25、繰り返す悪夢
闇の中に燃えるかがり火を眺め、ポローは鬱々とした気分を抱えていた。
昼間の光景を思い出し、自分の存在が揺らいでいくのを感じる。
あの時、軍師は自分の力が必要だと言った。魔物に復讐したいという気持ちが、何より大事なのだとも。
だが、ケイタという存在に対する備えを、自分は何一つ知らされなかった。後始末をしたのは軍師と将軍で、自分達はただ、右往左往するしかなかった。
「何なんだよ……これは……」
夜の闇が深まれば深まるほど、自分に対しての疑念が浮かんでいく。
物思いの先に、思い至る『採用の理由』。
「つまり、俺は単なるどう――」
《緊急招集! 全部隊の兵士は直ちに武装を整え、指示された位置にて待機!》
天幕のあちこちでけたたましく鳴り響く警戒音。ポローはあわてて剣帯の具合を確かめると、タグに視線を落とした。
《ポロー:勇者の陣屋にて周囲の哨戒に当れ。コボルトの奇襲に最大限の警戒を。魔法兵二名を随伴し、"魔法の目"による索敵を厳命する》
「なんだ、こいつは……」
恐ろしいほどの細かい指示に目が丸くなる。しかも、文面には"厳命""最大限"といったいかめしい文言が並んでいた。
「何が……何が起きてる?」
昼間、自分達は確かに、完膚なきまでに魔王軍を粉砕したはずだ。
強力な大魔法によって敵主力は焼け、まともな抵抗さえ出来ないと言われていたのに。
不安に駆られたポローの視線が、陣地の外で揺れる、何かに吸い寄せられた。
「あ……あれは……」
平原に広がる松明の群れが、列を成してこちらに向かってくる。
そして彼方から、絶叫がほとばしった。
『ウオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
まるで夜そのものが怪物に変わったかのような感覚に襲われる。
その音源は間違いなく魔物の群れ。しかも、手にした盾や身につけた鎧を打ち鳴らし、足踏みをして騒音を立て続ける。
「お、おい! ありゃなんだぁ!?」
「魔物ども、破れかぶれになって特攻でもするつもりか!?」
「うろたえるな! 全員持ち場を守れ! 指定されたもの以外陣の外に出るな!」
指揮官の声が響き渡るが、兵士達の動揺は収まらない。
「あいつら、こっちに向かってくるぞ!」
「一体何が起こったんだ!?」
『騒ぐな、馬鹿者ども!』
突然、空から声が降り注ぎ、全ての兵士たちが沈黙した。
『我が意に従い、神の尖兵となった者共よ! あれは魔物の末期の声! 惑わされず、隊伍を整えよ!』
ポローは、愕然と空を見上げた。
今まで耳にしたことのない、しかし確かに神の物と分かる声。
兵士たちが落ち着きを取り戻し、与えられた指示通りに動き始める。
だが、周囲の反応とは正反対に、ポローは強烈な胸騒ぎを感じていた。
「今の今になって、神様が激励だと……?」
勇者と直に接したことで、自分達を扱っている神の性質は、なんとなく理解していた。
目的のためには手段を選ばない、冷徹で無慈悲な存在。だからこそ、あのケイタという勇者からリンドル村をかっさらい、八人もの術師を使い潰して、大魔法を打たせたりできるのだ。
「ポロー、聞いたかい、さっきの」
「ああ……こいつは、何かやばい」
自然と集まってきたメシェと仲間たちが、互いに不安な視線を交し合う。
「と、とりあえず、命令どおり、周囲の警戒をするしかないよ」
「だがよぉ、警戒ってたって、見ろよ、このアリの這い出る隙間も無い状況」
ファルナンが苦笑交じりに周囲を指し示す。
各天幕に一人づつ歩哨が立ち、張り巡らされた防壁には魔法の明かりが煌々と灯り続けて、その下で歩兵が外を睨んでいる。
