中編
交渉が終わってから二日間、ひたすら調べ物をするために街を歩き回った。ビルの構造、テロリストの素性および警備システムの予測、適切な武器の選定などなど。つい数十分前に自宅に帰り、シャワーを浴びたのち、薄暗い部屋の角に置かれたソファにゆっくりと腰を下ろした。
ジェラルドとかいうオールバック野郎が、そもそも殺し屋であるオレに救出を依頼をしたということ自体どうかと思うが、だがそれなりに賢明な判断だと思う。オールバックがよこした報告書によると、テロリストがタワーに侵入したのは、冬の女王が春の女王にタワーを明け渡す際に行われる移行式の前日ということだ。タワーの制圧に成功した連中は、その直後に冬の女王解放のために身代金、およびいくつかの条件を提示。犯行声明と提示された解放条件からして国内で勢力を伸ばしている反王族勢力の可能性あり。
しかし、オールバックが言っていたように季節の女王を警護する近衛兵は徹底的な身辺調査を受ける。一介のテロリスト、ましてやここ数年勢力を伸ばしてきた連中にそれをかいくぐる知恵も時間もない。よってテロリストの正体は、反王族勢力の皮をかぶった、どこかの国から派遣されたスパイだろう。連中は国の中枢に深く潜り込むために恐らく10年以上かけて周到な準備をしていたはずだ。だとしたら身代金目的とは考えにくい。ヤツらのボスの目的が冬の女王である以上、こちら側が要求を呑んだところで、冬の女王の安全は保障できない。
テロリストがタワーに侵入してわずか48時間でオレを雇ったところを見ると、オールバックもおおむね同意見のようだ。だらだらと議論して時間が過ぎるのをただ待つよりも、できるだけ早い段階でオレを放って主導権を握ろうとする大胆さは相手の意表を突くことだろう。
近衛兵に化けられるほどのヤツなら人種的、言語的にもほぼ同じ、やはり隣国の出身だと考えられる。この国は周りを海で囲まれている島国であるため、おのずと出身は絞られる。恐らくオレと同じ国の出身だろう。
この二日間で調べたことが頭の中でグルグル回っている。それを払いのけるようにふぅっと息を吐くと、ソファの背もたれにゆっくりと体重を預けた。シミュレーションは行った。あとは予定通りに動くだけだ。決められた時間、決められた動作を決められた場所で行うだけだ。
手入れの行き届いた拳銃をそっと隣に置き、部屋を照らしている小型スタンドの電気を消し、数時間ほどの仮眠をとった。
* * *
外はまだ暗く、数日前から絶えることなく降り続く雪が道路に降り積もり。ブーツがズズッと沈む。タワーの周りには人の気配がなく、しんとして耳が痛い。
高層タワービルディング「シーズン・テラー」は50階からなる高層建築物だ。もともとはビルではなく塔がそびえ立っていたらしいが、これも時代の移り変わりというものなのだろう。女王の間はこのビルの最上階に設けられており、それ以外のフロアは侍女や家臣の居住区であったり、また公務の場として利用されていたが、テロリストが襲撃した後は冬の女王と人質を残して一人残らず退去している。
襲撃を成功させるために複数人が必要だったとしても、テロリストの数はせいぜい5~6人と考えられる。よって50階すべてを見張ることはできず、低階層とモニタールームに一人から二人、残りは上層階に配置するのが自然だ。
よって正面から入っても損傷を受けることはないと判断したオレは、ガトリングガンをかついでハリウッドスター顔負けの銃乱射を以て戦いの火ぶたを切って落とす・・・ということはせずにビルの裏側に回り、排気口の格子をレンチでゆっくりはずし、そこから頭を突っ込んだ。
午前4時30分。救出作戦が開始された。
* * *
「HQ、HQ。1階で警備してる連中からの定期報告がない。1階に人をよこして確認させろ」
