5、渦まく知識
「ふざけんなよ」
格子の向こうに立つゴブリンに向けて、フィーは苦言を吐いた。
「何がだ」
「突っ込みどころは一杯あるけど、まずはこれだこれ」
食事として差し入れられた代物を、むっつりと指差す。そこには、木の椀に入ったおかゆと小さなパンの塊、チーズと水差しが乗っていた。
「どうして俺の飯が、こんなに貧相なんだよ!」
「仕方ない。お前捕虜、生かしておく、命令だから。飯、それしか出せない」
「んなわけあるか! 捕虜ってのは丁重に扱うもんだろ! ってかお前のその飯!」
バカにしたように笑うと、ゴブリンは自分の席に戻り、食事を摂り始める。
湯気の立つシチューを口に含み、鶏肉をフォークとナイフで行儀良く切り分け、見せ付けるように、もぐもぐしていく。
「なんだこの驚異の格差社会は! いくらなんでもひどすぎだろ!」
「俺、ちゃんと働いてる。飯、いいもの食えるの当たり前。お前、食って寝るだけ、いいもの食わす理由、ない」
ありえないことに、魔物は緑の野菜の入ったサラダを食い、締めのデザートとばかりにみずみずしいぶどうの房を、美味そうにねぶっていた。
「くっそ……」
仕方なく、フィーも自分の食事に手をつける。とはいえ、味気ない押し麦のおかゆはチーズでも混ぜないと食べていられないし、パンもぱさぱさしていて、水なしでは飲み下すのも難しい。
「大体、捕虜って言うなら尋問はどうしたんだよ。魔王はどこにいるんだ?」
「知らない。魔王様、忙しい。お前みたいなチビ、相手にしてられない」
初めて出会った日以来、魔王は姿を見せなかった。代わりに、牢番らしいゴブリンが、交代で自分を見張るようになっている。
「あの野郎、俺に興味があるとか言っといて……」
当初の計画では、やってくる魔王と交渉しまくって、この城の内部を把握するつもりだった。当てが完全に外れた以上、別の作戦を試すしかない。
見てろよ、フィーは心の中でつぶやくと、そのまま床に突っ伏した。
「う! ……ぐ、ううううううううううっ」
ぎゅっと体を縮めて、ついでに両手で角をつかむ。初めて魔王の城を見たときのことを思い出しながら、仔竜は苦しみを全身で表現した。
「ううっ、あ、頭が、いてええっ、ぐううっ、うがああああああああっ!」
それまで平然としていたゴブリンが、椅子から立ち上がる。
鉄格子に走りよる気配がして、緊張した声が掛かった。
「お前! どうした! 体、おかしいか!?」
「あ、あたまが……い、いてぇっ!」
精一杯歯を食いしばり、涙目になりながらフィーは魔物を見上げる。ゴブリンの手が腰の袋に伸びて、何かをまさぐり始めた。
後はコイツが、牢の鍵を開けた隙に――。
「もしもし! ベーデだ! 仔竜、病気になったぞ!」
「…………あ?」
仮病の演技も忘れて、フィーの目はゴブリンが手にした、それに釘付けになった。
スマートフォン、紛れも無い本物。
「……賭け、俺の勝ちだ。みんな呼んで来い」
ニタリ、と笑う魔物に、仔竜の全身から血の気が引く。扉の向こうから数名の足音が響き、どやどやと歩哨のゴブリンたちが集まってきた。
「ほんとか!? こいつ仮病使ったか!?」
「すげえ、ホントだ! ほんとに仮病使うのか!」
「魔王様言ったとおり! 勉強しておいてよかった!」
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。
魔物たちはうれしそうにこっちを指差し、口々に仮病仮病とはやし立ててくる。
「な、なんなんだよ! お前ら!」
「お前、バカ」
牢番のゴブリンは、心底うれしそうに、フィーを嘲った。
「俺たち、みんな知ってる。敵の捕虜、逃げ出すとき仮病使う。だから、捕虜、調子悪くなったとき、必ず五匹以上で様子見ろ、言われてる」
「な……なにぃいいっ!?」
「牢番、必ず講習受ける。勇者の仲間、捕まえたとき、扱う方法だ」
絶句するしかなかった。
確かに、フィクションのように鮮やかに行くとは思っていなかったし、怪我をする可能性も考慮していた。
それが、脱出する前に見破られて、バカにされるなんて。
ゴブリンたちは歓声を上げて銅貨をやり取りしている。ベーデという名の牢番は、小袋一杯の金を手に入れて満足そうにしていた。
「ありがとな、チビ助。俺のとき、仮病、使ってくれて。おかげで儲かった」
「ち、ちっくしょおおおおおおおおっ!」