その上、半数の騎兵が鉄壁の防衛陣を引いている。
完全な守りに入った状況に、ポローの心配は、余計に高まった。
「なんなんだ……こりゃ……巨人か……ドラゴンでも来るってのか?」
そんな呟きをふと漏らしたとき、陣地からそれほど遠くない場所に、何かが見えた気がした。
「おい、なんか、あの光の一番端の辺り、何かいなかったか?」
「何かって、一体何」
怪訝そうなメシェの言葉を、強烈な爆発がかき消した。
目の前に並ん天幕の群れが勢い良く燃え上がる。
「なっ、なんだぁあっ!?」
『魔法兵! 全員、抗魔障壁に力を注いでください! 早く!』
焦った勇者の声が戦場に木霊する。同時に、小山のようにそそり立った緑の光が陣地を囲っていく。だが、空の彼方から降ってくる真紅の光が、全ての防御を一瞬で引き裂き、陣中が爆発を起こした。
「あれって、まさか"烈火繚乱"!? あんな風に打ち込むなんて、どうやって!?」
焼けていく陣屋を見てディトレが泡を食っている。その間も、真紅の流星が断続的に降り注ぎ、陣中の味方を、天幕を吹き飛ばしていく。
「な……なんなんだよ、これは……」
愕然と空を眺めながら、ポローは絶叫した。
「一体、何が起こってんだよ! 神様よぉっ!」
シェートは燃えていく勇者の陣営を遠くに見ながら、弓を構えた。
その隣で、目を閉じ虚空に片手を伸ばしたコモスが立つ。
「"レギス――烈火繚乱"」
浮かび上がった印章をホブゴブリンが弓に近づけると、その力が燃える炎の矢となって番えられる。
「シェートよ、次は連中の退路を塞げ。撃つべき方角は」
「正面、右奥ある山、てっぺんの高い木辺り」
相手に納得させるように呟き、弓弦を解き放つ。
甲高い音が大気を引き裂き、ややあって勇者の陣の奥で火の手が上がった。
「これで良いか?」
「……なぜだ」
コモスは不機嫌そうな顔で、こちらを見つめている。その意味するところに気がつき、シェートは肩をすくめた。
「これ、ケイタの形見。あいつ、いなくなる。初めて、俺、手に入る」
「それも策の内という訳か、しかし、なぜそんな回りくど――」
視界が突然ぼやけ、おなじみのリセットが発動したのが分かる。
気が付けば、沈痛な面持ちで火を囲むベルガンダと、気遣わしげなコモスが見えた。
「フィー、次の作戦、なんだ?」
暗がりの中から現れたフィーは、泣きはらした顔のまま、苦い笑いを浮かべた。
「おい、シェート? そいつは」
「詳しい話、後だ。俺達、今、リセット、一杯されてる」
事態の推移に全く付いていけない魔物たちが、目を白黒させる。この光景も、もう見慣れたものだ。
「ほら、シェート」
手渡される腕輪を身に付けると、フィーは肩をすくめて笑った。
「感動のイベントシーンも、二回目からはスキップしちゃうもんだけど、こう、淡々とやってちゃ、圭太に悪い気がするな」
「うん。それに、あいつ、くれた力。すごく役たつ。俺、いつか礼、言いたい」
左手に嵌った腕輪は、か細い焚き火の光を受けて、鈍色に光っている。
『そうだな。私も、カニラには何度礼を言っても足りないだろう。まさか、自らの存在を糧に、神器を創っていたとは』
サリアの声に混じる悲しみを背に受けつつ、シェートは魔物たちと向き合う。
「俺、新しい策、聞いた。お前達、協力しろ」
「やれやれ……何がなにやら分からんが、その様子では、また俺達の知らぬところで、神の策が動いたということか」
完全に蚊帳の外になった我が身を、ベルガンダが嘆く。その顔に浮かぶはずだった悲嘆を見ないで済んだことに、シェートは安堵していた。
「お前ら、松明、用意しろ! あと、音鳴る物、たくさん!」
