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原始の娘  作者: 日和純礼
白昼の冥、闇夜の光
13/25

12. 昔話

 結局、軍関係者を含め、原文を読める人間は全体の一、二割程度だった。ヴェスカニーチェが発言し終わるのと同時に、退室していたヴァッフェが文官たちと共に上代語の辞書や紙、ペンを持ち込み、必要だと言う人間に手渡した数から推測された。


 ヴァイアーが入室して、まだ三十分ほどだったが、資料を写し読み、仕切り直すということで、休憩がもうけられた。

 控えの間に飲み物を用意した、と侍従が声を掛けるのを聞き、ヴェスカニーチェは席を離れる。


 ヴァイアーのほうを見ると、議員に詰め寄られているが、先ほどの動揺が嘘のように上手くあしらっている様が見て取れた。


 陛下は《淵源》を問題なくかわされるだろう。

 問題なのはむしろ――


 踵を返し、ヴェスカニーチェは周囲の様子をざっと伺ってから控えの間に向かう。

 それを見たフィーニスが、彼女を追いかけた。


「姉上」

「フィーニス」

「今よろしいでしょうか」


 ヴェスカニーチェは頷き、控えの間に用意された椅子の一角に向かって歩く。


「何かしら?」


 席に座ると、侍女が紅茶を給仕する。

 それを見ながら、フィーニスは二人の空間だけに、さりげなく防音結界を張る。

 侍女にすら展開を気づかれない精度であり、ヴェスカニーチェはそれに気づいて、片眉を上げる。


「また器用な真似を」


 口元を見られると何を話しているのか、見るものが見ればわかってしまう。

 フィーニスの結界は、結界対象の音声と視界を正しく認識できない妨害を施す。


 今はあからさまに密談している風ではなく、なんとなく聞こえにくい、見えにくい、というレベルで展開している。


「行くべきは幕僚部でなく、近衛師団だったのでは?」


 ヴェスカニーチェは揶揄する。


「中枢で秘密を抱えた方々の助けとなるでしょう」

「一日で倒れろと?」


 俺ひとりで間に合わない、とフィーニスは大袈裟に両手を挙げてみせる。


「時間もないので。

 ――身体のメインテナンスの時期です。近々、一日あけて、本邸に戻ってください」

「結界まで張って何かと思えば。

 もうそんな時期なのね。わかりましたわ」

「……本当はすでに痛むのでしょう?」


 フィーニスは労るようにヴェスカニーチェの脚を見る。


「いいえ。……本当ですわよ」


 ヴェスカニーチェは紅茶に口をつけた。


 疑わしげに見ているフィーニスだったが、ため息をひとつつき、表情を固くする。


「姉上はむしろ彼女に文句を言いたい立場なのでは?なぜ庇うのです」

「庇ったというつもりもないのだけれど……、彼女に文句を言う?わたくしが?どうして」

「……どうしてとは」


 ヴェスカニーチェは面白そうにフィーニスを見る。


「大体、彼女の正体はまだわかっていないでしょう?

 裏付けのない憶測など、貴方らしくもない。

 ……貴方は、よく回る頭と口があるのに、わたくしのことが絡むと、途端に目が曇るのね」


 ヴェスカニーチェは少し困ったように、優しく窘めた。


 明らかに気を許した者へ見せる微笑み。


 フィーニスはそれを見て、一瞬眩しそうに目を細めた。


「もし、貴方が予想する方だったとしても――わたくしは、文句どころか罪の意識で震えていてよ」


 裁いていただきたいくらい、と自嘲するように彼女は笑う。


「姉上。馬鹿なことを」

「そうかしら?