モニター室でディスプレイに顔を近づけながら、男がマイク越しに言った。モニター室にいる男は一人。ここは当初の予定通りだ。天井裏から男との距離を物音で見当をつけ、ワイヤーを適当な長さに伸ばしながら考えた。ここに来るまでの間、確認できただけでも1階に3人もいたのは、正直なところ予想外だった。しかしテロリストとはいえ、曲がりなりにも近衛兵で訓練を受けた者とは思えない展開の仕方た。普通は無線を装備していても、互いの位置関係を目視、または声がとどく距離でフォーメーションを展開するものだ。ましてや一人でも戦力を失うだけで不利になるテロリスト側にとってはなおさらだ。
籠城戦において、警護の機能は3つに分けられる。本部を守る機能、城全体にくまなく配置され実際に警護する機能、そしてそれらを監視し管理する機能だ。今回の場合に置き換えるならば、冬の女王を監禁して見張っている本丸、フロアでうろうろ歩き回っている手下ども、そしてモニター室でさっきから飽きることなくマイクに話しかけているコイツだ。
「聞こえたか?定期報告の時間になっても応答がない。1階に人を送って状況を確認させろ」
3つの機能は綿密に連携を取り合って初めて機能する。モニター室の男を黙らせれば司令塔とフロアを警備する連中との橋渡し役をなくす。異変に気付いたところで連中は簡単には持ち場を離れられない。もし敵の奇襲と分かっても安易にそこに近づくのは危険だし、なにより離れた瞬間に敵の強行突破されれば、それこそ敵の思うツボだ。男に気づかれないように、ゆっくりと男の頭頂部分のパネルを横にずらしながら、タイミングをうかがう。
「HQ,HQ。応答しろ。1階からの連絡が途絶えた、応答しろ。クソッ、どうなってるんだ」
オールバックに頼んでこの数分間だけ電波妨害してもらってるからだよ。心の中で答えながら、ゆっくりとワイヤーをたらす。ついでに言うと、お前らの警備体制は数日分の監視カメラの情報をハッキングして、おおよそ把握している。たぶんあと1時間12分は助けは来ないよ。
「どうしたっていうんだ。何でいきなり繋がらなくなっ、クンッ、ウッッ・・・!!!」
手首のスナップを効かせ、ワイヤーをサッと男の首に括り付け、背負い投げの要領で思いっきり引っ張った。一秒か二秒の間に込められた渾身の力が、細いワイヤーを伝って男の頸椎に注ぎ込まれた。鈍い骨の折れる音とともに男の絶命の瞬間を、ワイヤーの手ごたえで感じた。
男が動きがないのを確認し、モニター室に降りた。男の心臓が動いていないことをしっかりと確認し、モニターに目をやった。フロア別にカメラを切り替え、数時間分の記録をさかのぼった。
「……ウソだろ」
モニターに映っているイレギュラーを目の当たりにし、このまま帰ってやろうかという衝動に駆られつつ、うまく対処できるか頭の中で計算が始まっていた。セーフティーネットとしていくつか用意したブツで対処できるという結論に達したオレは、死体を天井裏に引っ張り込んで、次の作戦に移った。
* * *
ザァァァァァァーーーーーー!!!!!!!
「な、なんだ!スプリンクラーだ!スプリンクラーが作動した!!」
40階から50階までのスプリンクラーがなんの前触れもなく一斉に水を吐き出した。女王の間の中で待機していた者、その周辺で警護していた者、人質として部屋の隅に押し込められいつ殺されるのかと怯えていた者、ぜんいん突然の土砂降りに慌てふためいた。
「敵の襲来だ!すぐに下のフロアの奴らを上に来させて守りを固め、て…」
言い終わるが早いか、テロリストのリーダー格らしき大柄な男が頭から床に倒れ込んだ。目、鼻、口から入ってくる雨はテロリスト、人質関係なく意識を飛ばしていく。
「リーダー!!…っくそ!エレベーターが上がってきてやがる!お前らまだ動けるか!!エレベーターがこの階に近づいている!集まって迎撃しろ!!」
エレベーターの表示が50階で止まった。ずぶ濡れになりながら、一人、また一人と意識を失いながらも数人が機関銃を構えてドアが開くのを待っている。エレベーターが開いた瞬間に銃声の嵐が始まった。強烈な眠気を感じながらも、自分の与えられた使命をこなすためだけに銃口を向け乱射する。力尽きても指から手を離さず味方に当てる者、弾がなくなっても撃ち続ける者、銃声が止むころには辺りは異様な光景が辺りを包んだが、その中でも意識を保った数人はエレベータから覗かせた顔を見た。天井に吊るされたロープで左手首を繋がれた、今頃モニタールームでタワー全体を監視しているはずの同胞の変わり果てた姿が目に飛び込んできた。
