俺のラブコメは運命的にマズイらしい 後編
第二章
1
それからは何事もない日々が過ぎていった。
その間に俺は自分の部屋を片付けたあと、周辺を探索したり、遥のわがままに付き合ったり、香菜の部屋がまた本に埋めつくされたので片付けたり、栄子さんの毎晩毎晩かけられる甘い誘惑に耐えたり、大谷さんのかわりに夕食の買出しに行ったりと充実した日々が続いた。
しかし、イズキとは一向に仲良くなれずにいた。
話しかけても知らんぷり、ガン無視されていている。
もうどうすればいいのか分からない。
悩みながらも日々は流れ、高校入学まで一週間を切った日、それは朝食の時だった。
2
「みんなでキャンプに行きます」
それはいきなりの発表だったから、俺は食べていた塩鮭の身を箸から落としてしまった。絶品なのに!
「年に一度の行事がやってきたというのだな」
栄子さんに驚きはない。
行事だと言うからには毎年恒例のキャンプだろう。
「今回のキャンプは私、反対よ。男がいるのにキャンプなんてできるわけないじゃない!」
イズキは不機嫌さマックスで、俺を睨んでくる。
うわ、こえ。
「ほえ―――。キャンプですか。私初めてなんですキャンプ。楽しみです!」
香菜も食事を止めて、喜びの顔。
「そんな事、どうでもいいんです。香菜ちゃん卵焼き余っていますよ。私にください!」
遥は香菜の了承を得るまもなく箸が伸びる。
「あ、私の卵焼き、……グス、ひどいよ遥ちゃん」
涙目になる香菜。
「俺の食べていいから、箸も付けてないし、どうぞ」
紳士たるもの、女の子を悲しませてはならない。
「……いいの?」
香菜の表情が晴れ渡る。
どうやら卵焼きが好物のようだ。
香菜は卵焼きを半分に切って小さな口に運ぶ。
「……うん、美味しい!」
この笑顔が朝から見られた事で、もうお腹いっぱいです。はい。
3
食事を終えて、部屋に戻る途中。
「そうだ。みんなで買い物にいかないか?」
「買い物ですか?」
「……それならいいところ知っているよ」
「じゃあ、そこに行こう」
「私は今からバイトだから買い物にはいけないな。また誘ってくれ」
栄子は足早に部屋に戻っていく。
「私行きたいです!」
「私も気になっていたんだ。行ってもいいかな?」
「じゃあ、着替えて玄関に集合ということで」
「……うん、着替えてくる」
香菜がパタパタと自室に戻っていった。
「本当に楽しみです」
4
(情報受信しました)
その声は唐突だった。全員が玄関に集まった時に俺の脳内に響く。
はあ――、またか。
どこから来るか分からない危機に、周囲を見回した。
そんな俺の姿を香菜は不思議そうに見つめている。
(やっぱり、この制度生きていたんだ)
(当たり前です。晴人が死ぬまで終わりません)
(そうだよな。覚悟はしていたんだけど、あらためて言われるとちょっとショックだな)
(残念ながらこれが運命です)
(そうだね)
(次のヒントは走る少女に気を付けろ、だそうです)
(わかった)
理解するものの、常にヒントは具体性に欠けている事ばかり、もうちょっと具体的な内容を教えてくれてもいいと思うのだが、何か理由があるのだろうか?
俺がドアを開けて、二人が続く。
「じゃあ、準備OKですね」
「うん大丈夫」
「……私も大丈夫です」
寮の門を出ると、金髪の少女、ホットパンツにТシャツ姿のイズキと出くわした。
「あ」
「な、なによ」
「別に何も」
イズキは罰の悪そうな顔をして俺を睨みつけてくる。
相変わらずイズキとの仲は良くなるところか、ますます、悪くなっていく一方だった。
いい加減どうにかしなければと焦っているのだが、仲を改善する決定的な方法が見つからない。
「ちょっと待って!」
家の前で鉢合わせになった瞬間、イズキは踵を返し元来た道をズンズン歩いていく。
仲直りしなければと焦る。
俺の声など気にも留めず、イズキは歩測を上げていく。
ひょっとしてヒントの答えはイズキの事なのか?もしそうなら、彼女を止めなければ、俺の命が危うい。
俺の足は動き出していた。
それを察したのか、イズキもさらに速度を上げて行く。
俺はイズキにどうにか追いついて、手を引く。
「ちょっとなによ!」
なんで私のスピードに追いつくのよ。と驚きと、怒りが込められた目で睨んでくる。
瞬間、轟音を立てながら、ものすごいスピードのトラックが目の前を通り過ぎていった。
イズキは口をパクつかせながらその場にしゃがみこんだ。
体は震え、顔は青ざめている。目の前で起こった光景が信じられないようだ。
後から追ってきた二人と合流。
「……晴人君、足早いよ」
「それにしてもすごいスピードでしたね。あのトラック」
信号は赤。
明らかな信号無視のトラック。
背筋に冷たい汗が流れる。
(俺がもし遅れて行動をとっていれば、死んでいたのか)
(ええ、たとえ晴人はイズキちゃんと仲が悪いとしても、助けてしまう。それが自分の命を投げ出したとしても晴人は助けていました)
先に走るイズキの体を俺が後方に突き飛ばし、スピードに乗った俺の体は前に投げ出される。そして、暴走してきたトラックに惹かれて、あの世行き。
でも俺は感心した。
どっちに転がろうと、俺は助けていたんだな。
遥の無言の笑に、俺は照れ笑いを浮かべ、頬をかいた。
5
所変わって場所は、総合ショッピングモール出入口。
最寄り駅から二駅進むと駅近くにそれは立っていた。
「すごい込み具合ですね」
遥の言葉もうなずける。
さすがオープンしたての場所だけにあってすごい混みようだ。
「二人ともはぐれないように。もう少し奥に入れば人ごみは少ないと思うから、少しの辛抱だよ」
「うん、そうだね」
「そうですね。少しの辛抱です」
一歩進むと背中に重みを感じた。
振り返ると、両サイドに遥、香菜が俺のTシャツの裾を引っ張っていた。
「あの―このまま人ごみに入ちゃうと服が伸びちゃうんだけど」
「……でも、でも、でも晴人君がはぐれないようにって言ったんだよ?」
「たしかに言ったけど」
「私もはぐれてしまうと思います。Tシャツの犠牲ぐらい、三人が離れ離れにならないことを望めば軽いものです」
このTシャツお気に入りなんだけど。
「二人の美少女のお願いを聞けないほど、晴人の器が小さくない事を私は知っています」
「……晴人くんの一番いいところは優しいところだよ」
二人とも、自分が美少女だってところには自覚しているんだな。
まったくもう。
図々しんだか、なんだか分からない。
「はいはい、わかりました。分かりましたよ。じゃあ、俺のTシャツを犠牲にする以上離れ離れにならないように、頼むぞ」
この人ごみを離れ離れにならないで進むのは至難の技。
「じゃあ行くぞ!」
俺たちは人ごみの中に突っ込んでいった。
6
人ごみに飲まれること三十分。
やっと落ち着いた場所に出ることができた。
当初の目的、ホームセンターの場所にたどり着くことはできなかったが、まあ、それはいいだろう。
「やっと、落ち着きましたね」
「ほんと人ごみすごかったよ」
遥と香菜は意気消沈。
さすがにあの人ごみは体力を摩耗させるだけの波だった。
なすがままに流された結果が疲労だ。
「どこかで休憩でもしようか?」
「賛成です」
「……賛成、私疲れたよ」
俺たちは喫茶店に入っていく。
それぞれコーヒーを頼み、遥は、プリンアラモード、香菜はいちごパフェを頼んでいた。開店サービスで全品半額となっているから、心置きなくの注文。もちろんその出費は俺のお財布からである。
「美味しいです!」
「……いちごも美味しいよ。遥ちゃん食べ変えっこしない?」
「いいんですか! 私もイチゴ食べたかったんです!」
「……私もプリンアラモードと迷ったんだよ。これで解決だね」
そんな二人の乙女なやりとりを見ていると、お金の出費ぐらい痛くない。実情痛いのだがまあ、しょうがない。と思えてくるほどの二人の笑み。幸せな光景がそこには広がっていた。こっそり写メって待受に登録と、ふふ。
「さて、では作戦会議をはじめよう。無駄なく、できるだけ人ごみを避け、各々の買い物が楽しめるようにと思うのだが、他に意見があれば言って欲しい」
俺はコーヒーを置いて、ショッピングモールの地図を開く。
地図の横側には数多くの店の名前が並んでいた。
「はい、司令!」
いつから司令になった?
「スイーツエリアには、あの紅林のシュークリームの名前があります!」
目を燦々と輝かせる遥。
たしか、あの時約束したような記憶が。
てっ、まだ、食べるのかよ!
「お腹一杯ではないのかね?」
「たしかに、お腹いっぱいになりつつあります。しかし、私の計算によると、買い物の中盤ではお腹が元の基準値に戻ると思われます」
なんという甘い物への執念。
咄嗟にそんな計算が出来るなんて、末恐ろしいよ!
「分かった、二度目の休憩のときに寄ろう」
「ありがとうです!」
「司令!」
「どうした香菜ちゃん」
上目遣いで大きな目をさらに開いて、輝かせる。
「……ここにはペットショップがあるよ」
常に恥じらいを浮かべる香菜の瞳は珍しく、強く強く輝いていた。
「ペットショップ? 猫とか好きなの?」
「……可愛いものは正義なんだよ」
「そ、そうなのか?」
「……そうだよ。特に動物の赤ちゃんの可愛さは異常だよね」
「じゃあ、行こう。是非とも行こう。是が日にでも行こう」
動物の赤ちゃん、と美少女二人のコントラストは言うまでもない。一見の価値があること間違いなし。エクセレント!
「晴人君 ………ありがとう」
あ、もうだめ。
そんな会話が終わり、
「やあ、三人さん! 楽しんでいる?」
そこにはなんとメイド服姿の栄子さんだった。
「え、栄子さんじゃないですか!」
「どうして栄子さんがこんなところに居るんですか!」
「私ここで働いているんだわ。オープニングスタッフとしてね。どう? この服似合っている?」
栄子さんはモデルのように腰に手をおいて、ポーズをとっている。
「似合っていますね!」
「……ふあ、その服装可愛いです! いいな………私も着たいです」
その姿を見てみたい。
「だよな。私もそう思うんだよ。しかし、ちょっと胸がきつくてな、そこがネックだわ」栄子さんは胸元を生地をつかんで上に引っ張る。
「ところで顔色が悪いようだが」
「まあ、人ごみに飲まれたので、人酔いですかね」
「オープンしたばっかりだからな。買い物は終わったのかい?」
「いえ、これからです」
「そうかい、そうかい、結構―結構―!」
「栄子さん何か必要なモノとかありますか?」
「いいよ私は。お酒があればあと何もいらないから、でも強いて言うなら男かな!」
パチパチと目を輝かせて言う。
「そんな可愛らしく言わないでください!」
「かっかっかっかっかっかっかっかっかっかっか。まあいいじゃないか、そんなに断ることでもあるまい!」
「断りますよ!」
こんなノリで奪われたら一生後悔してしまう。
変態紳士たるものピュアであれ。
「栄子さんそれセクハラです」
遥はそんな栄子さんに取っ付き掛かる。
香菜は頬を染めてうつむいていた。
「冗談だよ。冗談。とりあえず楽しんでいってね。んじゃ!」
栄子さんはお盆片手に去っていった。
そんな栄子さんを周りの男性は目で追っている。
やはり美人だというところは認めなければいけない。
ちょっと性格に難があるのだが。
「全く、女の子がいるのにその前で誘惑だなんて、ハレンチ極まりないです。もうちょっと晴人も抵抗してください」
「いや、僕十分抵抗していたら」
「あれじゃ、足りませんよ。誘惑に負けてしまう晴人が思い浮かびます!」
「俺そんなに信用ないの?」
変態紳士たるもの常に信頼を得なければならない。それが変態心としての意味。そしてピュアであるための特権を手に入れるべくの努力は惜しまない。それが紳士としての嗜み。
「あの………晴人くん。晴人君は誘惑に負けてしまうの?」
「大丈夫。大丈夫だから、俺負けないから!」
一方的な責めに揺らいではいけない。
「まあ、いいです。で、次はどこに行きますか?」
「俺はホームセンターに行きたいけど、大丈夫?」
カラーボックスとか、小物入れとかあの部屋に足りないものは山ほどある。
「うん、………大丈夫だよ」
「じゃあ、いこうか」
こうして俺たちはホームセンターに向かったのだった。
7
晴人達三人が座る、死角の席にイズキは座っていた。周囲を伺い、オレンジジュースを片手に席と席を仕切る柵から頭を出したり、引っ込めたりしていた。
「やあ、一人でどうしたんだ? あの三人とは合流しないのか?」
「な、なんで、栄子がいるのよ」
「その反応さっきもされたよ」
「偶然よ、偶然」
「またまた、ご冗談を、本当は三人と合流したいんだろ? でも恥ずかしくて合流できずにいる。その原因はなんだろうな?」
とぼける栄子にイズキは拗ねながら言う。
「わかっているくせになによ」
「ごめん、ごめん、でもあいつは普通の男とはちょっとばかし変わっているぞ」
瞬間、イズキは風呂での光景を思い出す。
お湯が沸騰したかのような反応を見せて、イズキは頬を真っ赤にして栄子を睨む。
「よくそんなこと言えるわね。栄子から風呂の時間を聞いたのよ。その時間に行くとあいつがいるし、私の裸見られるし、見たくもないもの見せられて、ホント最悪よ。全部栄子のせいよ!」
「ごめん、ごめん、少しは仲良くなって欲しくってな。仲良くなるには裸の付き合いが大切だって言うだろ?」
「栄子と一緒にしないでよ」
「失敬失敬、冗談だよ。ところで見てはいけないものについて詳しく聞きたいものだな。で、どうだった?」
「…………」
ボン!
