11. 様式美
「そろそろ、よろしいでしょう」
厳めしい顔をした、ヴァイアーの一番近くに座る、恰幅のよい白髪の初老が挙手をする。
「私はサンテスマ・パヴェロ。このスヴェルートニア王国元老院議長を務めさせていただいております」
エスカフィーネに向かって、立ち上がり礼を取る。それなりの年齢だろうに、充分な筋力を感じさせる所作だった。
「サンテスマ・パヴェロ」
勇むな、とヴァイアーが声を掛ける。
「陛下。これ以上、彼の方に触れず話を進めるのは些か無理がありましょう。この場に居る者は皆、御言葉を待っております」
年寄りは老い先短くせっかち故に、とヴァイアーに向き合う。
「五年前のエントフォールン大陸休戦協定以降、他国との争いはなく、外交はようやく安定したところではあります。しかしながら十年程前からの狂化獣や魔物の増加で、民の心は常に不安で揺れております」
サンテスマはエスカフィーネを向いた。
「此度のこと、天が我が国に救いを遣わしてくださったのではないかと。御光臨に立ち会えた奇跡を王都民は皆、喜んでおります。貴女様にお会いして確信いたしました。その清澄なる魔力……なんと神々しい」
サンテスマは少し震えているようだった。
エスカフィーネは扇で顔を隠したまま、ヴァイアーを見た。
ヴァイアーは何とも言えない表情である。
エスカフィーネはシージュに目線を送ると、シージュは頷いた。ちょうどシージュの後方にある扉から、ヴァッフェが紙面を抱えて入ってくるのが見える。
「……御光臨の際、御迎えしたというその者……毛色が変わっており見目はよろしいかも知れませぬが、女神の加護を受けぬ《魔なし》でございます。その点、我がパヴェロ侯爵家は歴史を遡ること五百年――」
サンテスマの話は流れるように続く。
様式美の極みだな、と感心したようなヴァイロイトの呟きが聞こえた。
どこか、しんとした空気が流れる。
エスカフィーネは微笑みながらサンテスマの話を聞いていた。
そこへ紙面が回ってくる。
ヴァッフェが持ち込んだものであった。
シージュの持つ紙面の内容を横目で確認したエスカフィーネは、サンテスマが自分の孫の売り込みを始めそうなところで、パチリ、と手に持つ扇を閉じた。その音は存外、この空間によく響いた。
全員がハッとしてエスカフィーネを見る。
「恐れながら、この場で発言するお許しをいただいても?」
ヴァイアーが頷く。
エスカフィーネはスラリと立った。
「お話、大層興味深く拝聴させていただきましたわ」
「は!お許しくだされ。つい、女神を前に地に足つかぬ言動を続けてしまいました」
エスカフィーネはにこりと微笑む。
「甚だ浅学非才の身でございますが、この場で発言すること、どうぞお許しください」
エスカフィーネは美しいカーテシーをヴァイアーに向けて見せた。
「私が何者か、とご説明する前に、大変失礼ながら、いくつか質問させていただけますでしょうか?」
ヴァイアーが頷きを返す。
「寛容な御心に感謝いたします。
――まず、ここにいらっしゃる皆様は、北に大地があることはご存知でしょうか?」
場のおよその人間は、突飛な話題に訝しげであったが、ヴァイアーだけは顔色を変えた。
「北に大地?
