本当に救いようがない悪役令嬢
「救いようがない悪役令嬢」の続きです。前作を読んでない方は先にそちらを読むことをお勧めします。
エリザベス・リース
乙女ゲーム『プリズムラバー~幻想は恋の先に~』のライバルにして悪役令嬢。
ヒロインであるマリー・スチュアートをこれ以上なく虐め抜く妖艶なる女帝。
原作ではラストの逆転劇によりそれまでの悪事が公の物となり公爵子息との婚約は破却、身分も嫡廃され市井に身を落とすという結末で終わる。
ゲーム内ではそこまでしか語られていなかったが実は後に発売された公式設定集によると
『それまで上流階級だったエリザベスは平民の生活など何をやってもうまく行くわけがなく、やがてその苦しみと憎しみはマリーへと向く。それが逆恨みだとは思うことも無くマリーを暗殺する計画まで立てるがあと一歩のところでシオン・フォン・エルドラに阻まれ敢え無く逮捕。最後まで自身の行為を省みることなく処刑される、というアフターストーリーを考えていたのですが流石にそれは哀れ過ぎるだろうと言うことで没になりました』
とシナリオ担当のコラムが載せられていた。
それはあくまで設定集だったかもしれないがエリザベスという人物がそのような蛮行を犯す可能性があるということは原作ファンからすれば特に違和感のない話だった。
さて、そんな悪役に恥じないエリザベス・リース元侯爵令嬢の今現在の状況はというと
「ねえソフィ、マリーさん暗殺計画を立てようと思うの。夜中に寝ているところに忍び込めばあどけなく可愛らしい寝顔を見られる。ナイフを突き付け脅せば命の危機という今までにない怯える姿を見る事が出来る。おまけにその後捕まればお仕置きも待っているという一石三鳥の素晴らしい計画なんだけれどどう思うかしら?」
「色々と申し上げたいことはございますがとりあえず捕まるのを前提で計画を立てるのはおやめください」
いや、成功されても困るんだけど。
仕事から帰った私を迎えたお嬢様が凄いイイ笑顔をしながら開口一番にのたまった正気を疑う発言に対し内心で溜息をつく。
「むう、駄目かしら。正直思いついた瞬間に公爵家へ向かおうかと思ったのだけれどソフィに何も言わずに出かけるのも何だと思ったから待ってたのに」
「それは英断でしたねお嬢様。……そもそもご自分で暗殺するおつもりだったのですか? 誰かを雇うのではなく?」
「何を言ってるの当たり前じゃない! マリーさんのあられもない姿をそこらのならず者などに見せるだなんて何かあったらどうするの! まったく正気を疑うわねソフィは」
「まさかお嬢様にそのような事を言われるとはこのソフィ、夢にも思いませんでした」
常識にとらわれない自分の欲に正直な生き方。
今日もお嬢様は絶好調だった。
あの日、断罪の日から色々あった。
結局、お嬢様の没落は免れなかった。ただ、私がいたことで少し流れが変わったのか本来ならお家ごと取り潰しルートだったのがお嬢様を嫡廃し市井に身を落とすだけで済んだのは不幸中の幸いだろう。
まあそもそも原作からして王族どころか貴族でもない平民のヒロインを虐めたくらいでなんで実家まで取り潰されるんだ、という疑問視の声はあったので妥当なところだろう。
お嬢様の嫡廃が決定した後『お嬢様専属のメイドである私の処遇はどうなるか』となった時、これが意外にも予想していたほど悪くはなかった。
侯爵家の方々からは「もうあの娘の代わりに養女になってくれないかしら!?」と請われたり、学園側が給仕として雇いたいと声をかけてきたり、何故か話した記憶もない貴族の方々にスカウトされたりとお嬢様のお付きであったにも関わらず責める者が1人もいなかった。
さらに驚くことにスカウトしてきた人の中には意外や意外、なんと公爵家、正確には公爵子息と正式に婚約したマリー嬢がいたのだ。
なんでも婚約したはいいものの平民上がりには変わらないのでしばらくは公爵家で花嫁修業を行うこととなったらしい。
そんなマリー嬢からすれば知り合いを傍に置くことで不安を解消したかったとのこと。
「ソフィさんがいてくれれば頑張れると思うんです」とメイドとして抜擢されそうになった時には一体どこでそんな好感度を稼いだのかとは思ったし状況から見て他のも含めてどれも魅力的な選択だったが私が選んだのはお嬢様と共に過ごすことだった。
それには周りもなぜ? 考え直せ、と止める声も多かったが私の決意は変わらなかった。
いや、だってこのお嬢様を放っておくと何が起こるか分からないし私が面倒を見てあげなきゃいけない気がして
