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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~archenemy編~
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6、試行錯誤(前編)

 何も写さなくなった水鏡を、サリアは黙って見つめていた。

 時折、気遣わしげな顔で小竜たちが側を行き過ぎるが、それでも何も言わず、職務に従事している。

 竜神の神座、その一隅を与えられていながら、自分には何一つやることがなかった。

 シェートがさらわれた時と、同じように。

 魔王城に対して、宣戦布告するように放たれた光の矢。それに応えるように、魔王はシェートをさらって行った。


『魔王の為すこと、その一切に不干渉を貫く。それこそが遊戯の約定でございます』


 冷厳なイェスタの言葉と共に、略取はいともたやすく終了し、残ったのは累々たる屍の倒れ伏す戦場のみ。

 自分は一体、何をやっているのだろうか。

 あの時、もっと自分に力があったなら、シェートに新たな加護を与えて、助けにすることができたかもしれない。

 それよりも、こんな状況に陥らないよう、どこかで身を引かせるべきだったのか。

 出来る限りのことを積み重ねて、事態に当たってきたと思っていた。そのことごとくが裏目に出ている。

 これからどうすればいいのだろう。自分に何ができる?

「思いのほか堪えるものだな、中の様子が分からんというのは」

 物思いを遮るように、竜神はのんびりとした口調で、嘆息を漏らした。

「魔王の城は、いわば最終ステージ。情報規制をされるのはある意味当然だが、せめて実況中継でもしてもらいたいものだ」

 彼は輝く画面に向かい、板切れの上についた突起を叩きつつ、話を続けた。

 手慰みの類か、それとも今後に役立つ作業なのかは分からないが、気を紛らわせる作業があるのが、少しだけうらやましい。

「おまけに、こちら側からは一切の助力が出来んときた。いやはや、こいつはまさにお手上げと言ったところだな」

「ええ……」

 茫洋といらえを返したこちらに、竜は処置なしといった顔で作業に戻っていく。

 なし崩しに終わった"愛乱の君"の布告も気になるが、シェートが生き残れなければ、自分にとっては何の意味もない。

 そして心は、自然と問題の根本に立ち返っていた。

「シェートたちは、無事、なのでしょうか」

「そなたに異常がないということは、生きているのは間違いないだろう」

「ですが、フィーやグートは私と直接つながりがあるわけではありません。何かあったとして、私にはどうすることも……」

「おそらく、あやつらも無事だ」

 慰めるというには苦い口調で、竜神は二人の存続を肯定した。

「なぜなら、殺すより生かして使う方が、まだしもシェートに作用するからだ」

「人質として突きつけ、自分の命令に従わせる、ということですか?」

「残念ながら、そうはなるまい」

 サリアは、竜神の顔をまじまじと見つめた。いかつく長い顔には、より一層煮しめられた渋い表情が浮き上がっている。

「今代の魔王は、そんな生易しい相手ではなかろう。少なくとも儂なら、話題に乗せることさえ控えるな」

「……生死を曖昧にし、その事実に触れる事さえせず、不安を煽るために利用する、ということですか」

「コボルトに限らず、心を持つ存在というものは『不確定な現状』というものに弱い」

 痛い指摘に、サリアは顔を伏せた。

 シェートたちの安否が不明な現在、自分も酷く頼りない気持ちを味わっている。

「見知らぬ場所、敵ばかりの世界の中、たった一人放り出される恐怖。魔王は、それを最大限に生かしてくるであろう」

 自分はこうして、竜神の言葉を聞いて気持ちを紛らわせることも出来る。しかし、あそこに囚われた者達には、そんな相手さえいないのだ。

「シェート……」

「とはいえ、即座に殺さなかったという点を考えれば、魔王の意図は明らかだがな」

「どういう……ことですか?」

 竜神はつくづくとため息をつき、絵解きを始めた。

「ベルガンダが魔王から受けた命令は『シェートの捕獲』だ。そして、あの決闘の中でさえ、それは変わらなかった」

「なぜ……魔王は、シェートを欲するのでしょうか」

 確かに、神と契り結んだコボルトは珍しい存在だろう。それでも、シェートは魔将を倒した敵であり、間違いなく神の勇者だ。

「もし仮に、シェートが私との契約を打ち切り、魔王に従ったとしても……ほんの少し力のあるコボルトを手に入れるだけに過ぎぬはず」

「そうだな」

「それを、わざわざ己の軍をすりつぶし、魔将との戦いを強いた上で、己の城に招き入れるなど……酔狂という言葉を通り越した所業です」

「そうかもしれん」

 相槌を打つ竜神の声に、同意は無かった。

 その竜眼のは、別の可能性を追うように虚空に遊んでいる。

「もしや、今回シェートを拉致したのには、何か意図があるとお考えですか?」

 竜神は作業の手を止め、サリアに問いかけた。

「なぜ魔王は、魔力も持たぬ牛頭魔人に軍を与え、一つの大陸を治めさせたと思う?」

「弱き勇者をひとところに集め、互いに食い合わせるための餌とする。以前、そのように仰られましたね」

「同時に、魔将を鍛え、雑兵を精鋭として育成する目論見もあったと、儂は見ている」

 竜の長い爪が虚空を一閃すると、サリアの目の前で水鏡に一つの光景が映し出される。 それは、シェートが魔将に鍛え上げられている様子だった。

「ベルガンダは、本来的には武将ではない。生粋の武術家、それも高手とは言えぬレベルのものだ」

「あれで、使い手ではないのですか?」

「そもそも魔界に武術、というものが徒花の類なのだ。おそらく開祖が三代を遡ることはあるまい。それでも理と術があったところを見れば、師に当たる者どもは、よくよく武に愛されていたのだろうな」

