28、決着(前編)
青く冷たい大気が、場を覆っていた。
朝霧は風と共に去り、戦場の見晴らしは十全だった。
その全てが、ポローの心に苛立ちと不安を呼び覚ましていく。眠りは浅く、息苦しい緊張だけが、夜の間ずっとまとわりついていた。
『一体どういうつもりだ!? 代表を出して決闘だなんて、勝手に決めやがって!』
会談を終え、帰ってきた勇者の出した布告に、兵士たちが驚愕し、不審に思った。
『そんなもの、こっちが聞く意味があるのか? 昼間あれだけ、連中を叩きのめしたはずだ。それをどうして』
『ポローさん。僕は、今まで皆さんに明かしていなかった、ある神規を使っていました』
勇者の声は妙にしわがれ、同時に力強さがあった。
人形のような印象は完全に消え去り、こちらをまっすぐ見つめる視線があった。
『僕は、指定した時間で記録を取り、失敗したときにその時間まで巻き戻すことが出来る能力を使っていたんです』
『じ、時間逆行!? そんな、中央大陸の魔術学校でも、今だ仮説の段階を出ていないものを……』
王宮魔術師をしていたディトレの驚きほどではなかったが、自分にもそれがどういう強力な力かは理解できた。
『だとしたら尚更だ! 俺たちが勝つまで、徹底的に』
『待て、隊長。勇者殿は、やり直しと言ったんだぞ? 仮にそれが、何度やっても無駄だとしたら?』
元鉱山夫のレアドルは、職業柄か機微と要点を見極めるのがうまい。同時にそれが、自分達にとって愉快でない事実さえ暴き出す。
『あとは、実際に見てもらったほうが良いでしょう。これを』
『……おいおい、何の冗談だ。こりゃあ』
ファルナンの顔が凍りつく。長身痩躯の優男、旅芸人の一座に居たという男は、普段のおどけた表情を消して、映し出された戦場を食い入るように見ていた。
『コボルトの使っている神器は、元村の勇者の死によって、彼に与えられました。その事実を取り消す術は、ありません。時間逆行に必要な楔を、取り去ってしまったからです』
『つまり、あたしたちの知らないところで、あんた達が勝手に、ものすごい危険を招いちまったってことかい』
メシェが吐き出した皮肉に、それでも勇者は黙って頷く。なんにでも噛み付く、開拓村出身の娘は、肩をすくめてそれ以上の追求を避けた。
『それで、どうして決闘っていうことになる』
『簡単な話です。魔物側も、これで精一杯、ギリギリの手なのです。魔将とコボルト、二つの駒だけが我々と互角に戦える戦力。そして、この機を逃せば、彼らに勝ち目は無い』
冷静かつ端的に、ヴェングラスは状況を解説していく。思えばこの軍隊に入ったのも、この男の聡明さに惹かれたからだ。
『まぁ、いっそ分かりやすくて清々するがね。悪いが俺、あのリセットとかいう神規、はなっから気に食わなかったんだ。勝ちに行くのはいいが、胃のきゅっと締まる緊張感が、勝負には欠かせんからな』
将軍にしてはあまりに軽薄すぎる男、エクバート。しかし、勇者の軍の最古参であり、村の勇者の奇襲を防いだ手腕は見事だった。
『今回の戦いは、一度きりです。セーブもリセットもありません』
『どういうことだ。利点を消して戦う意味は?』
『そ、それは……』
『敵対する神に封じられたが故です。敵の神規が、勇者殿の力を縛ってしまった』
勇者が顔を上げ、軍師はなにも言わずに頷く。古参の軍師と勇者の繋がりに、感じまいとしていた、嫉妬のような感情が疼いた。
だが、その後に起こった出来事に、ポローは言葉を失った。
『お願いします。この戦い、僕に、力を貸してください』
薄紅色に染まった空を眺め、ポローは思い出していた。
勇者が、目の前で深々と頭を下げたことを。
「ふざけんなよ……今更」
そんな殊勝な態度が出来るんだったら、もっと早めにやってくれ。こんな土壇場になって、こっちを信頼するだと?