「そんなものどうするんだ? まさか、勇者を獣みたいに追い回そうってのか?」
ゼビネの言葉に、力強く頷く。
「ああ。これから勇者、穴、追い出す! お前ら、一杯騒げ!」
朝になった。
いや、本当に、今は朝なんだろうか。
眠気と緊張で痛む頭を連れて、康晴は陣屋の外に出る。
朝霧が次第に晴れていく。その向こうには、魔物たちが群れを成して、こちらを襲う構えを見せていた。
『侍医を呼んで、その酷い顔を何とかしろ。兵に見られれば士気に関わる』
「……」
口を開こうとした途端、喉の奥からえづく音が漏れる。酸っぱい胃液の感触が、食道を昇って来ていた。
『一旦天幕に戻れ! 馬鹿者が!』
怒声に押し返され、よろよろと天幕へ戻る。
一体、何度同じ晩を繰り返したのだろうか。
セーブした次の日の朝、自分の陣地はめちゃめちゃに荒らされ、新しい神器を手に入れたコボルトと魔将の力によって、軍団自体が完璧に引き裂かれた。
事態をリセットし、夕闇の世界に戻った自分を待っていたのは、わめき騒ぎ、こちらに寝る暇さえ与えない魔物の立てる騒音。
しかも、コボルトの神器による魔法の射出で陣が焼き討ちされ、再びのリセット。再び敵は騒音を撒き散らし、騎兵が追い立てるを繰り返していた。
「勇者様、侍医が参りました」
「……はい。中へどうぞ」
いったい、どうしてこんなことになったんだろう。
入ってきた医者を側に座らせ、差し出された薬湯をすする。
『敵が動き始めたな。貴様はそこで見ていろ、しばらくは私が指揮を取る』
寝不足の目を、タブレットの向こう側の景色に向ける。
こちらは百名ほどで構成された兵団を、升目を描くように配置する"ファランクス・マニプルス"で、敵に応じる形を取っている。
本隊両翼に配置された騎兵は、昨日よりも数が少ない。夜通し敵を警戒していた隊を、こちらに下げてあるためだ。
魔物たちは夜通し騒いでいたにもかかわらず、ギラギラと目を輝かせて、こちらに突き進んでいた。
その先頭に立つのは、斧を構えたミノタウロスと、並んで進むコボルト。
『とうとう、連中を打撃力として使ってきたか』
知見者の声が苦い。これまで一切単独行動をしてこなかった魔将と、単体では戦力として考えるのも難しかった敵の勇者。
『では行くぞ、シェート。遅れずについてこい!』
『任せろ!』
先陣を切り、まっしぐらに突き進んでくる二匹の魔物。だが、歩幅の違いから、あっという間にミノタウロスが先行し、こちらの軍に肉薄する。
『今までの借り、利息をつけてまとめて返してくれよう!』
轟、と斧が大気を震わせ、前衛の兵士達の盾が腕ごと砕け散る。だが、倒れ付した者達に目もくれず、後列の人員が前進。
『魔法兵は防御魔法を掛け続けろ! 歩兵は盾を押し立て防御優先! 魔将の身動きを封じるのだ!』
あっという間に歩兵の群れが魔将を取り囲み、防御魔法を頼みに、体ごとミノタウロスにぶつかっていく。
『ええい、鬱陶しい! 子犬の、じゃれあいかぁあっ!』
体のひねりだけで、巨大な斧が軽々と振り回され、周囲の兵士を一息でなぎ倒す。大の大人がおもちゃの人形のように宙を舞い、千切れながら吹き飛んだ。
『今だ! "陽穿衝"、一斉射撃!』
前衛の兵士が壁となって隠した無数の待機呪文。黄金の輝きが一斉に開放される。
『させるか!』
その動きに合わせるように、走りこんだコボルトが真紅の矢を放つ。
金と赤の矢が魔将を挟んで交錯し、発散された威力に無数の光が弾けて散った。
『無駄だ! 迎撃など間に合うわけが――』
知見者の叫びが、無数の魔法を喰らいながら、無傷で現れたミノタウロスの姿で押しとどめられる。
『ベルガンダ! 斧、上突き出して構えろ!』
『こうか!?』