……あれ? これなんだか典型的な駄目な男に尽くしちゃう女性のような……
い、いや、お嬢様は女性だし実際に放っておけば無謀というか阿呆な暗殺を行いかねなかったので私の判断は間違ってないはず。
それにいつかは私も所帯を持つだろうからそれまでの間に仕えるだけだ。
ともかく、市井に身を落としたお嬢様と私。新たな城は最後の情けとして与えられた一軒家。
侯爵家のお屋敷からすれば兎小屋とでも言われそうな規模にお嬢様も不満を漏らしていたがこれからは平民として生きていかなければならない。慣れてもらうしかないだろう。
さて、貴族特有の妙なしがらみこそ無くなったものの、当然、生きていくためには働かなくてはならない。
ではどんな職に着かせるかと悩んで試しにいくつか仕事をやってみてもらおうと街に出てみたところ
酒場で働かせてみれば従業員を虐め客を罵倒し(一部の者には好評だった)
次に何件かの商店で働かせてみれば従業員を虐め客を罵倒し(一部の者には好評だった)
数十件の解雇通告を受け、ここにきて私の長年のストレスが爆発し真面目にやらないとここで働くことになるぞ、と脅しも兼ねて娼館に案内すれば行為に及ぶ前に客をとことん罵倒し(大半の者に好評だった、っておい)
気がつけばこの街でお嬢様を雇ってくれる職場は2つを除き無くなっていた。
因みにそのうち一つは娼館だがいくらなんでもあそこに本気で働かせるつもりはない。
いくら何かを期待する男性陣のオファーが多くても本当に働かせるくらいなら私がなんとかしたほうがマシだ。
たとえお嬢様が『あそこの女の子達今までにないタイプの子達ね!』と興味深々でも。
ともかく、このままでは不味いと思い、お嬢様脱ニート計画を一旦休止。まずは平民としての常識を身につけてもらう方向に変更した。
本当ならそのまま性格や性癖も矯正出来ればよかったのだがそんなもの幼いころからの付き合いだ。不可能な事くらい分かっている。
とまあ、仕方がないのでしばらくの間は私が働いて生活費を得ることにした。
たかがメイドに大人2人分の生活費など簡単に稼げるのかと言えばそこは特典持ちのチート転生者。
水魔法を駆使すればその程度は朝飯前である。
そう言うわけで働くと決めた日には職場候補最後の一つである中世ファンタジー世界の目玉、冒険者ギルドを訪問。
報酬も即日支払いだし私がここで先達になれば後でお嬢様に冒険職に着かせる時も先輩冒険者としてパーティも組めるし行けるクエストの幅も増えるためだ。
さらに言えばここならば実力がものを言う世界故に嫡廃された貴族だろうが普段からメイド服を着ている無表情な私だろうが存分に働ける。
……断わっておくが別にメイド服を着ているのは趣味ではない。長年着続けたせいかメイド服以外を着ると落ち着かないのだ。
そう言う意味では私の就ける職場も限られていたということだ。
荒くれ者たちであふれる斡旋所の者たちもメイドが入って冒険者になりたいと告げた時はさぞや驚いたことだろう。
そんな驚愕と嘲笑混じりの冒険者たちを余所にいつも通り無表情のまま魔物討伐のクエストを受諾してその日のうちに現地に直行。
一般人からすれば脅威でしかない魔物たちを視認したところで彼らの体内の血液(水分)を操作して内側から『ぽーん』
可愛らしい表現にしているが実際はかなりグロテスク、映像化すればモザイク必至の光景である。
親切心から一緒にクエストを受けてくれたちょっと好みなナイスミドルの冒険者が青ざめながらも信じられない物を見る目でこっちをみていた。
気持ちは分かる。血なまぐさい職である冒険者だって魔物が瞬間的に膨らんで弾ける光景などとてもではないが受け入れられないだろう。
私だって予想以上の光景に吐きそうになった。一切表情に出なかったけど。
そんなこんなで血(水分)が通ってる限りゴブリンだろうが魔族だろうがドラゴンだろうが私の敵ではないので『ぽーん』『ぽーん』とやっているうちにランクも上がり報奨金も増え生活費はどんどんたまっている。
……その代わり最近巷では『近づいた魔物を何の武器も持たずに眉一つ動かさず爆破させる人形のようなメイドがいる』と噂になっている。
それに伴い『殺戮メイド』『掃除人形』『冥土からきたメイド』などの二つ名も広まっていった。
いやー、誰の事だろうなー、あははー
最初の頃は私が女性ということもあり声をかけてくる冒険者も多かったはずなのになんで最近は斡旋所に入った瞬間皆お通夜みたいに黙りこむんだろうなー?