 ……無ければ無いで仕方ない、と。

 あの男のように別の道を模索することもできた筈なのに」

「貴女が背負う罪ではないでしょう!」

「ではお母様が背負うの?それとも《青の公爵家》が?」


 ヴィルニスにそれを背負わせたくはないわね、とヴェスカニーチェは目を伏せた。


 可愛い我らの弟は、すでにすべてを覚悟の上ですよ。

 そして俺も――


 フィーニスはヴェスカニーチェを見る。

 眼鏡越しのその瞳には、薄青色の炎が揺れていた。


「俺は貴女を苦しめる存在を許しませんよ」

「仕方のない人」


 この話だけは、いつまでもどこまでも平行線ね。


 ヴェスカニーチェは苦笑する。


「言っておくけれども、《淵源》を恨むなど、見当違いも甚だしくてよ。そうでしょう?与えられた事実を、どう解釈するかはその人次第なのですもの」


 ヴェスカニーチェは立ち上がる。


「わたくしはもはや誰も何もかも恨んでなどいない。ただ間違いは正さねばならない」

「姉上!」

「時期がくれば、この歪んだ魔力を《淵源》に御返しする。可能かどうかはわからないけれど」


 本邸に帰る日程が決まったら連絡するわ、と言い残し、軽く手を振ってフィーニスの結界をはらうと、ヴェスカニーチェは謁見の間に戻って行った。


「……絶対に許さない」


 姉上の一部を欠いたすべてが。

 あの美しい人を慟哭させた世界が。


 フィーニスの目の前にある紅茶は、口をつけられることなく、静かに冷めていった。





 ヴェスカニーチェが謁見の間に戻ると、ひとりで椅子に座っていたヴァイロイトが声を掛けた。


「フィーニスは?」

「お茶を頂いているかと」

「アイツ、相変わらずお前を追いかけてんのな」


 ここからでは姿の見えないフィーニスを窺うように、少し呆れた口調でヴァイロイトは言った。


「第一で副師団長までになったのは、姉と並び立ちたいのか、近衛に行くためのキャリアかと思ったが」


 なぁ、と立ったままのエスカフィーネを見上げる。


「幕僚部に引き抜かれたのは間違いなく大出世……なんだが、何を目指してるのやら」

「わたくしとしては、家を継いでくれるとばかり。あの子の考えていることは解りませんわ」


 わたくしを探っても、何も出てきませんわよ、と言うように、ヴェスカニーチェはヴァイロイトを軽く目で牽制する。


「ヴァイロイト様こそ。……まだ手を出されているのですか。以前より気配が」

「あぁ!皆、あんなに真っ白な天使だったのにな!」


 ヴァイロイトはわざとらしく天を仰ぐ。


「昔、お前が『ヴァイロイト叔父様となら結婚を考えなくもない』とか言って、フィーニスが俺に手袋を投げてきたことあったよな。笑いながら相手をしてやったら、アイツ、結界の中の空気を抜くとか、本気で俺を落としにかかりやがって」