高々と差し上げられた刀身に白と真紅の加護が纏いつき、その体に青い光が守る。
『これはありがたい。それでは、もっと強く行くとするかぁっ!』
加護の力によって威力を増した斧が、兵士を枯れ枝のように刈り取り、その威力を押しとどめようとした魔法兵が、横合いから放たれたコボルトの魔法で無力化されていく。
『両翼騎兵! 全速力で敵本陣中央に突撃! 奴らを魔将とコボルトに合流させるな! 各マニプルスは前進! 前面の敵を阻害しつつ、魔将に近接した部隊から順次、討伐に合流せよ!』
矢継ぎ早に出される指示。これまでの余裕は全く消え去り、目の前で繰り出される敵の一手に防戦一方になっていく。
康晴は画面を俯瞰に切り替え、戦場全体をあらためて見渡した。
騎兵たちが一斉に中央に進攻し、同時に敵の主力がこちらに向かってくる。中央で暴れまわる魔将とコボルトは、移動する度にこちらの部隊を削り、その数を減少させた。
「なんなんだ、これ……」
まるで巨大な竜巻にでも蹂躙されるように、部隊の人員が激減していく。
魔将一人であれば、魔法兵と歩兵の壁で動きを阻み、息切れを誘って討伐出来たろう。
コボルトだけなら、たとえ狼の機動力を使ったとしても、こちらの騎兵で十分迎撃が可能だったはずだ。
その二つが一つにまとまることで、状況が悪い方へと傾いていく。
何より、新たにコボルトが手にした神器が、事態を厄介にしていた。
凍月箭と陽穿衝だけでなく、他者の魔法を遠距離に射出する力。
さらには矢の形にして他者に加護を与え、接近戦用の武器としても使用可能。
取るに足らなかったはずの駒が、無視できないほどに、盤上で猛威を揮っている。
「"成り金"……」
ぽつりと漏らした瞬間、手元の画面に映し出された戦場に、将棋盤が重なって見えた。
玉が危なげなく戦場を駆け上がり、脇についたと金がこちらの手筋を封殺する。
こちらの受けが、まったく間に合って無い。
駆けつけてくる騎兵の群れはまるで香車。その脇を突いて、魔物の射撃部隊が石や矢を飛ばす。弧を描き、離れた敵を撃つ姿に、桂馬の動きが思い出される。
4五桂。
呪いのように浮かび上がった一手。
「う……ぐ……っ」
康晴は頭を抱え、痛むこめかみを抑えた。
「ど、どうなさいました勇者様!?」
「う……うるさい! あっちへ行ってくれ!」
体調不良と目の前の戦場の異常に、気持ち悪さがこみ上げてくる。
『――っ! 康晴!』
うるさい、静かにしてくれ。
世界が騒がしい、目の前に置かれたタブレットが歪んで見える。
『何をしている康晴! 私の言うことを聞けっ!』
一体、自分はどこまで、あの一手に追われなければならないんだ。
あれを振り切るために自分は――。
『今すぐリセットしろおおっ!』
弾かれたように顔を上げた康晴の目の前に映ったもの。
白い狼に乗ったホブゴブリンが、手指に持てるだけのナイフを構えた姿。
「死にやがれ、クソ勇者がぁああああっ!」
水鏡の向こうが、再び夜になった。
天幕の中の康晴は、今の光景を追い出そうとでも言うように、タブレットを掴み、体を丸めて縮こまっている。
「お、おのれ……っ」
竜神は相変わらず嫌らしい笑みを浮かべ、歯噛みをするこちらを眺め続けている。
闇の向こう、魔物たちは不気味に蠢動していた。その様を見ながら、これまで敵が展開した策を思い返し、その内容を精査していく。
まず、コボルトの存在がこの場面で大きく変わっていた。
狼に騎乗しての本陣強襲。
魔将と合流して、正面から力押しの攻め。
大魔法を遠距離に射撃して、支援砲撃のように使って見せたこともあった。
その上、これまで苦手にしていた接近戦さえこなすようになっている。
