山さんは一言も話すことができなかった。-
そしてそこからは毎日が地獄のようだった。
話そうとすれば毎回泣かれた。決して盛っているわけではない。本当に毎回なのだ。
クラスメイトや先生はその光景に慣れてしまっているようで、米山さんが泣こうがお構いなしという感じだったが、僕はそう簡単に受け止めることができなかった。
毎回毎回心がえぐられている感じがした。自分の中で初めて泣かれたあの瞬間から、心のどこかにトラウマのようなものを植え付けられてしまっているようだった。
「中山くん、なかなか喋れないねぇ。」
「大場さんがすぐ喋れるって言ってたんじゃないか。」
休み時間ごとに米山さんの席に来る大場さんは、僕にそう言ってきた。僕は茶化されたと思いそう返したが、大場さんは少し頬を膨らませ、首を傾げた。
「いやぁ、なんか変なんだよね。」
「何が?」
「いやさ、香音って、初対面の緊張で泣くとかは日常茶飯事なんだけど、こんなに何回も話しかけても泣くってないんだよね。どんな人でも1週間あれば話しかけられるようになるし。でもさ、もう2週間なのに香音の涙止まらないじゃない?ってことはさ、香音は中山くんに対して何かの感情を抱いているってことじゃん?」
大場さんはそこまで言うと、席に座っている米山さんに目線を合わせた。
米山さんは、その大きな瞳の中心に大場さんを映していた。
そして少しの間じっと見つめ合ったが、大場さんは「う〜ん。」と息を出して立ち上がってしまった。
「よく分かんないや、まあ、頑張って!」
「えぇ・・・。」
先生が入ってくると同じタイミングで大場さんは立ち上がり、そのまま席に戻ってしまった。
僕の中には煮えきらない変な思いだけが残り、あいも変わらず米山さんは、涙を零し続けた。
その数日後のことだった。
僕は日直(という名の雑用)として、全員からワークを回収し、名簿に丸をつけて先生に送り届けるという一番面倒な作業を行っていた。
2人1組の日直制度は部活動を免罪符に崩壊しており、その例にもれず、僕も一人でその作業を夕陽が差し込み始めた教室で行っていた。
すると、閉め切っていたはずのドアが開いた。先生か誰かだろうかと思って全く顔を上げずに作業をしていたら、僕の肩をツンツンと突いてきた。
米山さんだった。
無言で手を広げていた。
初めはなんのサインか全く分からなかった。
しかし、米山さんの視線でそれが何を指しているのか理解できた。
「手伝ってくれるの?」
米山さんは3度小さく首を縦に振った。
今にも涙が零れ落ちそうなのを我慢しているようだった。
僕は席をくっつけ、1/3を米山さんに預けた。
「ありがとう。」
米山さんは少し口角を上げた。
そして目線をワークに落とした。
絵になるな、とさえ思えた。泣いていない米山さんは、少し幼さの残る、でもどこか大人びた感じのある不思議な魅力を持った女性だった。
僕は見惚れてしまいそうだったが、目線をワークに落とし、せっせと作業を再開した。
流石に2人だと作業の進行はスムーズであり、当初思っていた半分ほどの時間で終わらせる事ができた。
「終わったぁ!!米山さん、本当にありがとう!・・・でも、なんで戻ってきたの?」
どうせ返答など返ってくるはずもない、と心のなかでは思いながらも、つい軽はずみに聞いてしまった。
米山さんはいつも通り大きな瞳を潤ませた。
しかし、この時だけは何かが違った。
米山さんは目に力を入れ、涙が落ちないように一生懸命だった。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「大変そうだったから・・・。」
スカートの裾を両手でギュッと握りながら、震える声でそう言った。
僕は、二重三重の驚きがあった。
しかし、せっかく話してくれたのだ。これを逃すわけにはいかなった。
「米山さんは優しいね。」
「・・・優しくない。優しいのは、中山くん・・・」
「僕は別に優しくなんてないよ。」
米山さんはものすごい勢いで首を横に振った。
「まともに話せないのに、頑張って話そうとしてくれた・・・」
米山さんはそう言うと下を向いた。
僕はそれを肯定することが出来なかった。
半ば僕の心は折れていた。ただ隣の席だから、という理由だけで話しかけていた。
でも、米山さんはそう思っていなかった。
それは過去との対比だろうか、僕には到底想像できなかった。
「米山さんだって、泣きながら僕のことずっと見てくれてたから。」
僕の精一杯の強がりと本音。
米山さんはブンブンと首を横に振った。
泣いていないという強がりか、それとも謙遜か。
その真意を知る必要も今の僕には無かった。
「ねえ、1つ聞いてもいい?」
「・・・うん」
「米山さんは、僕のことどう思ってる?」
それは僕がずっと抱いていたこと。
大場さんに言われたこと、そこから胸にずっとあったモヤモヤ。
そして、何より米山さんの涙の理由。
僕は今しか聞けないと思った。今聞かなければと思った。
米山さんのスカートの裾を握りしめる両手は小さく震えている。
顔は夕陽のせいか、やや赤らんで見える。
涙袋は大きくなっているが、涙は決して零れていない。
「・・・きだから。中山くんが好きだから。」
米山さんの瞳から頬へ流れたものは、決して涙なんて安いものではなかった。
僕は知った。
米山香音は泣かない。
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