 珍しい輝石を鑑定するごとく、竜の舌がすべらかに魔将の評を語る。どこか物惜しそうな顔つきになるのは、彼が生粋の蒐集家だからだろう。

「だが、奴には天稟があった。他者に術理を伝え、その実力を底上げする、指導者としての素養がな」

 画面の向こうでは、シェートの攻撃をいなしながら、絶えず声を掛け続けるベルガンダの姿があった。それを見守る魔物たちも、みな真剣に様子を観察している。

 軍事教練ではなく、道場に集った門下を指導する風情を感じさせた。

「おそらく、今代の魔王は、その者が持つ稟質ひんしつを愛でるさがを持つのだ」

「稟質……」

「ベルガンダの配下にも癖の強いのが多かったろう。主の薫陶を受けたか、やり方をまねたのか、どちらかは分からんがな」

 珍しい人材を手元に置き、それを重用する。

 古今、世に名を残す名君の類は、そうした『奇貨』を手元に置くものと聞いていた。

「ですが、それでは筋が通らない」

「なぜそう思う」

「シェート一人を手に入れるため、結果的に魔王は、自軍と手塩に掛けた魔将を失った。いくら何でも、かけた対価が大きすぎます」

「それはそなたの理屈だ。魔王のものではない」 

 そう言うと、竜神は机の隅から小さな箱を引きずり出し、中身を虚空にばら撒いた。

 洞窟に一陣の風が舞い、投げ出された品物を空中に浮かび上がらせる。

 それは無数の紙片、角を丸く面取りされた札の類だった。

「勇者たちの世界では、この紙切れ一枚を、一日の糧を購う金で取引する者たちがいる」

「それは……金品として兌換だかんできるものなのですか?」

「趣味人でもなければ一銭の価値もない。見た目が多少美しいだけの紙切れさ」

 札の一枚が、女神の手にそっと舞い降りる。年月を経た風合いの紙片には、黒い蓮の花と異世界の文字が描かれていた。

「ちなみにその札、そこそこ良い借家を一月借りられる値段で取引されていたぞ」

「こんなものが、ですか……」

「そなたの言っている"価値"とは、いわば市井の者たちの目線。異世界の勇者や魔王のものとは、まったく別種のものだ」

 元々自分は、山間の放牧者や平野の農村であがめられていた神格だ。兄のように武勇や奢侈しゃしを好む性質もないし、竜神のような貪欲さも持ち合わせがない。

 ましてや異世界の勇者や魔王の価値観など、推し量りようもなかった。

「つまり、魔王は自分にしか分からない尺度にしたがって、シェートに執心したということですか?」

「その執心が、雑兵ばかりの軍隊や、勇者の餌に育て上げた生贄の牛などよりも、重要な意味を持つに至った、ということだろう」

「魔王にとって、シェートにどんな意味があるというのですか?」

「知らぬ」

 あっさり問いかけを切り捨てると、竜神は作業に戻っていく。軽やかな打鍵の音を響かせ、つけたりが述べられた。

「それこそ魔王自身に聞くしかなかろうよ。シェートのどこが気に入ったのか、とな」

 為す術もないまま、サリアは再び座り込む。

「魔王は、シェートを篭絡するべく動いているのでしょうか」

「それこそ、月を地に引きずり降ろし、海の水を全て蜂蜜に変えるに等しき熱情でな」

「愛しき美姫を口説くが如く、ですか」

