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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~Warmonger編~
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26、破滅の一撃

 遠く離れた天幕の中にいてさえ、魔将の声は康晴の耳の奥底に響いた。

 挑戦的な一言に、陣中にいる兵士達のささやきが、隠しもしない混乱の声になって高まっていく。

『魔将め、優勢の威を借るつもりか。貴様自身、どういう事態になったのかさえ、覚えておらぬであろうに……っ』

 知見者の声が、苛立ちと怒りで震えている。

 だが、康晴はその全てに、奇妙に引いた視線を投げている自分に気がついた。

「どういう、つもりなんでしょうか」

『なにがだ?』

「合戦の、相談、って……」

『馬鹿者め。そんなことも知らぬのか。古来より大軍同士の大戦おおいくさでは、事前に両軍の将が使者を立て、戦の場所と日取りを決めていたのだ。貴様の手慰みも、本職の棋士ともなれば、そうした取り決めをしているだろうが』

 知見者の言葉に、意識が現実に引きもどされる。

 あの魔将は自分と顔を付き合わせ、この後の予定を決めようというのだ。

 将棋のタイトル戦のように。

「そんなもの、受けなきゃいいじゃないですか」

『当然だ。受ける気はない、と言いたいところだがな……』

 ピリピリとした知見者の怒りが、天幕内に充満した。肌がむずがゆくなり、耳に強い怒声が注ぎ込まれる。

『決して記録には残らんが、コボルトどもはしっかり覚えているのだ! こちらを圧倒した無数の過去を! そして、貴様のうろたえぶりも!』

「ぼ、僕の?」

『ふがいない貴様の代わりに、私がほとんどの軍務を差配したのを忘れたか!』

 知見者の容赦ない叱責に、顔を上げることさえできない。その代わり、内心には暗い反抗心が首をもたげていた。

「お言葉を返すようですが、どうしてあそこでセーブさせたんですか」

『何だと?』

「その……僕は、あの手筋が、いいとは思えなくて」

『それならそうと、はっきり口にすればよかったであろうが! 大体、悪手であったというその根拠は何だ!? たかだか十数年程度の知識と経験か!? あるいは、棋士の勘とでも言うつもりか!』

 頭痛がぶり返してくる。

 この神の最悪なところは、冷静そうな仮面の下に、強烈な傲慢さとかんしゃくを隠し持っているところだ。その計算高さと実行力のおかげで、表に出てくることはほとんど無いが、一度顔を出すと手がつけられない。

「……分かりました。僕の落ち度です、すみません」

 こうやって、自分を押さえつけて謝っているポーズを作っていると、学校の授業を受けていた時を思い出す。分けのわからない仕組みを飲み込んで、自分の意に染まないことをやらされている感じ。