こうして私はただでさえ少ない出会いがさらに減っていったであろうことからは眼をそらし今日も今日とて日銭をかせぐ日々を送っていた。
そして、そんなある日、帰宅した私を待っていたのが冒頭の科白である。
「暗殺計画(笑)については後で話すとしまして、とりあえず御夕食の準備を致しますのでお嬢様は食器の準備と出来あがった料理を運んでいただけますか?」
「分かったわ。この前ソフィに教えてもらったやり方で構わないわね?」
「ええ」
本来主であるお嬢様に手伝いを頼むなどあり得ない行為だが既にお嬢様は嫡廃された市井の身。
日々このようにして手伝いをしていただくことで少しずつ世間の常識を身につけていってもらう算段だ。
以外にもお嬢様もこれに関しては特に抵抗をなさらず素直に聞いてくださるので私としては願ったりかなったりだ。
ただし問題もある。
「ところでソフィ、もう私は貴族でもないのだしお嬢様呼びはやめて名前で呼んだらどう?」
「いえ、お嬢様、それは」
「何? 私を主と定めているのに命令が聞けないの? そもそも市井に慣れるように言ったのは貴女でしょう。ほら、名前、ううん愛称で呼びなさいソフィ。勿論敬語もなしで」
「……わかったわ、エリィ」
しばしの沈黙の後、愛称を呼んだ私に向けて今日の夕飯のスープが私に振りかかる。
無論、それらは全て水魔法で停止、元の皿へと戻していく。
そんなスープを見る事も無くかけた張本人足るお嬢様は私に向けて目くじらを立てる。
「この無礼者! 主を敬称も無く呼ぶとは何を考えているの! 恥を知りなさい!」
「…………」
何言ってんだこのお嬢様は、と私が表情の変わらないまま見つめると途端に相好を崩し自身を両腕で抱きしめながら体をくねくねと揺らし始める。
「ああ! 滅多に粗相をしないソフィをなじる喜びと無言で呆れたような眼差しを向けられる快感! 堪らないわ!」
「…………」
どうも嫡廃されて以来お嬢様の箍が外れて変態度がアップした気がする。
自分で原因を作って虐めて馬鹿にされて喜ぶってどんな性癖なのか?
お嬢様を見ていると流石に選択を誤った気がしてならない。
「ふぅ、昔の私はまだまだ未熟だったわね。ソフィの無表情をつまらないと感じていたなんて。無表情無言の圧力というのがこんなにも快感だったとは知らなかったわ」
「そこはぜひ知らないままでいてほしかったです。それよりお食事の準備が整いましたので席にお着きください」
お嬢様の話題に付き合っているといつまでたってもまともに進まないため強引に断ち切って食事を始める。
食事を一緒に取るのもここで暮らしてからだがこれもまたお嬢様は特に忌避感を抱かない。
お嬢様の貴族としての矜持のラインがいまいち読めない。
そのまま黙々と食事を続けているうちに「そう言えば」とお嬢様が不意に声をこぼしてきた。
「ソフィが働いている間に外に出てたら子供たちに遊びに誘われたのよ」
「……みだりに外に出るのは危険ですとお伝えしたはずですが?」
因みにここで危険なのはお嬢様ではなく街に住む若い女性たちである。
何かあってお嬢様の毒牙にかかっては申し訳が立たない。
そんな無表情ながらも非難の目を向けた私に対してどこ吹く風と言ったようにお嬢様は話を続ける。
「だって退屈なんですもの。家でソフィの用意した本(道徳的な子供用童話)を読んでるのも飽きてしまったし。そうしたら外で声が聞こえたから外に出てみたら子供たちがたくさんいたのよ。下々の遊びなんてとおもったけれど中々面白かったわ」
「……それはようございましたね。因みにどのような遊びを?」
おや、と思いながらも詳細を尋ねる。
今まで友達と遊ぶ、などという経験を(そもそも友達がいないので)した事のないお嬢様が楽しいというとはこれはもしや下々の生活に慣れてきた証拠だろうか?