「その反応では大きかったようだな。結構―結構―。これは楽しみがいがあるというものだ。じゃあ、あいつら呼んでくるから」
「余計なことしないで!」
「いいチャンスだ。仲良くなりな!」
栄子はスキップ高らかに三人の元に向かっていく。
「はあ」
イズキは余計なお節介だと思いながら、深い溜息をついた。
8
合流してから俺とイズキに会話が生まれない。
ホームセンターで買い物をしている間、買い物に思考は働かない。
俺は悩んでいた。
せっかくのチャンスなのに話すことが思い浮かばない。
仲直りしたいことは確かなのに何も思いつかない。
そんな姿を察したのか遥は会話をふってくれるようだが、うまく成り立たなかった。そんな中、香菜は気にせず楽しんでいるようだ。
次はペットショップ。
「あ、子犬ちゃんだ!」
香菜がウズウズしている。
「行きなよ。俺待っているから」
「……ありがとう!」
香菜は燦々と輝きながら言葉を言ったあと、かけていった。
「子犬であんなに喜ぶなんて香菜ちゃんは、まだまだ子供ですね」
その割には震えているみたいだが。
「行きたいんだろ?」
「どうしても仔犬ちゃんとのツーショットが見たいと言うんですね。そうですよね。美少女たちと仔犬ちゃんのツーショットなんてそうそう見られませんからね」
遥も香菜の後を追って駆けて行った。
「仕方なく。仕方なくですからね!」
もうちょっと素直になればいいのに。
俺はイズキに目を向ける。
イズキは腕を組んで俺の目をにらみ返す。
「ちょっと話さないか?」
イズキは一瞬思いとどまって「話しましょう」
二人はすぐ後ろにある長椅子に座る。
妙な沈黙が流れる。
何か話さないとまずい。とりあえず。
「この間は悪かった、この通りだ」
俺は頭を下げた。
「良いわよ別に、私の不注意でもあったんだから」
「そう言ってもらえると助かるよ」
「でも、あなた見たからには感想を言いなさい。私の体を見てどう思ったのよ?」
「はい?」
感想ってなんだ?
体を見た感想を言えばいいのか?
たしかにイズキはそう言っていたと思うけど、いや待て。とびっきりのジョークだって可能性もある。
いったい俺はどうすればいいだ?
葛藤を繰り返したのちに言葉をひねり出した。
「綺麗だったと思うよ。ほとんど見えなかったけど」
湯気で良く見えなかった。本当に惜しい事をしたものだ。
「やっぱり見ていたのね」
イズキは震え目尻に涙をうっすら貯めている。
俺は立ち上がり、「いや、ほとんど見てないよ! 感想を聞かれたから答えただけで」体をやたらと動かして力説。
「でも、少しは見たっていうのね」
「ほんのちょっと、ちょっとだから、見たうちに入らないよ!」
イズキはぬっそりと立ち上がってキリッと俺を睨みつけた。
「見たのね。私の裸を見たのね。見たと言うのね」イズキは震えていた。
瞬間、無駄のない動きで脇腹に一発ひじ打ちを放ち、俺はくらった。
「いてててててて、そんなに強く攻撃しなくなって」
「男でしょ、女々しいこと言わない。このぐらい乙女の恥じらいとして許しなさい」
「分かったから、その拳をしまって」
女の子といえ思いのほか痛かったんだよ。これが、エムでよかった!
「あと、男なら責任を取るべきよ」
「責任?」
イズキは人差し指をびしっと俺に向ける。
「私と結婚しなさい!」
「はい?」
その言葉は奇をてらったわけではなく、ど真ん中ストレート。
プロの選手なら150キロ並みの言葉。
「私をもらいなさい」
「同じ意味だから、君正気?」
全くなんだ、いきなり死ねとか言うと思ったら、いきなり結婚しろとか、一体何なんだこの子は! 常軌を逸しているぞ。
「君じゃないわ。私には中条イズキっていう名前があるのよ」
「ごめん。俺は松田晴人、晴人で構わないから」
「私のことはイズキで構わないわ。だから私をもらいなさい。そして結婚しなさい。そして、ハネムーンに行きましょう!」
「ちょっと飛躍しすぎだよ。結婚、冗談だよね? 俺をからかっているのならそれはそれで別にいいんだけど」
「からかってなんていないわよ。正気よ。そうね、やっぱりハワイかしら、定番って感じで良いわね」
それはイズキの目を見ればわかる。
笑ってはいない、まさしく真剣だ。
「あなたには私の体を一瞬でも見たという責任がある。だから、その責任をとってもらうまでよ」
「だからって結婚だなんて、飛躍しすぎだよ! そんなことで結婚とか決めちゃダメだって早慶すぎるよ」
いくらなんでも早すぎるだろ!
美人のイズキと結婚できることは嬉しいけど、ちょっとな。段取りと言うものがあるだろ、段取りというものが。
「私の体を見たことがそんなに嫌だったの? それって男としてひどくない? 信じられないわ」
「違う違う、そういうことじゃなくて。もっと結婚とか付き合うとか、ちゃんとした段取りを経てからというものがあってですね。こんなにすっ飛ばしてする事じゃないんだよ。もっと慎重になろうよ」
イズキはやれやれと首を振って言う。
「私は、あなたに一目惚れしたのよ!」
「でも、イズキの部屋に挨拶に行ったとき、あんたなんか死んでしまえって言っていたじゃないか。あれはどう見ても嫌われているとしか思えない」
ほんと、傷ついたんだからマジで。
「違うわ。あれは一目惚れを必死に隠そうとしたのよ。その結果、あんたなんか死んでしまえっとなってしまったのよ」
「やけに無理やりだな、それ」
これが俗に言うツンデレって言う奴なのか?
「そうよ。それが乙女の恥じらいってやつなのよ」
無理やりもいいところだ。
はあ、どこで選択を間違ったんだ。俺。
「それに私を助けてくれたじゃない。本当に嬉しかった」
やめてくれ、そんな表情をされたら、ときめいちゃうじゃないか。
「いや、別にそんな風に思ってくれること悪いとは思わないけど、やっぱりそういう大切なことは二人がもっと分かり合ってからだと思うんだ」
「私の魅力にケチを付けるの?」
「そうじゃないけど」
「ならいいじゃない」
立っている俺をイズキは椅子に向かって突き飛ばす。俺はバランスを崩して椅子に着席。
イズキは俺の太ももに腰を下ろして、座ってきた。
それも前向きに座ってくる。俺たちの密着度はえらいことになっていた。
布越しの太ももの柔らかさが、やばい。心臓が痛いほど鳴く。
「ちょっとなんていう座り方。それに顔近いし!」
「私だって恥ずかしいんだから、我慢しなさい」
周囲の目線が二人に集まっている。
「やだ、こんな人目の多いところであんなにイチャイチャするなんてはしたないわね。最近の若い子は」とか「一体どこの高校の子かしら? 恥ずかしくないのかしら」などなど。
いや違いますよ。奥さん。俺たちはそういう仲じゃないんですよ。勘違いしないでください。お願いですよ!
「ほら、周りの人も俺たちの事を見ているしさ、もう、やめようよ」
下の方がムズムズしてくる。
お願いだ、どけてくれ。
「違うは、お似合いの二人だと祝福してくれているのよ」
「違うって、さすがにそれはないよ」
俺は立ち上がろうにも前向きにイズキに座られているため立ち上がれない。
イズキは目を閉じ、形の整った唇を俺の唇に向かって近づけてくる。その柔らかな魔力に、俺は逆らえなくなろうとした瞬間。
「ちょっと二人とも何しているんですか!」
やっと助かった。
憤慨気味の遥。
「遥、イズキを止めてくれ」
「………晴人君そういうのが好きだったんだ」
「違う、違うから」
香菜ちゃんだけには勘違いして欲しくない。
「イズキちゃんから早く離れてください!」
頬を膨らませて遥が睨みつけてくる。
「みんなが来た事だし、そろそろ離れてくれないかな?」
「結婚してくれるなら離れてもいいけど」
「無理だから! とにかくここはひと目も多いし、話なら家に帰って聞くからとりあえず、勘弁してくれ」
「仕方がないわね」
イズキはやれやれと言った感じで、俺の太ももから降りる。
「イズキちゃん晴人に変な事されていませんか?」
「大丈夫?」
イズキは泣いたフリをして、二人に慰めれていた。
ひどいよ。
ひどすぎるよ。
なんで俺だけこんな扱い!
「最低です。晴人は最低です!」
遥がキリッと睨み返してくる。
「いや、違うって、俺が望んだわけじゃなくて」
「イズキちゃんはこんなこと進んでやるとは思えません。だから晴人が強要したとしか思えないのです」
「いや、違うんだ。話を聞いてくれ!」
「黙らっしゃい! 晴人、その場に正座しなさい!」
「は、はい!」
プンスカプンプンを絵に書いたような遥かに促され、地面に正座する俺。再度周囲の視線が集まっていた。
「いいですか。女性にあそこまで下心を見せてはいけません。それにあんな人目の多いところでハレンチはいけません。晴人は変態さんですか。そう思われていいのですか。私はあなたをそんなふうに育てた覚えはありません」
育てられた覚えもないけど。
今反抗すると説教が長引きそうなので、言葉を飲んだ。
「もっと真人間になって欲しいのです。わかりますか?」
「わかりました。気を付けます」
「よろしい。では買い物続けましょうか!」
俺たちは次の目的地、レディースの服売り場へと向かう。
周りは若い女性で溢れかえっていた。
女性服売り場だけあって、大半は女性もしくは、彼女連れの男性しかいない。
「それにしても、女性服は数が多くて、なんど見ても、よくわからないな」
「……可愛い服がいっぱいだね」
香菜のテンションが上がっている。
女性陣が真向かいの服屋を目掛けて人ごみを渡ったその時だった。
――瞬間だった。
世界が、世界が、逆再生に戻っていく。
時計の針が、人の歩みが、人の会話が、全てが俺を残して逆に、戻っていく。
俺の体が透けていく。
瞬間体に襲いかかる不快感。
唾液が苦味を増し、めまいに視野がふらつく。
視野が安定したと思ったら、腸をえぐらえたような、鋭利な痛みが体の真を貫く。
その場に立っていられず膝を折り、息が乱れる。
息を整えようと目を数度、閉じたり開けたり。
そして目を開けた瞬間、世界が戻っていた。
人ごみも動き出し、時計の針も進み出していた。
なんだ今のは。
額の嫌な汗を拭う。
「ど、どうしたの? 晴人くん」
「いや、なんでもない。大丈夫だ」
「………顔色悪いよ。大丈夫?」
「どうしたの晴人? そんなに顔色悪くして、具合でも悪いのかしら?」
三人とも心配はしてくれたのだが、今の吐き気は体調不良から来たわけでは無い。睡眠時間も朝食もとっている。
「大丈夫だよ。ちょっと立暗みがしただけだから」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だから、買い物の続きをしよう。俺はちょっと休んでるから、買い物が終わったら連絡して」
立っているだけで、足がフラフラだった。
頼む。俺を寝かせてくれ。
「そう、分かった。私たち行くわね」
「……本当に行っていいの?」
「心配です」
「本当に大丈夫だから。ただ引越しの疲れが来たんだろう。少し休みをとれば追いつくから、ここまで来んだ、買い物を楽しんでいてくれ」
「そう、わかりました」
三人の心配げな表情を見送った。
俺はやっと一人になることができた。
手短なベンチに座り、あのネックレスを付ける。
(もしもし、聞こえているか?)
