6、試行錯誤(後編)
長く続いた説明の区切りに、ベーデは水を飲んで、ほっと息をついた。
「だから俺たち、必ず講習受ける。一月に一回、講義室行く」
「……そうなのか」
語り聞かされた内容に、フィーはただ頷くしかなかった。
この城の魔物たちは、例外なく勇者の世界の知識を身につけている。しかも、単なる情報伝達のレベルではなく、実体験を伴ってのものだ。
神器や神規の元ネタとなるラノベやアニメ、漫画やゲームを実際に体験させ、日常生活でも勇者の行動様式を真似るように指示されている。
しかも、研究専門の上級職員がこれまで開催された遊戯を解析し、徹底的に対抗策が練られ続けているという。
「魔王様、言った。オタクを知ること、勇者を知ること同じ。奴らの考え、すぐ分かるようにする。確実に勇者、殺せるようになる」
「そ、そうか。すげーんだな、魔王って」
「ああ。魔王様、ほんと頭いい、みんな尊敬してる」
冗談じゃねーよ、その一言をかみ殺しながら、フィーは心の中で呻いた。
異世界の勇者なんて馬鹿げたものが成立しているのは、敵であるこいつらが、カミサマの力を、勇者側の考えを『理解できない』という前提条件があったからだ。
「な、なあ、ベーデ、お前もゲームとかやるのか?」
「ああ。RPG、勉強の必須科目だ。俺、結構うまいぞ」
「じゃあ、物理無効化の敵とか、どうやって対抗する?」
こちらの意図に気づくことも無く、ゴブリンは無邪気に答えた。
「魔法使う。物理効かない、魔法たいてい効く。どっちもダメな場合、反射魔法で攻撃跳ね返す、あと状態異常つけるとか?」
「そ、そっか、そりゃ……そうだよな」
もし、勇者であった自分が、この城にたどり着いていたら、どうなっていただろう。
無邪気にネットゲームのセオリー通りに戦っていた自分。きっと、一瞬でこちらの意図を読み解かれ、弱点を突かれていただろう。自分という生身の弱点を。
フィーは、この城の危険性をはっきりと理解した。
敵を知り己を知れば百戦危うからず、竜神の言葉を偏執的なまでに煮詰めたものが、この城に充満している。
おそらく、生き残っている他の勇者の分析も確実にやっているだろう。そして、シェートと自分をこの城にさらった理由も分かった。
「俺たちも、徹底的に調べるつもりなんだな、魔王は」
「そうだ。あのコボルト、魔王様じきじきに調べてる」
「なに!?」
こちらの叫びに、ベーデが己の失言を悟って顔を背けた。
「シェートは魔王と一緒なのか!? あいつ、一体どこにいるんだ!?」
「……お前、もう質問するな。これ以上、何も言えない」
おそらく、他の仲間の場所は知らせないように言われていたんだろう。ゴブリンは筆記用具を片付け、会話を打ち切って立ち去ろうとする。
ここで逃がすわけには行かない、フィーはとっさに切り札を切った。
「"知見者"の神規って、どんなものか教わったか?」
「俺、知らない。話、もう終わり」
「そうだよな、知らないはずだよ。だって、あの神規は、絶対研究できないんだから」
畳み掛けた言葉に、ベーデもさすがに意識をこちらに向けた。
「……どういうことだ?」
「あいつの神規は、研究できない……いや、"研究した結果が残らない"んだ」
「言ってる意味、わからない。どうしてそんな」
「セーブとリセット」
フィーはあえて、断片だけをベーデに放った。ただのゴブリンなら、これだけでは何のことか分からないだろう。
だが、目の前の牢番は、その顔色をわずかに変えていた。
「あいつの神規はゲームみたいに、現実をセーブできるんだ。そして、失敗したらリセットしてやり直せる」
「そんなこと……できるのか?」
「証拠がある。当然、その破り方も知ってる」
とはいえ、"知見者"の軍はすでに消滅した。死んだ敵の情報など、本来なら交渉材料にすらならないだろう。
だがそれは、相手が『普通の魔物』である場合だ。
こいつらの頭である魔王は、貪欲に勇者を知ろうとしている。こちらが持っている情報は、何が何でも手に入れたいはずだ。
「ベーデ」
フィーは慎重に言葉を選びながら、交渉を開始した。
「この情報、欲しいだろ?」
「……ああ。それ本物、ならな」
「だったら、俺を外に出してくれ」