 どんな手段であろうと、たった一人のコボルトにとって、とてつもない重圧だろう。

 そんな時に、自分は側にいてやることができない。 

「シェートは……耐えられるのでしょうか」

「今は待て。儂らに出来るのはそれだけだ」

 諫言を耳に入れ、サリアは水鏡の前に座り直す。

 波さえ立たない水の面に、自分の不安な表情が写りこんでいた。



 ランタンに照らされた石牢の中、フィーはわら布団の上で、スマートフォンをいじり続けていた。

 最初、こちらの姿に驚いた様子を見せた牢番も、今は自分の仕事に集中している。

 時間を確かめ、時々こちらの動きを日誌に書き記す。おそらく、こちらの健康状態や異常な動きが無いかどうかを確認するためだろう。

 そういえば、牢番という仕事が何をするかなど、今まで考えたことも無かった。

 せいぜい捕虜の様子を確認したら、あとは適当に遊んでいるか、居眠りでもしているんだろうくらいに思っていた。

「そろそろか」

 液晶画面の端に表示された時計が七時五十四分を示す。ほぼ同時に、外に通じるドアがノックされた。

「ベーデだ、入るぞ」

 皮鎧に小剣を吊ったゴブリンは、こちらに視線を投げた後、前任者のそばに寄った。

「引継ぎだ。日誌、貸せ」

 あくび交じりで日誌を手渡す前任の牢番は、ベーデの差し出したコーヒー入りの水筒を片手に、フィーを手で示した。

「あいつ、メシ食ってからずっと、スマホいじってた。用心しろ」

「分かった。それとお前、三時と四時、"寝てる"しか書いてない。どこでどんな風、寝たか、そこまで書け」

 どうやらこちらの寝相まで、細かくチェックしているらしい。寝ているふりをして脱出の準備をする奴を警戒してのことだろうが。

「そんなに用心するなら、いっそのこと鎖で縛っとけよ」

 突然、会話に入ったせいか、牢番はぎょっとした顔でこちらを見て、それから完全に無視を決め込んだ。

 そして、ベーデは緊張した面持ちで、声を発した。

「装具確認」

「……帯剣、よし。着衣、よし。鍵束、よし。スマートフォン、よし」

「備品確認」

「筆記具、よし。日誌、よし」

 目の前で展開される光景に、フィーは眉間にしわを寄せ、げんなりした。

「ゴブリンが指差し確認、ねぇ」

 ベーデの合図で牢番が自分の持ち物や机の上の物、引き出しの中身を確認し、日誌に細かくチェックをつけていく。脱出のためにアイテムを盗んだら、この時点で発覚すると言うわけだ。

 業務引継ぎが終わると、二匹のゴブリンはその場で立ち上がり、正対した。

「番衛視グリュン、正常に勤務終了せり」

「番衛視ベーデ、勤務終了確認。引継ぎ、勤務入る」

 敬礼し、前任者はそのまま外に出て行く。大きく伸びをし、あくびを漏らしながら。

 そのすべてを、フィーはスマホに記入した。

 向こうほど正確ではないにしろ、日記帳機能に連中の動きは記入してある。

 牢番の交代勤務時間はおそらく三交代、しかも、人間と同じように夜は寝る時間と定めているらしい。

 日誌を受け取ったベーデは、机に向かって何事か書き記している。おそらく自分の名前や勤務開始時間だろう。本当に、ゴブリンのイメージがまったく変わるほどの勤勉さだ。

(さあ、こっからが勝負だ)

