29、決着(後編)
緊張を押し殺し、ポローは剣を抜き放った。
構えを取り、真正面に巨大な牛の魔人を見据える。大きく、分厚く、そして恐ろしい。
『作戦は以上のとおりです。何か質問はありますか?』
『……ない。後は、俺たちがきっちり働けば済むことだ』
勇者の作戦は端的でこれ以上ないと思えた。ただし、危険の度合いも飛び切りだが。
「こうして肩を並べて戦うなんて、夢にも思わなかったな」
傍らにエクバートが並び、その顔に笑みを浮かべる。
「これが終わったら一杯付き合え。お前、いっつもしかめっ面してるからな。たまには女でも抱いて、羽目を外した方が良いぜ」
「……考えておきます」
「その時は俺も混ぜてくれよな、抜け駆けはなしだぜ?」
ファルナンがこちらの左に立ち、ナイフを手の中に玩ぶ。
「こんなときに、そういう相談できる神経がうらやましいよ。僕なんて、震えが来てるって言うのに」
杖を両腕でしっかり握り、ディトレが背後に立つ。こちらの動きに合わせて、勇者を囲むように、レアドル、メシェ、そして軍師が下がった。
こちらの準備が出来上がったのを察知したかのように、魔将が片手に右手に斧を構え、コボルトが体を半身にして、弓ごと左腕の後ろにまわす。
一瞬、牛の巨体が姿勢を前に傾け、その足元で大地が爆発した。
鎧と斧の重量など物ともせず、一気にこちらに突進する。
「いくぜええええっ!」
声を振り絞り、恐れを振り払って、ポローは突進した。魔将との距離が一気につまり、その巨大な顔が肉薄する。
「散れっ!」
だが、その巨体とは一合も打ち合わない。ディトレが横っ飛びに敵の突進を避け、声を限りに叫ぶ。
「"レギス"ッ、"織光網縛"っ!」
光の鎖が伸びた先、それは魔将ではなく、その後ろから走りこんできたコボルト。
「うわぁっ!?」
全く予想外の奇襲に、コボルトが地面に投げ出される。
「今だ! 全員かかれっ!」
いち早く魔将の脇をすり抜けたファルナンが、ナイフをコボルトに叩きつける。
真紅の光が鎖を散らし、無数のナイフを小さな体が飛び下がって避ける。その着地点にエクバートが走りこんだ。
「せぇいっ!」
横薙ぎの一閃、コボルトの顔がのけぞり、顎の下の毛がかすかに散る。がら空きになった胴、ポローの剣が追い討ちをかける。
「くぅああっ!」
鈍い金属音、盾代わり弓を構えたコボルトが吹き飛び、四つんばいになりながら地面に降り立つ。
「シェート!」
「構うな! 先行け!」
魔将の声に口元がほころぶ。仲間を気遣う瞬間、それこそが俺達の欲した隙。
「"レギス、天昇炎陣っ"」
軍師の声が響き渡り、炎の壁が世界を二分する。
コボルトと魔将を分断する。その作戦が灼熱の力によって成立した。
『あの二つのユニットは、確かに強力です。でも、それはあくまで、お互いを生かしあったときのもの』
「"屹立せよ磐石なるもの! 我が声を聞き、その身を猛きものとせよ!"」
大地がメシェの声で大きく揺らぎ、壁の向こうで、もう一つの壁を築き上げる。
『魔将はこれまで、魔法に対する防御手段を、コボルトと仔竜に依存しています。また、本人が魔法を使うこともありません。よって魔将の攻略は、魔法を中心に行います』
「小ざかしいっ! 今すぐ、その貧相な守りを打ち砕いてくれるっ!」
壁越しにでも分かるすさまじい風切り音。鼓膜が破れそうなほどに、金属が激しくぶつかり合う音が響く。
「うがああああっ!」
「どうしたどうした! 盾役がぴいぴい鳴くな!」
叩きつけられる斧にレアドルの戦槌が悲鳴を上げる。いくら力自慢とはいえ、魔将の打撃に耐え続けるわけにはいかない。
「隊長!」
とっさに顔の前に立てた剣に、魔法の矢がぶつかり合って光を散らす。立ち膝の姿勢でコボルトが弓を構えていた。
「よそ見するな、お前らの相手、俺」
「……ちっ」
剣の腹に僅かな焦げ目とへこみの痕跡。魔法の威力は普通の兵士達と同じかそれ以上。
「ファルナン、将軍」
「まかしとけ」
「きっちりおめかししろよ、隊長!」
『コボルトの近接戦は、まだ発展途上のはず。エクバート、ファルナン、ポローの三人で動きを止め、ディトレの魔法で牽制を行って、できる限りすばやく倒してください』
再びナイフが空を切り、その後を追って将軍がコボルトに迫る。弓が回転、ナイフを叩き落したコボルトが、一瞬のうちに二刀を構えて将軍の剣を叩き落す。
「甘いんだよっ!」
脇にすり抜けようとした体に剣が襲い掛かり、コボルトが大地に転がって、一撃を必死に避ける。
「ふっ!」
