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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~Warmonger編~
85/256

31、Domine Quo vadis

 見上げたシェートの目の前で、それは平野にいるもの全てに、影を落とした。

 巨大。

 それ以外の言葉で表現することを憚れるような、想像を絶する規模の構築物だ。

 無数の鋭利な岩塊が密生し、鍋の底のような緩やかな曲線を描いている。自分達の立っている平原を、完全に塞げそうな外周。

 その遥か上には壮麗な城が築かれているはずだが、丁度真下にいる自分には、その輪郭さえ見ることが出来ない。

 一体どれほどの重量があるのかも見当がつかない。あれが降ってくる、と考えただけでも、心臓が締め付けられるような恐怖を感じた。

 だが、魔王の居城は小揺るぎもせず、蒼穹の只中に存在し続けている。

 ほんの数刻前まで影も形も無かったそれが、今や全ての条理を踏みにじり、圧倒的な不条理を体現しながら、宙にその身を浮かべていた。

「我が……主よ……」

 魔将は跪き、掠れた声で、魔王に語りかけた。

「どうして、ここへ、お出でに?」

『貴様が言ったのではないか。シェートを受け取りに来い、とな。だからこそ、中央に魔獣の戦列を降らして後、おっとり刀で駆けつけたという次第だ。得心したか?』

「は……」

 それまでの豪壮さなど欠片も無く、青ざめた顔でベルガンダがうな垂れる。

『我がいとしき魔物、シェートよ』

 意識を失い、力なく震えている仔竜を狼に任せると、シェートは無言で城を睨んだ。

『どうした……怯えているのか? 俺を倒すと息巻いていた、威勢のよさはどうした?』

 リンドルでの出会い以来、魔王の存在は心の片隅に、脅威の象徴として居座り続けていた。そして今、巨大な城という形で目の前に在る。

 その全てを押しのけようと、シェートは空に怒鳴りつけた。

「違う! 俺、お前、倒す決めてる。だ、だから!」

『そうだ……それでいい。その調子で俺を楽しませろ。だが、俺が出向いた用向きは、それだけではない』

 僅かな沈黙、奇妙な間の空気に、シェートは魔王を幻視した気がした。

 玉座に座り、地上に這いずる全ての者を眺め回す姿を。

『魔将ベルガンダ、並びに我が精鋭よ。目の前の人間どもを、鏖殺おうさつせよ』

「う……」

 地面を見つめ続けていた魔将は、びくりと肩を震わせ、押し黙る。

『どうした、俺の声が聞こえなかったか?』

「い、いえ……ですが」

『二度言わせる気か? 俺が命じたのだ、人間どもを、皆殺しにせよと』

 無情な命令に、遠くに列を作っていた人間たちがどよめき始める。ポローたちは事態の変化に対応できるよう、互いに身を寄せ合い、魔王の声に耳を傾けていた。

「お、畏れながら、申し上げます!」

『……よかろう。言ってみろ』

「か、かの勇者の散り際に、私は約定を結んだのです。勇者軍は神の加護を失い、今や単なる市井の者どもに過ぎませぬ。故に、その命を安堵せよと」

『なるほど、それで?』

「わ、我が方の被害も、決して少なくは無く、こちら側としても、その条件は聞くに値するものとして、このまま、連中を見逃すのも一つの手であると」

 必死に振り絞ったベルガンダの抗議に、魔王は楽しげに笑った。