島国はともかく、大陸はこのスヴェルートニア王国のあるエントフォールン大陸しかないはずだが」
サンテスマが答える。
エスカフィーネは碧の目を二、三瞬き、ゆっくりと周囲を見渡した。
「わかりました。
では、《淵源の書》はご存知でしょうか?」
「……我が国では、三百年前から禁書としている」
ヴァイアーの顔が強張る。
「閲覧できる者も限りなく絞っている。
それ故、ごく一部の貴族以外、内容を知っているものは、居ないはずだ」
「なるほど。そうやって彼の地を守ったのですね。《力》が消えたとしても、そもそも記憶から消すことで」
「エスカフィーネ嬢」
ヴァイロイトが横から声を掛けるが、それに構わず、エスカフィーネはヴァイアーに向き合う。
「スヴェルートニア王国第41代ヴァイアー国王陛下。
陛下の一族が、血盟を以て、永きに渡り誓言した忠誠と献身に偽りはなかったはず。
しかし、此度のこと、シージュ様の出現で想定はされておりませんでしたか?」
エスカフィーネを恵みをもたらす女神と思っていた面々が、何やら審判が下されるかのような話の流れにざわつきはじめる。
それに対し、エスカフィーネは微笑を浮かべる。
「私はただ、この状況が、本意でないのです」
エスカフィーネは碧の目を二、三瞬く。
「残念ながら、《果て》に介入を試みている者がこの国に居るようですが?」
ヴァイロイトが、馬鹿な、と声を上げる。
「恐らく十年程前から。
軛は綻び――、ついぞ壊れてしまった。そのため、《扉》が開き私が参ったのです」
エスカフィーネはシージュから紙面を受け取る。
「ここにあるのは、《淵源の書》の写し」
「エスカフィーネ嬢!」
ヴァイロイトはついに席を立つ。
「別に場を用意しましょう。それは危険です!」
「ヴァイロイト様」
シージュがヴァイロイトに声を掛ける。
「もう少しだけ彼女の思うままに」
「シージュ!」
「控えろ」
「陛下!」
「ヴァイロイト様は事の重大さがお分かりになっているのですね。しかし、貴方は貴方で軛を壊す《手伝い》をなさっていた自覚はないご様子」
「私が!?」
エスカフィーネはヴァイロイトを見ずに、閉じていた扇を開き、口元を隠す。
「人に残された時間は多くはない」
ただならぬ空気に、各々が様々な思惑を以て場を見守っていた。
その時――
「陛下!その者の話、本当に聞く価値などあるのですか!」
アジェンテ師団長が勢いよく立ち上がり、声を上げる。
「ただ訳のわからぬことを言い、場を混乱させているだけではないですか!」
「アジェンテ、何を言い出す!」
サンテスマが叫んだ。
祖父と孫との様式美……と小さく呟くクーゲルの声が聞こえた。
「《魔なし》の側に居ることがその証拠!」
「アジェンテ!」
彼の方の神聖な魔力がわからないのか、とサンテスマは悲鳴を上げる。
見かねたヴァイアーが口を開きかけると、その前にヴェスカニーチェが挙手し、口を開く。
「皆様」
スラリと立ち上がり、場を見渡した。
「些か冷静さを欠いておられるのでは?」
静かに話しているにも関わらず、底冷えするような圧を感じる。
サンテスマとアジェンテは、ピタリと口を閉じた。
「まだエスカフィーネ様のご発言は終わってないのでは?いかに貴き身分の方々でも、淑女のお話を遮るのは」
――児戯に等しいこと、と見流し、口元に手をやる。
「次にその口を開かれる前に、お手元に回された紙面をお読みになることですわ。
正直に申し上げて、わたくしは《淵源の書》の存在を知っており、また過去に読んだことがございます」
ヴェスカニーチェは手に持つ紙に視線を落とす。
「《淵源の書》自体に《力》がある危険な書。ですから古代の魔術書の類いで、禁書に指定されていたのとばかり」
エスカフィーネに向き、ヴェスカニーチェは続ける。
「しかし、どうやら史実であった、と察しましたが、いかが?」
「ええ」
「――であれば、これから明かされることは、今までの価値観を覆すような内容になるでしょう。
それが、此度の異変、昨今の異変に関わっているとあれば、今すべきことは、この資料を急ぎ読むことではなくて?
エスカフィーネ様がどのような身分か端的に聞いても、前提のわからない者は理解できないでしょう」
ヴェスカニーチェの話の途中から、場は少しずつざわついていた。
そのざわつきが、徐々に大きくなっていく。
ヴェスカニーチェに促され、《淵源の書》を読んだ者たちが各々声を上げている。
しかし、内容に反応している者よりもむしろ多かったのは――
「この言語は――?」
ヴェスカニーチェが、隣の席に座る青い制服の女性に紙面を渡すと、手をパンと打つ。
「そうですわ。《淵源の書》は《古代スヴェルートニア語》で記載されておりますの。
貴族であれば、当然嗜まれている筈。
知とは何と尊いのでしょう!
――魔力は望めど多くを持てませんが、知識は望めば、誰でも幾らでも、手に入ります」