ぎょっとした顔でベーデはこちらを凝視し、首を振った。
「どうしてお前、外に出さなきゃならない」
「証拠のひとつが動画ファイルだからだ。それを、そっちのパソコンにアップする必要がある」
「ダメだ」
ゴブリンは、背中を向けた。
「捕虜、外出すの無理だ。尋問、これで終わり」
「なら……これは絶対、お前の手には入らないな」
フィーはスマホを操作し、動画を流した。
ぎこちなく振り返ったベーデが、流れすぎる戦場の光景に釘付けになる。
「この世界で俺だけが持ってるデータだぜ。これをお前が提出したら……魔王はなんて言ってくれるだろうな?」
連続再生される戦場の様子、その光景だけでも十分資料価値はある。ベーデは唾を飲み込み、それでも頑なに首を振った。
「ダメだ。お前、連れ出せない」
「三時間、俺にくれ」
おそらくそれが限界だろう、見回りの衛視は三時間区切りで牢にやってくる。それまでに外に出て、あわよくば脱出の経路を見出す必要がある。
「行き帰りの移動に一時間、動画をパソコンにアップするのに二時間、そのぐらい余裕を見れば全部終わるはずだ」
もちろん、そんな時間で全ての動画がアップできるわけがない。何度もリセットされた結果、竜神から送られた動画はTBクラスの膨大さになっている。
何度も使える手ではないが、これで最低、二回は外に出られる可能性が出る。
「それでも無理だ。お前見られる、言い訳効かない」
「……俺の持ち物に、姿消しの神器がある。それを持ち出せないか?」
「捕虜の品物、持ち出し厳禁。見つかる、重罰受ける」
どんだけ徹底管理なんだよ、この城は。
叫びだしたい気持ちを抑えこみ、フィーは必死に知恵をめぐらせた。
「お前……品物の管理に回されたりしないのか?」
「ある。けど、シフト変更、あと一月は先。牢番係、持ち回り仕事。用事無いとき、別の仕事する」
捕虜関連の仕事は牢番が持ち回りでやっている。捕虜がいないとき別の仕事に回されるということは、普段は牢番自体が存在せず、数も少ないということになる。
考えてみれば、昨日から今日まで、ベーデを含めて三人しか牢番の顔を見ていない。
つまり――。
「もしかして、品物の管理って、一人しか見張りがいないんじゃないか?」
「あ……ああ」
「そいつが便所に行ってる間に、こっそり入って、神器を使えば問題なくね?」
こちらの指摘で、ベーデは腕を組んで沈黙した。
手柄を独り占めするうまみと、魔王の教育が激しくせめぎあっているのが、手に取るように分かる。
でも、まだ足りない。
もう少し、こいつの心に訴えかけるものがあれば。
「……この前の賭け、勝って気持ちよかったろ」
ベーデと交流を持つに至ったきっかけ。その思い出を刺激され、ゴブリンの視線がわずかに緩んだ。
「マニュアル通りに対応できたし、牢番の仕事も完璧にこなした」
「そ、そんなの当たり前。俺、ちゃんと勉強してる」
「お前ってさ、結構頭いいよな」
声を潜め、仔竜はさらに甘言をささやいた。
「勇者達の世界のこともちゃんと勉強してるし、牢番にしとくのはもったいないよ」
「お……おだてても無駄。俺は……」
「もし、ここから出してもらえるなら、俺、魔王の仲間になってもいいぜ」
その一言で、ゴブリンの頬がわずかに動いた。
すぐにでも反応しようとする心を抑えるように、問いかけが搾り出される。
「……お前、魔王様、従う。本当に、そうするか?」
「ああ」
フィーはなるべく平板に、感情を込めないまま答えた。
「牢暮らしなんて、もうまっぴらだ。ここから出られるなら、何だってするよ」
ゴブリンの体から、じわりと安堵が匂ってくる。同時に、こちらの言葉に耳を傾けようという姿勢が、見て取れた。
「俺はカミサマの秘密をお前に教えて、魔王の仲間になる。お前は秘密の情報を魔王に提出して、褒めてもらえる。なかなかいいアイデアだろ?」
「で……でも、マニュアルが……」
「"透解"、これが神器のコマンドだ。首飾り型で、ミスリルのプレートがついたやつ」
ごくりと、ゴブリンの喉の鳴る音がした。
フィーはその顔を見つめ、ダメ押しの一言を放った。
「後は自分で決めろよ。退屈な牢番のままでいるか、俺に協力して出世するかをな」
牢の中で、フィーはぼんやりと物思いにふけっていた。