『ともかく、ここからはうかつにリセットも出来ん。これ以上、弱みを見せるわけにも行かぬからな。身支度を整え、魔将との会談に臨め』

「分かりました。会話の方は、そちらに」

『たわけが! 貴様も多少なりとも受け答えをせよ! 繰り人形であるという印象をもたれれば、それだけ敵に侮られる!』

 本当にくだらない。

 この神にとって、自分以外の全てがゲームの駒で操り人形なのに。

 それを今更、自分の意思で話せだなんて。

 小姓に新しいマントを書けて貰いながら、これからのことを思い、気分が沈む。

『酷い顔色だ、小姓に命じて化粧でも当てていくがいい』

「だ、大丈夫です! お、男なのに化粧なんて、そんなの」

『ふん。貴様の常識で物を推し量るな。男でも紅や白粉で装うのは珍しく無いぞ』

 口元を引き締めると、それ以上何も言わせないうちに外に出る。

『勇者様!』

 いきなり、外にいた全ての将兵が、申し合わせたように叫んだ。

「魔物の将と会談とはどういうことですか!」

「早くご命令を! 今すぐに連中を蹴散らしてみせます!」

「勇者様! 勇者様!」

 人々の熱気に煽られて、僅かに腰が引けた。

 こちらを見つめる視線には、不満と当惑がある。

 それはそうだろう、彼らにとっては『昼間の勝利』だけが事実なのだから。

 だが、康晴は覚えていた。今この瞬間にも、彼らの大半が業火に焼かれるかもしれないことを。

「静まりなさい! 勇者の為されることは、全てが神の御意思! 余人の言葉で不敬を働くことは罷りなりません!」

 ヴェングラスの声に、兵士達の声が静まっていく。安堵したいのを必死に抑えて、人垣の中を抜けてくる軍師に視線を合わせた。

「助かりました。それで、会談の席は」

「神のお言葉通りに。しかし、それほど状況が、悪いのですか?」

 最古参のエクバートと並び、リセットの秘密を知る唯一の存在。その顔には、兵士達の表情にあった以上の、不安が溢れている。

「敵の動きが予想以上です。あそこに立っている魔将と、傍らのコボルトが、全ての元凶です」

「では」

 軍師の目がすっと細まる。その後に続く言葉を、空の神がすばやく封じた。

『それはまだ先だ。どうせ連中もその程度の備えはしてあるだろう』

「しかし、昼間の優勢を無視して、魔物と膝と突き合わせて戦の約定など、兵の動揺は免れぬかと」

『黙れ。そもそも、貴様らの未熟さゆえに、どれだけの被害を被ったと』

「申し訳ございません。ともあれ、会談に向かわれた方がよろしいのでは」

 ヴェングラスがそつなく話題の矛先を変え、不満げに知見者が黙り込む。

 不思議と、ヴェングラスは、この手のあしらいがうまかった。知見者の癇癪を、丁度いいタイミングでそらしてしまう。

「では、参りましょう。勇者殿」

 そういえば、彼は一体どういう人間なんだろうか。

 居並ぶ兵士の中を通り抜け、陣地前に作られた席に向かいながら、そんなことを思う。

 今ではもう、名前も思い出せない、中央大陸の地方都市。その酒場で、知見者に言われるまま仲間にしていた。

「どうかされましたか?」

「い……いえ」

 他愛のない疑問を脇にのけ、康晴は四方にかがり火の焚かれた会談の場を見つめた。

 すでにエクバートがこちらの椅子の周りを改め終え、目の前の魔物をけん制するように立っている。

 対面には、用意された敷物にも座らず、腕を組んで立つ巨大な魔物がこちらを睨みすえていた。

「お……大きい……」

 おそらく、二メートルは越えるだろう背丈と、金属の鎧を身に纏ったせいで、一層分厚く見える上半身。

 その上に乗っているのは、間違いなく牛のような顔だ。しかし、その細部は実際の牛とは微妙に違って見える。特に、見開かれた目の中に在る、確実にこちらを敵として認識する意思の輝きが。