(聞こえていますよ。さっきはどうしたんですか?)
(その事だが、俺の目には世界が逆再々されていた。で、気がつくと元に戻っていたんだが、あれは一体何だ?)
(それは、多分、この世界の修正力のせいかと)
(世界の修正力?)
(本来の世界線で晴人は生きていません。まず本の雪崩に飲まれて、死んでいました。でも、それを私のヒントで回避しています。そのことによって、世界は変革されました。あなたが死んでいた世界と、生きていた世界。一度くらい世界に変革は起きることが希にあります。でも晴人の場合はその変革した期間が短すぎるのです。だから、世界がその違和感に気づいて、元の世界線に戻ろうとした。しかし、あなたがいる以上世界線は戻らない。そのジレンマがあなたに襲いかかったんだと思われます)
(それがあの不快感だったのか)
(そうでしょうね。現時点の世界の修正力がどの程度のものか知ることが出来ていません。だから晴人に係る修正力の回避方法も、どのぐらいの負荷となって襲いかかるのか、それがいつ襲い掛かるのかはわかりません)
(てことは、これからも修正力が俺に襲いかかるってことなんだな)
(まあ、そういうことになりますね。でも、今はまだ大丈夫です。修正力が強くなったら私の存在も危うくなるので)
(つまりどうすることもできないと)
(ええ、修正力にうち勝つことができれば、問題はないのですが。今のところは無理なことなので、どうしようもないかと)
(分かった。もう少し休んでから行く。せっかくだから楽しんでいてくれ)
(はい、わかりました。困ったことがあれば行ってくださいね。私はいつでも晴人の力になりますから)
心強いな、全く。
(ありがとよ)
(では、後ほど)
会話は切られる。
俺は天井を仰ぎ見る。
生きていけば生きて行くほど、敵が増えていく。
運命とか、世界の修正力とかそれほどの物に抗いながら生きる意味があるのだろうか。
今の俺に結論は出せなかった。
9
それから三人と合流した。
しかし、三人が気遣ってくれたのか、寮に変えることになる。
大丈夫だからと力説したのだが、三人の心配だということに蹴落され、強制的に帰ることになった。
帰った俺は強引に自室に連れ込まれ、布団を敷かれて、無理やり寝させられる。
眠気など皆無なのに布団に入ってゴロゴロしているといつのまにか眠りについていた。
第三章
1
目が覚めると朝を迎えていた。
早く寝たため寝起きが早い、時計を見ると朝の六時、とっくに準備も終わっているため昼までやることがない。
「さて、どうしようか」
自室に居てもどうしようもない。
頭を悩ましていると、外から一、二、三と数える声が聞こえてくる。
部屋を出て庭を覗くと、剣道着姿の栄子さんが竹刀で擦ぶりを行なっていた。
「栄子さん。おはようございます」
「おう、おはよう!」
爽やかな栄子さん。
「朝から性が出ますね。部活の練習ですか?」
「なに? 溜まっているのか? 朝から溜まっているなんてさすが若さだな」
「そんな事、俺言っていませんよ」
「かっかっかっかっかっかっかっかっか! 失礼、なんでも物事をいやらしく考えてしまう。という癖なんだ。許してくれ!」と、栄子さんは豪快に笑ってみせる。
どんな癖だよそれ。
朝から元気はつらつ栄子さんって感じだった。
「晴人、あれから倒れたんだってな。体調でも悪いのか?」
「いえ、お陰様で治りましたし、もうピンピンですよ」
「どこがピンピンなのか言ってもらいたいものだ」
「だからそんな意味じゃないですって」
「私はそんな意味で言っているのではないのだが?」
はめられた!
なんと、あざとい人だ!
「私より晴人の方がいやらしいと見た」
ニンマリといやらしい笑を浮かべる栄子さん。
「栄子さんに言われたくありませんよ」
「結構ー結構ー。それが若いって証拠だ。これからも探求していくのだぞ性少年!」
「青少年の漢字がやばい事になっていますけど。その点についてはどのような考えがお有りですか?」
「それはそれでいいかと。なあ性少年くん」
「俺が変態みたいじゃないですか!」
「変態に変態だと言えるのは変態しかいないのだぞ。性少年よ!」
正当化しやがった!
「はあ、もういいです」
「いけず」
妙な疲れと共に、俺は部屋に戻った。
2
二度目の起床とともに着替えを始める。
山に行ける格好、長袖長ズボン。暑いが草木で怪我するよりはましだ。
遼の門に集合した後。大谷さんの運転するデカデカとしたハイエースに乗り込み揺られること一時間半。
山の中腹にあるキャンプ場にたどり着いた。
車から降りるとその空気の違いに驚いてしまう。
空気が田舎と同じような感じだ、これこそが自然!
「皆さん。キャンプ場までは徒歩で行きますから、もうちょっとの辛抱ですよ」
俺たちは荷物を持って緩やかな坂道を歩き出す。
「もうちょっとの辛抱ですよ。香菜ちゃん!」
「…私…もう限界!」
香菜の息がゼ―ハ―ゼ―ハ―と荒れていた。
「俺が荷物持とうか?」
「………でも悪いよ。荷物持ってもらうだなんて」
「遠慮するな。昨日心配かけたからな、そのお礼だ」
香菜の荷物を受け取る。「……本当にいいの?」と香菜が小首をかしげる。
「いいっていいって、俺が持つから」
「……ありがとう」
そんなやりとりを隣で見ていた遥が、無言で荷物を差し出していた。俺は受け取ると、荷物の重さに腕の筋肉が軋みを挙げる。何入れればこんなに重たくなるのかよ!
「じゃあ、私もお願いします」
「お、おう」
「じゃあ、私もいいわよね」
「まあ、どうにかなるかな」
「じゃあ、私もよろしく頼むぞ」
「頑張ります」
続いて、イズキ、栄子さんの荷物を受けとる。俺の体のあちこちに不可がかかってやばいことになっていた。ちと、やばいかも。重さに飲まれそうだ。
「あら、あら、晴人さんは力持ちなんですね!」
大谷さんのいつもの笑み。
あなたなら分かってくれますよね?
「じゃあ、私の荷物もお願いしますね」
「は、はい」
結果、全部の荷物を持つ事になった。
どうして女の子は多くの荷物を必要とするのか謎だった。
3
歩くこと三十分。やっとのことで目的地に到着した。
春休みだからだろうか家族連れ、などの人たちがちらほらいた。
テントを建てて泊まるスペースと、あらかじめログハウスが建てられている場所二つが存在している。
「意外とキャンプに来ている人いるんですね」
「ええ、そうですね。今日の夜は花火も上がって、盛り上がるんですよ」
「へえ、それはすごい」
なかなか大掛かりなイベントのようだ。
「良く予約取れましたね」
「ええ、毎年行なっていることなので、ちなみに女子はログハウスに止まります」
「男の俺は?」
「ごめんなさい。まさか男性が入るとは思っていなかったので、ひとりのためにログハウスは取れませんよ」
「俺の寝床は?」
「私たちと一緒に寝たら、何されるかわからないので、テントで寝てもらいます」
大谷さんも俺の事信用していない?
「大谷さん俺をもうちょっと信用してください。大丈夫ですから」
手を出さない自信はある。多分。
「晴人さんのことは信用しています。私が心配しているのは栄子さんです。もし男の人が一緒に寝ていたら、何を起こすかわかりませんから」
「大谷さんそりゃないぜ。私は男が好きだが、こんなところで手を出すことは無いさ。手を出すとしたら野外だな」
そ、それは野外プレーということですか栄子さん。
栄子さんの言葉に一瞬苦い顔をする大谷さん。
大谷さんはいつものニコニコ顔に戻って、もうしなさそうに頭を下げる。
「やっぱり心配です。ごめんなさい晴人さん。だから一日だけですからテントで我慢してください」
上目遣いで手を合わせてお願いのポーズ。
「まあ、そういうことなら納得しますから。大丈夫ですよ。テント立てたことありますから、心配しないでください」
さすがに仕方がないと思う。
「とりあえずそのログハウスまで荷物運びますよ」
俺たちはログハウスに向けて歩きだした。
4
ログハウス前。
「……ふう、やっとついたよ」
香菜は疲れのあまりその場にヘタレ込む。
「香菜ちゃんこのぐらいでへばっていてはダメですよ。これから楽しい事が私たちを待っているのです!」
遥は拳を天に挙げた。
どうやら、相当このキャンプを楽しみにしているようだ。
まあ、わからなくもない。
遥のいた時代にキャンプなんて考えはなかっただろう。
だから新鮮なのだろう。
「香菜の言うとおりよ。香菜はもうちょっと持久力を付けたほうがいいと思うわ」
後に続くイズキは息など切らしていない。
「大人になってもいろいろな意味で持久力は必要だからな、特に夜にだな」
平然と言う栄子のそんなセリフに、イズキと大谷さんが頬を染めていた。
もちろん俺は呆れ顔。
二人は疑問顔。
「夜はそんなに疲れるのですか?