『なるほど。神の助言があったとはいえ、自ら軍を率い、策を巡らせた貴様だ。機知に富んだ解答をするようになったな』

「は……はい」

『自らの軍の損耗を抑え、引き際をわきまえる見識も見事。俺は貴様のような部下を持ったことを誇りに思う』

「あ……ありがとう、ございます」

『故に命じよう。全力を以って、人間どもを皆殺せ』

 絶望にまみれた顔を上げて、ベルガンダは呻いた。

「我が主よ! わ、私は……」

『我が魔将よ、俺は何だ?』

 鋼鉄の強固さで、魔王の言葉が降り注ぐ。

「ま……魔王様です」

『そうだ。俺は魔の王。この地上にある、生きとし生ける者の全ての敵対者、万物の破壊者だ。重ねて問おう、貴様は、何だ?』

「わ……私は……っ」

 言葉に詰まり、ベルガンダは瞼を閉じ、息を殺した。

 だが、逡巡は一瞬。

 迷いそのものを引きちぎるように、魔将は立ち上がる。

 そして、その顔に厳しさだけを浮かべ、吼えた。

「今代魔王麾下、魔将ベルガンダ! 御身の令に、身命をとして付き従う者なり!」

『ならば我が魔将よ、今こそ命ずる。"うたえ"、その身に秘めた、戦いの頌歌を』

「――御意」

 斧の頭を大地に突きたて、石突を両手でかぶせるように押さえる。

 胸を張り、喉を逸らし、牛頭の魔人は、大きく吸い込み、上半身を膨らませた。

 その太い首に、くっきりと浮かび上がる真紅の呪紋。

『シェート! そやつを今すぐ殺せ! その鳴唱を謳わせてはならん!』

 竜神の叫びは間に合わなかった。

 ベルガンダの喉からほとばしった"聲"が、大気を震わせ、戦場に鳴り渡った。


『―――――――――――――ッ』


 表現のしようが無い、大気を磨する大音声。

 そこに込められた力が、シェートの魂にどっと注ぎ込まれた。

「あ……が、ぁあああああァアアアアアアアアアアッ!」

 膨れ上がる熱情。

 自分のどこにあるとも知れない、強烈な殺意と闘争心が、意識を塗りつぶしていく。

「アガ、アアアアアッツ、アッ、ウガアアアアアアアアアッ!」

『グート! シェートを抑えろぉっ!』

 真っ赤に染まった視界の向こう、狼がこちらに襲い掛かってくる。

 殺さないと。

 滑らかに手が動き、その白い喉首に向けて腰の山刀が銀の軌跡を――。

「何やってんだ、おまえええええっ!」

 白い背中から飛び掛った青い影が、その頭を思い切り叩きつけてきた。

「グッ、あああっ!?」

「しょ……正気に、もどれってんだよ、バカァッ!」

 地面に投げ出されたこちらに馬乗りになり、フィーが必死に体を押さえてくる。

「フィー……おまえ、からだ、だいじょうぶか」

「そ、それはこっちの、セリフ……ぐ……げええっ」

 顔を逸らし、戻した代物を必死にあさっての方にぶちまけると、仔竜は衰弱しきって大地に倒れ付す。

「お、俺……なに、やって」

『"狂奔"の鳴唱だ』

 言い差す竜神の声を、絶叫がかき消していく。

 シェートの体から消え去った強烈な熱情を、そのまま飲み込んだように、叫ぶ者達。

 後ろに控えていた魔物たちが、戦いの勲を謳っていく。

「な、なんだ、あれ」

 謳う魔物たちの目には、正気と呼べるものが一切無かった。充血した目がせわしなく動き、口元の涎にすら気付いていない。

『さあ、我が魔将よ。令を放て』

 忌まわしき呪紋を輝かせ、ベルガンダは未だに知性を残した瞳で、人間達の戦列を睨みつけた。

『食い破れと、飲み尽くせと』

「……やめろ」

