エピローグ:風の少女
腹に響く振動を感じながら、闘魔将ゾノは御座車の向こうに広がる広大な草原を見やり続けていた。
巨漢の百手巨人に合わせて作られた車は、遮眼帯を掛けられた二十頭のカトプレパスに引かれ、凄絶な音を立てながら北進していく。
なだらかな丘陵と人間たちが付けた道、時折まばらに生える樹木以外には見るべきものも無く、視界を遮るほどに高いもの見かけない。
中央大陸エファレアは、その大陸の三分の二ほどが、こうした平原で占められていた。
各都市は高い城砦を巡らせ、各都市ごとの自治政府が乱立している。本来なら互いに覇を競い合う関係だが、現在は魔王軍との戦時下であり、同盟関係を結んで敵対行為を繰り返していた。
とはいえ、ワイバーンやキマイラ、グリフォンを中心に、ワームやヒドラ、カトプレパスなどの巨獣、操魔将の開発した改造魔獣などで、現在十万という大軍に膨れ上がった魔獣の軍団に、対抗できる都市はひとつとしてなかった。
「ゾノ様。魔王様が」
「うむ」
側近の声に頷くと、ゾノは座席を降り、床に片膝をつく。
虚空に浮かんだ幻影の魔王は、ことのほか上機嫌そうだった。
『そちらの進攻はどうなっている』
「現在、ルーエン、ヴィエラ、セモイの三都市を攻略。都市同盟の守りの要は、これで完全に打ち砕かれたものと」
『そうか。まあ、万を越す魔獣を擁した上に"知見者"軍の不在、赤子の手をひねるよりも造作のない仕事であろうな』
「……は」
魔王の言葉には、強烈な嘲りがあった。こちらの不甲斐なさを、全く許すつもりがないとでも言うような。
「譴責、しかと胸に刻み付けました。今後、決して無様はさらさぬものと」
『そうか』
驚くほどにそっけない。自分の軍が勝とうが負けようが、まるで歯牙にもかけていない風情だ。
いや、むしろ勝利など当然の物であり、人間風情にてこずっている俺を、苦々しく思っているのだろう。
「ところで、モラニアの戦はいかがなもので?」
戦果が上がるまでは主の機嫌も治るまい、ゾノは内心ため息を吐き、同輩の戦況に話題を変えた。
「今だ持ちこたえているようですが、所詮は雑兵の群れ。そろそろ魔王様より、援軍の一つも差し向けては」
『勝ったぞ』
「は?」
魔王の幻像は、深く満足げな笑みを浮かべた。
『魔将ベルガンダ、見事"知見者"軍を打ち果たし、この地上より神の軍勢は永遠に消滅した。どうだ? 貴様にとってもめでたき戦果であろうが』
「な……」
これまで、一度たりともめまいなど覚えたことがなかったゾノは、初めて視界がどす黒く染まるのを感じた。
一体、何の冗談だ?
こちらがどれほど策を重ね、精強な魔獣を無数に重ね、完璧な時期を見計らって攻略してなお、全く手も足も出なかったあの勇者軍を。
『煩うな。貴様の軍が敗れたのは、神の使った神規によるもの。あんなインチキな手わざを使われれば、道理で勝てる戦に勝てぬわけだと、得心が行ったわ』
「は……はい……それは、そう、なのでしょうな」
だが、神規を超えて、ベルガンダは敵を破って見せた。
それは詰まり、あの下級の魔物であるミノタウロスが、自分よりも遥かに優れた力を持っていたということだ。
「そ、それでは、かの魔将は……ベルガンダ、殿は」
『貴様にもう一つ朗報がある。あいつは死んだぞ』
「は、はあっ!?」
主の目の前で、抑えきれず頓狂な声が漏れてしまう。こちらの様子を心底面白そうに眺めた主は、片手に酒盃を持ち、そっと掲げた。
『モラニアの混沌、強き者の災禍、運命をかき乱す者、どのように呼ばわるかはまだ思案中だが、そのものとの一騎打ちで、命を落としたのだ。実に見事な、散り際だった』
「それは、一体どのような者なので、ありましょうか」
『我が魔将、ベルガンダを打ち果たせしは、コボルトの勇者。名をシェートという』
「コ……コボルト……」
冗談、などではないらしい。勇者というからには神の加護をコボルトが受けたというのだろうか。だが、いくら加護を授かったところで、あんなひ弱な魔物が仮にも魔将を倒すなどとは到底考えられない。
『……やはり、それが貴様の限界か』
「は……?」
『せいぜい精進せよ。でなければせっかくの銘が泣こうというものだ』
戸惑い、混乱するこちらを残し、主の姿は虚空に消える。
一体なんだというんだ。
闘魔将の銘を与えられ、広大なエファレアを侵略する栄誉に預かった自分。その立場には満足している。だが、身の回りで起こった出来事が、そんな気分を吹き飛ばしていた。
大軍を擁した神の勇者と、それを打ち破った歯牙にもかけなかったはずの魔将。
そして、魔将を打ち破ったというコボルト。
俺の知らないところで、何が起こっている?