「夜に何かあるのかな?」
分からないなら分からないままで良い。
「やめてください。遥と香菜ちゃんが栄子さんに汚されたら、俺一生栄子さんを恨みますよ。余計な知恵を吹き込まないでください」
香菜は、今のまま、純情なまま育って欲しいと思う。
遥は、まあそのうち勉強していく事になるだろう。
「それは困った。困った。二人には甘いんだな」
「違います。栄子さんに辛いんです」
「もう、いけず」
両肩にかけられて荷物をログハウスの中に置いた。
小型のログハウスには二段ベッドが三つ、トイレと、小さなテレビがあり、最低限の設備があるといった感じだ。
「これからみんなで周辺を探検しに行くです!」
二段ベッドの上に腰を下ろした遥が言う。
「……遥ちゃん私もいかなければいけないの?」
その下から香菜が遥を見上げながら言う。
「香菜は強制です。一緒に動いて、体力をつけましょう!」
一瞬戸惑う香菜。でも遥の元気な姿に飲まれてしまっていた。
「……そうだよね。体力がないままじゃダメだよね!」
どうやら体力がないことを自覚しているようだ。
「そうです。そのいきです!」
遥は目をやる気満々に人目を輝かせていた。まったく元気だな、おい。
「では夕食の即在を自分たちで調達して来るのはどうですか? 少し登ったところに農業施設や、川があります。そこに行けばどうにかなりますよ」
大谷さんの言葉に遥の瞳はさらに輝きを増す。
「もってこいの場所です! イズキちゃんも一緒に行ってくれますよね?」
遥、香菜の対面の二段ベッド上に座っているイズキは待っていましたと言わんばかりに、元気だ。
「仕方がないわね。遥が言うのなら、私も行くわ。最近、体がなまってきたからちょうどいいしね」
「私は、バルコニーでビールを飲んでいるから、まあ、楽しんできてくれや」
「そうですか。残念です。大谷さんどうですか?」
「私ですか。そうですね。事務所で手続きを終えてから向かいます。だから先に行っていてください」
「じゃあ、晴人は荷物を持ってください。行きますよ!」
俺は強制参加か。
それに荷物持ちをまた任命させられた。
人使いが荒い事この上ないな。
遥、香菜、イズキ、俺を含む四人はログハウスから出て、農業スペースに向かって歩きだした。
俺の太ももに溜まった披露なんてお構いなく、三人はずんずん進んでいく。
その後ろを肩や背中に背負った重みと戦いながら、そのあとを俺は追って行った。
5
登ること五分。
農場スペースと呼ばれる場所にたどり着いた。
大谷さんの話によると、農場スペースでとった食材は、全部調理に使って構わないそうだ。
俺たちは開門で手続きを終えて中に入っていく。
「まずは、どこから行きましょうか?」
遥が先頭を切って歩く。
「ところで今日の晩ご飯何作るのか決まっているの?」
俺の問いに三人はお互いを見合って、決めていなかったという顔をしていた。
「そういえば決まっていなかったわね」
「皆さんは作りたいものとかありますか?」
「やっぱりキャンプと言えばカレーじゃないの?」
まあ、無難な線だな。
「……やっぱりカレーだよね」
「大定番かもしれないけど、まあ無難な線よね」
「私キャンプでカレーを作るの夢だったんです!」
「え、遥キャンプでカレー作ったことないの?」
「というかキャンプ自体初めてです。本当に楽しみにしていたんですよ」
「……へえ、そうなんだ。私もあんまりキャンプって得意じゃないんだよ。夜怖くて眠れなくて、何時もお母さんと寝ていたから」
な、なんと可愛らしいだ。
「きゃあ可愛い!」
グッジョブ、代弁!
イズキが飛び上がって、香菜を抱きしめる。
負けじと遥も香菜に飛びつく。
ああ、いいな。この光景。今ならご飯何杯でも食えそうだ。
「カレーだと言わずにどうせならいっぱい作りましょう! 川で魚を釣るのもいいし、バーベキューするのもいいし!」
「そうですよ! いっぱい作って、お腹いっぱいになりましょう!」
食欲旺盛な遥が目を輝かせて言う。
「そうだな。じゃあまずは畑に野菜を取りに行こう」
6
目の前には広大な畑が広がっている。畑には温熱テントが貼っていて、そのテントの前には植えられている野菜の名前が書かれている。
「まずは、じゃがいもとにんじんですよね? どんな風になっているのか楽しみです」
「まあ、この服装なら汚れても大丈夫ね」
遥、香菜、イズキは出入口で貰ったエプロンを付けている。
「……このエプロン、可愛い」
香菜のエプロンには豆柴の写真がプリントアウトされていた。そのエプロンに見とれているため、動かない。
「香菜ちゃん行くですよ!」
「ちょっと待って」
テントに入ると、「らっしゃい!」とおばさんの声と共に向い入れられた。そのまま案内されて、スタンバイOK。
おばさんの方が言う通りに土を掘り起こしていくと。じゃがいもが埋まっていた。ひとつを引っこ抜くと、まとめ引っこ抜かれる。
「うわー、これがじゃがいも、素敵ですね!」
新鮮な驚きにおばさんも嬉しそうだ。
これほど教えがいのある子も居ないだろ。
「ほら、あれが人参の葉っぱなのよ」
「すごいです。青々としています!」
「ここまで育てるの大変だったのよ。命に感謝して取ってね」
「はいです! 感謝して取ります」
遥が葉っぱに手をかけて思いっきり引っこ抜く。
赤々とした立派な人参が姿を表した。
「本当に立派な人参ですね」
おばさんは満面の笑で「そうでしょ! お兄さんもどんどん人参とっていってね。そして食べてね」
「ありがとうございます」
そんなやりとりを交えながら、カレーに使う材料や、何に使うのかわからない食材を手に入れ、次の目的地である川に向かった。
7
「これが自然の川ですか!」
川の流れをみて目を燦々と輝かせる遥。
俺たちの前には岩々に挟まれた川が緩やかに流れていた。
「……川見たことないの?」
「自然の川は初めてです。資料でしか見たことがありません」
「……そうなんだ」
香菜は不思議そうに遥を見ていた。
(ちょっといいか? あまり不信がられる発言はやめたほうがいいと思うぞ)
(なんでですか)
(だって、遥は未来から来たんだろ? そのことが俺以外の人にバレると何かと厄介だと思うけど?)
(おお、鋭いですね。たしかに一理あります)
川の周辺にはおじさんが釣りに勤しんでいる。
「あれが、釣ですか初めて見ました!」
言ったそばから、何してるんだよ、もう。
遥は全力疾走で、水の中に走っていく。
「あはは、冷たいです! 水が冷たくて気持ちいいです!」
裸足になって水を蹴っている。
「……遥ちゃん冷たいよ」
「よくもやったわね!」
負けじと香菜と、イズミも水の中に入っていく。
香菜はワンピースを持ち上げて水を蹴っている。
イズキは両手で水をすくって遥に攻撃。
「危ないって、ほかの人が釣りしているんだし、迷惑になるよ!」
周囲の釣りを楽しむ人たちの視線を一心に集めていた。美人が三人も集まるだけで異様な雰囲気になるのに、それ以上に騒いだりしたら、視線の的になってしまう。三人はそのことが分かっているのだろうか。
「そんな事言って、本当は一緒に楽しみたいんじゃないの?」
イズキの言葉に俺の体はぎくり、と音を立てる。
そうだよ。俺だって遊びたいよ! 疲れた足に冷たい水。つかりたいに決まっているじゃないか。
「そうです、素直になればいいんですよ」
「……晴人君。楽しいよ」
あの光景を見せられてはもう、我慢できない。
「ああ、もう、わかったよ! 素直になるよ!」
「素直が一番です!」
「……うん。……素直って素敵」
「早く来なさい!」
「うしゃあああああああ!」
和に入って当初の目的すら忘れ俺は水を掛け合った。
四人が注目の的になっていたのは言うまでもない。
8
「どうしてそんなにびしょ濡れなんでしょうか?」
大谷さんの言葉に俺は自分の姿を見た。全員Tシャツが濡れてなかの下着がうっすらと見えていた。
瞬間遥、香菜、イズキは顔をリンゴのように真っ赤にして。
「晴人これが目的で川に連れてきたのね!」
「違うよ。これは副産物だよ」
「晴人はやっぱり変態さんです!」
「晴人君が私の下着見た。……もうお嫁にいけない」香菜はその場にしゃがみこんでうっすらと涙目を浮かべていた。
泣かしちゃったじゃないか!
「だって三人も楽しんでいたじゃないか!」
「それとこれとは別よ。私と結婚してくれるなら今のを不問にしてあげるわ」
「だから飛躍しすぎだよ!」
「なんですか? 結婚、そんな話聞いていませんよ!」
「晴人君……結婚するの?」
二人の強い疑問にタジタジ。
「違うから、マジで信じないでくれ」
「晴人言ったわよね。私の裸を見たから責任取るって?」
「言ってないよ!」
「その話詳しく聞かせて欲しいです!」
「……晴人君は変態さんなの?」
「違うから、そうだけど、違うから、記憶を改ざんしないでくれ。オレは結婚するなんて一言も言ってないよ!」
「あら、そうだったけ?」
「そうだよ。あれだって元をたどれば栄子さんが悪いんじゃないか。本当いい迷惑だよ」
確かにイズキの裸をうっすらだが見ていた。しかし、それは栄子の故意か偶然かそれはわからないが。こういう結果を生んでしまった。
「でも見たことには変わらないわよ。それなら男として使命を果たしてもらうわよ!」
「じゃあ、私も裸見せるです! そうすれば晴人は私の物、どんなことだって言うこと聞いてくれるんですよね?」
「……晴人君が見たいって言うなら、私頑張る」
「がんばらなくていいから!」
変態紳士たるもの清純を愛でる。大切にする。求め続ける。理念にしたがって俺は全力で否定した。紳士たるもの当たり前のことである。
「皆さんそろそろ戻らないと時間がありませんよ?」
そんなやりとりを見て、大谷さんは笑を浮かべていた。
9
農場スペースから戻ると、
「へっくしょん!」
遥が力いっぱいのくしゃみをする。
「あらあら風を引いてしまいますね。どうです、料理を作る前に温泉にはいりませんか?」
大谷さんの提案にみんなは目を見開き、目を輝かせる。
ああ、眩しい。
「ここ、温泉があるんですか?」
「ええ、ありますよ。あの山が活火山なので、温泉がいたるところにあります。美肌効果も期待されているんですよ。ここの温泉」
「是非行きたいです!」
「……温泉入ってみたいかも」
「そうよ、ここの温泉入ったらお肌がピカピカになるのよ」
「それはますます行ってみたいです!」
「ちなみに男湯はありますか?」
「ええ、大丈夫です。男湯はちょっと離れていますがちゃんとあるので心配しないでください」
ふう、よかった。
俺も濡れた体を温めないとこれじゃ風邪を引いてしまう。
「晴人さんにはこの場所に男湯があるので、地図を渡しますね」
「ありがとうございます」
「では、ここに六時に集合ですね。それから夕食を作りましょう」
こうして男女で別れて温泉に向かうことになった。
10
この先に露天風呂があると聞いていたのだが、進めど進めど見当たらない。
次第に不安になってくる。
地図を見てもこの先だということしか分からない。
こんな時は歌でも歌ってごまかすしかないな。
「ある日~~~森の中~~~」
おお、歌を歌うと寂しくないぞ。
「くまさんに~~~出会った」
森の中を駆け巡る音が聞こえた。
立ち止まり、周囲を見回す。
しかし、誰もいない。
「ふう―――気のせいか」
まさか、いるわけないよな。こんな時に出会う訳がない。
………。
振り返ると、そこには大きな顔。
「え………」
それは、動物園だけで見るものだと思っていた存在。
もしくは図鑑で見るべき動物。
「うぎゃああああああああああああ!」
その顔はまさしくクマだ。
頭部のわりにつぶらな瞳、耳も丸くて短い。四肢が筋肉質でがっしりとしている。
目があった瞬間クマは両足で立ち上がり、口元からは犬歯を剥き出しにして、つぶらな割に鋭い瞳が睨みつけてくる。
瞬間的に俺は固まってしまった。
クマは周囲を見回し、誰もいないことを確認したのか、両腕を使って俺に覆いかぶさってくる。
俺はクマに捕まる前に踵を返して走り出した。
「はなさく森の道~~~クマさんに出会った!」
全力でわき目を振らずに走る。
くまは息を荒らげながら物凄いスピードで付いてくる。
もう、歌なんて歌っている暇などない。
生きるか死。
これが運命の選択なのか?
(遥! 遥! 聞こえるか! 大変なんだ! 助けてくれ! マジで俺死にかけているから!)
(そんなはずありません。本部からまだ連絡きていませんし。大丈夫ですよ? 何かあったのですか?)
(今クマに追われているんだ。だから助けてくれ!)
(またまたご冗談を、クマに出会うだなんてそうそうありませんよ)
(違う本当なんだ。信じてくれよ!)
(冗談が下手ですね、女の子はもっと洒落た冗談じゃないと落ちませんよ)
(だから冗談じゃなくて)
(今からお風呂につかるので)
(え、マジ、信じてくれないの?)