『砕き、磨り潰し、踏みにじれと』

「やめろ……っ」

『屑肉の峰を築き、血の大河で大地を真紅に染めよと!』

「やめろっ! ベルガンダ!」

 その視線が、ほんの一瞬だけシェートを見、振り捨てるように前を向く。

「全軍――」

 巨大な体が圧縮され、

「突撃!」

 吶喊の号令と共に飛び出した瞬間、

「やめろおおおおおおおおっ!」

 絶叫と共に、シェートは魔将の体を光で貫いていた。



 鏡の向こうで絶叫するコボルトに、魔将の足が止まる。

 だが、一度掛けられた号令は決して違えられることは無い。ベルガンダとシェートを置き去りに、魔物の群れはわき目も振らず、人間達に向かっていく。

『こ、こりゃはやばい! お前ら、とっとと本陣に戻れ! 逃げるんだよ!』

 勇者軍の将軍をしていた男に急き立てられ、人間たちが逃げていく。

 その背後を、怒涛となった魔物たちが追いかけていく。

「ふ、いいザマだ。そらそら、もっと急がないと追いつかれてしまうぞ? ははは」

 だが、魔王はすぐに瑣末事から意識を外し、足下に目を向けた。

 突進を止められ、今だ薄い煙を上げる斧を片手に敵を睨みすえる魔将と、苦しみに歪んだ顔を向けるコボルトに。

『お前、どうして! 勇者と約束、忘れたか!』

『そんなもの、我が王の命に比べれば、こだわることさえ愚かしき約定』

『ふざけるな! お前……お前、そういう奴、違う!』

「ほう?」

 シェートの口から零れる発言の苦さに、魔王はそっと目を細めた。

「どうやら我が魔将は、大分シェートの心をたらし込んだと見える。見ろ、あの懊悩に満ちた顔を」

「そのことは報告に入っておりました。ベルガンダ殿も、ずいぶんご執心であったとか」

『貴様に、俺の何が分かるというのだ!』

 声を荒げ、斧を構えなおす魔将の脇を、狂乱した部下たちが走り抜けていく。その一人一人に視線が移り、それでもベルガンダは己を奮い立たせた。

『俺は魔王様の部下! 命じられればそれに従うまで!』

『お前、その魔法! 使うしなかった! それ、こうなるの、分かってたからだ!』

 手にした武器の存在も忘れ、シェートは必死に説得を試みている。先ほど、"狂奔"の鳴唱を喰らって狂気に飲まれるかと思っていたが、妙な仔竜にそれを邪魔されていた。

『みんな、自分の意思、違うこと、させられる! 無理矢理戦うさせる、お前、いやだった! 違うか!』

『何度も言わせるな! 俺にとっては魔王様が全て! その命は……絶対だ!』

「そう言う割りに……なんだ、その顔は」

 今や魔王は上機嫌に、部下の苦悩を眺めやった。

 忠誠心と道義、目の前のコボルトとの友情に苛まれ、それでも部下としての本分を全うしようと命を振り絞る姿。

「シェートよ、一つ教えてやろう」

 その全てを愛でながら、魔王は言葉を降らせた。

「我が魔将の"狂奔"は、一度発動させれば、受けたものが死ぬか、魔将を殺すまで止まらぬぞ」

『な……なに!?』

「止めたければ必死でベルガンダを殺すことだ。ああ、そうそう」

 魔王は鏡の向こうに映る人間達の姿を見て、口の端をゆがめた。

「このままでは、いまいちゲームが盛り上がらんだろう? そこで、更なる趣向を用意してやることにした」

 玉座に深く腰を降ろすと、魔王は蒼天の覗く天井を見上げ、指を突きつけた。

「消えろ」

 雲ひとつ無い空に輝く白日が、次第に黒ずんでいく。帳のように闇が世界を覆い、地上をうごめく魔物の瞳が、まがまがしい地上の星となって輝いた。