 着ぐるみでも、CGによって映像を加工した物でもない、本物の獣人がそこにいた。

「それほど、この牛頭が珍しいか、ええ?」

 厚みのある牛のマズルから、すらすらと人の言葉が漏れる。それが神威によって翻訳された結果とはいえ、間違いなく目の前の獣は人語を話していた。

「シェートから聞いてはいたが、貴様らは本当に、ほんの稚児に過ぎんのだな」

「無礼な。会談に臨んでみれば、挨拶代わりに我らが勇者を面罵めんばとは。魔の将軍などと言っても所詮は蛮夷。礼など解する頭はなかったか」

「ん? はは、これは失礼した。では、あらためて名乗ろう」

 組んでいた両腕を下ろし、魔将は野太い声で名乗りを上げた。

「今代魔王の麾下、魔将ベルガンダ。今宵は、明日の合戦について語らいに参った。ついでに、勇者殿とは今ひとたび遺恨を忘れ、酒の一献でも酌み交わさんと思ってな」

 古めかしい言い回し、どこか芝居がかった、それでいて自然な言葉遣い。だが、魔物の行動はそこで終わらなかった。

 無言で体を脇に引き、背後に立った小さな姿に場を空ける。

 本当に小さい。

 ベルガンダの半分くらいしかない背丈。小学生の低学年くらいの小柄なそいつは、とがった敵意を隠しもせず、こちらにぶつけてきた。

「女神サリアのガナリ、シェート。お前、顔白い、大丈夫か」

 こちらはどこか朴訥で、とても流暢とは言えないしゃべり方。それでも、ベルガンダ同様に、犬頭の瞳に宿るのは意思と知性の輝きだ。

「貴方のことは存じ上げております、女神の勇者殿。我が軍の精鋭が、ひどい手傷を負わせてしまったようで、申し訳ない。その後のお加減はいかがで?」

「別に。次戦う、絶対、俺、負けない」

 軍師の挑発を、コボルトは鮮やかな切り口上でたたき返す。最弱の魔物という評判が当てはまる要素は、何一つなかった。

「よさんか。我らの目的は戦の約定を交わすこと。喧嘩腰では何も纏まらぬぞ」

「分かった」

 灰色の毛並みと、犬そっくりの顔立ち。粗末な草木染の服と、ワイバーンの皮をなめしたマント。

 隣の魔将とは全く正反対の、いかにも軽装ないでたちが、本人の雰囲気と合っている。

 背後においてあった樽を引き出す魔将と、油断なく周囲を警戒するコボルト。

 その二つを見ているうちに、急激に目の曇りがなくなっていく気がした。

 風に流れるのは、魔将の身に着けた鎧の錆臭さと、むっとするような獣の体臭。

 かがり火の煙が流れ、乾いた木が燃えて、ぱちりとはじける音がする。

 タブレット越しに見ていた、どこか滲んだゲームの世界ではなく、本物の異世界が眼前に啓けていく。

「招いたのはこちらだからな。野卑な肴しか用意できぬのは、許されよ」

「肴、用意したの俺、忘れるな」

 いつの間にか、目の前に宴席が作られていた。

 魔将が持ってきた樽の中から、強烈なアルコール臭が漂って、思わず口を押さえる。

 コボルトが用意したらしいそれは、干し魚や焼いた野鳥の腿肉。いくらかの果物が添えられている。

「そんなものを口にしろと?」

「いらんならそれでも構わぬさ。こちらとしては、宴席に酒と肴の一つもなければ話にならぬと、勝手に持ち込んだだけのことだからな」

 どこかで略奪してきたらしい、金属の酒盃に酒を注ぐと、こちらの分だといわんばかりに対面に置いてみせる。

「この酒は貴様らの輜重隊から頂いたものだ。味の方は説明するまでもあるまい」

「盗人猛々しい、を絵に描いたような話だな。この場で、勇者殿に一服盛ろうとでも?」

「馬鹿を言え! こんな美味い酒に、無粋な混ぜ物をするやつがどこにいる!」

 挑みかかるように、魔将は笑みを浮かべていた。

 いや、これは実際の挑戦なのだろう。

 将としての度量を示し、戦う前に相手を叩きのめすという。

 康晴は宴席に座り、杯を手にした。

「待て」

 コボルトが呆れたようにため息をつき、こちらを見やった。

「その酒、すごくきつい。唇、つけるだけにしろ」

 確かに、手にした器からはすさまじい匂いが漂ってくる。そういえば、じいちゃんが晩酌で飲んでいた焼酎も、強烈な悪臭がしていた。

「やれやれ、またしても一人酒とは。酌み交わすのは、戦勝祝いの席に持ち越しだな」

「匂いだけでもう酔いが回ったか? そんな明日は決して来ないと心得よ」

「お前ら、さっさと飲め。で、さっさと話しろ」

 ミノタウロスは肩をすくめ、高々と杯を掲げた。

「悪辣な知恵の神と、卑怯千万な神規に」

 一瞬、何を言おうか迷い、康晴は必死に、言葉を切り出した。

「魔将の壮健と、未来の栄光に」

 虚を突かれた魔将が、ゆっくりと顔を緩ませ、太い笑みを浮かべた。

『乾杯』



 黙然と、知見者は下界の様子を見つめた。

 こちらからの助言は差し控えなければならないが、ヴェングラスは見事に勇者の補佐を行っている。

