17. 根源
シージュの《誘導》で、エスカフィーネが空間を繋げ、真っ白な空間から簡素な調度品のある部屋へ、視界が開ける。
「ここが作戦司令室で間違いございません?」
「大丈夫だよ」
城内において、国会議事堂を挟み、謁見の間とは対極に位置するこの部屋は、兵舎や武器庫と隣接しており、城門からも近い。
「べ、便利すぎますね……」
「謁見の間より防音結界が重ねがけしてあるし、何よりここのほうが椅子の座り心地がいい」
驚くヴァッフェたちの反応を余所に、シージュは椅子を引き、エスカフィーネを座らせると、自らも隣に座った。
それを見て、各自、着席する。
部屋中央に置かれた円形の机を囲むように、全員が向かい合う形となる。
「さて、ヴァッフェ様からご質問いただいた件の
ひとつ目。私が何処の誰なのか」
エスカフィーネが内緒話をするように、顔の前で人差し指を立てる。
「私は、エントフォールン大陸の北、ノスランティス大陸の北部に位置する《竜の神殿》の巫女を務めています」
「サラッと」
「竜!」
「存在しているんですか!」
クーゲルとヴァッフェが同時に『竜』に食いつく。
エスカフィーネはその勢いに目を丸くしたが、すぐに表情を笑顔に戻す。
ひとり冷静なスクードは、メモしていいですかぁ、と卓上の紙とペンを引き寄せ、カリカリと書き始めた。
エスカフィーネはそれを見やりながら、話を続ける。
「はい、いますよ。
――《淵源の書》にあるとおり、ある代の《人の王》は強大な力を手に入れました。
結果、《精霊》も《人》も、彼の手にかかり、多くの血が流れました。
明けの神が北の大地に《精霊》を移し、大陸ごとすべて隠し、十の使徒と神の子が大陸の北の《果て》に人の王を《魂ごと封印》しました」
「魂、ごと?」
「ええ。魂は転生します。
万が一、《記憶》とともに転生してしまっては、第二の悲劇に繋がるかもしれない。彼らはそう判断したのでしょう」
《記憶》は力ですから。
エスカフィーネはシージュを見る。
「そして、その《封印の地》の守りを、竜に託したようです。竜はほかの精霊たちと協力し、封印の地に神殿を建てた。
――それが千年前のこと」
「スヴェルートニア王国が建国した時期」
「そうです。
私はその神殿の近くで十歳の頃、拾われました。
その後、巫女に上がりました」
シージュは紫黒の目を瞬くと、少しの間、目を閉じた。
「俺には気にせず続けて」
シージュが目を閉じたまま言うので、ヴァッフェが悩んだ末に口を開く。
「そうであれば、シージュ師団長となぜそれほど親しく……?」
エスカフィーネは、ヴェスカニーチェにしたのと同様の《血の記憶》の説明をした。
「――すみません!俺の頭はもうとっくに限界です!」
クーゲルが机に突っ伏する。
《淵源の書》に始まり、
《人の王》、《霊力》、《魔王》、《精霊王》、《魔脈》、《魔穴》、《北の大陸》、《竜》、《血の記憶》……
「本日お初にお目にかかり光栄至極に存じ上げる単語が多すぎますよォ!」
「まぁ、思ったより我慢したよ、お前」
ヴァッフェがクーゲルの肩をたたく横で、スクードがカリカリと紙に書き込みを続けている。
「ううっ……あの《扉》が何で、どうやってエスカフィーネ嬢が旧ヴェルート城砦に来ることになったのかまで、全然辿り着かない……世界の危機とは一体……俺の理解は置いていってくださいィ」
「まだ真理の表層だ」
ガクリと項垂れるクーゲルにヴァッフェが相づちを打つ。
トン、とスクードがペン先で軽く紙を突いた。
「明けの神が精霊に霊力を、
暮れの神が人に魔力を与えた」
トン。
「精霊の血が流れ、霊力が凝り」
トン。
「人の血が流れ、魔力が凝り」
トントン。
「《精霊王》と《魔王》が産まれた」
クルクルと魔王に丸をつける。
「《魔王》がエスカフィーネ嬢だとすると」
「ええ」
「《精霊王》はシージュ師団長?」
スクードはクルクルと精霊王に丸をつけた。
「ご明察ですわ」
エスカフィーネは拍手をする。
「えっ!?」
「あぁ……」
《精霊王》と《魔王》のカップルって斬新すぎる!
