13. 脈
――コンコン
控えめに扉がノックされる。
シージュが頷き、クーゲルがサッと立ち、扉を開く。
「これは、エインニック師団長。いかがなさいましたか」
「今、シージュ師団長は大丈夫だろうか」
第九師団に属することを示す白に銀の刺繍が施された制服を、首元は大きく開き、緩く着こなす細身で小柄な男が立っている。
顎の下で切り揃えられた髪は老人のように白いが、まろびて柔らかそうな頬をしており、年齢がまったくわからない。
「どうぞ」
「カイエも一緒だ。邪魔をする」
後ろから、もう一人。
エインニックと同じ制服で、顔に沿う銀の巻き毛に非常に整った中性的な顔立ち。
書類を持つ手と身体のラインから女性とわかる。
「すまない。本当は謁見の前に話したかったのだが」
「魔力酔いだったとか。お体は大丈夫ですか」
シージュが立って椅子を勧める。
「大事ない。シージュ師団長」
クーゲル、スクード、ヴァッフェも起立しており、カイエにも椅子を勧めるが、エインニックは手で制す。
「模擬戦の件、謝罪する。第六から話を聞いて、あの時は是としたが、……悪しき例を作ってしまった」
「謝罪など不要ですよ。
より実戦に近い緊張感があり、言い方は悪いですが、面白くなるところでした。
しかし、気になさるようでしたら、謝罪を受け入れます」
シージュは両手を軽く挙げる。
「感謝する」
エインニックは軽く握った拳を胸に当てる。
「まぁ、我々は何もできなかったが」
苦笑するエインニックにクーゲルは目を泳がせる。魔力酔いの症状があった第九の動員部隊をクーゲル隊が容赦なく無力化してしまったので、若干後ろめたい。
口元に薄い笑みを湛えてクーゲルを見るカイエに気づき、クーゲルの背中から汗が噴き出す。
エインニックはそれらの様子には気づかない振りをし、エスカフィーネに顔を向ける。
『第九師団を預かるエインニックと言う。
こちらは副師団長のカイエ。
休憩中に申し訳ない。
私の言葉は問題なく伝わるだろうか?』
「『お心遣いに感謝いたします』
お言葉は問題ありませんわ」
上代の言葉から、現代語に途中で切り替え、エスカフィーネは礼を取る。
「エスカフィーネと申します」
エインニックとカイエは目を見開いた。
先ほどの会で、エスカフィーネは国王にすらまだ名乗っていない。
「出し惜しみをしていたわけではないのです。
しかし話の流れ上……礼を欠いており失礼いたしました」
二人の胸中を読んだかのように、エスカフィーネが頭を下げる。
「いや、意味があったことだろうと、お見受けする。不勉強な人間が多く、話は本題に入ることすらできないのだから」
エインニックは首を振る。
「休憩時間は残り少ないが……先に。
――シージュ師団長。今までの非礼も詫びさせて頂きたい」
「……それこそ心当たりはありませんが」
シージュは首を傾ける。
他の第十の面々は目を丸くした。
「唐突に何をと思われるか。貴方はそういう人間だが、周りはそう思ってはいないだろう。
魔力が少ない第十を、ずっと第九は蔑んできた」
エインニックが俯くと、切り揃えられた髪がサラリと顔を隠した。
「エインニック師団長ご自身からそのような扱いを受けた記憶はありません」
謝罪など不要です、とシージュは首を振った。
「横から差し出がましい口を出しますが――エインニック師団長はずっと気に病まれていたのです。魔力の多少で格付けされるような風潮が」
カイエが口を挟む。
「結局、魔力が多くあったところで、その人間の人格や品位――、業とはまったく関係ない。
此度のことをきっかけに、それが顕になりましょう」
《選民思想》は恐ろしいほどに根深いです、と手に持っていた数十枚の書類を机に置き、並べていく。
「それは?」
シージュが問うと、エインニックは書類から一枚抜き、シージュに手渡す。
「……先ほど、急遽持って来させた。
《魔脈》の地図だ」
「魔脈!存在していたんですか」