 上から神威を降らせてはこちらが侮られるが、側近が口出しするなら、王に仕える廷臣どもの仕儀と変わらない。

 問題は敵である魔将と、コボルトの動きだ。

 この会談、本来は全く受ける謂れはない。そんなものに応じれるかと、騎馬で以って追い散らせば済む話だった。

 だがそれは、セーブをする前までの話だ。

「全く、業腹な……」

 敵の動きが、あまりにも多岐にわたりすぎていた。

 こちらが大軍を指揮して押しつぶそうとすれば、魔将とコボルトが遊撃に出て、戦線が瓦解する。

 本陣で守りを固めれば、遠距離の魔法と敵の射撃部隊が叩き込まれ、甚大な被害を出すことになる。

 しかも、透明化を操る星狼が、コボルトだけでなく魔物の暗殺者を前線に送り込めると分かった以上、将軍や軍師、巨獣討伐隊の連中を、前線に投入することも難しい。

 もちろん、本気で戦えばこちらが負ける要素は少ない。

 いくら二匹の魔物が強かろうとも、所詮は単騎の存在。全力で押し包み、間断なく魔法を注ぎ、その間に敵主力を駆逐すれば良いだけのことだ。

 だが、それをすれば、待っているのは記録的な被害。

 そして、追い詰めれば追い詰めるほど、サリアのいまだ使われていない"存在力を贄にした加護"が、その効力を発揮するだろう。

 コボルトの弓に大魔法を授ける、たったそれだけでいい。魔物軍に"竜騎兵"が誕生し、こちらの軍勢を引き裂いていくだろう。

『全く、神の恩威とは量り知れんなぁ、ええ?』

 そんなこちらの懊悩を知ることもなく、魔将が上機嫌に酒盃を掲げた。

『常々、こういう代物を造ったものには、礼を尽くさねばと思っていた。勇者殿よ、このたびは実に旨酒を賜り、感謝してもしきれぬほどだ』

『あ……ありがとう、ございます』

「馬鹿者が」

 乾杯の挨拶まではよかったが、その後の態度は全く精細を欠いている。いくら年若な者は、掛ける加護が少なく済むとはいえ、多少なりとも弁の立つ大人を使うべきだった。

『さて、ではそろそろ明日の差配でもするとしようか』

『その前に、一つ問いたいことがあるのだが』

 傍らの軍師はあくまで強気な態度を崩さず、魔将を問いただす。敗北の過去を知らぬとはいえ、戦場の空気を一瞬で読み取り、すばやく寝技に持っていこうとする姿勢は、この場において唯一、信を置けるものだった。

『昼間、あれほど強かに打ち据えられておきながら、合戦の相談とは、いくらずうずうしい魔物とはいえ、度が過ぎるぞ。勇者殿と我が神の寛大なお心を』

『下らん茶番だな。俺の後ろにも神が付いていることを忘れたか? 貴様らとて、現状心安らかでないというのは、こちらも承知の上よ』

『何を根拠にそんな』

『そいつは、これのおかげだよ』

 言い差した軍師の言葉を遮って、スマートフォンを手にした仔竜が顕れる。

『姿消しの神器で味方を伏せていたのか!? どこまで卑怯な』

『今日のお前が言うなスレはここですか? 散々、こっちの行動リセットで打ち消してくれたクセに』

 慣れた手つきで機材を操作すると、その小さな画面に何かの映像が流れ始める。

『……馬鹿な、我が陣営が、燃えている!?』

「どういうことだ! あんなもの、いつのまに!」

「それ、撮っておいたの、儂だから」

 心底嬉しそうに笑いながら、竜神がこちらを煽り立てる。

「いちいち事情を説明するのが面倒になってなー。こっちで取った動画を、リセットされる度にフィーに送っておいたのだ」

『しかし、この"どーが"というのは実にいいもんだな。ほら見ろシェート、俺も貴様も、ずいぶんと格好良く映っているではないか』

『お前、無茶しすぎ。この槍、フィー、当るとこだったぞ』

『うっわ俺、牛と一緒にぶん回りすぎ。もう二度と、アンタの背中はごめんだからな』

 フルカムトは口を真一文字に結び、絶叫したいのを必死に堪えた。

 おちょくりながら、楽しみながら、こちらの思惑を徹底的に無に帰する竜神の手。

 神算鬼謀というより、お調子者の宮廷道化師コートジェスターが、跳ね回りながら悪ふざけをするような、酷く不愉快な手だ。

『そういうわけだ。とはいえ、こんなもの、勇者殿には説明することもなかったな』

『そして、この映像の"有利"を捨ててまで、貴様らは交渉の場を設けた、というわけか』

 ようやく軍師が切り出した一言に、ひそかに頷く。

 傍目には優勢に事を進めている魔物たちだが、あくまでこの場では、というだけだ。

 今すぐ部隊を撤退させ、他の都市に散った軍勢を集めて数で圧倒すれば、魔将を討伐することも難しくない。

『結局、貴様らは、事態を五分と五部に押し上げただけだ。勇者殿が戦場を去り、部隊を立て直して討伐を開始すれば、待っているのは緩慢な死。それを避けるために、会戦を確約しに来たのだろう』