震えるクーゲルと、頭を抱えるヴァッフェを放置し、スクードは続ける。
「そこ、腑に落ちないんですよねぇ」
「何が?」
「いや、見た目がね。ご本人たちを目の前にアレですけど。
精霊王のルーツは明けの神でしょう?
魔王のルーツは暮れの神でしょう?」
「それが?」
「……ヴァッフェ副師団長殿。やだなぁ、考えることを放棄したら第十師団では負けだっていうのは貴方の言葉でしょうよ。で」
スクードはシージュとエスカフィーネをペンで指差す。
「どう見ても、お二人、逆でしょ。
明けの白銀と、暮れの漆黒。
エスカフィーネ嬢が《霊力》を扱う《精霊王》のほうが、見た目的にはしっくりくる」
でも《魔王》なんですよねぇ。
スクードはじっとエスカフィーネを見る。
エスカフィーネは面白そうに、スクードを見つめ返すが、沈黙を保っている。
ずっと目を閉じたまま、寝ているかのように見えたシージュがカッと目を見開く。
「スクード……」
「ハイハイハイハイ、そういう意味で見てない見てない!」
俺もう、この係だけやってますからァ!とクーゲルが割って入る。
シージュは紫黒の目を、二、三瞬いた。
「スクードのその疑問はもっともだけど、すべてを明らかにするには、時代をさらに遡らせないといけない。多分気になってるだろうけど、どう産まれたか、とかさ。
そのこと自体は、今回の一連のことには直接には関係してない」
だから、話したくはないかな。
ややこしくなるから。
「でも、彼女が《魔王》で、俺が《精霊王》なのは間違いない、と言える。
……俺も彼女と会ったことで《血の記憶》が戻りつつある」
にわかには信じがたいと思うけど、とシージュは三人に向けて話す。
「……もうひとつ疑問はあって」
スクードが口を開く。
「シージュ師団長のその力は《霊力》による……《霊術》、と呼べばいいのでしょうか?それだったということですか」
「うん、そのようだ」
「《霊力》は《精霊》に顕現するんでしょう?
――シージュ師団長は『精霊』ですか?」
言葉を発するスクードの隣で、クーゲルが息を飲んだ。
「いや、正真正銘、人間だよ。
俺も彼女も《正しく人である》。」
「そこはあえて『精霊』であって欲しかったァ!」
キャッと騒ぐクーゲルの頭を、何でだよ、とヴァッフェが勢いよくはたいた。
その勢いでクーゲルは再び机に突っ伏した。
俺の上司、ダークエルフなんだぜェ、とか超格好いいじゃないですかァ、とクーゲルは顔を伏せたまま、ぶつぶつ呟く。
「ダーク……。うん、クーゲルの期待に添えなくて悪いけど、それは昔、王宮で検査済み。
あと、うん……。俺の場合は当てはまらないけど、《淵源の書》に《人の王》が《精霊》に子どもを産ませて、最終的に精霊を滅する力を得たってあったろう?」
シージュの言葉にスクードは頷く。
「《人の王》以外にも《精霊》と仲が深まった例がないわけではなくて。まぁ、《精霊》のほうが圧倒的に寿命が長いから、大抵あちらに引き取られたみたいで、人の世界に混血は極めて少ないけど、まったく居ないわけじゃない」
「つまり、シージュ師団長以外にも《霊力》を扱える人間がいるにはいると」
シージュは頷く。
「そう。逆に言うなれば、北の大陸……ノスランティスに《魔力》を持った《精霊》もいるということ」
「んん!?」
クーゲルが、ガバリと顔を上げ、反応する。
「え、つまりですよ。
精霊と人間はお互いに攻撃し合えないようにできてたんでしょう?
でも、混血だと、……できる?」
「今日一番冴えてるね」
シージュがにこやかに褒める。
「今日のピークが来たコレ!」
「さすが、生存本能に触れるところは間違えないな」
「ありがとうございまァす!」
「何か、いきなり、本筋に近づいて来たような……?」
ヴァッフェがげんなりした表情を浮かべる。
「うん。まず、《精霊》の大陸に《精霊王》の俺が誕生してないし、《人》の大陸に《魔王》の彼女が誕生してないところが」
不思議だと思わないか?