(でわ、夜ごはんで会いましょう)
会話がきられた。
まずい。
ものすごくまずい。
このままだとクマに襲われて、確実にお陀仏だ。
生きるためにはクマを振り切るしかない。
木々を掻き分け全力で下っていると、人口の光が木々の間から漏れてくる。
やっと森を降りることができた。助かるぞ。
俺は全力で翔け出た。
「え」
気づくと俺の体は宙に体が浮いていた。
「ええええええええええええ!」
下を見ると露天風呂。
そこには見知った顔のみなさん。
遥、香菜、イズキ、栄子さん、そして大谷さん。
肌色の世界が目に飛び込み、全員と目線が合う。
「「「「きゃあああああああああああああああ!」」」」
唯一栄子さんには恥じらいはなく。
おお、すごいなとか言って胸元をさらけ出していた。
しかし、それは一瞬で体が水面にものすごい音をたて、水しぶきを上げて、激痛と共に叩きつけられた。
瞬間、意識を失ってしまった。
11
「あら、大丈夫ですか? 皆さんのお待ちですよ」
気がつくとベンチに寝かされていた。
そういえば、くまに追われて、温泉に飛び込んで、水面に衝突した衝撃で俺は気絶してしまったのか。
荒ぶるクマを思い返すだけでゾッとする。
ベンチから体をゆっくりとおこすと、そこはバーベキューや、食事ができるようになっているスペースだった。
「晴人君、体大丈夫?」
香菜が心配そうに見つめてくる。
「ああ、心配かけたな」
香菜の横にいる遥が、大息をついた。
「あのくらいで気絶するなんて晴人は意外と貧弱なのですね」
「面目ない。まさかクマに追われるとは思っていなかったから」
たしかに、クマに遭遇してしまうとは思っていなかった。
さすが田舎、恐ろしい。
「そのクマのことだけど、元からこの辺にくまが出没していたらしいわよ。実際クマにまで風呂覗かれたし、意外といるのね」
「で、クマはどうなった?」
「猟友会がクマ退治に出たから大丈夫ですよ。でももう山の方には入れなくなったみたいですね。さすがに」
「あれ、俺服が変わっている?」
「係りの人呼びましたから、あと服の脱ぎ変えを頼んでおきましたので」
「晴人、裸を見たことについて言及したいと思いますが、今回は不問とします。その代わり私たちが作った料理の採点をお願いしますね!」
四つの鍋が並んでいる。その全てにはカレーが満たしていた。
体のいたるところが悲鳴を上げているが、カレーを見た瞬間、どこかに吹っ飛んで行きやがった。女の子の手料理。最高だ!
「どれも美味しそうだな」
四つのカレー、どれも見た目は変わりない。
「ささ、判定お願いします」
「もちろん。お腹減っていたし、ありがたい」
これで許してもらえるのなら、いくらでも食べるよ。
「じゃあまずは私のカレーです」
紙皿に継がれた遥の作ったカレーを受け取る。
カレーを口に運んだ。
「これは、なんとも言えない旨みがきて、そしてなんだ。この苦味は」
「ああ、それですか。鮎のワタを隠し味で大量に入れています!」
「それ隠されてないから、隠し味ってのはちょっと入れるから隠し味って言うんだよ」
書いて字の如く。遥は理解していないのだろうか?
「あれ、晴人、味覚おかしいんじゃないんですか?」
これを作った張本人に言われたくねえよ。
と、本来なら言っていたが、初めてのキャンプで作ったカレーにそれ以上ケチを付けるのは可哀想だろう。
「不味くはないよ」
「そうですか。その言葉が聞けただけでよかったです」
俺は明日胃が爛れる予感がするのだが、ガツガツとカレーを平らげる。
空腹で本当に良かった。
「じゃあ次は私の食べなさいよ」
イズキの作ったカレーには動物の足らしき形のものが浮かんでいる。箸でそれを持ち上げると鳥の足やら、豚の足だった。
グロテスクなカレーに一瞬嫌な予感が走る。そんな表情に不満があるのかイズキは詰め寄ってくる。
「何か文句あるの?」
「ございません。いや見た目から美味しそうだと思って、見蕩れてしまってた」
「味も美味しいわよ。だから早く食べなさいよ!」
「わ、わかったよ」
自信満々のイズキにおされてカレーを口に運ぶと、口の中に豚骨やら鳥のだしのきいたカレーが口の中に広がる。
カレーの味は旨い。
自信満々だけあって味は申し分ない。
「うまい」
「でしょ? 料理は見た目じゃないのよ。見た目じゃ」
見た目もよければさらにいいのに。と思いながらカレーをかきこんでいく。
「晴人君……私のも食べて」
続きましての香菜のカレー、星形に切られた人参に、一口大にきられたじゃがいも。肉は鳥肉を使っていて、ヘルシー志向のようだ。
「……どう? 美味しい?」
「うん、美味しいね」
安定した美味しさにカレーが進む。
香菜の作ったカレーを平らげた。
お腹もいい感じで満たされていく。
次は栄子の作ったカレーが差し出された。
「栄子さんって料理できるんですね」
「あたぼうよ! 料理も男を落とすひとつの技だからな」
なんでも男と結びつく人。恐ろしい。
「あれ、何かアルコールの臭いが抜けきれていないみたいですけど」
「そんなの当たり前じゃないか、料理も男を落とす手段だからな!」
「じゃあ、栄子さんのカレーは結構です」
「もう、いけず」
四人のカレーの採点を終えて、コップの水を飲む。
「フー。お腹いっぱいだ。みんなは食べたの?」
「私たちはもう食事を済ませているので」
「俺そんなに気を失っていたのか」
意識を失う確率が、明らかに増えているような気がする。
「食事も終わったことですし、これからみんなで星を見に行きませんか? おすすめのスポットがありますから」
「行こ! 行こう!」
「……満点のお星様が見れるなんて、本当にキャンプって楽しいんだね」
「早く行くわよ! 場所取りだって重要なんだから」
「ちょっと待ってくれ、お酒が切れて私は大変だ」
「知りませんよ。お酒我慢すればいいでしょう?」
「ええ、分かったよ。我慢する。だから私の男になれ。それで手を打とう」
「ちょっと抱きつかないでくださいよ。酒臭いです!」
「いいじゃないか、いいじゃ」
「あ、ずるいです。私だって晴人に抱きついてみたかったんですよ」
「……私も、いいかな?」
「ちょっと婚約者の私を省くだなんて、ありえないわ」
女の子の柔らかな感触が四方八方から攻めてきた。ああ、もうだめ。
「大谷さん助けてください!」
「じゃあ、私も」
ほんのり頬が染まっている。
誰だよ大谷さんにお酒飲ませたの!
「ほら、こんなことしていないで早くいきましょうよね!?」
周りの視線が再度俺に突き刺さる。
「照れているんですか? 照れているんですよね晴人? ほんとは嬉しいくせに、生意気ですよ!」
「違うって、俺そろそろ潰れる!」
「……晴人君の体あったかい」
「意外としっかりとした体をしているのね。もやし男かと思ったけど、違うみたい」
「中学時代サッカー部に所属していたらって、ああ、そんな変な触り方しないでください! くすぐったいです」
「私はそんなことしていないぞ」
「だからくすぐったいですてば」
「私もしていないわ」
「私もです」
遥、イズキ、栄子さん、大谷さんはお互いを見回し、香菜は頬を紅潮させる。
「……あ、バレた」
「ほう、香菜、済におけない性格をしているんだな。こうしてはおれん。私のゴットハンドが燃えている!」
「私もするですよ!」
「そんなのずるいわ!」
「もういい加減しろ!」
「「「「「おお、男らしい!」」」」」
「なんですかその反応!」
「もうちょっとで面白くなりそうだったんですけど、惜しいですね」
「もうちょっと抱きついていたかったな」
それは是へ別の日にお願いしますよ!
「もう、からかわないでくださいよ」
楽しい食事も終わり、夜空を見るために場所移動を初めた俺たちだった。
12
星を正面に俺たちは芝生に寝っ転がる。芝生からは春の新芽の匂いがして、夜風からは春の温かさを感じる。
周囲には同じような考えの方が大勢芝生の上に寝っ転がっていた。
「ふわ――。綺麗」
香菜が感嘆の声を漏らす。
無理もない。雲ひとつない夜空にははっきりと星々が光を発している。その中でも一番光を発している月。何時も見付きよりも大きく、はっきりと見えている。
「ほんと、綺麗です」
「月っていいものね」
「これでお酒があれば申し分なかったのだがな。まあ、お酒が無くても、いいかな」
「何度見ても綺麗ですね」
「大谷さんは何度もこの月を見ているんですよね?」
「ええ、毎年来ていますから。でも去年は雲がかかっていて残念だったのですよ。だから私も二年ぶりになります」
「悔やむだけありますねこの景色は」
田舎出身の俺でもこんな景色見たことない。そのぐらい満開の星空だった。
横に横たわっている遥が俺のTシャツを引っ張る。
「知っていますか? 私たちの世界では星の数だけ、運命線があると言われています。だから星は私たち人の象徴なのです」
「へえ、いい言葉だな」
「なに、なに、二人だけでこそこそ話さないで私にも教えなさいよ!」
「……私も知りたいよ」
「いやー大して話じゃないんだよ。ただ、星を見て人の運命って星の数だけあるんじゃないかなって思っただけで」
…………。
心地悪い空白が流れる。
「気持ち悪いです」
あれ遥が言ったんだよね。その言葉!
「今のはなしね」
「ちょっとキザすぎるんじゃないのか?」
「……ロマンチックです」
大谷さんは苦笑い。
まあ、そんなことはさて置き、どうしても遥に聞きたいことがあった。
それは彼女が世界線管理委員会に入ったその理由だった。今の今まで忘れていたのだが、ふとそんなことを思い出してしまった。
(遥はどうしてそんな物騒な時間管理委員会なんてモノに入ったんだ?)
(えーと、どうしても知りたいですか?)
遥は言葉を濁すように言う。
(まあ、無理にとは言わないけど)
(もともと、晴人には一度聞いて欲しかったんです)
(うん)
(お母さんの運命を変えるために私は、世界線管理委員会に入りました)
(俺にはお母さんって存在がよくわからないよ。俺に母親なんて居なかったから、きっと遥にとって大切な人なんだろうね)
(ええ、お母さんは私の大切な人です)
(大切な人ね)
絶対に守りたいと思えるような人物がまだいない。家族も居なければ、恋人だってまだいない。だからそんな気持ちが分からない。
(俺には家族が居ないからよくわかんないな)
(ごめんなさい)
(いいって。もう慣れているから)
慣れていた。
慣れてしまっていた。
自分に家族がいないことも、一匹狼になってしまったことも、今生きているのも、慣れてしまっていた。
夜空を見上げる。
星の数だけ世界線が存在するのなら、俺が幸せに家族と暮らしているそんな世界があるのかもしれない。ふと、そんなことを思ってしまった。
「皆さん今から花火が上がりますよ!」
大谷さんの声の共に、ヒュルーーという音がなる。
満開の花が夜空に咲いた。
周囲からは感嘆の声が上がる。
「うわー綺麗です!」
遥は目を輝かしながら思わず立ち上がってしまう。
「これが花火というものですか! 綺麗です」
「春に見る花火というものも乙なものだな」
「う!!」
お腹の中がぐるりと鳴る。ぎゅーと締め付けられて腹が痛い。
場違いだろ俺、この腹の痛さは場違いだろ?
「……晴人君、顔色が悪いよ? ひょっとして花火怖いの? 私にはわかるよ。雷に似ていて怖いよね。うんうん」
違う。これはカレーを調子に乗って食べ過ぎたせいか?
必死に下を締めて耐える。
「ちょっと、トイレ」
「早く戻ってきてね」
「うん、うん」
俺は腹が揺れないように、揺さぶらないようにゆっくりと、トイレに向けて歩いていった。
13
「スッキリした。さてもどるか」
誰もいない夜道を戻る。
ちょっと急ぐか、花火も見たいことだし。
駆け出そうとした瞬間だった。
「ちょっと待ちなさい」
その声、張り詰めた声に晴人に聞き覚えはない。
振り返ると白衣姿の女性が立っていた。
キリッとした目が睨みつけている。
「あの、なんでしょうか?」
見覚えのない女性。
「ひょっとして道に迷われましたか、それなら俺と一緒に来てくれれば広場に戻れますけど?」
「違います、私は道になど迷ってはいません。あなたがくるのを待っていました」
「オレは、特に用事はありませんが?」
この人はいったい誰だろう? 分からずにいた。
「あなたは私に用事はなくとも、私はあります。あなたが死ぬ前にどうしても言っておきたいことがあります」
「はい?」
はあ、また電波女か、もう一人で十分だ。
人が死ぬとか、俺が死ぬ?