 フィーはちらりと牢番の背中を見て、それから無関心を装ってスマホに向き直る。

 本当は、今すぐにでもベーデをせっつき、情報を手に入れたい。だが、こっちが交渉を焦れば、向こうはそこに付け込んでくるだろう。

 この状況で主導権を取られたら、脱出は絶望的だ。相手に懇願させ、情報をくださいと言わせるしかない。

 焦る気持ちを抑えるために、フィーは今まで見る気も起こさなかった、スマホの機能を確認することにした。

 アプリは天界を通して機能を拡張する物以外は、すべて使えるようだ。竜神経由で送られた動画も、直接こちらにダウンロードされている。

 ベルガンダの背中につかまっている自分の姿に苦笑いを浮かべつつ、何かに使えるだろうと心に留めておく。

 他に使えそうなものは録音機能だろう。牢番の声を録音しておけば、だまし討ちに使えるかもしれない。今まで使う機会が無かったが、カメラ機能も積極的に使っていこう。

 電話機能は完全に沈黙しているが、連中の使っている基地局に入ることが出来れば通信が復活するかもしれない。

「そういや……もしかして」

 その時、フィーの頭に閃くものがあった。ここまで地球の文明を取り入れているなら、可能性はある。祈るような気持ちで、青い指が通信設定の項目をいじる。

「や……やっぱり」

 無線LANのアクセスポイントがいくつか表示された。どうやらこの城では、標準的な地球産の機器をそのまま流用しているらしい。

 あとは、アクセス用のパスワードさえ分かれば――。

「おい!」

「うはあっ!?」

 強烈な怒声に目を上げると、檻の前で仁王立ちになるベーデの姿があった。

「俺、さっきから呼んでた。返事しろ!」

「な……なんだよ、いきなり」

「お前……自分で言ったこと、忘れたか?」

 牢番の上気した顔を見て、フィーは目じりを緩めて、またスマホに視線を落とした。

「なんだよ、カリカリして。牢番は捕虜と親しくしないんじゃなかったか?」

「……もういい! 交渉、これで終わ」

「なあ、ベーデ。この城ってパソコン使ってんだろ」

 すばやく通信設定画面を消し、自分の身長よりも背の高いゴブリンを見上げた。

 そういえば、この城にいる連中は臭くない。それどころか、石鹸らしい匂いさえ漂ってくる。食事の事といい、衛生には気を使っているようだ。

「な、なんでそんなこと、分かる?」

「お前らみんなスマホ持ってるからだよ。それで勤務時間とか、現在位置とかが分かるんだろ? なら、それをまとめて管理する場所があると思ってね」

「……お前、勇者の世界、詳しいの、良くわかった」

 苦々しく肯定するゴブリンに、思わず口がほころぶ。この城のどこかにあるマスターサーバ、そこに行けばかなりの情報が手に入るだろう。

「しっかし、すげーな。この城の中って、まるで俺――の知ってる、勇者の世界そっくりだぜ」

「そ、そうなのか?」

「さすがにこんな牢はなかったけど、向こうの人間はみんなスマホ持ってるし、パソコンも大抵の家には置いてあるからな」

 何気ない世間話を装いながら、フィーは情報収集を開始した。このゴブリンがどの程度地球のことを知っているか、この会話でわかるはずだ。

「そうらしいな。勇者たち、元の世界、魔法使えない。その代わり、機械たくさん使って便利にする。知ってるか? あいつら、車、馬に引かせないんだぞ?」

「そんなの当たり前だろ。馬車なんて何十年前の話だよ、今じゃガソリンじゃなくて電気とかで走るのもあるぐらいなのに」

 こちらの即答にベーデが目を丸くする。それから、記憶を探るような沈黙が漂った。

「……そうだな。お前、よく知ってる」

「ああ、そういうことか」

 相手の意図に気がつき、フィーはにんまりと口をゆがめた。

「お前、俺が別の勇者から、あっちの情報を又聞きしたとか思ってたのか」

 おそらく、捕虜の尋問マニュアルにある通りの対応なのだろうが、それがまんまと失敗したわけだ。

 羞恥と悔しさで歪んだゴブリンの顔に、更なる追い討ちを掛ける。

「まだまだ勉強が足んねーな。そんなことじゃ俺に出し抜かれるぜ?」

「う、うるさい! とにかく、情報全部しゃべれ!」

「それは構わないけど、お前、ちゃんと報告できんの?」

 もっともな指摘にベーデは黙り込み、机からメモ紙と筆記用具を持って帰ってきた。

「これでどうだ」

「筆記用具って、使ったら報告するんだろ? 自分だけ尋問してたの、ばれるんじゃないか?」

「……鼻紙使った、言えばいい」

 それなりに頭は回るようだが、やはり知恵が浅いのはどうしようもないらしい。完全にこちらのペースに巻き込まれたベーデを前に、フィーは軽く胸をそらした。

「まずは、お前がどのぐらい勇者たちの世界について詳しいか、聞かせてくれ」

「な……何言ってる! そんなことわざわざ言う必要、ない!」

「じゃあ、こんなの知ってるか? 勇者たちの世界じゃ、ハンバーガーが自販機で買えるってこと」

 ゴブリンは目を白黒させて、必死に習い覚えた知識を探りっていく。だが、その沈黙は長く、半信半疑の答えが堂々巡りしているのが良くわかった。

「……ハンバーガー、コンビニ、ファーストフードで買う。自販機、飲み物買う奴」

「ざーんねん。田舎にある自販機だらけの店とかに、ちゃんと売ってるよ。ついでに言うと、自販機は何でも売ってる。食い物や本、生みたての鳥の卵とかもな」

 小学生のころ、田舎の爺ちゃん家に行く度に目にしていた景色を思いだす。国道脇の無人スタンドでねだって買ってもらったハンバーガー。チープな味だったが、懐かしい思い出として、今でも鮮明に記憶していた。