思わずといった風にヴァッフェが声を上げる。
「眉唾の類いかと……」
「昔から魔力量の多い者は薄々感じとっていた。
現在、国としては第二級秘匿事項だ」
エインニックが振り返って皮肉気に笑う。
「あちらの束は、ここ十年の記録だ」
「そんなものが……」
ヴァッフェが口に手を当て、机に置かれた紙を凝視する。
紙面には、《機密》と真っ赤な文字が浮かぶ。
カイエがヴァッフェに、最新版の写しです、と紙を手渡し、ついで、他の面々にも手渡した。
シージュとエスカフィーネはお互いに一瞬目を合わせた。
エスカフィーネは扇で口元を隠す。
「防音結界はよろしいのですか」
シージュが問うと、エインニックは首を振る。
「機密扱いは今日までのことになる」
「……あのぅ。
すみませんが、どなたかマミャクについてご教示いただいても……?」
「スヴェルートニア王国の地図上に、赤い線が多数記載されていますが、河川……ではないところもありますね」
話についていけないクーゲルとスクードが控え目に口を開く。
「魔脈とは地中や地表、あるいは河川の中を走る《魔》の流れです。公には、おおまかに大地のエネルギーと表現されます」
カイエが説明する。
「我々の血の中を魔力が流れているように、魔力は水で散り、風で止まると考えられています。
――動物が地に還るとき、魔力もまた地中に流れ落ちる。蒸気となって天に昇り、雨となってまた落ちる。自然界にも、魔力は循環していることがわかっています」
自然界の魔力は、動物の体内ほど純度が濃くない分、計器にかけないと気がつかない水準だが、とエインニックが説明を引き継ぐ。
「……これは魔術省長官からのトップダウン案件だ。魔力の高さと機動力から、第九に協力要請があり十年前から噛んでいる。
そして、他にも、元老院の数名が噛んでいそうだ」
なお、とエインニックは声を落とす。
「陛下もご存知だとは思う。スタンスは不明だが」
「……どうして我々にこれを?」
シージュが静かに問う。
「それを見たらわかるだろう?
我々はこの十年、《意図的》に各地の魔脈の流れを変えてきた」
地形を変えたり、魔術を行使したり、試行錯誤の結果だ、とエインニックの口は幼げな顔立ちに似つかわしくない弧を描く。
「十年以上前から、民間で似たような研究が成されていたらしいが、国が巻き取った形だったようだ。
そして、つい先週の最新版でようやく第一段階の達成を見た。
各魔脈の集結地は、ここ」
エインニックが指差す。
「旧ヴェルート城砦だ」
「……内容は良く理解できませんが、香ばしい臭いしかしない」
俺たち話を聞いちゃって、消されたりしないですかァ、とクーゲルが乾いた笑いを浮かべて言うと、エインニックは表情を少し緩める。
「第二級秘匿事項は今日までのことだと言ったろう?
私は後の会でこのことを公にするつもりだ。
此度のことに影響がないと、とても言えないこのことが伏せられたまま話が進んでも、時間の無駄になろう。
――だが、すんなりと発言させてもらえるとも思えない。故に、先に第十に提供しにきた」
クーゲル大隊長より私の息の根を止められるのが先だ、とエインニックは肩をすくめた。
「魔脈が集結、集束?……と言えばいいのでしょうか。そうなると、どうなるのですか」
スクードの質問にカイエが答える。
「魔脈はそれ単体では接しても、何ら影響はありません。
しかし、一定以上集束すると、エネルギーが大地から噴き出す地点となる。
我々はそれを《魔穴》と呼称しています。
《魔穴》では、直接、魔力の恩恵を受けることができる」
「恩恵……というのはつまり」
事を理解し、スクードの顔色が変わる。
「単純に言えば、魔術の規模、威力、精度が上がります。しかし、不明なことのほうが多い」
目下、検証中なので。
カイエはそこで大きく息を吐いた。
「ついでに言えば、今回のスヴェルートニア王国軍の軍事演習こそ《検証》の場でした」