『まぁ、そういうことだ。この機を逃して貴様らに勝利することはありえん。またぞろ、全てをなかったことにされては敵わんからな』

 おそらく、こちらが撤退するとなれば、魔物たちは死に物狂いでこちらを追跡するだろう。いや、確実に撤退戦で大量の被害が出る。

 何より、コボルトと狼の追跡をかわし、魔将の単騎特攻を食い止めながら、山中行軍をするのは危険すぎる。

『そちらの要求は?』

『そうさな。まずは、この場でその"せーぶ"とやらをしてもらおうか』

 来たか、という思いがあった。

 一応、陣地の周囲を警戒に当らせ、この一瞬も姿消しに寄る奇襲を防ぐため、魔法の目による探査が続けられている。

 だが、こうして会談の席を設け、セーブの要求をしてきたということは。

『……神規の使用は、知見者の意向に沿うものである必要があります。独断では、判断できません』

 ようやく口を開いた勇者に、それでも多少は評価が改まる。一応、あの子供も状況の把握くらいはしていたということだ。

『構わんぞ。こっちはゆっくり飲んで待つとしよう』

『飲みすぎ、気をつけろ』

『俺らもメシにしようぜ。なんか緊張したせいか腹減ったよ』

 魔物たちはその場で夜食を取り、その姿を尻目に、将軍を含めたものたちが、少し離れた場所で顔を突き合わせた。

『申し訳ございません。あまり、よい形で交渉を進められませんでした』

「構わん。やつらが過去の戦果を盾に、この要求を出してくるのは見えていた」

 むしろリセット前の世界を見て、動揺も見せずに対応して見せた胆に、知見者は軍師の評価を改めた。

「貴様の意見を聞こう。セーブはするべきかと思うか」

『僭越ながら、それに関しては、するべきかと』

「理由は」

『連中にとっても、やり直しの経験というのは、決して愉快なものではないはずです。定めていた計略が、土壇場になって崩されるのですから。それを防ぎ、先の見通しを確定させたいのでしょう』

 ヴェングラスの指摘は最もだ。おそらく表向きの動機としてはそうだろう。

 こちらが沈黙で先を促し、男は解説を続けた。

『しかし、それは私たちにとっても好機。映像で見た"過去"は、さまざまな戦法でこちらを翻弄する魔将の姿がありました。ですが』

「セーブをすることで、今後の動きは確定される。そこまで行かなくとも、ある程度の制限は可能、と」

『それに、連中は要求の全てを出してはいません。それを全て聞き出してからでも、遅くはないかと』

「いいだろう。交渉はヴェングラス、貴様に任せる。康晴、その魔術師のやり方を良く見ておけ。今後のためだ」

 青のローブを翻し、魔将のところに戻る姿は、生き生きとして見えた。どこか現状を楽しむような姿に、ふと竜神の悪辣さを思い出す。

 妙な予感が、知見者の思考をざわめかせた。

 ここまで周到な罠を張り続けてきた奴が、この期に及んで真っ当な会談だと?