無表情のまま内心期待しながら返答を待っていれば
「確か鬼ごっことかいう遊びだったわね。他の者を追いかけて捕まえる遊びなのだけれど妙に楽しかったわ。逃げ惑う者を追い詰めて捕えるという狩りにも似た発想をするとは市井の者も中々やるわね。それに気づいたんだけれど女の子はもちろん男の子でもあのくらい小さくてかわいいと、こう、捕まえた後もずっと抱きしめていたいと言うか離したくない感じになるわね」
性癖にロリコンとショタコンが加わりつつある! 近所の子供たちが危ない!
今度奥様方に会ったらそれとなく注意しておこうと誓いつつ食事を終える。
「そうだわ。今度はソフィも一緒にやりましょう。そうしたら逃げ惑うソフィを追いかけると言う滅多にないシチュエーションが!」
「アホな事言ってないで食べ終わりましたら食器は流しのほうにお願いします。後で洗いますので。私は残りの家事を済ませてしまいます」
「わかったわ。……あら? いまソフィ私の事アホっていったかしら?」
「いいえ、きっと空耳でしょう」
「そう? もし言ってたら主に暴言を吐いたことを詰ればいいかしら? それとも罵倒されたことを喜べばいいかしら? ソフィはどっちだと思う?」
「どちらでも終わっていることに変わりないのでお好きな方で結構です」
本当に付き合っていると身が持たない。
掃除や洗濯や洗い物などの家事を終えた時には既に一般的な就寝時間を疾うに過ぎていた。
転生特典なのか少しの睡眠でも十分回復できるとはいえ一睡もしないのは精神的にもつらい。
さっさと着替えて寝るとしよう、思ったところで玄関の方からノックの音が響いた。
繰り返すが既に深夜だ。客が訪れるような時間じゃない。
さらに言えばここに住んでいるのはうら若い女性二人だ。常識的に考えてこんな時間に来る客がまともなはずはない。
元貴族を狙った強盗か人さらいか。あるいはかなり有名になって来た私を狙った者か。
警戒レベルをかなり上げいつでも魔法を発動できるようにしつつ玄関へ向かう。
ノックの音は間隔を開けて繰り返されている。どうやら無理に押し入ろうとしている輩ではなさそうだが気は抜かない。
「どなたですか?」と声をかけるとノックの音はやみ、しばらくして緊張しているような震えた声で名を告げられる。
「ソ、ソフィさんですか? 私です。マリーです」
マリー? マリー・スチュワート? 何故彼女がここに? しかもこんな時間に?