俺はお前のことなんて、大嫌いだってのに。
「隊長、準備できたよ」
声に振り向くと、すでに装備を整えた仲間たちが、真剣な表情でこちらを見ていた。
その背後から、天幕を抜けて勇者たちが現れる。
「勇者様! 我らに勝利を!」
「魔将を討ち果たし、この地に平和を!」
何も知らない将兵達。公式には、魔物たちが最後の意地にと決闘を願い、それを慈悲で以って受けた、ということになっている。
おめでたくて、涙が出てくる。
やがて勇者がこちらにやってくると、ポローは先に立って歩き出した。
「お前ら、勇者殿の露払いだ。道を空けさせろ」
一見すれば、良く躾けられた犬の行動。その実は、不快な主人を視界に入れたくないゆえの当てこすりだ。
人垣を抜け、防壁から外に出たところで、彼方からやってくる魔物の群れと、その前に立つ二つの影が目に入った。
「おお、あっちも気合十分って感じだな。勇者殿、陣屋の連中はどうするよ?」
「奇襲を受けて混乱する手を打ってくることも考えられます。騎兵と歩兵を千ずつ守備に回して、残りは決闘の会場の後ろに配置しましょう。魔将が敗れた後、特攻されることも考えられますから」
背中越しに指示を飛ばす勇者の声が、妙に癪に触る。今までとまったく違う感覚が、ことあるごとにこちらの神経を逆撫でした。
「それで、今回の作戦ですが」
「俺たちが行って魔将とコボルトをぶちのめす。将軍閣下と軍師殿は勇者様のお守り、そんなところでいいんじゃないですかね」
「隊長」
ディトレが首を横に振る。荒々しく息を吐き出すと、ポローは少年に振り返った。
「いつも通り手短に、やることだけをお願いしますよ、勇者様」
だが、相手の顔はこちらの予想に、またしても反したものになった。
眉根を寄せて、痛みに顔をしかめたのだ。
「なんなんだよ、その面は! この期に及んで、今更年相応の顔をしようってか!? 身勝手も大概にしやがれ!」
「止めろ! 他の連中も見てるんだぞ!」
「うるせぇよ! 大体、こんな事態になったってのに、うちの神様はどうした! まさか居眠りでもしてるってのか!?」
「その眠りを覚ませるかが、この戦に掛かっているんです」
ポローの前に、軍師の冷ややかな顔が立ちふさがった。
「何時まで、他人に泣き言を吐き散らせば気が済むのですか。私は乳飲み子を軍に入れた覚えはありませんよ」
「……アンタだって、気付いてるんだろ? 俺達が、見捨てられたんだって」
「だとすれば、貴方はもう、非力な農夫でしかないはず。違いますか?」
ぎょっとして胸元のタグに目を落とすが、その機能は未だに活動を続けていた。
「知見者の気持ちを惹き付けるためにも、僕らは彼らに勝たなければいけないんです。そのために、僕も全力を尽くします」
「あーあー、そうかい、そいつはありがたいね。せいぜいその可愛らしいおつむで、いい作戦でもひねりだし――」
いきなり視界が弾けとんだ。
頬に強烈な痛みが走り、目の前に割り込んだメシェが、顔を怒りに高潮させていた。
「目が覚めたかい? それとも、もう二、三発くらいたいかい?」
「お……お前……」
「しゃんとしな隊長! ちょっとぐらい神様の顔がそっぽを向いたぐらいで、小娘みたいに、ぎゃあぎゃあわめくんじゃないよ!」
打たれた頬を押さえ、ポローはまじまじとメシェを見つめた。
「小娘って……お前だって、小娘じゃねぇか」
「だったらアンタはその小娘以下だね。そんなに戦うのがおっかないってんなら、そのタグ置いてとっととお家に帰んな。後は、あたしたちがやってやる」
背中をしゃんと伸ばし、その目元を僅かに潤ませながら、それでもメシェはこちらを見つめ続けた。
混乱と緊張が解け、取り乱したことへの自己嫌悪が湧いてくる。目の前の仲間の肩に両手を置くと、ポローは頭を下げた。
「……すまない」
そっと息を吐き出し、勇者に向き直る。
「あんたの作戦、聞かせてくれ。それで納得が行くようなら従ってやる」
「分かりました、それで構いません」