『な、なんだこれ!? 太陽、消えた!?』

「"吹き渡れ、魔界の底より湧き出でし、悪疫を撒く忌み風よ"」

 聲に従い、闇の中に魔界の瘴気が満ち渡っていく。その腐った風は、戦場の隅々まで届き、打ち捨てられた魔物たちの上でよどんで溜まっていく。

 そして、それが十分に染み渡った時、魔王は令を放った。

「俺の忠実な部下どもよ、今がその時だ。"目覚めろ"」

 命令に従い、それらが起き上がっていく。

 魔法によって焼かれ、槍によって腹を裂かれ、踏みにじられた魔物の死体が。

「今からこの場は、俺の部下の狩場となる。さぁ、シェートよ、早く俺の魔将を倒してみせろ。でないと、この場から一人たりとも、生きて出ることは叶わぬぞ?」 

『……っ!』

 魔将に悲痛な視線を投げ、シェートが弓を引き絞る。

『魔将、ベルガンダ……ここで、お前、狩る!』

『よかろう。力の限り、打ちかかって来い! 女神の勇者シェート!』

 侠気を全身から発散させ、ベルガンダが斧を構える。

 その二人を眺めやると、魔王は虚空に無数の鏡を浮かべた。

「見せてみろ、この俺に」

 映し出されていく魔物と人間の姿。

 その全てに向けて、魔王は朗らかに告げた。

「お前らの、命の華が咲いて散る、その様をな」



「い……一体、何が起こっているんだ?」

 ウィルは本陣から、目の前の光景を呆然と眺めていた。

 胸に下げた《ドッグタグ》は、シェートというコボルトに、勇者が滅ぼされたという連絡を伝えたきり、なんの反応も示さなくなっていた。

 空は闇に閉ざされ、日の光どころか星明りさえ見えない。

 その上、戦場に立った兵士たちに、赤い津波が押し寄せていくのが、遠目からでも分かった。

「た、隊長! どうして魔王がこんなところに! それに、空が!」 

「勇者様が死んだって、コボルトに殺されたなんて、嘘ですよねぇ!」

 あっという間に不安が伝播し、馬達も神経質にいななき続けている。

「し、静まれ! とにかく、落ち着いて状況を確認しろ! 武器は手放さず、仲間の姿を見失わないようにするんだ!」

 こうして声を荒げて兵士達を鼓舞するのは何時以来だろう。《ドッグタグ》おかげで、昔ながらの方法などほとんど忘れかけていた。

「ウィル殿!」

「……おお、ラザブ殿か! そちらはどうだ?」

「とりあえず、外周の警備に回していたものは、皆こちらに戻した。しかし……」

 生真面目な男は、遠方で蠢動を続ける黒い波を、恐れを帯びた視線で眺めた。

「あれは、魔物ども、なのだろうな」

「空が闇に包まれる前、響き渡った叫喚と、関係があるのだろうが……」

 部下達も落ち着かない様子で、目前の戦場を眺め続ける。

「た……隊長、もう、逃げましょう! さっきの通信聞いたでしょう? もう、勇者様は……その……」

「分かっている。だが、あそこには、まだ取り残された者達がいるのだ」

 ウィルはそっと手綱を握り、落ち着かせるように愛馬の首筋を叩く。

「あの場にいる者のほとんどは、タグの力によって兵士になったもの。それが無くなった今、彼らは市井のただ人、つまり我ら騎士が、守らねばならぬ者達だ」

 自分の宣言に、部下達は恥ずかしそうに一瞬視線を逸らし、それから頷いた。

「今この場で、神の加護なしで戦えるものは少ない。外様よ、古い時代にこだわる頑固者よとさげすまれた我らだが、その力を保持し続けたのは、この一瞬のためだと、私は確信した!」