疑問が浮かぶが聞こえてきた声は確かにマリー嬢のものだ。少し警戒心を解きつつ戸を開けば私より少し背丈の低い茶髪の頭にどこか子犬を思い浮かばせる潤んだ眼。
原作のヒロインにしてお嬢様の虐めた(お気に入り)対象、そして私たちがここに住む原因となった少女がそこにいた。
「あ、ソフィさん! お久しぶりです!」
「ええマリー様。お久しぶりですね。お元気そうでなによりです」
私を見てどこか不安そうにしていた瞳は喜色を浮かべ、それに対し私も挨拶を返す。
実際、お嬢様が虐め抜いていたあの頃と違い公爵家で花嫁修業している今のほうが精神的にも落ち着いているのだろう。
学園の頃よりも血行が良く見える。
「それにしてもよくここをご存知でしたね」
「あ、それはソフィさんがエリザベス様と一緒だと聞いたので調べました」
「? そうですか。それで本日は一体どのような御用件で? 生憎ですがお嬢様は既に就寝されておりますので伝言なら承りますが」
「あ、ごめんなさいこんな遅くに。本当はもっと早い時間に来たかったんですが公爵家を抜け出すのに時間がかかってしまって。あと訪れたのはエリザベス様ではなくソフィさんに用があったからです」
「……? 私に、ですか?」
意外な回答に聞き返すもマリー嬢は、はい、と頷いて話を続けた。
「噂を聞きました。容姿は人形のように整っているけれど魔物を眉ひとつ動かさず虐殺する血も涙もないジェノサイドメイドがいると。それを聞いてすぐにソフィさんが思い浮かびました。もしかしたらエリザベス様のために無理やり働かされてるんじゃないかって。本当は優しいソフィさんがそんな目に会ってると思ったら私いても経ってもいられなくって」
「……そうですか。そのためにわざわざこのような場所までご足労いただき申し訳ありません」
その噂ですぐに私を連想するって何気に失礼な発言の気もするけどこちらを慮ってくれているようなので水に流すことにする。
「しかし心配していただいたのは嬉しく思いますが私は別段無理強いされて冒険者をやっている訳ではありません。あくまで職としてやっているに過ぎません」
「そうなんですか? お辛くはありませんか?」
「いいえ。冒険者としての生活は特に苦ではありません。魔物退治も私には瑣末事です」
うん、冒険者としてはね。お嬢様に比べれば瑣末瑣末。
「ですのでマリー様がご心配なさる事はございません。どうぞご安心ください」
「……分かりました。ソフィさんが大丈夫だというのならそれは納得します」
少し複雑そうな顔をしながらも頷いてくれたマリー嬢を見てほっとするも、まさかそのためだけに訪れたのか? と疑問が浮かぶ。
そんなこちらの意図を見抜いたのかどうかわからないがマリー嬢は少し視線を左右に振っておどおどと何かを言いたそうにちらちらとこちらを見やる。
何だろう、と辛抱強く待ってから数分、やがて意を決したように顔を挙げたマリー嬢は少し上ずった声をあげながら
「あの、ソフィさん! 私のメイドになっていただけませんか!」
と以前に聞いたセリフを口にした。
なぜ私なんかを誘うのか未だに分からないがともあれ返事は決まっている。
「マリー様、以前にも申し上げましたが私はエリザベスお嬢様に仕える身。少なくとも今お嬢様の傍を離れるつもりはありません」
「で、でもエリザベス様は今はもう貴族ではありませんし無理に使える必要も」
「お嬢様の命令ではなく私が私の意思でお嬢様の傍にいると決めたのです」
せめて一般生活が出来るようになるまでは面倒見ないと離れても不安でしょうがない。
「……私が、公爵家の次期夫人になったとしてもですか?」
「ええ。身分は関係ありませんので」
むしろ平民の状態のほうがストッパーがなくて危ない。
「エリザベス様はいつもソフィさんを見下すような視線をしていてもですか?」
「それも私は気にしません」
確かそれって「ソフィは無表情だけれど上目遣いの時は感情見える気がして好きよ!」とか言って私に上目遣いさせるために見下しているだけだし。
何度かそんな風に食い下がっていたマリー嬢だったか私がお嬢様に仕えるのをやめる気がないと分かったのか急に俯いて黙りこんでしまった。
しまったな。ついつい淡々と返答してしまったがわざわざ私を心配して来てくれたのだからもう少し優しく言うべきだったかもしれない。
普段お嬢様相手なら問題なかったのでこの辺りは私も直していかなきゃなあ、とマリー嬢にフォローしようと声をかけようとしたところ