『おお。早かったな、それで、"せーぶ"するのか? せんのか?』

『その前に、そちらの要求の全てを聞かせてもらおう』

『ああ。後は、会戦は夜が明けて後。両軍は互いの陣地から兵を繰り出し、日没までを戦の日取りとする、そのぐらいだ』

 拍子抜けするほど簡単な要求。リセットの神規を封じるぐらいのことは言ってきてもおかしくない局面で、牛頭の魔人はどうしたと言わんばかりに顎をしゃくった。

『あとは、そちらが何を望むかによって変わるな。ああ、そうそう。天に座する我らの女神は』

「誰が我らのだ」

 さすがに腹に据えかねたのか、サリアがすかさず発言を訂正すると、ベルガンダはくすくすと笑いながら先を続けた。

『此度の戦では、自らを贄に加護を付与する気はないそうだ。それと、願わくば大軍同士の戦ではなく、代表を出しての決闘で勝負をつけたい、ともな』

「私は、これ以上の血は無意味だと考える。人間、魔物、双方だ」

 女神の言質は一貫している。戦禍の拡大を押しとどめ、こちらの軍を解散させつつ、自分が勝つつもりだ。

「そちらとしても、軍の消耗は避けたいはず。決して不都合な提案ではないと考えるが」

「不都合かどうかは私が決める。もし、そうなった場合、そちらの手勢は?」

「魔将ベルガンダと、我がガナリ、シェートの二名。それだけだ」

 驚くほどに簡潔に、サリアは手の内をさらす。

 容赦なく掛け金を積み上げ、女神はこちらの逃げを封じてきた。今、魔物軍がこちらと対抗しうる二本柱を、一度に屠る好機をちらつかせて。

「そう来るなら、こちらは」

「おっと、それだけはきっちりと指定させてもらおうか」

 待っていた、とばかりに竜神が横槍を入れる。

 ここでか、その思いに心中に燃え上がるものを感じた。

「まさか、我が勇者のみ代表と認める、という訳ではあるまいな?」

「そんな盛り上がらん戦い、誰が見たいものか。そんなものを要求するのは、そなたのようなチキン野郎だけよ」

 わざわざ勇者にも分かるような低劣な侮蔑を口にして、竜神がこちらを煽り返す。

 何とか心を抑え付けると、相手の言葉より先に、選出するべき人間の名を口にする。

「軍師ヴェングラス、将軍エクバート、並びに巨獣討伐隊、隊長ポロー、メシェ、ファルナン、ディトレ、レアドルの七名」

「そこにもう一人加えてくれ。知見者の勇者、葉沼康晴殿をな」

「やはり、そう来たか」

 その要求は、確実に来ると分かってはいた。

 だが、竜神の口調に異常を感じた。

 まるで以前から、目の前の勇者を知っているような口ぶり。

「お初にお耳に掛かる、勇者殿。いや、せっかくだ、この場では元の世界の称号で呼ばせてもらおうか。アマチュア棋士、葉沼康晴三段」

 たった一撃で、勇者の顔がおぞましく歪んだ。

 それまでどこか呆然と、事態を眺めていたものが、丸めた紙のように、ぐしゃぐしゃに崩れ落ちていく。

『あ……う、あ、ああっ』

『ど、どうなされたのですか!? 勇者殿!』

「ここ一年ばかり、奨励会にも顔を見せていなかったようだが、まさかこんなところで、知見者殿の遊び相手になっているとは、夢にも思わなんだ」

『ひあ……っ、あ、あああ、ああっ、うあ、ああっ、あ、ああああ……っ』

 怯え竦み、何もかもから目を逸らすように、少年が悲鳴を上げてうずくまる。

 冷や汗と涙を流し、激しくえづきながら。

「き、貴様ぁっ! な、なぜこやつの、我が勇者のことを知っている!」

「そんなもの、奨励会に出入りして、実際に見ていたからに決まっとるだろうが。プロの真剣勝負も良いが、発展途上の棋士を眺めるのは、また違った楽しさがあるのでな」

 予想の斜め上の解答を、竜神はこともなげに告げる。

「別に儂の専門は、電源が必要なゲームばかりではないぞ? チェスに将棋、モノポリーをはじめとするボードゲーム、カードゲームは言うに及ばず、テーブルトークに人狼と、幅広く遊んでおるのだ」

『だから仕事しろっての、このぶらぶらおぢさんが』

「働いたら負けだと思っておる」

 鼻息も荒く胸を張った黄金竜は、それでも下界の様子を眺め、悲しげな顔をした。 

「とはいえ、そなたのことを知っておったのは、偶然のようなものだがな。今は亡きそなたの祖父を、その周辺で起こる出来事を、良く眺めていたからだ」

『じ……じい……ちゃん……』

葉沼友永はぬまともなが、真剣師と呼べた連中の、末席に座した男。その孫が棋士を目指そうというのだ、目に留めぬはずもあるまい」

 勇者は完全に突っ伏し、将軍の声も軍師の気遣いも、全く耳に入っていない。

「こ、こんな、こんな卑怯な真似が許されるか! よもや、我が勇者の過去を抉り出して責めるなど!」

「そなたの顔の前に"おまいう"の文字が流れすぎるのが見えるようだぞ? カニラの過去をつるし上げ、ケイタ殿から村をむしりとった詐欺師の分際で、よくも言った」

「くっ、くそおおおおおっ!」

 完全に打ち砕かれ、身動き一つ取れなくなった康晴を尻目に、竜神は言葉を継いだ。

「少なくとも、今後はリセットなど掛けてくれるなよ」

『う……』

「待った待ったで勝ちを拾う、素人同然の縁台将棋。亡き祖父が見たら、なんと言うであろうな?」

 それが、止めだった。

 勇者の絶叫が、暗い戦場に、陰々と響き渡った。

 

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