こいつのことを認めるつもりはない。それでも、今は戦うしかない。
決心を胸に、ポローは勇者の言葉に耳を傾けた。
夜が明け、自分達の姿を太陽が照らしていく。
雲ひとつ無い青空、かげりさえないそれを見上げて、シェートは視界の端に映った魔将に声を掛けた。
「ようやく、終わるな」
「そうだ。この長い戦いも、これで終わりだ」
かけられる言葉に、奇妙な親近感を覚える。まるでサリアやフィー達と話しているときのような。
「なぁ、シェートよ。本当に、俺と来る気は無いのか」
「お前、しつこい。俺、サリアの勇者。それに、魔王、俺倒す言ったぞ」
「やれやれ、この頑固者めが。貴様がもう少し素直であれば、俺がどんなにか心安らかであったろうに」
相変わらず、歩幅はこちらにあわせたままだ。気遣い、仕草、そうした一つ一つに、見かけによらない細やかさを感じる。
「だが、今この一時、貴様と俺は、命を共にする仲間だ。そのことを何より心強く思う」
「お……お前、そういうこと、言う。ずるい。腹芸、苦手、嘘か?」
「バカを言え。これは素直な胸の内だ」
次第に勇者たちの姿が見えてくる。例の板切れを見つめ、作戦を練っている最中のようだが、こちらに気が付き、横一列に並んでいく。
その後ろには、昨日と同じく、壁のようにそそり立つ軍団があった。
「コモス! 連中の動きはどうだ?」
振り返りもせず声を掛けると、副官は少し遠い場所から叫ぶように答えを返した。
「側面の騎馬は昨日よりも薄いようです! おそらく本陣の守備に回っているものと!」
「伏兵に気をつけろ! 敵の神は意気を阻喪し、この戦から手を引いたと聞いたが、油断は出来ん!」
振り返ったシェートの視線の先、横並びになって戦列を整えていく魔物たち。
だが、その大半が昨日の戦いで傷を負い、あるいは酷い火傷を負っている。
その上、戦列の中に、おぼつかない手つきで手槍を構えたコボルトの姿さえ見えた。
「おい、なんで、あいつら、ここいる」
「仕方あるまい。輜重部隊にさえ声をかけねば、槍列すらまともに組めんのだ。俺たちが倒れれば、奴らも共倒れだぞ」
そう、魔物側はこれが限界なのだ。あと一回でも目の前の軍隊と槍を交えれば、その瞬間に蹴散らされてしまうだろう。
「大将」
群れの中から抜け出てきたナイフ使いとコモス、それに生き残ったリザードマンの剣士にトロールがミノタウロスの前に並んだ。
「頼むぜ。死んでった奴らの敵を、討ってくれ」
「たいしょう、つよい、あいつら、かならずぶちころせる」
「言わずもがなよ。全て奪い取ってきてやる。勇者の首も、勝利もな」
そして、魔物たちは、シェートの前にもやってきた。
「神器の力に振り回されるな。剣は己の一部と心得ろ。そうすれば、武運は貴様に宿る」
「もう何も言うことはない。この戦だけでよい、我が主を、頼む」
「分かった、任せろ」
短い挨拶を残し、シェートは勇者を目指して歩き出す。昨日の晩に会談を行った場所には、フィーとグートが待っていた。
「俺達はここで見てる。何かあったらすぐ助けに行くからな」
「うぁうっ」
「ありがとう。魔法、お前達、飛ぶかも、気つけろ」
相談を終えたらしい敵の代表達は、未だに武器を構えず、こちらの様子を伺っている。
七対二、神の加護とリセットが無いとは言え、数の上では圧倒的に不利だ。
『あちらは飛車に角、金銀香車、桂馬に成金と言ったところか。対するこちらは玉にと金が一枚のみ。まぁ、普通は勝てぬ局面よな』
あいも変わらず嬉しそうに竜神が場を評し、サリアは短く激励を述べる。
『勝とう。カニラとケイタ殿のためにも』
「ああ」
勇者側と魔物側、自然に彼我の距離を保ち、にらみ合う。
知見者の勇者が後ろに下がり、その前を七人の兵士たちが壁となって立ちふさがった。
「往くぞ、シェート」
傍らの魔将の声に頷き、一振りした左手に輝きが宿る。
神器の手ごたえを感じながら、シェートは吼えた。
「おう! 奴ら、俺たちで倒す!」