腰につった細身の剣を抜きつけ、ファルナンが起き上がろうとした犬の顔を突く。
頬から鮮血を散らせながら、それでも犬は懐に飛び込み、手にした刀で防具のないファルナンの腹を薙いだ。
「"織光網縛"!」
鎖が魔物の腕を縛り、攻撃を止められたコボルトが、魔法を散らして大きく後ろに下がる。
その全てを視界に入れながら、ポローは与えられた力を呼び覚ます言霊を紡いだ。
「"魂の根源、肉体の始原、我は求むる、壮健と豪壮"」
未だに待機呪文を習得出来ていない自分は、こうして詠唱を重ねるほかはない。それでも仲間たちが作ってくれた時間は、無駄にはしない。
「"我が身は強く、疾く、猛くなり、思うまま、願うまま、我が身の力は迸る"」
外的な魔法は全て破術で散らされる。ならば、容易には散らせない、自分の体の中で爆発させればいい。
体中に力が溢れてくる。剣を握る腕がその強さを増し、両足に活力が宿る。
「"レギス・ストーレ、雷斬破っ"」
「縛れ大地の鎖っ!」
炎の向こうで魔法が炸裂し、爆圧が壁を通して腹に伝わる。
「ぬがああああああっ! まだ、まだぁあっ!」
魔将の声は、それでも確かに苦痛と疲労で揺れている。
その体めがけて、レアドルの戦槌が降り、叩き、叩き、叩きつける音が響く。
「"我は重ねて命ずる、言の葉に依りて、眠りし力を、呼び覚ませっ"」
激痛がこめかみを締め上げ、ポローの視界が白く滲む。その向こうで、将軍の一太刀がコボルトの弓を遠く彼方に吹き飛ばし、ナイフがその両足に突き刺さる。
「く……ぁあっ!」
再び大地に転がった犬の姿に、ポローは勝機を悟った。
「みんな、どけええええええええっ!」
剣を振り上げ、肩に担ぐようにして、一気に踏み込む。
力強く足が大地を蹴り、風を切って体がまっしぐらに飛んだ。
足のナイフを引き抜き、犬が必死にこちらに投げつけるのを、鎧の脇で弾き飛ばす。
そして、限界まで引き出した力が、胸元で光を放った。
《スキル:武器習熟LV5、行軍歩法、同時発動――オーバースキル"疾風斬"開放》
今、体の中に溢れるありったけの力を込めて、ポローは剣を振り下ろした。
「喰らい、やがれぇえっ!」
冷えていく。心が、極限まで冷えていく。
あの日、フィーに請われて村人を助けた時のように、世界が、心が冷えていく。
輝きを放ちながら襲い来る剣士を、シェートは限りなく透徹した目で射た。
こみ上げる死への根源的な恐怖と、降りかかる暴力への強烈な怒り。
そして、立ちふさがるものへ、抗う意思。
その全てが混ざり合い、心が磨かれ、研ぎ澄まされていく。
「……っ!」
片膝を立て、両腕を背中に勢い良く振る。目の前に迫る剣を見つめ、その切っ先を目に焼きつける。
風、圧力、敵の怒号、その全てが意識からはじけ飛び、シェートの心は、ただ、すべきことだけに収束した。
「来い! 魔狼双牙!」
両腕に感じた刃の手ごたえ。両足の筋肉が引き締まり、塞がりかけた傷から血があふれ出る。
全身の力を込め、シェートは勢い良く背後に飛び、叫んだ。
「スコル! ハティ!」
飛び下がる反動で腕を前に振り、投げつけた二振りの剣がポローに向かい、魔力を解き放つ。
「しゃら、くせぇえっ!」
《スキル:連続攻撃発動――オーバースキル、"疾風乱斬"開放》
ありえない速度で剣と魔法が叩き落され、剣士が追いすがる。
再び振り上げられた切っ先。
だが、その動きは僅かに鈍い。
「もう一度――」
振り下ろされるポローの剣に、シェートは叫んだ。
「もう一度来い! 俺の剣!」
手にした二刀の重さが蘇った瞬間、シェートは己を開放した。
振り下ろされた右袈裟懸けの一撃を避け、太陽を喰らう狼が叩き落し、
「ぐっ!?」
体を崩した隙を突き、月を飲む狼が敵の肘を防具ごと砕き、
「ぐあっ!?」
そして、旋風となったシェートの二連撃が、がら空きのわき腹を深く抉り裂いた。
「ぐあああああああっ!」
世界の全てが風になり、シェートの視界が鋭敏になっていく。
その端に映る二人の敵。
「畜生っ! 隊長!」
ナイフ使いがその手に寸鉄を構えた瞬間、回転して止まないシェートの腕の中で、剣が再び弓へと転じ、
「ぎゃあああああっ!」
銀光が左右の手を、両足の膝を、腹を、そして眉間を打ち砕く。
「ファ、ファルナンっ!?」
絶叫した魔法使いめがけ、シェートの体がまっしぐらに突進する。その軌跡の先に立ちふさがる鎧。
「やらせるかよっ!」
さっきの剣士よりも更に大きな姿。その手の剣が大きく燃え上がる。