「……どうしてですか?」
「え?」
随分と冷たい声が耳に届いた。
それは私が常に放つ感情のこもらない声とは異なる、押し込めていた負の感情が染み出てしまった、そんな声だった。
その声の持ち主は感情を出さない私じゃないのだから1人しかいない。
「どうしてそんなにエリザベス様のことをかばうんですか?」
目元を伏せたままのマリー嬢の声が響く。
おかしい。なんか妙な雰囲気になっている。
先ほどまでの元気そうだったマリー嬢は何処へ行ったのだろう。
ともかく誤解は解いておこう。別にかばっているわけじゃないし。
「いえ別にそんなつもりは」
「私のほうがずっと、ずっとソフィさんのことを大切に出来るのに。ソフィさんにふさわしい主になれると思うのに。ソフィさんの事を考えていると思うのに。ソフィさんが優しくしてくれた時私は嬉しかった。エリザベス様から意地悪された時いつも私の事を慰めてくれたソフィさんのためなら私は何だってできるのにどうしてソフィさんは私じゃなくてエリザベス様を優先するんですか? 主だからですか? でもそれなら私の方がきっとソフィさんと相性がいいと思うんです。だって私はソフィさんにしてもらった事を全て憶えてますから。初めて会った新芽の月の3日の学園の広場で貴族ばかりの中で緊張していた私にお辞儀をしてくれたことも若葉の月の15日にエリザベス様にお弁当を駄目にされた時ソフィさんがこっそりパンを都合してくれたことも蕾の月の8日に誰かに羽ペンを盗まれ困っていた私にご自分のペンを貸していただけたことも果実の月の収穫祭の日に着ていくはずのドレスを破かれた時に新品同様に縫い繕ってくれた事もその後でエリザベス様に水浸しにされた時に魔法で私の服にかかった水を無数の水泡にして月の光に反射させながら空へ飛ばすという幻想的な光景を作り出してくれたことも種子の月の25日にせっかく編んだマフラーを取られた時にハンカチを下さったことも全部全部全部全部私は覚えているのにどうして私ではなくエリザベス様なんですか?」
「…………」
元気じゃない! 病んでる!
え? 何!? ちょっと待って!? まさかのソッチ!? エリザベスお嬢様の性癖にも驚かされたけどヒロインまで!?
いやいやおかしいおかしい! お嬢様はまだゲームで内面出てなかったからでギリギリ許容出来たけどこれは受け入れられない!
だってヒロインだよ! 原作では彼女視点で進むから心理描写とか性格とか一番分かるキャラだよ!
マリー嬢と言えばいつも笑顔でいるような、つらいことも元気があれば頑張れる、と言って乗り越えていく少女だったはず。
断じてヤンデレでレズで住所や噂を突き止めちゃうストーカーチック気味な少女ではない。
そもそも何故マリー嬢が私にあんなに執着しているのだろうか?
別段フラグなど立てていなかったはず
ええっと、マリー嬢と主だった関わりと言えば
初めて会った時にはお嬢様の暴言の後に頭を下げて
お嬢様がマリーさんの手料理を食べてみたいといってお弁当を強奪したので代わりに分けてあげて
コレクション(盗品)収集の時には代用品を渡してあげたり
マリー嬢がパーティで着る服を見つけたお嬢様が興奮しすぎて服を破いてしまったから繕うよう頼まれて
水浸しになった時には水魔法で水分を揮発させて乾かしてあげたな
無数の水泡が月光に反射して煌めき弾けながら天へ昇っていく光景は生みだした私がいうのもなんだがとても幻想的だった。
あの時は水にぬれて途方にくれてたマリー嬢も驚きで夢心地のような表情になってたな
もしあの場面で私がマリー嬢の立場で相手がイケメンの男性なら一発で落ちていただろう
……あれ? これ事情を知らないとフラグ立ちまくってた?
ぞっとしながらもこのままでは不味いと何かを呟き続けるマリー嬢に恐る恐る話しかける。
「あの、いくつかつかぬことをお聞きしますが」
「え? あ、はい、なんでしょうか?」
ハッと気づいたように顔を跳ね上げたマリー嬢には先ほどまでの恐ろしい気配はない。
その事にほっとしつついくつか確認する。
「まず『プリズムラバー』あるいは『乙女ゲー』という言葉をご存知ですか?」
「? えっと、すみません。多分聞いたことはありませんけれど魔法か何かですか?」
「いえ、知らないのなら結構です」
つまり転生者ではないということだ。
……つまりさっきのは彼女の素の性格だということだ!