また、そのセリフか。聞き飽きたし。
「言っている意味がわかりませんが?」
「過去にあなたの運命は死に直結していると言われた。それもひとりの少女から、名は篠塚遥、そしてその子の出すヒントによってあなたは死を選ばずにここまで生きている。違いますか? そうでしょう」
まだ誰にも話していないのに?
どうしてこの女性はそれを知っているんだ?
「あなた、何者ですか?」
「世界線管理委員会と言えばお分かりでしょうか?」
まずい、この女性は遥の親玉だ。
(おい、ちょっと、遥助けてくれ、俺殺される)
遥に問う、しかし返答は無い。
「そんなことしても無駄ですよ。私は、委員会の命令でこの世界に来ているのではありません。私は、私の権限で世界に来て、あなたに合いに来た。だから、篠塚遥は私が来たことなど知るはずもありません」
「目的はなんですか? もしかして、俺を殺しにきたとか」
そうあって欲しくないのだが、嫌な予感しかしない。
「残念ですが、それはないですね。既にあなたの運命は死という選択肢しか残されていません。今までは彼女のヒントによって回避に成功してきたようですが、これからあなたに降りかかる死には選択などありません。どこにどう転んでもあなたは死ぬのです。わかりますかデットオワデットなのです。残念ながら」
顔色一つ変わらない表情からは残念だとは微塵も感じられない。
「そんなことを伝えに来たのですか。そんな面倒なことのために、あたなが来とは思えません。伝えるなら遥を経由して伝えるのが効果的なのでは?」
「もちろんです。だからそんなことのために私が来たのではない。あなたにはどうしても真実を知らなければならない」
「真実?」
女性は睨みを利かして言った。
「あなたのお兄さん、松田夏希が死んだ真実を」
第4章
1
「俺の兄貴の死んだ真実?」
「あなたのお兄さんは事故で死んだ事になっています」
「なっていますも何も、兄貴は事故で死んでしまった。それは事実です」
思い出したくもない。
兄貴が死んだその日のことを。
病室で安らかな兄貴の表情を。
思い出したくもない。
「でしょうね。あなたの世界ではそれが真実、でも私の世界線ではそれは事実とは限りません。それは篠塚遥や私がいることが証明しています」
「何が言いたいんですか? 兄の死と遥は関係ない。もちろんあなたとも関係の無いことです」
「私の世界であなたの兄はジョンタイターと名乗っていました」
「ジョンタイター?」
ジョンタイター。
二〇〇〇年にインターネット上に現れた、二〇三六年からやって来たタイムとラベラーを自称する男。
複数の掲示板やチャットなどで、タイムトラベル理論や、二〇三六年についての状況などを書き込み、自分の未来人である可能性を残していった。
その四ヶ月後に予定の任務は完了したとか言ってそれっきり姿を表さなくなった。
それからは、ジョンタイターについての書籍が出回り、話題の人になった。
それが俺の知るジョンタイターの全てだった。
「俺の兄貴が、ジョンタイター?」
「嘘ではありません」
女性は表情変えずに言う。
「私もジョンタイターなのだから」
「はあ?」
ジョンタイターは男性だったはず、仮に俺の兄がジョンタイターだったとして、この女性がジョンタイターである意味が分からない。
まさか嘘を言っている?
でも、そんなふざけているようには思えない。
一体何だ。この女性は何が言いたいんだ。
「驚くのも無理はありません。あなたの世界ではジョンタイターは男性だと思われている。まさか女性がジョンタイターだと思わないでしょう」
「ええ、まあ」
「しかし、ジョンタイターはひとりの人を指す名前ではありません」
じゃあ、あのジョンタイターはなんだって言うんだ。
「ジョンタイターはタイムマシーンを自由に使える人のことを指すのです。一個人の名前なのではありません」
「ジョンタイターはひとりじゃない?」
「そうです。私を含めて九人のジョンタイターがいます。そのうちの一人があなたのお兄様でした」
「どうして、兄貴がジョンダイターだなんて、何がしたかったんだ兄貴は?」
「まだわかりませんか? 全てあなたのためです」
「俺のため?」
「ええ、彼は何時も家族のことを大切にしている人でした。もちろんあなたが亡くなってしまったときにも悲しんでいました」
「たしかに、兄貴は優しかった。勉強しないといけなかったのにバイトをして、俺たち家族をどうにか支えていた」
そのとき俺はまだ小学生で、何もできなかった。
兄貴がどんな苦労をしているかよく知らず、兄が死んだあと、親戚のおじさんたちに聞いた話だった。俺の前ではあんなに平気そうに振舞っていた兄貴が、俺の為にどれだけの時間を割いていた事。やっぱり俺は足でまといでしか無かった。悔しかった。
「ええ、あなたのお兄さんは本当に優しい人だった。その点については私も同感です。私もそんなところが好きでした。だから過去に戻ろうとしたあの人を私は止めることができなかった。それがたとえ自分の命を引換えにあなたの命を助けたとしても!」
その言葉の意味がわからなかった。
俺が生きていることに兄貴が関わっていることを、信じられなかった。意味が分からなかった。
――え?
今なんて言った?
あの人はなんて言ったんだ。
俺を救うために自分の命を引き換えだって、馬鹿言うんじゃない。
そんな事あるわけない。
「嘘だ。あなたは嘘を言っている。そんな事あってたまるか! 俺が兄貴のかわりに生きている? そんな訳がない。兄貴は俺より才能があってなんでも出来た。勉強もできて、東大も十分目指せていたし、サッカーだって俺より上手くて、アンダークラスの代表にも呼ばれて、将来を期待されていた。そんな兄貴が俺なんかのために死ぬ訳がない。いや。死んじゃダメなんだよ!」
同様のあまり汗が引いていく。
「兄貴は、俺なかと違って兄貴には世界を魅了するだけの力があったんだ。 だから兄貴が俺なんかのために死ぬ訳がない。死ぬ訳がないんだ!」
俺は女性に頬を叩かれた。
音と共に我に戻った。
「あなたがいたから夏希さんは死んだ。あなたさえいなければ、あなたさえいなければ私たちは幸せに暮らせたのに、全部あなたの存在が全てを壊した!」
女性は今まで凛々しかった表情をぐちゃぐちゃに壊して俺の胸板を叩く。
「私はあなたの顔と名前を一日に忘れたことはなかった。事実を知らないで生きているあなたが本当に腹正しかった」
女性は面妖な笑を浮かべて。
「でもあなたは死ぬ。これから死ぬのよ。だからその前に伝えに来た。何も知らないで死ぬより、もっとあなたには苦痛を与えなければ私の気が済まない」
「もう、わかったからひとりにしてくれ」
「もっと顔を、心を歪ませなさい。あなたがいくら懺悔したところで私はあなたを絶対に許さない」
ああ、そうかい。
分かったよ。
やっぱり俺は生きていてはダメだったんだ。
兄貴の代わりなんてできやしなかったんだ。
「もういいだろ。混乱しているんだ。もう俺に話しかけないでくれ、頼むから」
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
一人になりたかった。
「どっかに行ってくれ!」
現実逃避したかった。
「わかりました。死ぬまで懺悔しなさい。それが夏希さんへの手向けです」
女性は森の中に消えていった。
「なんで、俺が生きているんだよ。どうして、俺が生きているんだよ。なんで、殺さなかった。なぜ生かそうとした。答えろよ。兄貴!」
俺は虚空に向かって吠える。
真実を認めたくない自分がいて、その自分になんて声をかけてやれば落ち着くのかわからなかった。いま大切なことはなんだ。真実を知った俺はどうすればいい? 死に直面して、それを懺悔して、兄のことを後悔して、次に俺はどんな顔をすればいい。
何をすればいい。
どうすればいいんだ。
「教えてくれよ。兄貴!」
答えなど帰ってくることはもちろん分かっている。
でも、叫ばなければ、俺自身が壊れそうだった。
2
少年に別れを告げたあと、女性は山の頂上の座標ポイントに向かって歩いていた。
「やあ、久しぶりと言っておいた方が正解なのかな?」
女性の前に女性が立ちふさがる。
「ええ、そうでしょうね」
女性に話しかけた少年は異常な風貌をしていた。
まず髪が銀髪、目も銀色。全体的な色素が薄く、大気に溶けてしまいそうな少年が、細い目をさらに細めて、狐のような目の少年。
「君がまさか私利私欲のためにタイムマシーンを使うなんて、珍しいな。びっくりだよ」
少年は大げさなほどに驚いてみせる。
「私も驚いています。ところであなたはどうしてこんなところに」
「ちょっとこの世界で気になる人物を見つけたからね」
「まさか彼のことでしょうか?」
「さすが、そうだよ。彼だ」
「お言葉ですが、運命図が彼の死を九十九.九パーセント示しています。彼に期待するのは無駄に終わるかと」
運命図は人の運命の行先をさしたデータの事。すべての分岐点には可能性と言う名の数字が書かれ、運命が分岐していく。
「一〇〇%ではないのだろ? 僕は彼こそが本物に対抗できる存在だと思っているんだ。だからこの世界の修正力に打ち勝ってもらわなければ話にならない」
「私たちに無理なことが彼にできるとは思えませんが」
「それは、僕たちがジョンタイターという偽物の面をかぶっているからだよ。しかし、彼は本物の中の本物だ。ひょっとして僕たちの世界を変えることが出来るかもしれない」
少年は子供のような笑を浮かべる。
「でも、彼は八番目によって生かされた人間です。本来なら彼は生きているわけがありません」
「それこそタイムパラドックスだ。それに八番目は死んだのではない。ただ世界の矛盾に飲み込まれただけだよ。」
「しかし、八番目には世界の修正力に抵抗できる存在がいる可能性を残してくれた。それが八番目が残してくれた意味だ。本当に感謝している。しかし、命を投げ出してまでもすることかな? 全く信じられない」
たしかに八番目が残して可能性に、機関は歓喜していた。だから、構成員をわざわざ調査に向かわせた。
結論は惜しいところまでいったものの、これから彼を待ち受ける運命に勝つことはできない。そう判断がくだした。
九十九.九%無理なことに希望を持てという方が無理というもの、だから、彼は乗り越えることができないと言う結論を導き出したまで。
たしかに、彼が死ぬことは変わらない。
「そうだ。君も僕たちの仲間にならないか? ジョンタイターは一人でも多いほうがいい。偽物だって集まれば本物に勝てるかもしれない。今はいいようにやられてしまっているみたいだしね。どうだい? 本物に一泡吹かせたいと思わないのかい?」
たしかにその考えは面白いものがあると女性は思った。
しかし、女性の目的は既に終わり、本当に叶えたい願いは叶うことはない。
「考えさせてください」
「いつでも返事待っているよ。じゃあ、僕はもうちょっとこの世界線にいる。君も彼の最後を見ていくのかい?」
「いえ、私は結構です。仕事の続きがあるので、戻ろうと思います」
「ああ、そうだ。もし今回彼が運命に抗うことが出来たなら、僕たちの仲間になる。もし彼がこのまま死んでしまえば僕たちは君を諦めるよ」
「ええ、それで構いません」
3
「目が真っ赤だよ」
「ああ」
「どこにいってたの?」
「トイレだよ」
何を言われても頭からすぐに言葉は抜けていく。
まるで心から感情が抜けていくその感覚が今ならわかるようだった。
「そんなに目を真っ赤にしてどうしたんですか?」
「別にどうもしてないよ。大丈夫だから」
「それにしてもおトイレ長かったですね。お腹の調子が悪いのですか?」
「ああちょっとな。どうやらカレーを食いすぎてしまったみたいだ。悪いけど俺先にテントにもどるよ」
考えを整理したかった。
4
テントに戻って、寝転がっていた。
頭の中は兄貴のことばかり、なぜ自分が生きてしまったのだろうと自分に問いかけるものの分からない。
「晴人、ちょっと話があります」
そんな声がテントの外から聞こえた。
声のぬしは遥のようだ。
「どうしたんだ? そんな辛気臭い顔して、らしくない」
「言いたくは、ありません。でも、晴人だけには伝えなければいけないと思って」
「なんだよ。俺に告白ってか? 俺にこと好きになってしまったとか?」
暗い表情の遥、俺は反対におどけてみせる。
「私は、晴人の事が好きです。好きになってしまいました。もちろん遼のみんなのことも好きです」
そういう意味の好きね。
一瞬びっくりした。本当に俺のことを好きになってくれたんじゃないかって。
「晴人、やっぱりあなたは死にます」
「ああ、知ってる。遥の上司のジョンタイターて言う奴にさっき合ってよ。全てを聞いた。俺がどうして死ぬのかも、その確率が九十九.九%で決まっていることも、俺の兄貴がジョンタイターと名乗っていたことも、聞いたよ。」
「そ、そうですか」
遥の声色は当惑気味だ。まさか上司がこの世界線にいるとは思っていなかったのだろう。
「遥も、行ってしまうのか?」
「ええ、命令が下りましたので」