面白い見世物が終わったとばかりに、歩哨たちは出て行ってしまう。プライドも何もかもずたずたになって、フィーは地面に転がった。
「ちくしょう……」
これで連中は、自分に対して警戒を強めるだろう。本当の病気になったとしても、まともに取り合ってくれないかもしれない。
ひどく惨めな気分でスマホを握り締める。
ゲームアプリさえ起動できない、役に立たないガラクタ同然のそれを。
誰の助けも無ければ、自分はこの程度なのだろうか。こんな姿になっても、魔法一つ使えず、強くなるわけでもない。
視界がにじんで、石畳に黒い染みができていく。情けないと思いながら、それでも涙は止まらなかった。
これから自分はどうなるのだろう。
シェートもいない、神の助けも期待できない。少し知恵を絞ったところで、ゴブリンたちに見破られてしまう程度では、脱出することなんて夢のまた夢だ。
「おっさん……何とかしてくれよ……」
目をつぶり、愚痴をこぼす。
だが、こんなとき、あの竜神ならこう言うだろう。
『そんなもの、自分の頭で考えんか』
無理に決まってんだろ。俺みたいなバカが、何考えたって同じだよ。
『自虐の言葉で己を縛るのは、慰めにはなっても救いにはならん。悩んでいる暇で、やるべきことをやれ』
やるべきことなんて、正直何も思いつかな――。
「おい」
気が付くと、格子の向こうに黒い影が立っていた。呼びかける牢番の声に、悔しさと腹立たしさがよみがえってくる。
むくれて顔を背けると、後頭部に軽い刺激が当たった。
「んだよ! バカにしたきゃ好きなだけ笑えよ!」
「食え」
ゴブリンは、むっつりした顔で、地面に転がったそれを指差した。
小さな四角い包み。銀色の包装紙で包まれた何か。
「な、なんだよ。これ」
「捕虜の扱い、決まりある。給仕係、毒見したもの以外、絶対やらない決まり」
ゴブリンは椅子に座り、同じような包み紙を開けて、口に放り込んだ。
「捕虜、仮病見破るため。ほんとの病気、区別するため。捕虜の料理と牢番の料理、必ず分ける。捕虜食うの、胃袋負担かけないもの。ちゃんと煮て、焼いたもの出す」
徹底されたマニュアル化。牢番自身の意思など関係なく、厳然と決められた捕虜の扱いがあることに、フィーは思わず姿勢を正していた。
「じゃあ、これは?」
「知らん。俺、うっかり落とした。お前食う、規則違反。いらなきゃ捨てろ」
ドラゴンの嗅覚と人間の知識が、中身の正体を明確に教えている。その上、牢番は毒見までして見せた。
包み紙を開けると、中からは茶色の塊が、チョコレートが転がり出た。
「こんな、もんまで……」
甘い塊を舌に乗せて、じっくりと舐める。
それなのに、口の奥にしびれるようなすっぱさが広がり、涙の塩気が口元に伝わった。
「規則だ。捕虜、むやみに痛めつけない。調子よく見て、生かさず殺さずする」
「ちくしょう……ふ、ふざけんなよ……ばかやろう……」
よりによって、気を使われた。募る悔しさをこらえるように、歯を食いしばる。
牢番はこちらに背を向けて、机で書き物を始めた。
まるで、それ以上はかかわる気は無いとでも言うように。
「そっか……こいつら……」
考えてみれば、この城にいる魔物が愚かなわけが無かった。
ベルガンダとの交流で気づいていた。この世界の魔物たちも、そして魔王も、常識なんかでは図れない。
いや、そんなこと、もっと以前に思い知っていたはずだ。
魔物はゲームの駒なんかじゃない、意思を持った存在なのだと。
そんなこいつらを出し抜く方法、それを見出すにはどうしたらいい?
『そんなもん、まずは情報集めにきまっとろうが。敵を知り、己を知れば百戦危からず。全ての基本だ』
「……おい、えっと……ベーデ」
ゴブリンは当惑した顔で振り返った。どうして自分の名前を知っているのかと。
「チョコ、ありがとな。うまかった」
「だから知らん。仲間、知られたら、俺、罰うけるからな」
「番人てのも大変だな。いろいろ記録とかつけて、それもマニュアルなのか」
ベーデは背中を向けると、少し怒った調子で吐き捨てた。
「捕虜、親しくするな。マニュアル載ってるぞ」
ゴブリンの回答はそつが無い。こういう状況になったときの対処を、普段から教え込まれているのだと分かる。
だが、もしコイツが牢番に徹するなら、チョコなんて投げてよこさなかったはずだ。
優しくしてみせたのは、何か思惑があってのことかもしれない。
捕虜である自分に対して、牢番が優しくする理由は?
