03. 異例
シージュという男。
彼はスヴェルートニア王国軍において、すべてが異例である。
スヴェルートニア王国軍では軍属した時から姓を名乗ることは厳罰の対象となる。
『貴賤上下によって任は変わらず。適性によって任が変わる』という、初代軍団長の訓示によるものである。
とはいえ、誰がどの程度の家格か、皆、言葉にせずともわかっていた。
シージュ以外は。
入隊時の身辺調査は非常に厳格に行われる。
特に必要書類のひとつである推薦状は、身内以外による三名の身元保証人を必要としている。
場合によっては保証人の面談の場も用意され、政治的・宗教的・社会的・人間的に、信用するに足る人物であることの証明が求められた。
そういった背景にあって、シージュの身元保証人の欄には、スヴェルートニア王国現国王と臣籍降下した王弟で現辺境伯、王妹の降嫁先である公爵家の押印があった。
冗談のようなその面子に、試験官が戦地より辛いと溢しながら真偽を確認したところ、本物であると国王自らが証言した。
国のトップが身元を保証する人材でありながら、十三歳までシージュの存在は、国内外でほとんどと言ってよいほど知られていなかった。
間違いなく美丈夫に育ちそうな整った顔立ちと恵まれたその体躯に、王族の落胤かと噂されたが、風貌は似ても似つかない。
漆黒の髪に褐色の肌。
王族に連なるなら、必ず深紅が顕現するはずの瞳も、金がかった紫黒である。
そして、その過去は経歴上、十歳以前が白紙であった。
経歴に白紙の箇所があるものの、特例中の特例を認められ、十三歳という若さで入隊試験に筆記・実技ともに優秀な成績で合格。
スヴェルートニア王国軍第十師団に配属後、十五歳で大隊長、十七歳で師団長に昇進し、二十歳の現在は師団長着任3年目を迎える。
すべて、スヴェルートニア王国軍発足以来の最年少記録を更新した。
シージュの異例はまだある。
その最たるものが、彼の能力にあった。
シージュは疾走しながら、紫黒の目を瞬いた。
「スクード。《クイーン》はもうお待ちかねだよ」
「ひぇ。さすがに早すぎません?」
ヴァッフェがうっかり獲っちゃわ……ないか、終わっちゃうのは不味いかぁ、と独りごちるのは第十師団スクード連隊長である。
「魔術師団も一緒でしょうかねぇ」
「いや、十人隊だけ」
シージュは《今見ている》かのように答える。
吹き抜けの回廊階段をスクードと並走して登っていたシージュは、ポンとスクードの肩をたたき、スクードの後ろ2メートルほどの位置まで下がる。ついで軽く手を上げ、後ろを追走するスクード隊の十数人の兵士にさらに距離を開けさせる。
最上階にさしかかったところで、スクードの漆黒の甲冑と盾が銀色に発光するのと、蒼い閃光が周囲に走ったのがほぼ同時。
一拍置いて、轟音を伴った槍の突擊とスクードの盾がそれを受け止め、閃光をすべて吸収したのがほぼ同時。
衝撃でスクードは1メートル後方に押され、階段から転がりそうなところをシージュが受け止める。
ふ、と笑う気配とともにスクード隊を最上段から見下ろすのは、蒼い兜から揃いのように零れる蒼の豊かな髪に、泣きぼくろの美女。
彼女が半歩重心をずらした踵から、カツン、と高い音が鳴る。
「シージュ師団長。一緒にいらしたのね、道理で」
厄介な《目》だこと。
美女の口が綺麗な弧を描く。
「ヴェスカニーチェ師団長。出撃命令は」
スクードの後ろからシージュが問いかけると、ヴェスカニーチェは幅広大型な穂先を持つ長槍を軽く肩に担ぎ、後ろを差す。
後ろで「レメディオス軍団長より通達」と伝令が報告しているのが聞こえてくる。
「受けとりましたわよ」
わぁ、とスクードは呟く。
「さて、手短に。
何処ぞの若葉が第十に《戦術抜き》で師団同士の力比べを申し入れたそうじゃありませんか」
「はい?」
スクードは構えは崩さないまま、首を傾げた。
「――ええ、何も仰らないで。
無味乾燥の第一師団ですもの。力押しがどれほど通用するのか、この場を借りて試したかったのでしょう」
若葉ですもの、と慈愛の笑みを浮かべるヴェスカニーチェ。
「しかし、単なる力押しに終始しては、通常訓練と変わりませんでしょう?」
「……」
黙って聞いていたシージュが口を開く。
「だから第九をそちらに寝返らせたのですね」
えっ!とスクードが声を上げる。
通常、模擬戦用に師団ごとを振り分けた軍編成という条件下において、《戦術なしで攻め混む特攻》と同様《敵方に翻るよう工作した》例もない。
その条件を解放すれば、特定の師団同士で争ったり、一師団のみをやり込めようとする可能性も出てくるためで、必要以上に軋轢を生まぬよう暗に避けられていた。
スクードは瞬時に片手で後方に合図を出す。それを確認した最後尾の兵士が身を翻し走り去った。
「あら、《魂の形》とはこの距離でもわかるの。凄いわね」
「第九をのせた貴女ほどでは」
わざわざ伝令を潰してきたのに、とヴェスカニーチェは肩をすくめる。
「どちらにせよ、悲劇などより観たこともない喜劇にしたほうが、筆頭幕僚のお爺様はきっと気持ちよく家路につかれるのではないかしら?
特に今回は若葉の初陣とあって、お土産話をお待ちかねの方々も多いでしょう」
大体の流れはご理解いただけたかしら、と言うヴェスカニーチェに、シージュは紫黒の目を二、三瞬いたのち、口を開く。
「我々の平和のために」
「我々の平和のために」
ヴェスカニーチェも唱和し、槍を構えると、その刀身が蒼く輝きはじめた。彼女の周囲に放電現象が起き、足元からバチバチと火花が散る。
「今日はまた一段と絶好調そうですねぇ」
はは、とスクードが乾いた笑いを浮かべる。
シージュはスクードだけに聞かせるよう、低く囁く。
「スクード。俺はクーゲル隊に《跳ぶ》よ。何秒いけそうかな?」
「良くて3秒」
「充分だよ」
フェーズはZにルート変更だよ、と素早く告げ、シージュはスクードの背中を軽く前に押すと、吹き抜けに身を踊らせた。
ヴェスカニーチェはシージュに向かって雷撃を放つが、再び銀色に発光したスクードが剣で斬りかかり、閃光を吸収する。
ヴェスカニーチェは難なく受け流し、シージュの落ちた方を目線で追う。
スクードが二擊目を踏み込むと、ヴェスカニーチェは身を翻し、背後から現れた蒼い甲冑の兵士がスクードの剣を受け止める。
ヴェスカニーチェはその隙にシージュの後を追い――自らも吹き抜けに身を投げ、その両脚が青白く発光する。
落下しながら《何もない空間を蹴り》、先を行くシージュに斬りかかる。
果たして。
シージュの姿は霧散し、ヴェスカニーチェの斬擊は空を切った。
「ふ」
ヴェスカニーチェは微笑み、カツン!と踵を鳴らして着地した。
ヴェスカニーチェはその場でしばし足元を見――階上へと足早に戻って行った。
「可愛げのないカラス料理は、仕込みのしがいがありますこと」