「みんなにはどう説明すればいいんだ? 遥が居なくなったって大騒ぎしてしまうぞ」
「大丈夫です。明日の朝になれば修正力によって晴人以外は覚えていません。私がいたことなんて忘れて、ただのキャンプに来たことになっていますよ」
「そうか、残念だな」
「私だって、帰りたくないです。みんなともっと仲良くなって、遊びたいです。晴人たちが行く学校にも通ってみたいです。でも、命令には逆らえません」
「ごめんな。俺力になれなくて」
「謝らないでください。運命が決めたことですから、晴人は悪くありません。本当に仕方のないことです」
「そうなだよな」
「誇ってください。晴人は四度も運命に勝ったのですよ! こんな人普通いません。晴人はすごい事を成し遂げているんです」
「ごめん、俺にもっと力あれば、よかったんだよな」
俺は唇を噛み締める。
これほど自分の不甲斐なさを恨んだことはない。
「だから、謝らないでください!」
それは力のこもった声だった。
「私だって悔しいんです。私は機関のしたっぱで、なんの力も権限もありません。わたしだってもっと力あれば、晴人の運命を支えられたかもしれません。誤りたいのはこっちの方です。ごめんなさい。力になれなくて」
遥は唇を噛み締め、自分の不甲斐なさを呪っているようだ。
「ありがとな。そんなふうに思っていてくれたんだ」
「当たり前です。晴人は私の大切な人です。だからこそ晴人には言葉できちんと伝えたかった」
遥は目に涙をいっぱいにして、その瞳と不格好なまでの笑を浮かべて。
「ありがとう。さようなら」
遥は森の中に走っていった。
気がつくと俺の頬に涙が流れていた。
情けないほど表情がグチャグチャになっていた。
遥との別れ、これからやってくる自分の死。
もう訳が分からなくなっていた。整理して理解したはずの自分の死。それなのに、受け入れていたはずなのに、怖かった。
「俺にもうすぐ死ぬんだ。死にたくなよ。死にたくないよ」
生きていて意味があるなんて思えなかった。
でも、意味なんてなかったとしても生きていたかった。
死んでもいいと思っていた。
でもそれは間違いだった。
遥、香菜、イズキ、栄子さん、大谷さんに会って自分の間違いに気づいていた。
生きていたいと初めて思った。
本当に短い間だったでも、本当に楽しかった。
本当に楽しかった。
でも、運命が殺そうとしている。
たしかに運命に逆らって今まで生きていた。でも、それは遥の助言があったからだ。
確定してしまった運命に一人で勝てるわけがない。
いつ死ぬかもわからない恐怖が体を包んでいく。
恐怖から逃れるようにテントに戻り、最後の眠りについた。
5
目が覚めると、寝汗をびっしょりとかいていた。
はあ、深い溜息が生まれる。
テントの外に出ると雲ひとつない快晴だった。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
「どうしたんですか朝からそんなに慌てて」
大谷さんが額に汗をうかべて息を荒らげて走りよってくる。
「遥ちゃんが居なくなってしまったんです! 晴人さん、どこに行ったか知りませんか?」
え?
遥が未来に帰った。そのことが本当であれば、遥をのぞく他の人に遥の記憶が消失してしまう。しかし、誰かが覚えているという事はまだ遥がこの世界線上にいることを示していた。
俺は仰天のあまり固まってしまった。
遥にもう一度会えるかもしれないと言う可能性が残されていたからである。
「晴人さん。ちょっと話聞いていますか?」
「ええ、はい。聞いています。遥が居なくなった? それ本当ですか?」
半信半疑で尋ねる俺。
「ええ、朝起きたらベッドに居なくて、一時したら戻ってくると思ったんですけど、戻ってこなくて、さっきみんなで近くを探したんですけど、見つからなくて、本当、わたしどうしたらいいのか。わからなくて!」
大谷さんはあたふたして慌てている。
「大谷さん落ち着いてください。とりあえずもう一度探しましょう」
「そ、そうですよね。私がしっかりしないとダメですね」
俺は走り出していた。
6
香菜、イズキ、栄子と合流したあと、山の中を探し回っている。
「遥!」
「はるか――――あ! いるのなら返事をしてくれ!」
「……遥ちゃん。お茶の時間ですよ!」
「いや、動物じゃないんですから、そのぐらいで出てきませんよ」
「……私ならと思って」
「遥ちゃん!」
みんな声を張り上げて探している。
気がつくと探し始めて三時間が経過していた。あと数時間で太陽が沈み、 夜を迎えようとしている。なんの手掛かりもつかめないまま、森の中や、農場スペースなどを探し回る。
「そろそろ、俺たちだけじゃ限界です。本格的に警察や、施設の人に連絡したほうがいいかもしれませんね」
「そうですね。大事になるのはちょっと気が知れるけど、仕方がありません。施設の方に言ってきます」
大谷さんは慌てるようにして事務所の方向に駆けていく。
「一旦別れて探そう。俺は山の方を探すから。みんなは農場スペースやキャンプスペースをもう一度探してください」
「おう、了解だ」
「そうね。別れたほうが効率は上がるわね」
「……うん」
「遥の奴帰ってきたらただじゃおかないんだから、この私に心配させたことを後悔させてあげるわ」
と言うイズキも遥のことを心配しているようだ。
皆心配しているんだ。だから早く見つかってくれよ。遥!
7
「あれ、私、どうしてこんなところに、って水?」
体は濁りない水の上に力なく浮いていた。
どうして、こんなところにいるのだろうかと遥は思い出す。タイムトラベルする座標に向かう途中で井戸のような穴に落ちたことを思い出した。
「私、落ちたんだ」
通信機器を取り出し、本部に連絡を贈ろうとするものの、つながらない。通信機器が壊れていた。
「誰から助けてください!」
叫んでも、叫んでも、誰からも返事は帰ってこない。
大丈夫、機関が助けてくれると、遥は確信していた。
「ひょっとして私見捨てられたとか、まさかそんな事ありえません」
遥の脳裏に不安が浮かぶ。
「誰か、助けてください!」
反響するのは遥の声。
次第に不安が体を支配していく。
水の冷たさに震えが増していく。
「皆私はここにいます! 助けてください!」
遥は運命が自分を殺そうとしていることに気がついた。
「ああ、私ここで死ぬのですね」
それが現実だった。
8
みんなが遥の名前を呼んで探し回っている。
四方八方からその声が聞こえてくる。
会いたかった。まだあいつがこの世界にいるのなら、会いたかった。
会って何を言えばわからないがとにかく会いたかった。
理屈抜きで会いたかった。
遥の顔が見たかった。
俺は自分が死ぬということを忘れて遥を探していた。
「遥どこにいるんだ!」
草むらをかき分けながら叫びながら頂上目指して進んでいく。
(はザザザザザザザザザザザザザザかザザザザザザザたすザザザザザザて)
ノイズの混じった声が脳に鳴り響く。
(遥! 聞こえるから遥!)
それっきり通信が途切れる。
やっぱり遥はこの世界線にいる。
頭に流れる映像。それは遥の最後の表情、泣いていた。
唇を血がにじむほど噛み締める。俺はものすごく笑顔の遥に会いたくなっていた。
9
あれからどれだけ叫び続けていただろう。
声を発しても、発しても誰も助けに来てはくれなかった。
上から差し込む光がオレンジ色に変わっている。
何度も壁を登ってみた、しかし、すぐに手の握力がなくなって下に落ちてしまう。
そんな繰り返しをしていると、心身ともに疲れてしまっていた。
「みんなに……会いたいです」
それが遥の一番の思いだった。
死んだっていい、でももう一度みんなの顔が見たかった。
香菜ちゃんとまた買い物に行きたい。イズキちゃんの笑顔がもっと見たい。栄子さんに何をされたっていい。大谷さんに料理を教わってみたい。
そして、晴人と一緒に高校と言う場所に行ってみたい。
最初任務のつもりで彼ら達と接していた。
でも、次第に遥はそのことを忘れかけていた。
ただ、楽しかった。あんなに楽しい毎日が続いて欲しかった。
運命をかえるきっかけをつかんで、母親の運命を変えたかった。
でも、もう無理だ。
どうしようもない現実が遥を襲っている。
わからなかった、死がどんな感じなのか。
死んだらいったいどうなってしまうのだろうか?
恐怖に襲われて瞳からとめどなく涙が溢れてくる。
「これが死ぬって感覚なんだ」
10
「遥、やっと見つけた」
晴人が穴の上からのぞき込んでくる。その姿は汗をびっしょりかき、その顔色からは疲労がたまっているようだ。
「その声は晴人ですか?」
晴人の声が洞窟のように反響する。
「オレだ!」
「晴人助けに来ちゃダメです! 晴人は私を助けようとして死んじゃうんです。だから、早くみんなのところに戻ってください。いまならまだ日も照っていますし、帰り道を迷うことはありません!」
「馬鹿言うな、やっと遥に会えたんだ。なんと言おうが連れて変える。絶対に! それに今戻ったら、日が暮れてこの場所をもう一度見つけ出す事は難しい、だから今、助け出す」
「ばか、言わないでください。晴人の死因は水死、きっと私たちは二人とも水死なんです。今ここで考えを改めればこれからも生きていられるのですよ!」
晴人が水死してしまうことを遥は知っていた。
その運命がほぼ確定していたことも。
逃れる手段が皆無に近いことも。
「俺に、女の子一人を見捨てて生きろっていうのかよ。そんな事するぐらいなら」
遥には分かっていた。
どんな説得をしても晴人には無意味だと。
晴人の決心を変えることなんてできないことを。
「死んだほうがマシだ」
晴人は笑って言った。
「ちょっと離れていろよ!」
「え、どうしてですか?」
「決まっているだろ」そして晴人は落ちてきた。
「遥を助けるため」
遥の顔はグチャグチャだった。
11
水しぶきを上げて着水する。
水は冷たくて心地よいが、長く使っていた遥の体は見てわかるまでに震えていた。
やっと会えた。
「大丈夫か?」
「晴人は馬鹿です。大馬鹿です!」
遥は俺の胸板を力ない手で叩かれる。
「ああ、分かっている。俺が遥を見捨てれば助かっていたことも、それが運命の選択だったってことも、分かっている。でも、俺さ、遥に笑顔になって欲しくってさ。遥、あのテント前で別れを告げられたとき泣いていただろ? 俺はそんな顔見たくなかったんだ。なんて言うか遥かには笑っていて欲しかったんだよ。俺の勝手かもしれないけど」
俺は照れながら鼻を掻く。
「やっぱり馬鹿ですよ」
遥の瞳は涙で一杯だった。
「だから泣くなってさ。こうしてもう一度会えたんだ。笑って、ほら笑ってさ」
遥の広角を無理やり釣り上げる。
「ふざけないでください」
遥が涙目で怒ってくる。
「ごめんなさい」
「もういいです。それより今はここから助かることを考えましょう」
「それなら、この壁を登るのはどうだ?」
「私もやってみました。でも握力が持ちません」
「だろうな。でも俺は男だし、頑張ればどうにかなるかも」
「たしかに晴人一人ならどうにかなるかもしれません。でも二人一緒に助かるとなると、やはり助けを呼びに行くしかありませんね」
「でも、夜になれば俺がどこから来たかなんてわからないから、この穴を見つけることが出来ないかもしれない」
見上げるとオレンジ色の光が暗がりを帯びていた。
もうすぐ夜を迎えようとしていた。
「やっぱり運命は必然なのですね」
「馬鹿言うな、運命が必然だなんてあるかよ」
「だって、どう考えたって私たちが助かりそうにありません」
「運命運命ってな。そんなに運命が偉いのか?」
「エライも何も、運命はその人の全てですよ。変えることなんてそうそうできることではありません」
「でも、俺は変えることが出来たじゃないか」
「今回は無理です。九十九.九パーセント無理なんです」
「九十九.九%?」
「ええ、九十九.九%です。運命図がそう告げています」
「ははははははははははははははっは!」
俺は声を張り上げて笑ってみせる。
こんなところに可能性があるなんてな。俺は残る可能性の一つを見落としていたわけだ。
「気でも狂いましたか? わかります。私も心がおかしくなりそうでした」
違うんだ。そうじゃないんだよ。
「なんだ。簡単じゃないか〇.〇一%あれば」
「何言っているんですか! 九十九.九パーセントは絶対と呼ぶのです。〇.〇一パーセントの奇跡が起きるはずありません!」
「違うんだ。待っているだけじゃダメだ。俺たちが〇.〇一パーセントの可能性をつかむんだよ」
俺の自信に満ちた声色に、遥の表情が一気に変わる。
驚きに満ちた表情で三回まばたきをする遥。
「遥、まだ壁登れるか?」
俺の問いかけに遥の頭は横に振られる。そして手をグパーグパーして言う。
「ごめんなさい。登るほどの握力が残されていません」
「なら、おれの背中につかまれ」
「まさか、私を背負ってこの壁を上るのですか?」
正直俺に遥を背負って壁を登る自信はなかった。
でもそれでもあきらめない。あきらめてたまるか。今諦めたら一生後悔してしまう。それだけは絶対にしない!