芳しい返事は得られなかったが、それでも効果はあったはずだ。
もちろん、あのゴブリンが正気に戻って一部始終を仲間に報告し、全ての計画が水の泡になる可能性もある。
「でも、悠長にしている暇は無いからな」
シェートが魔王じきじきの取調べを受けている。
どう考えても、かなりまずい状況だ。話を聞くだけじゃ済まされない、拷問か、あるいは魔法で記憶を覗かれるか、なりふり構わない手を使われる可能性もある。
それに、グートの話が一向に出なかったのも気になる。下手をすると、抵抗されたために殺した、なんてこともあるかもしれない。
考えても仕方ない。そのまま翼の中に首を入れ、何も考えないようにして目を閉じる。
それでも、気持ちばかりが焦って、なかなか寝付くことが出来なかった。
「くそ……なんかなぁっ」
昼間、積極的に動けたように思っていたが、単に不確定な状況を作っただけだ。ベーデのことだって、完全に把握できていたわけじゃない。
やっぱり、自分に策謀なんて無理なんだろうか。竜神にいろいろ教えてもらったからといっても、元はただの人間で、あんまり頭もよくなかったし。
今はただの仔竜で、何の力もない存在でしかない。
「本当に、これでいいんかな……」
『つまらん事で思い悩むな、馬鹿者』
竜神の言葉を思い出したとき、フィーは過去に返っていた。
コボルトの群れと別れ、旅を再開したあの日。グートの背に揺られ、森の中を進んでいく自分に、ぴったりと心が重なる。
『シェートを助けると決めたのは、そなたであろうが。いまさら思い悩んでどうする』
単なる空想の産物ではない、森の中に流れる風、狼が大地を踏みしめる振動、木々の間を行き過ぎる鳥の羽音さえ感じている。
『でも、先のことを考えるとさ、いろいろ思い浮かんじゃって……』
『そなたのは考えているのではない、ただ悩んでいるだけだ』
『悩むのと考えるのは違うのか?』
竜神は考えをまとめるために黙り込み、それから解説を始めた。
『考えるというのは、目的達成に必要な行動を吟味することだ。悩むというのは、要するに愚痴のことだ』
『ぐ、愚痴……?』
『では聞くが、今思い悩んでいること、そのどれかに明確な答えや、筋道の通った解決法を与えることが出来るか?』
痛い指摘に、返す言葉が無い。これから先のことに対する不安、シェートとこれからどう付き合っていけばいいのか、考えても答えなんて出るわけが無かった。
『あ……だから、愚痴なのか』
『昨日もそう言っただろうが』
響き渡る竜神の声は、まるで今、語りかけてくれているような鮮明さで、フィーの心に染み込んでくる。
『どうにもならぬことにこだわる事を悩むといい、悩みを吐き出すことを愚痴という』
『悩まないようにするには、どうしたらいい?』
『考えることだ』
悩むのではなく、考えること。似ているようでまったく違う思考の働き。
『考えるということは、いかに目標を達成するか、その手段を講じることだ。目的の難易度を量り、自身の実力を測り、そのために必要な労力を、助力を考える』
『そんなの、いきなり出来るわけないじゃん。相手のこともそうだけど、自分のことだって分からないのに』
『ならば敵を知ろうと努め、己を知ろうと勤めればいい。敵を知り、己を知れば百戦危うからず、兵法の基本だ』
考えること、知ろうとすること、その上に竜神はもうひとつ重ねた。
『何より大事なのは、割り切ることだ』
『割り切る?』
『苗木が一瞬で老木にならぬように、世の中には決してどうにもならぬことがある。己の力を尽くしても、最初からどうにもならぬことが、必ずあるものだ』
『ダメそうだったら、あきらめろってことか?』
『そうではない』
"過去"の竜神が、そう言った瞬間。
"現在"のフィーの中に、膨大なイメージが沸き立った。
圭太と一緒に見続けた、やり直しの効く戦場の光景。
勝てないと分かっていながら繰り返される、竜神の指示と魔軍の突進。
無力で無駄な、歯噛みをしたくなるような繰り返し。
だが、それは――決して無意味ではなかった。
『行動というものは必ず結果に繋がる。無駄と思えた行動も、布石として未来に残る。それが負債になることもあるが、物事を知るべく労を重ね、最善を尽くすべく知恵を絞った行動は、必ず己に益をもたらす』
