後編
オレが女王の部屋に侵入した数十分後に、冬の女王が漁港に停泊している船の中から発見された。
タワーから脱出した後にタワーから一番近い場所に位置する小さな漁港に停泊している船を隈なく捜索するように連絡した。この時期この海域は非常に時化るため、テロリストの集団はいったんタワーから脱出したのち、時化が収まるまで港で待機していたようだ。しかしその時化もあと1~2日で収まる者だった。発見がもう少し遅れていたら、いまごろ冬の女王は二度とこの国に戻ることはなかっただろう。
危うく冬の女王がテロリストに拉致されかけていたという情報を得たメディアはこぞってニュースで取り上げるようになり、連日テレビも新聞もこの話でもちきりだ。すんでのところで最悪の事態を回避したといことで、特別警察長のジェラルドはその後の会見でお涙ちょうだいの名演説を披露して一躍時のヒーローとなった。
「まさかあそこまでピンポイントで冬の女王様の位置を特定していたとはね」
オールバックは自分が一面に載っている新聞を丁寧に折りたたみ、右の掌でゆっくりと髪をなでつけ、落ち着いた様子で左手に持っている銃を椅子に縛り付けられたオレの眉間に押し付けた。
「あそこはオレにとってちょっとした場所でね。26年前、オレはあの港を経由してこの国に不正入国したんだよ。あの港は地形の関係で冬の間ずっと雪が降りしきり、海の時化も強くなる。冬の女王の影響で気候が急激に変わっても、気づかれにくい」
オレは得意げに言った。オールバックの手下らしい図体のデカい男数人が、オレの部屋を荒らしている。本棚を倒し、ひきだしをひとつ残らず引っ張り出し、壁に飾られている絵を床の放りながらも、音を立てて隣の住人に気が付かれないように気を配っているところが少し健気だ。
「いつから私が関わっていると気が付いた」
ジェラルドが訊いた。
「モニタールームに侵入した時だな。カメラで人数を確認したらおったまげたよ。ざっと確認しただけでも16人ほどタワーの中をウロウロしていた。あれはスリーパーとして潜入していたというレベルの数じゃない。誰かが内部に引き入れて、そのまま近衛兵として投入したといった表現の方が自然だ。そんなことができるのは人材の選定に深く関われるお前さんレベルの地位の人間だよ」
オールバックの手下どもを眺めながら、オレは聞かれたことに淡々と答えた。心なしかオールバックの機嫌が悪い気がする。
「それから港に冬の女王がいると見当をつけた時に思い出したんだが、お前もオレと同じように、あの港を利用してこの国に入ったクチだろう?」
「……ふん、そこまで気が付いてたのか」
「あの時はせまい船底に何十人も押し込められていたから気づかなかっただろうが、お前のそのオールバックをなでつける癖は、今でもオレの中で印象に残っていてね。ほら、ヒトってというのは妙なことに記憶力が冴えるものだろう?」
「…壁の奥に隠されていたエレベーターにもよく気が付いたな、お前に渡したタワーの見取図には記していなかったはずだ。どうして気が付いた?」
「怪しい人からもらった情報は鵜呑みにしないタチでね。いまどき大きな図書館に行けば有名な建物の見取図は無料で閲覧できる。ビルのセキュリティー上、秘密のエレベーターの部分は空白になっていたがね。だがお前がよこした図とくらべて明らかな違いがあったから、気にはなっていた。部屋に入ったとき、死体もちょうどその場所を隠すように積まれていたしビンゴだともったよ。しっかり作動するという保証はなかったがね」
「それでまんまと脱出したってわけか。女王がまだタワーにいるという考えはなかったのか」
「監視カメラには他のフロアに移った形跡はなかったから、部屋にいるのはほぼ確実だった。だが連中はまるで冬の女王が部屋にいないと分かっているような振舞いだった。容赦なく手榴弾を部屋の中に放りこんだのがいい証拠だ」
大柄の男がオールバックに耳打ちする。指示された通り部屋を荒らし尽くしたのだろう。オールバックがうなずくと、手下どもは一人を残して部屋から出て行った。
「実はな、ローチ。世間では私は冬の女王を救ったヒーローとして持ち上げられているが、実際のところ私は現在、非常にまずい状況に置かれているのだよ」
オールバックが話題を変えた。楽しいおしゃべりもそろそろ終わりを迎えようとしている。
「ほう」
「お前と同じ船に乗っていたというのは正直驚きだが、確かに私は26年前に他のゴミ共と一緒にこの国にスパイとして潜り込んだ。それ以来この国の人間に成りすまして色々と汚いこともやった。それも一様に祖国に貢献するためだ。その集大成が今回の女王の身柄の奪取だった」
丸めた新聞を床にたたきつけながら、オールバックは続けた。
「いいか、この国にしかいない季節の女王は、その存在だけで金にも兵器にもなる。雨の降らない砂漠に送り込めば、たちまち雪を降らせ人々ののどを潤わせる飲み水になり、年中温暖な気候の仮想敵国に数年も放りこんでおけば、雪に包まれたその国は生態系ごと破綻する。私は今回の任務を遂行し、祖国の競争力の増大に大きく貢献し、こんな安っぽい称賛なんか比べ物にならない名声を受けるはずだった。この26年の私の働きが報われる時が来ようとしていたのだ」
オールバックの声に自然と力が入る。
「お前がおとなしくタワーで殺されていれば、世間は勝手に移民で殺し屋であるお前を反王族勢力の主犯格に仕立て上げ、私たちもそれに同調した事後処理を施して、全ては丸く収まるはずだった。女王が連れ去られた代わりにお前を吊し上げれば、オレは国内での面目はかろうじて保たれ、その隙に祖国に戻り、本当の英雄として迎えられるはずだった。だが冬の女王の身柄は確保できず、お前は生き残り、こうしてのうのうと椅子に座っている。おかげで祖国からは口封じのために刺客を差し向けられ、この国の方がまだ安全という何とも皮肉なことになってしまった」
「そりゃ難儀だな」
「もはやお前を殺しても状況が好転するわけではないが、オレが亡命に成功するまでの間に余計なことを話してもらっては困るからな。今からお前には、強盗に襲われたという事で、ここで死んでもらう」
人差し指が引き金に食い込んでいくのが見える。こんな至近距離で眉間を撃ちぬいたら強盗に装えないのではないかと思ったが、オレの眉間に銃を押し付けているこのオールバックの現在の地位が警察のお偉方だと思いだし、妙に納得しながら、遠くのほうから軍靴の音が階段を上ってアパートに近づいてくるのを聞いていた。
バァン!!!
銃声の代わりにアパートのドアが勢いよく開く音がした。
次の瞬間、耳をつんざくようなライフルの銃声が数発アパートの中で響き渡り、先ほどの手下の一人の断末魔が後を追うように一瞬聞こえた。オールバックが振り返った時にはヘルメット、防弾チョッキ、防弾シールド、アサルトライフルで完全武装した男たちがオレとオールバックのいる部屋になだれ込み、あっという間に取り囲んだ。全ての銃口がオールバックに向けられ、状況を悟ったスパイ野郎はオレを一瞥すると、左手に持っていたサイレンサー付き銃を床に捨て、ゆっくりと両手を上げた。