「ヴァイロイト様ったら」


 ヴェスカニーチェは可笑しそうにコロコロと笑った。


「言動まで、すっかり『おじさま』になって」


 ヴァイロイトは胸部に剣が刺さったような顔をした。





 遠い昔、

 太陽を司る明けの神様と、

 月を司る暮れの神様がいました


 明けの神様は白銀の、

 暮れの神様は漆黒の、

 とても美しく優しい神様でした


 明けの神様が正義と誇りを照らし、

 暮れの神様が安寧と休息をもたらし、

 人々は神様たちが大好きでした


 二神はお互いに会いたいと願うようになりました

 しかし、時が交わらない二神は、会うことが叶いませんでした


 二神は哀しみ、涙を流すと、

 それが地上に降り注ぎ、人々の口に入ったのです


 神の雫には《魔力》があり、

 多くが口に入った人は大きい魔術が

 少しだけ口に入った人は小さい魔術が

 使えるようになりました



――『エントフォールンの神様』より





 第十の面々とエスカフィーネは、控えの間のさらに隣の、侍女の控え室に移動していた。


 椅子に座るエスカフィーネは、ヴァッフェから借りた民話の本を閉じる。


「この本が国内でおよそ標準的なものです」


 机を挟んで、エスカフィーネの向かいに立ったヴァッフェが、別の本を手に取る。


「後は、雫をたくさん口に入れた者は、より神に愛されていたとか……そういった尾ひれ、背びれ、胸びれまでついた類いがごまんとあります」

「よくご存知なのね」


 エスカフィーネが感心したように言うと、ヴァッフェは少し恥ずかしげに顔を掻いた。


「父が太陽教会の司教だったこともありますが、子どもの頃から、神話に興味を持って読み漁りまして。

 神を知り、神に愛されれば、魔力が上がるのではないかと。

 ……そうすれば、皆にも認めてもらえるのではないかと。

 今は、単純に神話蒐集が趣味ですが」


 仕事に活きる日が来るとは、と苦笑した。

 エスカフィーネは目を細める。


「可愛げのある時期もあったんですねぇ」


 ヴァッフェの隣で椅子に座るスクードが茶化す。

 今も充分可愛いですよォ、とさらに隣に座るクーゲルが口を挟んで、ヴァッフェの眼光が一転鋭くなる。


「《精霊》も《霊》も見事に記載がありませんわね」

「十の使徒の話はないのかな」


 スクードの向かい、エスカフィーネの隣に座るシージュが問うと、ヴァッフェは机に積んだ別の本を取り出し広げた。





 大地が揺れ、天が墜ちるかと民は怯えた

 そのとき、天から舞い降りたるは十の使徒


 第一使徒は『親愛』の紅蓮

 第二使徒は『正義』の真朱

 第三使徒は『礼節』の鬱金

 第四使徒は『信念』の翡翠

 第五使徒は『英知』の深碧

 第六使徒は『勇猛』の天空

 第七使徒は『美麗』の瑠璃

 第八使徒は『巧緻』の滅紫

 第九使徒は『調律』の白銀

 第十使徒は『豊潤』の漆黒


 世に理を、悦びを、誉れを

 力を尽くし、魂を尽くす

 始末と再生と構築を


 人々の平和のために



――『スヴェルートニア王国の成り立ち』より





「これぐらいですかね。

 歴史書や神話の類いに、あまり詳細が出てこないんですよ」


 民話では人気の題材なんですけどね、とヴァッフェは首をかしげる。


「およそ勧善懲悪の英雄の役どころばかりで、天から来て天に還るパターンです」

「第一から第十の各師団は、各使徒様の色を戴いているんでしたよねぇ。詳細がわからない方々が由来だったんですか」


 考えづらいですけどねぇ、とスクードがのんびりした口調で言う。

 シージュは紫黒の目を瞬く。


「そうだな」


 第一が『親愛』とか笑い話ですよォ、とクーゲルが口を挟む。


 スヴェルートニア王国自体は、王家の《紅》を尊んでいる。意匠に《紅蓮》を掲げる第一師団は、軍の中でも、将来を有望視される者が多く配属されることを、ヴァッフェはエスカフィーネに簡単に説明する。


 どういう意味の有望視ですかァ、とクーゲルがケラケラ笑う。ヴァッフェはクーゲルを完全に無視し、エスカフィーネに向き直る。


「エスカフィーネ様がお知りになりたいのは、現スヴェルートニア王国の『二神』、『十の使徒』、あとは」

「『人の王』ですわ」

「それなんですが」


 ヴァッフェは一呼吸おく。


「記録にありません」

「まったく?」


 シージュが問うと、ヴァッフェは肩をすくめる。


「私も自分の手の届く範囲でしか知識がありませんので、王立図書館で魔術検索してきましたよ。

 千年前、スヴェルートニア王国が建国される以前の、『人の王』と言う単語では出てきませんし、先にシージュ師団長に見せて頂いた《淵源の書》に出てきた『霊力』も出てきませんでした。