 自分の傍らで、思いを同じくしたラザブが、笑顔で兜の面頬を下げる。

「騎士として従軍経験のあるものは私に続け! タグによって騎兵となったものはこの場で待機! 無理に戦おうとするな! 円陣を組み、槍や剣で敵を遠ざけるだけにせよ!」

 大声で陣形を組み立て、その先頭にウィルとラザブが並び立つ。自分についてきてくれた部下の、不安の中にも勇猛さを浮かべた面魂に、騎士は笑みを浮かべた。

「では、行くぞ。ラザブ殿!」

 そう言って、ウィルは傍らの同輩に向き直り、拍車を掛けようとした。

 だが、視線の先にあったのは、肉だった。

「え」

 汚らしい紫色をした、巨大な胴体が恐ろしい速度で通り過ぎる。その皮は一部が破れ、忌まわしい腐敗臭が鼻腔を貫く。

 そして、遅ればせながら、巨大な質量が生み出した衝撃波が、ウィルの体を馬もろともに吹き飛ばした。

「うがああああああっ!」

 鈍い音を立て、鎧ごと地面に叩きつけられる。兜が吹き飛び、陣屋の情景が視界一杯に広がった。

「た、たすけぇくれええええっ!」

「やめ、く、くるな、がっ、があああああああああっ」

 腹に響く地鳴りが、幾度も世界を揺るがす。陣屋の中、溢れかえったのは、巨大な魔香のワームの屍骸たち。

 目も無く、耳も無く、今や命さえ失ったワームの屍骸が、手当たり次第に生者をひき潰し、満たされる必要の無くなった腹に収めていく。

「た、たすけてっ! 隊長! むしが、あああああっ!」

 騎兵の一人がワームの口に捕らえられ、とめる間もなく飲み込まれていく。

 気がつけば、陣屋の中でまともに戦えるものは一人もおらず、手にした武器を闇雲に振り回しながら、悲鳴を上げて逃げ回るばかりだった。

「こんな、こんなことが……」

「う、うわぁっ! 隊長っ! 死体が、したいぐえっ!」

 新たな断末魔に吸い寄せられ、ウィルの目が見たくも無いそれをしっかりと認識してしまう。

 ついさっき、めちゃくちゃに砕かれた仲間の死体が起き上がり、近くの味方に襲い掛かっていた。

 辺りに漂う腐臭と、その源である濃く粘りつくような霧。

 それが死者の体に入り込み、偽りの生を与えられた者達が、更なる死を求めて動き出していた。

「あ、ああ……うああああああああああああああっ!」

 ウィルは、腹の底から絶叫していた。

 ほんの少し前、自分は騎士の誇りに掛けて馬を走らせようとしていた。

 その更に前、自分は勇者の旗の下、魔王と戦う覚悟を決めていた。

 だが、そんな全てを、目の前の屍骸が踏み荒らし、めちゃくちゃに打ち砕いていく。

「やめろ……やめろぉっ」

 叫んでいる間にも、部下がミミズの下敷きになって肉片と化し、蘇った死者が更なる死者を生み出すべく、生者を殺していく。

「俺の、俺の部下に、仲間に、なんてことをっ!」

 立ち上がり、必死に槍を構え、ウィルは目の前の敵にぶつかって行こうとした。

「あ?」

 わき腹に鋭い痛みを感じ、視線を落とす。

 そこには、顔を半分砕かれたラザブが、狂笑を浮かべて剣を突き出す姿

「あ、ああっ、うわあああああぁぁあぁあああああああああああ!」

 涙を浮かべ、ウィルは叫び、仲間であった死体をめちゃくちゃに殴打した。

 その上にむけて一匹の長虫が倒れ掛かり、自分共々全てを挽肉に変えるまで。



 手にした杖が、やけに重く感じる。

 必死に魔物の軍から逃げ出しながら、ヴェングラスは息を切らし、ポローに叫んだ。

「ポローさん! ここは私が食い止めます! 怪我人を連れて先に行ってください!」

 踵を返して敵に向き直ると、驚いて立ち止まったポローたちに手振りで、先に行けと合図する。

 魔将たちの側から離れ、何とか逃れてきてみたものの、怪我人を抱えた特殊部隊の連中と一緒では、追いつかれるのは時間の問題だった。

「それじゃ、俺もお供させてもらうかな」

 剣を手に、エクバートが隣に立つ。こちらの行動に驚いた連中に、相棒は穏やかな笑みで退避を促した。

「早く逃げろ。加護を失ったお前らじゃ、連中にひねり殺されるだけだ」

「で……でも、アンタはどうなんだ!?」

 農夫上がりのポローは、未だに垢抜けない顔のまま、不安を浮かべていた。

「見損なうなよ。加護の一つや二つ無くとも、あんな奴ら一ひねりさ」

「私もです。貴方達のために時間を稼ぐぐらい、どうとでもなります。分かったら早く行きなさい」