「なあ……俺と、取引しないか?」
涙を荒っぽく拭い去ると、フィーは挑発するように声を上げた。
「俺、勇者のことにはちょっと詳しいんだぜ? 魔王に教えれば、褒めてもらえるような情報も、たっぷり持ってる」
さっき、コイツは言っていた、勇者の仲間を捕虜にすると。
魔物なら勇者の仲間なんて、容赦なく殺すはず。それをしないで生かしておくということは、何かに役立てるためだろう。
「それもマニュアル載ってた。秘密の情報、ちらつかせて逃げる。捕虜の常套手段」
こちらの言葉を否定しながら、それでもゴブリンは視線をさまよわせた。
捕虜から情報を引き出せた牢番に、何らかの報酬が出るのは考えられることだ。さっきの賭け事の様子からも、コイツは自分の利益になることには貪欲になると見た。
「それじゃあ、騙されずに情報を引き出す方法だって、習ってんだろ?」
ベーデは何も語らなかったが、その顔色は明らかに肯定を示していた。同時に、こちらの顔を確かめるように見つめている。
コイツにとって俺は間抜けな捕虜だろう。マニュアルにはまった、取るに足らない存在だと侮っている、はずだ。
(いやいや、こういう考えはダメだろ、俺)
シェートと対決したときも、自分の勝手な思い込みから、完璧に罠にはまった。
だろう、とか、はず、なんて当てにはならないのは、身をもって分かっている。
どうすれば、コイツを騙せる?
どうすれば、可能性を確定に変えられる?
『策謀の基本は、相手の利に訴えること。楽して儲けたいを思う気持ちに付け込み、鼻先に餌をぶら下げて、決して食べさせないことだ』
「あー……ダメダメ。タイムアップな」
背を向けると、その場でとぐろを巻き、フィーは翼の中に首を収めた。
「考えてみればお前、さっき俺でいっぱい儲けてたじゃん。他の奴にもチャンスをやらないと、不公平だもんな」
「ちょ、ちょっと待て!」
慌てる声は、さっきよりも素に近いと感じた。衛兵ではなく、ベーデという一匹のゴブリンになっている。
わずかに迷いながらも、交渉相手はこちらの言葉を受け入れた。
「俺、そろそろ交代時間。次来るの、明日の八時から」
「……分かったよ。お前以外に、秘密は話さない」
そして、この会話でもう一つ分かったことがある。この城は地球式で、全ての時間割を計っているということ。
『手に入れた情報はすぐに組み入れ、計画全体を補強する。完成形があるのではない、完成に近づけることが大事なのだ』
「そういや、今何時だ?」
「ん? 十八時五十分、あと少しで交代だ」
翼の下に隠したスマホの時刻を、すばやく"この城の時間"に変更する。
これで、連中の動きを把握する指針が手に入った。
「明日はよろしくな、ベーデ」
主導権を握られたことに不満を見せながら、ゴブリンは黙り込んだ。
そして、机の引き出しから本を取り出し、熱心に読み解き始める。あれが、例のマニュアル本だろう。ブラフかもしれないが、本人が言うほど、捕虜の扱いを熟知しているというわけではなさそうだ。
そもそも、魔王の城に勇者が入った話など聞いたことが無い。訓練はしても実践は初めてのはず。相手が不慣れなことに期待して行動するしかない。
『計画は慎重に、行動は大胆に。そして常に、戦場を把握し続けること。これが儂の戦術論だ。行き当たりばったりだと? こういうのは、臨機応変と言うのだ』
"知見者"との戦いのとき、竜神は教えてくれた。
どうやったら、敵を出し抜く戦術を編み出すことができるのか。興味本位で聞いたはずの言葉が、鮮やかによみがえっていた。
「ありがとな、おっさん」
そして仔竜は思い出す。
おせっかいで世話焼きの竜神が、さまざまに語り聞かせてきたことを。
過去に埋もれた雑多な話、その中に、状況を打開するものがあるかもしれない。
翼に顔を埋め、フィアクゥルは思索を深めていった。
夢の中に旧き叡智を追う、古竜のように。