 逆に《精霊》は出てきすぎて絞れませんし」


『幽霊』と同じレベルで、見たことある人はいませんけれど、とヴァッフェは言うと、椅子に座り、手前にあったお茶を口にする。


 それを見た各々が、思い出したかのように、お茶を手に取った。


「《淵源の書》の存在自体、私は知りませんでした。まだ触りしか読んでいませんが、なぜ『人の王』が他にまったく出てこないのか」


 大抵の場合、神話上の登場人物は其処此処で見るものです、見た目や名前を変えていても、とヴァッフェはお茶に視線を落とす。


「それに《神の名が記されている》のもあの書だけ。違和感しかありません。

 ――太古より神の《名》にはそれ自体に力が宿り、昔の《魔術士》は神の《名》を借りて力を奮うこともあったそうではないですか。

 きっと二神の《名》に今も《力》が宿っての禁書扱いでしょう?怖すぎます」

「あら、本当によくご存知」


 心の底から驚いたように、エスカフィーネは碧の目を瞬いた。


「父の教会の書斎が遊び場だった時期に、こっそり禁書も読みまして」


 酷い目にあいました、とヴァッフェは遠い目をした。


「いずれにしても、かなりの駆け足だったため……ご意図に沿えたかどうか、精査できずに申し訳ありません」


 優秀でしょう?副師団長殿は、とシージュは微笑みながら、会話に割り込んだ。


「しかも強いんだよ。体躯に恵まれているし出来すぎだよね。部下からも慕われてるし、女性からもよく声を掛けられているようだよ」

「……嫉妬の裏返しが分かりにくすぎますよ」


 褒めて褒めて殺すとか何、とヴァッフェは冷めた目をシージュに向ける。


「《淵源の書》が正しい史実であるなら、今伝わっている話は、誰が創作したんでしょう。

 それに、閲覧者がかなり限定されていたとしても、誰の口にものぼらなかったことが、不思議ですねぇ」


 スクードが考えながら言うと、シージュが頷いた。


「誰の創作かはわからないけれど……どうして《神の名》が広まらなかったのかは、魔術検索を弄ってる上に、禁書を収めた建物ごと、魔術を展開させてるのかもしれないね」


 情報を持ち出せないように、入館者の魔力に働きかけるんだろうね、と言う言葉にヴァッフェがむせる。


「王立図書館に?魔術を?」

「もちろん、持ち出せない情報はごくごく限定している筈だよ。多くを学びに来た人間が手ぶらで帰れば、不審に思う者は出る」

「そんなことが可能なんですか?」

「この王国の方々は産まれたときに、《名》と《血》を登録するのでしょう?」


 エスカフィーネが口を開く。


「神の《名》だけが特別なのではなく――実はそのふたつがあれば、大抵の人に《干渉》できますのよ。皆様が思っている以上に」


 特定の技術が必要ですけれども、とお茶を置く。


「王家の方々は、大きなリスクも負っていますわ。十の使徒といい、何があったのでしょうね」


 頬に手を当てて言うエスカフィーネの斜め向かいで、お茶を流し込まれたクーゲルの喉が、ゴキュリと大きな音を立てた。


 過去はおいおい調べるとして、直近調べないといけないのは、とシージュは紫黒の目を瞬く。


「《淵源の書》の閲覧履歴や、魔術検索履歴は残っているだろうけど、王立図書館は国の機関だからね」


 調べるには最終的に陛下の許可がいるよね、とシージュは腕を組む。


「北は?」

「流石に時間が足りません。

 直接的な介入、に関しては、三年前に閉鎖されたノスヴェルン軍港の停泊記録も、勿論、出港記録も、調べるには手続きが必要です」


 軍関係者とも限りませんし、とヴァッフェは肩をすくめる。


「偶然、到達したということは考えられない」


 エスカフィーネは扇を広げる。


 何故《介入》できたのか。


 シージュは呟く。


「何かを契機に《呼ばれた》のかな」

「……すみません、俺にはサッパリ話がわかりませんけど、もし別の大陸に《介入》など、それほど大掛かりなことが起きたら、どこかしら何かしら漏れそうなものですがね」


 ヴァッフェが唸る。


「……普段、嫌われている師団だと、こういう時に情報のツテが少なくて、不便ですねぇ」


 スクードがしみじみ言うと、今なら元老院の誰かに聞いて、教えてもらえないかな、とシージュがカラリと笑う。

 クーゲルがついに、勢いよく挙手する。


「我慢できずに質問します!何が起きようとしてるんでしょうかァ!」


 さっぱりわかりません!


 シージュはクーゲルに向かって、指を三本立てた。


「可能性が三つ。

 ひとつめ。天災級の良くないことが起きる」


 指を一本折る。


「ふたつめ。人類滅亡級の良くないことが起きる」


 指をさらに一本折る。


「みっつめ。どちらの良くないことも起きる」


 クーゲルは挙手したままの手をゆっくり下ろした。


「冗談でしょ?

 それ、シージュ師団長が言うと洒落にならないヤツ……」

「大丈夫大丈夫」


 シージュは紫黒の目を瞬いた。


「我々の幸せは来世に持ち越しさせないよ」


 絶対にね。

 シージュは微笑みながら、エスカフィーネを見る。エスカフィーネもしっかりと見つめ返し、にっこりと笑った。


「愛は世界を救う」


 ぼやくクーゲルの肩を、スクードが軽く叩いた。

 幸せそうだからいいじゃないか、とヴァッフェは些か投げやり気味に言った。


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