《スキル:魔法剣、連続攻撃、同時発動――オーバースキル、"炎舞刃"開放》
振り下ろされる一撃。受けに掲げた弓がきしんで肩が悲鳴を上げる。
「ディトレ! ぼんやりしてないで援護に来い! ポローもさっさと起きろ!」
必死に押し返そうと腕に力を込める。
だが、その圧力が唐突に消えた。
陽炎のように剣が揺らめき、シェートの肩にいきなり痛みが走る。
「うあああああっ!」
「変幻自在の刃、どこまで受けきれるかなっ!?」
まるで鞭のように炎の剣が揺らめき動く。毛が、皮が焦げ付き、肉が裂けて、血が嫌な匂いと共に固まって爆ぜる。
受けが全く効かない、揺らめく炎としなやかな一撃が、こちらの目を完全にくらませていく。
「ち、畜生、よくも、やりやがったな」
わき腹を押さえ、それでも立ち上がるポロー。炎の剣士の背後で、魔法使いが怒りの表情で立ち上がる。
「ファルナンの、仇……っ!」
銀の紋様が浮かび上がり、連続で魔法を打つ構えを見せる術師。ポローが息を整え、腰だめに剣を構える。
「畳み掛けるぜ、これで、決めろ!」
言い捨てて、炎の剣士が軽く背後に下がる。引きつけた剣が次の強烈な刺突の構えになり、怒りに燃えた魔術師が大きく手を振り上げる。
「"レギス――凍月せ"」
その詠唱が、結しようとした瞬間。
「うぎゃあああああああああっ!」
末期の絶叫が、その場の全てを凍りつかせた。
次いで、爆炎を突き破り、右腕を失った巨漢が、ガラクタのように放り捨てられる。
「レアドル!?」
シェートの心が一層冷たく沈み、言葉が紡がれた。
「"透解"」
目標を見失った炎が空しく虚無を斬る。こちらが見えないはずの剣士は、それでもこちらの軌跡を追いかけ、絶叫した。
「逃げろ! ディトレ!」
襲い来る運命に気がつき、魔法使いが愕然と呪紋を見つめた。
待機してある呪文は凍月箭。『視線の通った敵』に、絶対命中する魔法。
「"レギス――"」
最後の呪文が何だったにせよ、それが結することは永遠になかった。
すり抜けざまに切り裂いた腹から鮮血を吹き出し、魔法使いが大地に倒れ付す。
その全てに背を向け、透明化を解いたシェートは、金銀の矢を引き絞り、破術を乗せて全ての魔法を貫いた。
炎と土の壁が一瞬で砕け散り、魔将と自分を隔てていた遮りが消滅する。
「遅かったな」
半身を黒く焦がし、凶暴な笑顔で魔人が笑う。
その目の前には、魔法と土の壁を重ねて必死に身を守る術師と、食い入るようにそれを見つめる勇者の顔があった。
「ち、ちくしょう……まち、やがれ……っ!」
よろめきながらポローが剣を構えて背後に立ち、巨漢と魔法使いが傷をかばいながら必死に得物を手に取る。
ナイフ使いがおぼつかない手で剣を握り、じりじりとこちらに近づく。
冷えた心のまま、シェートは告げた。
「押さえ、頼む。出来るだけ、殺すな」
「よかろう」
風のように体が奔り、間合いが詰まる。
「待てって、言ってんだろおおおおおおおっ!」
背後で湧き上がる怒声、その全てが、金属のめちゃくちゃに潰れる音と共に吹き飛ばされる。
「下がれ相棒! 勇者を逃がせ!」
将軍の悲痛な叫びを背に受け、シェートの二刀が破術で障壁を切り裂き散らす。
「っざけるんじゃないよおおっ!」
体ごとぶつかってきた娘をかわし、無駄を承知で殴りかかる軍師を蹴り飛ばす。
遮る物が何もなくなった、座ったままの敵将めがけ、突進する。
勇者の手が、滑らかな動きで腰から何かを引き出した。
こちらの動きを計ったかのような勇者の動作、避けられない間合い、逸らすこともかわすこともできない、絶妙の一撃。
そして、すべらかな刃が、勇者の喉首に肉薄した。
シェートの顎の下、突きつけられたのは、刃も切っ先もない、一本の棒のようなもの。
「僕は、武器は持てません。そういう、決まりですから」
こちらの視線に、勇者は悲しげに笑った。
「他、何か、あるか?」
ため息を吐き出し、少年が体の力を抜く。
こちらが切っ先を収めると、彼は両手を前に突き、顔を伏せるよう頭を下げ、言った。
「ありません」
緊急告知
大変申し訳ありません。
作者都合により、明日より「かみがみ」の更新を一時停止させていただきます。
理由は、ここから最終の大詰めに入ることと、その部分の改稿作業が間に合わないためです。
次回再開は、早ければ日曜の18時となりますが、遅くても月曜の18時以降より、ノンストップでラストまで掲載する予定です。
待っていてくださる皆さんには申し訳ありませんが、ご理解のほどをよろしくお願いします。