「仮に何かの手違いでそうなったとして、《人の王》にかつて同族を大量に殺された《精霊》はどう思うだろう」
《精霊王》が人の国に居て。
何らかの行動を起こしそうなものだよね。
「でも、我々は何も知らない」
情報はどこで止まっているんだろうね。
エスカフィーネも同意の意味を込めて頷く。
「……すんなり教えて頂けるとは思えませんね」
ヴァッフェが、口に手をあてる。
「しかも、今はエスカフィーネもこちらに来てるしね。
だからできることから早々にやろうと思う。
――ヴァッフェがエスカフィーネにした、質問のふたつ目を正しく回収しよう」
シージュがヴァッフェに片目を瞑ってみせる。
「さっき段取りを考えてたんだけれども」
シージュがスクードから、紙とペンを受け取り、サラサラと箇条書きで書きつけていく。
「あれ?ヴァッフェ、意外と静かだね」
シージュがチラリと目を上げ、紙を覗きこんでいたヴァッフェを見て笑う。
「いや、内心荒ぶっていますよ!
……それでも、やることがあったほうが、幾分いいです」
と、自分を慰めています。
ヴァッフェは苦笑を浮かべた。
ヴァッフェ、スクード、クーゲルの三人がそれぞれに振られた役割のために部屋を出て行った。
部屋にはシージュとエスカフィーネの二人になり、暫しの沈黙が落ちる。
「さて、俺たちも行こうか、と言いたいところだけど」
シージュは隣に座るエスカフィーネを軽々持ち上げ、膝に乗せた。
「ねぇ、エスカフィーネ」
「はい、シージュ様」
シージュはエスカフィーネの手を握る。
されるがままのエスカフィーネだったが、ふいに目の前のシージュの黒髪に顔を埋める。
「君、俺に隠し事してるでしょう?」
「ふふ」
「……ちょっと耳の隣で笑わないで」
くすぐったさにシージュは首をすくめ、エスカフィーネの顔を両手で包み、正面から見据える。
「何で君、十七歳なの」
紫黒の目に金色の星が光った。
エスカフィーネの碧にもまた同様の金色が映る。
「隠すつもりはありません。
……単純なことですわ。十から十三までの三年間、身体の時間を《供犠》にしただけです」
産まれたのは、もちろん貴方と同時ですわよ。
エスカフィーネはシージュの手のぬくもりに、甘えるように目を細める。
「それは、あの《扉》を作るため?」
「はい。それでも少し足りなくて。
経緯はどうであれ、あそこに《穴》があったのは幸運でした」
あれを逃すと、次が何時になったことか。
シージュは憮然とする。
エスカフィーネは、シージュの額に自らの額をコツンと当てる。
「だって私と貴方が一緒にいられる方法など、他になかったでしょう?
――軽蔑なさる?」
「するわけない」
ただ、とシージュは目を伏せる。
「人の身で賭けが過ぎる」
「貴方こそ、何を《供犠》になさったの?」
私は記憶の戻りがあまりに早かった。
「何かしたのでしょう?」
「君の助けになればと思って、『おまじない』をかけただけだよ?」
何も喪ってない。
「……そういうことにしておいて差し上げる」
至近距離でエスカフィーネはじっとシージュの目を見つめる。
碧の瞳は、金色の星が煌々と輝く。
その視線から逸らさず、シージュもエスカフィーネを見つめ返した。
暫時――
エスカフィーネは目を伏せる。
「これから先」
目を伏せたまま、呟く。
「貴方の一片たりとも、《渡さず》生きることが、私の望み。例え、貴方のすべてが手に入らなくとも、何かに貴方を委ねはしない」
シージュもまた目を伏せた。
『白昼の光に、闇夜の深さがわかろうか
月の朧に、陽の真成さがわかろうか』
「……シージュ様?」
シージュの沈黙に、エスカフィーネがいぶかしむ。
「――渡しはしないよ。《真理》にも」
シージュが再び開いた瞳は、昏く底の見えない闇の色だった。
エスカフィーネがハッと目を見開く。
闇の色が碧を映した次の瞬間、シージュはエスカフィーネの唇を掬い上げるように、深く深く噛みついた。