あの時は分からなかった言葉が、経験を通して理解に繋がっていく。策謀も計画も、小さな点の積み重ねだと、実感がわいていくる。
『努めて物事を知り、成すべきことを考察し、たゆみなく行動に起こす。そして』
「後は野となれ山となれ、か」
おどけた竜神の言葉を口にした途端、フィーの世界は元に戻っていた。
冷たい石牢の中、わら布団の上に寝そべっている自分に気が付く。
信じられないぐらいに鮮明な夢想だった。あの時の状況を、もう一度体験したような気がしていた。
人間だったころの自分では絶対にありえない、異常なぐらいの記憶力の良さに、思わずため息が漏れる。
「もしかして、ドラゴンがよく寝てるのって、こういうことなんかもな」
自分の過去に遊ぶことが出来る記憶力と、遥か遠くの未来までたどり着ける長寿。それが、竜の知恵の源なんだろう。
気が付くと、スマホの時計は七時を示していた。牢屋の外から、食事を運ぶカートの音が届く。今日はたまねぎとベーコンのスープ、パンとオレンジジュースらしい。軽く鼻を鳴らして悪態をつく。
「んだよ、最近、ちょっとは奮発してんじゃん」
差し入れられた食事を横目で見る牢番を無視して、フィーはスマホを片手に食事を取り始めた。
使える機能は全て調べつくてしまったため、機能していないアプリを適当にチェックしていく。その中で『ただたかくん』のオートマッピングが作動しているのを見て、思わずこぼれた笑みを、ジュースのカップで隠した。
自分が気絶している間に運ばれたルートも、ダンジョンマップとして正確に記録されている。天界からの位置情報が必要なフィールドマップとは違い、こっちは独立した機能として扱われているのだろう。
しかも、ステータスチェッカーと連動して、ある程度の範囲にいる仲間をスキャンしてくれるらしい。
「これで、みんなのことも探しやすくなったな……」
そのまま、自分のステータスを見ると、いくつかの能力が上昇したことを示すアナウンスが流れていく。ここまでの冒険で身に付いたものだろうが、どれも現状を変えるほどではない。
そんな文章の一番最後に、こんな表示が現れた。
"新機能が開放されました。スライドして内容を確認してください"
「なんだ、これ……?」
新機能という文字を、フィーはまじまじと見つめた。
こんな表示は今までなかった。もしかすると、この体に秘められた能力が目覚めた知らせかもしれない。青い指を画面に置き、わくわくしながらスライドさせる。
そして、新たに表示されたのは、
「じ……実績画面!?」
ゲームをやりこんだ人間を、その行動に応じた項目で表彰する機能。最近ではどんなゲームでも盛り込まれているそれが、自分のステータスにくっついていた。
カメラで撮影をした回数、龍サイクロペディアに登録した情報数、歩いた歩数など、さまざまな項目に実績が設定されている。
ご丁寧に『魔王城突入』と『魔王城一番乗り』が解除されているのを見て、思わず苦笑いが漏れた。
「……遊びすぎだろ、おっさん」
そんな悪ふざけを眺めていたフィーは、妙な項目に気づいて、指を止めた。
「なんだ? 耳……に、鼻?」
聞いたこともない単語の実績が解除されている。どうやら五感に関する項目らしいが、何を意味しているのか、さっぱり分からない。
「ってことは、目とか舌とかもある……のか?」
「おい、交代だ」
聞き覚えのある声に視線を上げると、牢番たちが申し送りをしていた。
特に変わった様子も無く、淡々と業務の引継ぎが終わり、ベーデが席につく。
やっぱり、ダメだったんだろうか。それとも、まだ踏ん切りがつかないのか。浮かんでは消える不安に、思わずスマホを握り締める。
「おい」
ゴブリンの声にフィーは顔を上げ、ぎょっとした。
檻の前にも、机にも、ベーデの姿は無い。
「ぼやぼやするな。時間、あんまりない」
虚空からわずかに焦った声が降り、鍵が開けられる。
牢屋から出ると、フィーは高鳴る心臓を沈めるように、ゆっくりと深呼吸した。
「なるほど、シャバの空気がうまいって、こういうことか」
「もたもたするな。行くぞ」
見えない同行者に向けて、仔竜は頷いた。
「ああ。行こうぜ」