「あの小神めが……」
敗退する寸前まで、あんな神器を用意しているそぶりさえ見せなかった。
考えてみれば、自分が全てを暴露し、ケイタという勇者共々精神的に追い詰めて以降、合議の間にさえ顔を出していなかった。その間に、暗躍の手はずを整えていたのか。
コボルトが強化され、その動きに呼応するように、魔将の動きも活発になった。
自ら前線に立ち、その武力を余すところ無く発揮している。こちらが主だった主力の部隊を削ったことで、指揮官としての仕事が減ったことが、奴を自由にしてしまった。
その上、全く気にも留めていなかった、役立たずの仔竜が破術を担当し、ベルガンダに対する備えが難しくなっている。
さらに、先ほどの狼の奇襲。姿消しの神器を使いこなすほどに、星狼の知性が高かったのは、手ひどい誤算だった。
「……どういうことだ、この事態は……」
そこまで考えて、フルカムトは言い知れない思考のもつれを感じた。
驚くほどに練られた策。
だが、目の前にある事実が成立するためには、昨日今日での仕込では間に合わない。
「――何時からだ」
「ん?」
「一体、何時から仕込んでいたのだと聞いている!」
絵解きをしてしまえば、恐ろしいぐらい簡単な図式。
だが、この策を成立させるために何が行われたのか、フルカムトの口は答えを求めて、竜神を問い詰めていた。
「何時から、とはずいぶん曖昧な問いだな、知見者殿よ。そのぐらい、そなたほどの機知があれば、容易に見抜くことも出来るはずだが?」
「そもそも、このような策を立てるためには、あらかじめ私の神規の内容を知っておく必要があったはず! 何時それを見抜いた!」
「ああ、そんなことか」
手にした火酒を舐めつつ、竜はそっけなく吐き出した。
「最初っからに決まっとるだろうが」
「な、何だと?」
「具体的には、そなたが嬉しそうに己の軍を披露して、サリアに棄権するよう恫喝した、あの時のことだ」
記憶が一瞬で過去に立ち返り、互いに交わした言葉を思い返す。
「儂はこう問うたはずだ。"そなたの勇者は、モラニアに来ているのだろうな"と」
「そ……そんなことで、全て見抜いたというのか!?」
「というか、RTSの神規を展開している、という時点で、セーブ&ロードの機能を実装しているくらいの想定は、行って然るべきであろう」
あの時、勇者が来ている事実を認めたのは、下手に隠し事をして、こちらの実情を知られないようにするためだった。
だが、たったそれだけのことで。
「もちろん、論拠は他にもある。そなたほどの神威を使えば、加護を薄く広く延ばし、あらゆる地方に兵士を派兵することもできたはず。《ドッグタグ》やら上空の"目"がある以上、兵士の統制などわけも無いだろう」
「それをしないということは、つまり」
「加護を温存しているか、あるいは、というわけさ」
すでにサリアーシェの顔色は落ち着きを取り戻し、こちらに対する脅威すら感じていないように見える。
その済ました顔に、苛立ちがより一層募った。
「後は、そなたを出し抜く策を重ねていけばよかっただけのこと。何時ばれるかと冷や冷やしたが、実に美味いことはまってくれたものよ」
「……行軍中の妨害工作に、カニラの勇者を埋伏の毒と仕立てたこと。そして、その死を以って神器の創生を行い、コボルトに与える、か」
「見抜けたのはそれだけか?」
「な……なに?」
顎の前で指を振りたてると、黄金竜は笑いを浮かべながら、絵解きを始めた。
「儂はそなたに対して、大きく分けて三つの"隠し事"をした。一つ目は、儂がそなたの神規を見抜いたという事実だ」
これまでの竜神の態度。こちらの神規に対する不機嫌な対応も、カニラの勇者があたかも最後の希望であるかのような言動も、全てが嘘。
