努力と焦り
異世界に来てあっという間に1週間が経過した。毎日が新しいことばかりで落ち着かないが、魔法の訓練を始めた日からは異世界における生活リズムのようなものもできてきた。
こっちの世界でも名前や月の種類と数は違うが、7日で一週間、1ヶ月は約30日というのは同じらしいので、帰るまで残りは約3週間となったということだ。
朝起きると3人で食堂に集まってユナの作った朝食を食べる。
朝食後は少し休んでから座学の時間が始まる。
座学ではネルが講師になって魔法理論について学ぶ。実践的な魔法の使用方法と違って、魔法の性質や分類、魔法を深く知るための基礎をやるので、日本で苦手だった数学に少し似てる。最初は座学と聞いてあまりやる気がでなかったが、訓練でやっていることの根拠となる理論を知ることは意外にも面白かった。
勉強というものが新鮮に感じられてどんどん魔法への興味が増していく。ネルは時々テンションが高くなってついていけない時もあるが、意外にも教え方は上手だった。学校の勉強がそんなに得意では無かった自分も楽しみながら学べている。
魔法以外のこの世界の歴史や文化についてもネルは教えてくれた。地球にはない魔法がある世界の歴史は、ファンタジー系のゲームの設定資料集のようで、これも楽しく話を聞いた。逆に自分が地球の歴史や文化、科学技術などを話すとネルはとても喜んだ。真剣な顔をしてメモを取り質問をする姿から普段は見ないひたむきさを感じた。
午前の勉強が終わり昼食を食べると、午後は実技訓練の時間だ。この時間は最初に習った魔力を放出・操作する訓練をひたすらに行う。訓練を続けると魔力切れ状態になるので、時々休憩をして回復を待つ。ネルは魔力の使い方の指示を出したり、コツを教えてくれたりする。一人でもできそうな訓練だが、魔力の枯渇には危険もあるそうなので、必ずネルが付いている状態で訓練は行われる。
数日訓練を続けたことで、魔力の放出だけは少しできるようになってきた。集中すると体内に魔力が感じられ、それを移動させることができるようになった。さらに魔力を指先に集めるだけでなく、手のひら全体から出すこともできるようになった。これは魔力を認識する能力が高まった結果らしい。
しかし。
「まだ召還魔法を使うには全然足りないんだよな……」
魔力の放出ができるだけでは召還魔法を使えない。召喚魔法の魔法陣を描くためには、魔力で正確な文字と図形を書く必要がある。大きさと形が一定の文字を書くためには魔力の放出量の調整が重要らしいのだが、これが全然上達しないのだ。魔力の放出量のコントロールがとても難しく、すぐ大量に魔力を放出してしまいネルに止められる。しかし少しでも魔力の放出を抑えようとすると、今度は全く放出ができなくなってしまう。
「焦ることは無いよ、始めて一週間でそれだけできれば上出来じゃないか! 魔力のコントロール感覚は人によって違うから、自分なりの方法をじっくり探していくしかないよ」
「そうは言うけど……。2日目で魔力を手の平から出せるようになったのに、今日までほとんど進歩なしだからな…….
何か、もっと速く上達するコツとか無いのか?」
「コツって言える程のものは無いかなぁ。大切なのは、自分に会う感覚をつかむためにどんどん方法を変えていくことだよ。今持ってる魔法に対するイメージに囚われすぎず、より良いイメージを探すことだね」
「イメージか……。でも覚えはじめでこんなに躓いてて、帰るまでに間に合うのかなぁ」
魔力の放出量のコントロールができるようになっても、魔力を壁や地面に写す訓練、正確な文字を書く訓練、そして魔法陣を起動させる訓練などができなければならないそうだ。日本に帰るための送還魔法の準備が終わるまで残り約3週間。それまでに召喚魔法を身につけるために、今のペースではギリギリかもしれない。
それに、今は召喚魔法ができるようになるだけじゃなくて、もっと魔法について知りたいとも思うのだ。だからなるだけ早く魔法を身につけたい。そのためには、やっぱり今のペースじゃマズいと思う。
「私は今のペースで十分だと思うけれどね。でも君が魔法について真剣に取り組んでくれるのは嬉しいことだね! もし君が望むなら一ヶ月きっかりで帰るのではなく、暫くこっちで魔法の訓練を続けたって構わないんだよ? 別に滞在期間が長くなる分には何も問題ないし、君が好きなときに帰れば良いんだからね」
いつものようにニヤニヤ笑いながら、軽い口調で言ってくるネル。
「それは駄目だろ……。俺は向こうで行方不明になってるわけだし、できるだけ早く帰らなきゃいけない」
こっちに来て自分はそこそこ充実した日々を送っているけれど、日本では人が1人居なくなってしまったのだから大変なことになってるだろう。親は勿論色んな人に心配かけてるだろうし、帰らなきゃ駄目だ。
「ふーん、それならしょうがないなぁ。残念だね」
ネルはため息をついてわざとらしく残念がって見せる。いちいちリアクションが大袈裟で嘘っぽい。
「だから最初に決めた通り1ヶ月以内になんとか召喚魔法を覚えたい。そのためにもっと魔法の練習を増やさないと駄目だ」
やり方を改善するか、そうでなければ時間をかけることが上達への近道だと思う。午後の訓練の時間をもう少し増やせれば、もっと上手くなれるはずだ。
「よし。結構休んだし、もう魔力も回復した頃だろ。ネル、そろそろ訓練を再開しよう」
しかし、立ち上がって練習を始めようとしたところを、ネルに手で遮って止められた。
「いいや、今日はもう魔法の練習は中止しよう」
「えぇ? 何でだよ! まだいつもの半分くらいの時間しかやってないだろ。もう魔力は回復したし、何で止めるんだよ!」
ネルはこっちの憤慨もどこ吹く風で、淡々と理由を説明する。
「理由は簡単。君、魔力の使いすぎ。ここ一週間は毎日魔法の訓練をしていただろう? それも放出し切っては回復を待って再度放出。いくら半日の時間制限をしていたとはいえ、君の体と精神には随分と負担がかかっているはずだよ。今はまだなんともなくても、このペースを続けていけばいつか崩れる。今日はもう魔法の訓練をやめて、休憩の日にしよう」
突然そんなこと言われてもすぐ納得はできない。今日まで特に体調は問題は無いし、今だって魔力を出しきって疲れても休めばすぐ元気になっている。それにここで休んでしまったら余計に時間が足りなくなってしまうじゃないか! さっきの話は何だったのか。
「納得言っていないような顔だね」
「当たり前だろ! ただでさえ時間がないのに……。別に、体調の悪さとか一度も感じてないのに」
「さっきも言ったがそれはまだ気づかないだけ。ちゃんと休まないといずれ取り返しのつかないことになる。その時は、突然に来るよ」
ネルは冷たい表情で言い切った。その言葉はゾクリとするような恐ろしさが含まれていて、さっきまでの怒りも消えていった。
クソッ、仕方ないのか……。
「分かったよ……」
俺は、下を向いて頷くことしかできなかった。