「御注進! 御注進! ゾノ様! 御座車の前方に、何者かが立っております!」
見張りに立っていたホブゴブリンの一匹が、焦りを隠さずに叫ぶ。
不気味な感覚が首筋に走った。
「何者か、とは?」
「どうやら人間の女、のようですが、風体からして、明らかに勇者ではないかと。供回りは連れず、たった一人で、進路を塞いでおりますが」
女の勇者、というのはあまり聞いたことがない。
しかし、先ほどの魔王との会話で、ゾノは奇妙な不安を感じた。
「車を止めろ。全軍に停止命令。ただし、いつでも戦えるように待機させておけ」
不安に苛まれた己を叱咤すると、荒々しく席を立ち、車の外に出る。
短い丈の草原が続く荒野の中、人間達の作った道の真ん中で、その女は立っていた。
吹けば飛ぶような、そんな体格だ。
頭部にぴったりと収まった帽子は、額にあたる部分だけにつばが伸びている。粗い生地で造られた前開きの上着。その下に鮮やかな緑に染め上げられた薄手の服を着けている。
下は足をぴったりと覆ったズボン。控えめな胸のふくらみを見落としていたら、線の細い少年にしか見えなかったろう。
何より、その女は寸鉄どころか防具一つ身につけていなかった。
ベルトにくくりつけた小物入れらしいものに手を掛けているが、あの大きさではせいぜい小型のナイフを二、三本入れるのが関の山だろう。
両目にかすかな怯えと、好奇心の輝きを宿し、女は一歩前に進み出た。
「はじめまして。貴方が闘魔将のゾノさん?」
「そういう貴様は何だ。異世界の勇者は、名を名乗る礼儀も持ち合わせておらんのか」
声を強め、けん制代わりの恫喝を浴びせる。さすがに女は後ずさったが、それでも気を取り直して口を開いた。
「"愛乱の君"マクマトゥーナの勇者、三条日美香。ちょっとお話というか、提案がしたいんだけど、聞いてくれる?」
相手の名には聞きい覚えがあった。
確か、海魔将ゼルナンテの牙城を砕き、海洋の封鎖を終わらせた勇者だ。
「聞くのは構わんが、海魔将殿を打ち破って後、名も上げずにどこに行っていた? よもや我らに復讐されるのを恐れ、逃げ隠れしていたとでも?」
「いやぁ、それがうちの神様に『準備が出来るまで、ちょっと待っててね』って言われちゃって。南の島でバカンスを楽しんでました」
「な……なに?」
南の島で何をしていたのかはわからないが、その表情からすれば、こちらをからかっているのは明白だった。
「まさか。ファンタジー世界で海水浴できるとは思ってなかったなぁ。水着、ちゃんとしたの持ってくればよかった」
「つまり貴様は、海魔将を討ちし後、のんびり休暇を楽しんだ、そういうことか」
「まぁ、ぶっちゃけると、そうなるかなぁ。私としては、他の勇者と同じように、世界を守るおしごと……って」
どこまで、こいつらは俺たちを舐めれば気が済むのか。
全ての手に武器が握られ、ゾノは目の前の生意気な女に向けて、咆哮を浴びせた。
「このションベン臭い小娘が! この闘魔将ゾノ、貴様如きに後れを取ると思ってか!」
「きゃああああっ!」
悲鳴を上げて後ずさる女。ゾノの意識が瞬間的に状況を推し量る。
どう考えても、この女がなんらかの神器、いや神規を使うのは明らか。だが、その発動前に斬り屠ってしまえば。
「ぬうううううっ!」
全ての武器を、抗魔破術の効力を持つものに変化させ、一気に間合いをつめる。
左右からの同時攻撃、しかも相手は全く反応できていない顔で、恐怖に身を竦ませて棒立ちになった。
「死ねぇえっ!」
完全に逃げ道を塞いだ無数の斬撃が、小娘の体をばらばらに切り裂く。
そう、なるはずだった。
「な……」
剣は、確実に当った。
女の体を微塵に切り裂く軌跡を描いたはずだ。
だが、確かな手ごたえとは裏腹に、その柔肌に傷どころか、髪の毛一本も舞うことはなかった。
「魔法障壁か!? しかし、魔力を帯びた様子など……っ」
「これは、成立しちゃったとみなしていいわけ?」
目の前の女は、自分にではなく、どこか虚空に対して呼びかける。