「まずこれが通らんと今回の策は成り立たんのでな。魔物たちに策を授け、カンネーの戦いをなぞらせたのも、儂の真意を隠すのにもってこいだったからだ」
「普通の戦でも我が軍と魔物軍が拮抗できると示し、リセットを誘う。そしてギリギリの戦いを演出し、埋伏の毒を切り出す」
「演出ではないぞ? 勝つ気を見せなければ、こちらの腹が見抜かれようからな」
竜は二本目の指を立て、説明を重ねる。
「二つ目の隠し事、それはうちの仔竜と狼の存在」
意外な一言にフルカムトは水鏡に視線を落とし、先ほどの光景を思い出した。
勇者に襲い掛かった魔物を乗せた、星狼の姿。
「グートは透明化と機動力をシェートに提供し、フィーはひそかに儂の真意を受け取り、そなたの知らぬところで暗躍を続ける。そしていざとなれば、シェートに代わって魔将を破術で守る」
「……奴らを、コボルトと一緒に行動させなかったのは」
「有効に使える切り札を、そなたの意識に上らせないためだ。そして、三つ目は」
「カニラとケイタ殿、ですね」
竜神は重々しく頷き、少し悲しげに付け加えた。
「ただ、二人に関しては、少々儂の思惑とは外れた動きをしたがな」
「どういうことだ?」
「儂の策ではな、ケイタ殿は天幕襲撃が失敗した時点で、棄権させるはずだったのだ。軍師と将軍が控えている以上、最初の一撃で勇者を屠れなければ、その後に勝ちを求めるのは至難だからだ」
だが、カニラの勇者は最後まであがき続け、リセットを誘発するように自爆まで行って見せた。
「あ、あれが貴様の指示でなければ、なんだというのだ!」
「魔狼双牙には、魔法を付与して打ち出す機能がつけられている。あれは元々、ケイタ殿が自分の力を乗せるために設定したのだ」
「し……しかし、あの弓は、ケイタ殿の敗退によって完成するのでは?」
哀悼を捧げるように、竜は長いマズルを虚空に向け、ため息と共に答えを吐き出した。
「一度でもリセットを掛けさせられれば、その次からはフルカムトの勇者との読み合いになり、生存確率が上がる。足掻きを重ねて勝利をもぎ取り、シェートと共に、冒険を続けるつもりだったのだ」
「……カニラの言っていた意地とは、そういう意味だったのですね」
「だが、結局は無駄な足掻きだったな。奴らは勝ち残るには弱すぎた」
「愚か者。まだ分からんのか」
こちらの嘲りに、竜の顎は再び、冷たい侮蔑を吐き出した。
「ケイタ殿を排除した時点で、そなたらがすべきことは、大魔法を使って敵を焼くことではない。本隊を押し立て、敵を圧殺することだ。それで十分成果が上げられたはずのところへ、なぜあんな魔法を使った?」
「そ……それは、奴らを追い落とす、好機だったからで」
「違う。そなたは恐れたのだ。もう一度、あんな破れかぶれを、陣中で引き起こされてはたまらぬ、とな。二人の意志の強さが、そなたに悪手を打たせたのだ」
金色の竜眼が、こちらの動揺を射抜く。
指摘は、事実ではある。だからこそ、認めるわけにはいかない。
「下らん。そんな妄言など、付き合っていられるか」
「ほう。では、そろそろ本題に入るとしよう」
「本題……だと?」
『勇者様! 敵陣から、魔物たちが!』
下界からの声に、フルカムトは視線を下げた。
そこには、得物を担いで悠然と歩くミノタウロスと、付き従うコボルトの姿があった。
『聞け! 勇者軍の臆病者ども!』
天さえも揺るがすほどの声を張り上げて、魔将は傲岸に宣言を放った。
『正々堂々の合戦を申し入れに来た! 臆病者の首魁、知見者の勇者よ! 今すぐ陣屋から出てこい! 膝を突き合わせ、戦の相談と行こうぞ!』