「……ッ!!なんて、こと、だ……」
最後までその場に立っていた男が、事の顛末を見届けたと同時に、その場に崩れ落ちた。
* * *
実はスプリンクラーを作動させるのは今回が初めてだが、ライターで作動しなかったのは意外だった。映画では簡単に作動するのに、実際はそう簡単ではなかった、結局ライターでは作動しなかったため、男が履いていた靴下を燃やして、その煙を火災報知機に当てた。
このタワーのスプリンクラーの作動システムは10階ずつ分けられていて、いま作動しているのは40階から50階のシステムだ。その部分に割り当てられた貯水槽にあらかじめ強力な睡眠導入剤を投入するという発想は、下手したら味方も巻き込むが、単独で行動しているオレは自分の心配だけをしていればいいのであって、女王および人質に関してはオレの知ったことではない。死ぬわけではないから大丈夫だろう。ガスマスクを装着してエレベーターで一気に最上階まで上がる。エレベーターが開いたと同時に銃声が鳴り響いたが、しばらくすると鳴りやんだ。30秒ほどスプリンクラーが完全に止まるを待ち、エレベータの天井に設置されている点検口から顔をのぞかせ、周囲を確認した。一人も立っていない。
ここまでくれば女王の間はもう目の前だ。見たところエレベーター付近にかなりの人数が倒れている。女王の部屋にまだ残っているとしても2~3人だろう、スプリンクラーは女王の部屋にも繋がっているから、この分だと一人残らず夢の中のはずだ。念のためガスマスクは装着したまま、女王の部屋のドアの前までゆっくり近づいた。下の連中が上がってくる前にケリをつけなければ。
女王の部屋は入口以外から侵入することはできない。ゆっくりと開けて中を確認する、スプリンクラーのせいで部屋の中が霧がかっているが、人が動いている気配がしない。思い切り扉を開けて様子を見る。撃ってこない。意を決して中に入って扉を施錠する。部屋の中には、案の定近衛兵の格好をして機関銃を持っている男が4人眠っている。こいつらもテロリストだろう。
部屋の隅で無造作に積み上げられている死体が目に入った。以上に数が多い、50人くらいはいるだろうか。みんな何が何だかわからないまま殺されたのだろう。オレの背丈に達するほどに壁に沿うよう山積みにされている。やはり人質は一人残らず殺されていたとみて間違いないだろう。考えてみれば不思議ではない。これほどの人数のスパイすら見抜けなかったのに、今さら本物の近衛兵を生かしておく必要はない。脱出のために人質が欲しいならば、スパイに人質の役をさせればいい話だ。
だが肝心なのはそこではなく冬の女王だ。ベッドの下、クローゼットの中、テーブルの下、カーテンの裏。部屋の中を隈なく探したが、どこにもいない。部屋の中に監視カメラが設置されていないが、ハッキングした他の監視カメラを見た限り、冬の女王は部屋に入れられたきり、部屋の外には出てきていない。
遠くの方で足音がする。残りの団体が非常階段で昇ってきたのだろう。「大丈夫か!」「相手は何人だ!」「敵はどこにいる!」
あいつらもバカじゃない。同胞より優先順位が高いものが女王の部屋にあることくらい承知している。
閉じられた扉の向こう側に人が集まっているのが気配で分かる。妙に静かだ、ピリピリ指すような殺気を感じる。
機関銃の音が部屋に響き渡る。それは部屋にいるテク帝の何者かに向けられたものではなく、ランダムに放たれたものだ。扉の錠が一緒にはじけ飛んだ。
錠が破壊されたと同時に数個の手榴弾が投げ込まれた。冬の女王がいようといなかろうと、もはや彼らには関係ないのだろう。
数回爆発音が聞こえたのち、近衛兵の格好をした男たちが部屋になだれ込んできた。手榴弾で粉々に飛び散った同胞の変わり果てた姿には目もくれず、テロリスト集団は一様に侵入者の遺体だけを血眼になって探していた。
「いない……」
ある男は、床に転がっている元は人間であった"何か"を蹴飛ばしながら、のどが張り裂けんばかりに叫び散らした。