『いいよー。っていうか、打ち合わせどおり、ちゃっちゃと片付けちゃって』
軽薄そうな、もう一つの女の声。ゾノは直ぐ様後ろに跳び下がり、叫んだ。
「全員。この女勇者の首を取れ! 手加減するな、全力だ!」
後方に控えていた、十万の魔物の群れが、一斉に沸き立つ。すでに知見者の軍で、勇者の危険性は身に染みている。ならば、最初から全力を持って当るしかない。
「私が望んでたのは、こういうんじゃないけど」
なぜか酷く残念そうに、少女は小物入れに手を伸ばしていた。
「こんな風に倒しちゃって、ごめんね」
その小さな手が、何かをこちらに放り投げた。
「させん!」
何かの神器の類か、それとも魔法の道具か。それでも発動前に封じてしまえば。
剣が襲い掛かり、同時にその小さな紙片が、光を放った。
「な……っ!?」
剣がそれに触れた瞬間、跡形もなく消え去っていく。壊されたのでも、溶かされたのでもない、まさしく『消滅』した。
その輝きは今や爆発的に巨大化を始め、触れた瞬間、ゾノの肉体を跡形もなく消し去っていた。
「馬鹿なぁっ! 詠唱も、待機呪文も使わずに、こんな……っ!」
必死に飛び下がるが、光はゾノの足を、下半身を、そして無数の腕と体を貪りながら広がっていく。
「こ……こんな、ことがあっ!」
光に飲まれる瞬間、ゾノは確信していた。
異世界の勇者にとって、武力など何の意味もないことを。
『……やはり、それが貴様の限界か』
ああ、畜生。
こんな今際に全てを悟るなんて。
あの方の目にあったのは、力でしか物を図れない、この俺への失望だったのだ。
「まおう……さま……もうし、わけ――」
後悔さえも無に帰す光に飲まれ、闘魔将ゾノは、この世から完全に姿を消した。
光が収まり、日美香はほっと息を吐いた。
『おつかれさま~。闘魔将ゾノ、撃破おめでとー』
「あんまり嬉しくないなぁ。こういう勝ち方」
肩をすくめると、周囲を見渡す。平原を埋め尽くすほどに溢れていた魔獣は、その頭目である魔将と共に、跡形もなく消えていた。
死体どころか、身につけた武具や装具、毛の一本さえも残っていない。
在るのは、ここまで歩いてきた足跡だけ。その痕跡も、いまやどこか空ろな印象になりつつあった。
『勝ちは勝ちだもん。気にしない気にしない』
「海魔将さんは、ちゃんと戦ってくれたのになぁ」
そんなことを言いながら、日美香は地面に落ちていたカードを、そっと拾い上げた。
いくら神器化され、汚れも水も付かないとはいえ、大切な一枚だ。
「やっぱり、異世界でも健在だね。あの格言」
『何それ?』
「"効果テキストが短いカードは強い"」
ほこりを払うと、表面に印刷された文面を見つめ、内容をそらんじた。
「"all creatures remove from the Game"……か」
『きれいさっぱり、跡形もなしだもんねぇ。これで、あたし達の計画に邪魔なものは、全部消えたよ』
「そっか」
天界から降る女神の声は、心底嬉しそうだった。カードをポーチの中に収めると、日美香は歩き出す。
「それじゃ、魔将討伐の報酬でも貰いに行こうか」
『そだね。せっかくだから、今日は焼肉にしよう!』
「え? ほんとにあるの? 焼肉?」
『ないけど、気分よ気分! それに、大通りの西の端にそれっぽいお店があったし、とにかく行ってみよ!』
陽気な声に後押しされて、沈み気味だった気分も少し晴れてきた。
草原を渡る風が、戦いの緊張と喧騒で火照った体に心地いい。
日美香はポーチに手を入れ、新たなカードを一枚手に取ると、空にかざす。
そして、草原に足跡さえ残さず、消え去った。
これにて、かみがみWarmonger編、終了です。お付き合いいただき感謝。
次回投稿はまだ未定ですが、来春となる予定です。活動報告や次回予告などでお知らせしますので、少々お待ちください。
また、不定期に数本、短編を投稿する予定もありますので、そちらもごらんいただければ幸いです。それでは、また。