「ああ、やってやる。二人で助かるんだ!」
「わかりました。信じます。でも無理しないでください。重かったら言ってください。すぐに力を離しますから」
「そんなこと言わないよ。俺は二人一緒に助かりたい。俺一人じゃダメだから」
「晴人はやっぱり馬鹿ですよ」
「十分知っているよ」
どうしようもない男だと分かっていた。
だからこそ分かっているから馬鹿は頑張るんだ。
「でも、そんな馬鹿な晴人が私は大好きです」
「ありがとよ。じゃあ、つかまれ、行くぞ!」
遥を背負ったまま、壁に手をかける。
かけた瞬間、壁の破片が音を立てて崩れた。強度的にも頑丈ではない。
手をかけて力を入れると重みが掛かる。
華奢な重みが、自分の大切な人の重さだと実感させてくれた。落としたくないと思った。絶対に落とさないとも心に誓ってよじ登っていく。
「俺に兄貴がいること知っているよな」
「概要だけは知っています」
「俺の兄貴はどうやら俺を助けて死んでしまったらしい」
「実は晴人のお兄さんがジョンタイターだって事も、知っていました」
「あの女性から俺が死ななかった理由を教えてくれた。本来なら既に俺は生きていなかったんだよ。あの日あの時、交通事故で俺は死んでいたんだ。
だから、どうして俺のことを兄貴が助けてくれたのかって考えてみたんだ。でも答えは出なかった。兄貴の考えなんて俺にはわからなかった。俺はアニキみたいになれないから」
五メートル登ったところで、手の握力が抜けていく。
体がありえないほど重たい。
隙間にかける指が悲鳴を上げているがお構いなしに力を入れる。
太もも、二の腕、体全体が震えていた。
それでも歯を食いしばって俺は登って行く。
「でも、ひとつだけ分かったことがあったんだ。兄貴が俺を助けてくれたように、俺も誰かを助けたいって本気で思えたんだ」
目を見開き、体に係る不可に耐えながら一歩一歩確実に進んでいく。
「だからこんな所で諦められねえんだよ!」
兄貴は俺と比べ物にならないほどの苦労をしていたんだと思う。だから、こそ俺がその苦労に答える番だ。
「兄貴のためにも、俺自身のためにも! 遥のためにも! 運命が無理だって言っても俺は絶対にあきらめない。百パーセント死ぬって言われてもだ! 俺は足掻いて、足掻きまくってみせる!」
「うん」
遥は背中で泣いているようだ。
「大丈夫だ。だから捕まっていろ」
目を見開き、体に係る不可に耐えながら一歩一歩確実に進んでいく。
次の場所にかけようとした瞬間、指が離れた。
「くっ」
腕一つで二人の重みに耐える。
「もう私はいいよ。晴人の気持ちよく分かりました。本当にありがとう。私は晴人に生きて欲しい。こんなところで死なないで欲しい」
「そんな事言うな。大丈夫だ。俺は絶対運命なんかに負けない。運命は自分自身によってつかむんだ。たとえそれが〇.〇一パーセントっていう、微々たるものでも、人は、可能性さえあれば変わることができるんだ! だから遥も運命なんかに振り回される自分から変わることができるんだ。自分の力で、運命の力じゃなくて!」
空をつかんだ手をもう一度溝にかける。
「無理です。運命に勝てないですよ。私は運命に抗おうとして、死んでいった人たちを見てきました。それに例外はありません」
「だったら俺が見せてやる」
遥のこんな悲しい顔、俺は見たくなかった。
絶対に笑顔に変えてやる。
「人間が運命をつかむ瞬間を、変わる瞬間を、だから見ていろよ!」
一歩、一歩、出口が近づいてくる。
「諦めるかよ。絶対に諦めるかよ。運命に抗ってこその人生だろ。そのための人間だろ!」気がつくと叫んでいた。
「誰が何を言おうと俺は絶対にあきらめない、絶対だ。運命は変えることが出来るんだ! それが決まっていたとしても、絶対に」
手は、最後の瞬間を迎えた。
壁のへりに手を開けて体を上げる。
大の字を描いて俺たちは地面に寝転がり、夜空を仰ぐ。
荒れている呼吸を整えながら俺は発した。
「だから言っただろ、運命は変えることができる。決まった運命なんてないんだよ。忘れるなよ。このことを」
夜空は星々が選挙していた。
相変わらず綺麗な夜空が祝福しているように感じられた。
ふう―――疲れた。本当に疲れた。でもこの疲れは心地よい。
「うん忘れない。絶対に、だから」
遥の唇がいきなり近づいてきた、次の瞬間触れた。
え?
今何された。
あの感触はなんだ?
柔らかくて、暖かくて、気持ちよくて、甘酸っぱくて。
「ありがとう、これはその……お礼です」
頬を上記した遥が笑った。
その笑顔が俺は見たかったんだ。
12
俺たちは無言で山道を降りていく。何を喋っていいのかわからなかった。 接吻を行うだけでこんなにも空気が変わるものだと、身にしみた。
周囲は暗がりで道は見えないが感覚だけを頼りに下っていくと、運良く農場スペースに出た。
そしてみんなの元にやっとの事でたどり着いた。
「二人とも心配したのですよ。もう、わたしどうすればいいのかわからなくて」色白な大谷さんがさらに顔色を青白くして一番に駆け寄ってきた。
「本当心配したんだから、何より無事でよかったわ」
「晴人君……私心配していたんだから、め」
香菜の人差し指が俺の唇で十字を描いた。あ、柔らかい。
「ところで二人ともなぜびしょ濡れなんだ?」
栄子さんの問いにイズキ、香菜、大谷さんは頭にハテナをうかべていた。
「えっとこれにはですね。説明が長くなりそうなでまた今度、とりあえず、服を乾かせてください」
「ひょっとして、まさか。あなたたちやってしまったのね!?」
眉を険しく寄せ、イズキがぐいっと顔を近づけてきた。
「違う。違う、何を思っているのかわからないけど、その考えは間違っているよ!」
俺、タジタジ。
そんな俺をよそ目に遥は頬を染めて身をくねらせながら「晴人のは柔らかかったです」
「やっぱりそうだったのね」
「……晴人君のエッチ」
「違うって、遥も否定してよ!」
「一体何を否定すればいいのですか? たしかに私たちは接吻もしくはマウストゥーマウスをしましたよ。認めましょうよ!」
「それじゃあ、私も遠慮なく」
栄子さんがタコのようにムチューと唇を近づけてくる。
体をのけぞってよけると「なんだ、私とキスは否か?」
「ずるいよ私だって、晴人と結婚が決まっている私だってまだキスしたことないのに!」
決まってないよ。いつ決めたんだよ!
「……私も、ダメ?」
「ダメじゃないけど、ダメっていうか、なんというか」
「なら」
ならじゃない!
「やっぱりダメだ、ダメですって!」
「はいはい皆さん。全員揃ったことだし、帰りますよ」
パンパンと手を叩き、皆の注目を集める。
「あれですね。晴人さんはモテモテなので、この場所に置いていこうと思います」
「え? 冗談ですよね?」
「まあ、みんなに心配をかけた代表と言うことで」
このキャンプで分かったこと大谷さんも隠れS.ということだった。
「嘘だーーーーーーーー!」
エピローグ
桜並木を横目に俺たちは歩いていた。
俺の少し前方を歩く香菜とイズキの制服姿は暴力的なまでに似合っていて目が焼き落ちそうなほどだ。
やはり学生だけの特権、制服。おそるべし。ありがたや、ありがたや。拝んでおこう。
そして、今日は待ちに待った入学式当日の朝。
「……やっと入学式だね」
「ほんと、あの時は死にかけたから、入学式を迎えることができて本当によかった」
あのような選択がいつ来るのか分からない。そのための予行練習になっただろう。しかし、肉体的に疲れる選択はやめてもらいたいものだ。
「たしかに大変だったわ、遥も晴人も居なくなっちゃうし、本当無事にこの日を迎えられてよかったわ、ダーリン」
「ちょっとその呼び方はやめてくれない!」
「え? 嫌だったの、ダーリン!」
「私も晴人君をダーリンと呼んでいい?」
なに、この急遽作られた二股疑惑。いらね――!
「いや便乗しないで、ってダメだからな。学校で呼ばれたりでもしたら絶対に勘違いされるから、そんなふうに呼ぶのは反対」
「え、ケチ!」
「そうだよね。勘違いはいけないよね」
「ちょっと待つですよ!」
後方から声が聞こえる。
そこにはなんと遥の姿があった。
「どうしたの?」
「遅いわよ遥」
「遥ちゃん遅いです」
「みんなが先に行くから、置いて行かれると思ったですよ」
両膝に手をつき息を荒らしながら言う。
「ちょっと皆さん、遥って中学生じゃなかったの?」
風貌的に中学生に見えていたのだが。いままで。
「ひどいですよ。私だって高校生になるんです!」
「そうだったんだ。ごめん、知らなかったよ」
俺は盛大にとぼけてみせる。
てへ。
「最低です!」
「ひどわね」
「晴人君……ひどいよ」
「御仕置きが必要のようね! 遥やってしまいなさい!」
「はいです!」
イズキの命令の下遥が俺に向かって飛びかかってくる。
なんだかまずい気がするから、ここは逃げろ!
「ちょっと待つですよ。晴人!」
「待てと言って待つほうが馬鹿だよ。待つわけないよ!」
運命は変わった。
だから俺は生きている。
いつ、運命の選択が迫りくるのかは分からない。
どんな運命が目の前に立ちふさがったとしても、絶対に乗り越えてみせる。
そして俺は自分自身を信じて遥信じて、みんなを信じて生きていく。
それが兄の臨んだ未来だと信じて。