 頭を下げた五人が足早にその場を去り、エクバートは肩をすくめた。

「時間稼ぎぐらいはしてみせる、だって? 魔法の修行から逃げ出して、インチキ呪い師で暮らしていたお前がか?」

「そういう貴方こそ、美人局の片棒を担いで、自力で戦った相手といえば、町のごろつき程度でしょう?」

 迫ってくる敵は、どれも手に槍を構え、狂気ではちきれそうな顔をしていた。

 群れはいくつかの塊に分かれ、自分達の背後にある本隊に、あらゆる方向から襲い掛かるつもりらしかった。

「どうして」

 問いかける相棒の手が震えているのが、暗闇でもはっきりと分かった。

「どうして、こんな柄にもないこと、する気になったんだ?」

「多分」

 杖を握った自分の手が、同じように震えている。

「嘘と虚構で塗り固めて、彼らをこんな場所まで引っ張ってきてしまったことへの、罪滅ぼしみたいもの、ですかね」

 ある日、けちな稼業で日々の糧を得ていた自分のところに、勇者が現れた。

 それからというもの、自分は有能な軍師ヴェングラスとして、たくさんの人を焚きつけて、騙して、勇者の軍に駆り立てた。

「何より、ポローさんは私が引き入れましたからね。責任を感じているんですよ」

「何が責任だよ。どうせ適当に戦ったら、姿をくらませて、トンズラこくつもりだろ? 俺も一枚かませろよな」

「ああ。そういう手もありましたね。私としたことが、うっかりしていました」

 ヴェングラスは杖を掲げ、呪文を唱じた。

「"霜月より来たれ怜悧、凍てつく銀の祝福は万障貫く戒めの一矢なり"」

 意志の力にしたがって、虚空に銀色の魔法弾が浮かび上がる。

 その数、たった一発。

「はっ、最後の最後でしまらねぇな」

 相棒が剣を抜き、身構える。

 ヴェングラスは杖を掲げた。

「打ち払え、凍月箭」

 虚空を駆け抜けた銀光が、魔物の波に吸い込まれる。

 無数に光る真紅の目に、変化が現れることは無かった。全く無意味な一発のために、逃げる機会は永遠に失われた。

「本当に、最後の最後で、しまらないですね」

 ヴェングラスが苦笑を浮かべた瞬間、

「ギヒャアアアアアアアアアアアアッ!」

 魔物の絶叫が全てを押し包み、青いローブごと、その意識を打ち砕く。

 その視界の端で、卵の殻のように、美麗な鎧が粉々に砕かれていった。



「おっ、俺らは、置いていけっ」

 荒い息を吐いて、ファルナンが地面に崩れ落ちる。それを支えていたディトレも、にじみ出る鮮血にあえぎながら、膝を突いていた。

「も、もう、どこに逃げても無理だよ。加護を持たない僧侶に、こんな深手を治せるわけが無い。僕らのことは置いて」

「馬鹿野郎っ! あそこに味方の戦列が見えるだろ! 魔法が無くたって、傷薬や包帯ぐらいはある! 弱音を吐かずにとっとと走れ!」

 魔物の進行は早いが、まだ本隊の連中は無事に立っている。何より、その背後には本陣があり、全うな騎士連中だっているはずだった。

「とにかく、逃げるんだ! あそこまで行けば……」

 その言葉を、ポローは飲み込んでいた。

 目の前の本隊が、突然大地とともに爆発していく。

「な、何だよ、あれは!?」

 地面から生えてきたのは、長い管のようなワームの姿。

「た、隊長! に、西の、山を見て!」

 悲鳴を上げるディトレに指差す方角から、何かが駆け下りてくる。

 そこにいたのは、操り手を失ったはずの、無数の魔獣や忌まわしい虫の類。その全てが無傷な本隊のわき腹めがけ、猛烈な勢いでぶつかっていった。

「あ、あっちはだめだ! 本隊を迂回して、東から」

「だめだよ! あっちにもバケモノが!」

 メシェが悲鳴をあげ、同時にその連中が、盛大にいななく。

 魔法を徹底的にぶち込まれ、肉の塊と化したはずの牙乗りたちが、死に盲しいた顔に喜色を浮かべて、叫んでいた。

「なんなんだよ……こりゃあ」

 がくがくと体が震えだす。

 今まで倒してきた魔物が、全て起き上がり、こちらに向かってくる。

「ど、どうする!? どうするの隊長!?」

「ど、どうするって」

「避けろポロー!」

 残った片腕で、レアドルがこちらを突き飛ばす。

 その首が、宙を舞った。

「シャアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 血を吹き出し、膝を突いたレアドルを蹴り飛ばし、そいつは血刀を突きつけた。