「さすがに意地悪な問題だったな、悪い」

 こちらの知識に恐れをなしたのか、ベーデは若干引き気味にこちらを見ている。

 慰めるように、フィーはやさしく声を掛けた。

「まずは、お前らがどうやって勇者の世界を勉強してるのか、教えてくれないか」



 何日めかの朝が、シェートの部屋にやってきた。

 静まり返った空間には、自分以外の姿はない。いつもならこの辺りで参謀が、朝食の席に連れて行くため顔を見せるはずなのに。

 布団から這い出すと、そのまま床に下りる。

 部屋の隅には新しい服が掛けてある。昨日、部屋に戻ってきたときには、すでに用意されていた。

 あの服を着るのは、あまり良い気分はしない。自分に枷をつけられているようで、下手な鎖よりも気持ちをいらだたせた。

 そのままガラス窓に近づき、外を眺める。

 羽目殺しになっているので、ここから外に出ることはできない。破壊して脱出することも考えたが、この城の構造が分からない以上、注意を引くだけで意味の無い行動だ。

 胃袋が、小さく鳴き声をあげる。

 参謀は姿を見せない。衛視の気配らしいものは外にあるが、入ってくる様子もない。

 このまま、外に出たらどうなるだろう。


『後は好きにしろ』


 魔王はそう言っていた。

 事実、昨日一日、誰にとがめられることなく過ごせた。食事は例の喫茶室で食べたし、何の妨害もなく、この部屋に戻ってくることができている。

 わずかに迷った後、シェートは無言で新しい衣服に着替えた。

 こうしておけば魔王から呼ばれたから出てきた、という風にも装えるし、参謀に見つかったとしても面倒は避けられるはずだ。

 教わったとおりに身支度を整えると、そのまま部屋を出る。

「おはようございます」

 まじめくさった顔で、ホブゴブリンが挨拶をする。こちらが魔王の賓客であることを承知しているせいか、侮ったところは少しも見えない。

「どちらへお出かけですか」

「あ、朝飯、だ」

「……そうですか。いってらっしゃいませ」

 驚くぐらいあっけなく、衛視はこちらから意識をそらした。部屋の主である自分がいなくなろうと、そのまま部屋の前に立ち続けるつもりらしい。

 内心の動揺を感じさせないよう、そのままゆっくりと歩き去る。足は自然と、ここ数日通いなれた道を進んでいた。

 赤い敷物の敷かれた道を進むと、左手側の壁に扉が現れる。この向こうに、魔王と会食した中庭があるはずだ。背後に残した衛視の視線を気にしながら、薄く扉を開いた。

 広い空間には、長机と椅子だけが置かれていた。魔王の姿はもちろん、給仕も居ない。

 ここで食べた食事のことを思い出し、腹の虫が少し大きめの声で鳴いた。

「魔王……どこだ?」

 ここに来て以来、ずっとやかましく構い立てしてきた奴が唐突に居なくなる。意図の読めない行動に、不気味なものを感じた。

 それでも、今なら誰の目にも触れることなく、城を動き回れる。この機会を逃すわけには行かない。

 道なりに進むと、やがて通路は十字路に突き当たった。

 ここを右折すると研究所に出る。直進すると、魔王と会食した中庭があるはずだ。

 左には、まだ一度も足を踏み入れていない。

 どちらに行くのが良いだろう。

 研究所に行けば、例の食堂や"喫茶室"で食事を取ることができるはずだ。しかし、あれだけの集団に見られてしまっては、こっそり城を歩き回るのは難しくなる。

 少しでも、この城の情報を手に入れておく必要がある。フィーやグートが閉じ込められている場所も目星をつけたい。

「どうせ、見回り、いるしな」

 魔王のことだ、こちらの動きはどこかで把握させているだろう。入られたくない場所には見張りをつけているに決まっている。

 逆に言えば、見張りがついているところには重要なものが隠されているはず。できれば未だに安否の分からない仲間達を探し出したい。

「フィー……グート……待ってろ」

 覚悟を決めると、シェートは十字路を左に折れ、進み始めた。


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