「次の質問ですがエルドラ公爵子息のことはどう思われておいでで?」
「どうって、その、好きですが」
あれ? 頬を染めて照れている?
もしこれがお嬢様だったら「男に好き嫌いの感情を抱くの?」と恋愛に真っ向から喧嘩を売るセリフを放つのだが。
演技する必要もないしお嬢様ほど酷くはないのかも
「そうですか。安心いたしました。愛してらっしゃるのですね」
「はい! 男性の中では一番に!」
……なんだか今余計な条件がついてたような。
い、いやそう言えばマリー嬢は他の攻略対象にも言い寄られてたりしてたな。それでもマリー嬢はきっちりとエルドラ公爵子息を選んでいたからきっとそう言う意味で男性の中では、なんて言ったのだろう。
いやあ、転生ヒロインみたいに逆ハーを狙ってたりしないなんて流石はマリー嬢だなあ。
そんな風に現実逃避をしながら黙っていた私を見て何を勘違いしたのかポン、と手を叩いたマリー嬢は
「あ、安心してください。勿論この世で一番好きな方はソフ「ところでそろそろ夜も更けていらしたことですし今日のところはお帰りになられては?」」
皆まで言わせず強引に話題をそらす。
正直これ以上話してると本当にどうしていいか分からなくなりそうだ。
「え? あ、すみません私ったらソフィさんも疲れているというのに」
「ええ、現在進行形でどんどん疲れていってます」
「そんな! それじゃ早くお休みになってください。私はまた今度来ますのでその時またお話しましょう」
そう言ってペコリとお辞儀をしたマリー嬢はタタタと軽快に駆けていった。
少し離れた位置に馬車が止まっていたのでそれで帰るのだろう。
さりげなく再訪を告げていたことが気にはなったが今はどうでもいい。
脳がパンクしそうな勢いだったのでマリー嬢についてはとにかく明日考えよう。
玄関を閉め自分の部屋へ戻ろうと振りかえった時、思わず硬直する。
感情が表に出ないのが不幸中の幸いだろう。出なければ間違いなく真夜中だと言うのに大声で悲鳴を挙げていた。
振りかえった私が見た物は僅かに開いた扉からじぃ、とこちらを見つめる赤い眼
勿論、その眼が誰のものなのかは言うまでもない。
「お嬢様、起きていらっしゃったのですか」
私の問いに応えることなくギィ、と立てつけの悪い戸を開けたお嬢様はゆらゆらとこちらに向かって歩いてくる。
顔は俯かせたまま歩いてくる上に髪も整えていないからまるで幽鬼のようだ。
どうしよう、めちゃくちゃ怖い。
至近距離まで近寄ったお嬢様はぴたりと動きを止めると普段とはまるで異なる感情のない声で尋ねてくる。
「ねえ、ソフィ、さっきのマリーさんとの会話だけれど」
「あ、いえ、あれは」
やはり聞かれていたか。
どう言い訳をしたものかと頭を巡らせる。しかし頭に浮かんだのは「まるで浮気現場を見られた駄目男みたい」というこの状況をなんら解決に導かない感想。
それにしてもいつものお嬢様と違う様子が先ほどのマリー嬢と重なって背筋が冷える。
まさかお嬢様もソッチの方向なのか、と戦々恐々としていると
「私の一番信頼しているソフィが私の一番のお気に入りのマリーさんに奪われる? 信じて送り出したメイドを盗られる敗北感、それを見せつけられる今までにない背徳感と興奮」
…………ん?
何やら不穏当なセリフが聞こえたような?
数ヶ月前に似たような状況があったようなと思っているとガバリと顔をあげたお嬢様が眼を爛々と輝かせながら
「悪くな「正気にお返りなさいませお嬢様」
ぺちぺちと往復びんたをかましてセリフを遮る。忠義? そんなものとうの昔にないわ。
流石に寝とられ属性は不味い。
そもそもそれだと一番被害に遭うの私じゃないか。
ぺちぺち叩かれて少し頬を赤らめ始めたお嬢様を見て本当にこの人は救いようがないなあと何処か安心している私がいた。
正直最後のやりとりを書きたかっただけだったり