 長く鋭い曲刀を手に、リザードマンの狂戦士が新たな獲物を求めて、こちらに足を踏み出した。

「た、隊長! 早く逃げ」

 幻のように、リザードマンの姿が消える。

 空高く舞い上がったそいつは、ナイフを投げつけようとしていたファルナンを、脳天から真っ二つに裂き断った。

「い、あ、ああ、やめ、こな、こない、で」

 その隣でしりもちをつき、必死に棒切れを振り回すディトレ。

 熟れた果物に串でも突き刺すように、トカゲは肥えた顔を刺し貫き、絶命させる。

 がくりと膝から力が抜け、ポローの股間から、熱い流れが漏れ出した。

「あ……は、ああ……っ」

 まるで体が動かない。一切の抵抗すら考えられず、目の前の暴威に対して、ポローは頭を地に擦り付けていた。

「たっ! たすけてっ! たすけてくれっ! おれ、おれは、おれはっ! しに、しにたくないっ、こんな、こんなところで、えっ、あっ、あああああああっ」

 こんなことをして何になる。魔物が、哀願などに耳を貸すとでも、思っているのか。

 だが、新たに響いた声が、トカゲの足を止めた。 

「こ……こっちだよ! バケモノ!」

「メ……メシェッ! やめろっ!」

 顔を上げ、声の場所を探す。メシェはリザードマンの目の前、仲間達の死体が散らばった中心で、剣を構えていた。

「あ、あんたは逃げな! こ、ここは、あたしが、く、くいとめっ」

「やめろ! お前じゃ無理だ! 早く逃げろ!」

 トカゲの頭が、一瞬こちらに向き直った。一度に二つの獲物を目にした魔物が、その判断を鈍らせる。

 その瞬間、ポローの脳裏に、咲いて散った記憶。

 見捨てた家族の顔、助けた村人の顔。 

 これまで共に過ごしてきた、メシェの顔。

「こ、こっちだ、このクソトカゲがあああああっ!」

 地面に転がった剣を手に取ると、思い切り投げつけた。

 一撃で弾き飛ばしたリザードマンに背を向け、一気に走り出す。

「そうだ! 俺のほうへ――」

 だが、数歩も行かないうちに、背中に激痛と衝撃が叩きつけられた。

「ぐああああっ!」

 そのまま、ポローは前のめりに倒れ、世界は一層暗くなっていく。

「メシェ……逃げ……くれ」

 近くにあったトカゲの足音がこちらに近づき、何かを確かめるよう立ち止まる。

 痛みを堪えて息を押し殺したポローを見つめた魔物は、興味を失ったように軽い足取りで走り去っていく。

 突っ伏した頬に感じる魔物の足音も、次第に遠いものに変わっていく。安堵と、メシェのことを不安に思いながら、そろそろと鎧の背後に手を回す。

 どうやら相手の剣は狂気で鈍っていたらしい。傷はそれほど深くはなさそうだった。 

「く、くそ……」

 体に喝を入れ、何とか立ち上がる。

 あらためて周囲を見回したポローは、絶句した。

 この世の悲惨と責め苦を、一同に集めたような世界が、そこにあった。

 目を血走らせた魔物が、槍を持った人間達に襲い掛かる。

 だが、応戦する槍の動きは鈍く、全く統制が取れていなかった。あっという間に引きずり倒され、肉を食いちぎられ、手足をもぎ取られていく。

 隊列深くに潜り込んだ魔獣たちが、炎を吐きかけ、毒を注ぎ込み、あるいは不可視の牙で人々の喉笛を掻き切っていく。

 蘇った魔物たちは人間達をひき潰し、潰された死者達が立ち上がって、さらに生者を死の国に引きずり込んでいった。

「な、なんだよ、これは……ええ? 神様よお」

 痛みも恐怖も忘れて、ポローは声を限りに叫んでいた。

「俺達を、俺達をこんな責め苦に置き去りにして、あんたは、あんたらは何をやってるんだ!? 神が俺達を救うんじゃないのか! そのために遣わした勇者じゃないのか!」

 全ての加護を失った一人の男は、胸元の《ドッグタグ》を引きちぎった。

「中途半端なところでいなくなるんじゃねぇよ! 今すぐ戻って、俺達を救って見せろってんだよぉっ!」

 その叫びに対する答えが、無数の槍となって、ポローの砕けかけた鎧を刺し貫いた。

「が……ぁっ」

「ギヒイイイイイイッ!」

 粗く削った木槍を手にした者達が、嬉しげに嬌声を上げる。

 血走った目をむけ、長いマズルから泡を吹き、嗜虐の喜びに狂った、コボルトの群れ。

 激痛と脱力で地面に転がった自分に、そいつらは一斉に群がってきた。

「や、やめ、っがあああああああああああっ!?」

 木槍が太股を貫き、腕を縫いとめ、犬どもが嗤い、自分を取り囲んだ。

 皆一様に、舌なめずりをし、目の前の晩餐を、期待の視線でなぶって行く。

「は……はっ、なん、だよ……おまえら……」

 ケモノの匂いと血なまぐささ、狂乱の気配に押し包まれながら、男は皮肉に笑った。

「とりたてに、きたってのか、おれから、けいけんち、を」

 得物を振り上げ、コボルトも嗤う。

「なぁ、神様」

 その全てを見つめ、ポローは涙を流した。

「あんた、一体、どこにいるんだ?」

 それが、彼の世界の、最後の一言になった。

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