24、新しき牙
唐突に砕かれた希望に、シェートは呆然と立ち尽くすしかなかった。
知見者の神威が場から消え去り、魔物たちの間に、深い闇色の絶望が降りていく。
「所詮、全ては神の掌の上、か」
皮肉げなゼビネの悪態にも、いつもの力が無い。そんな中で、コモスだけがすぐに行動を開始する。
「ベルガンダ様。今後の差配は私にお任せください。まずはこの場を落ち延び、生きることを考えましょう」
「おれ、ぜったい、そんなのいやだ! あいつら、みんなのかたき!」
トロールの絶叫にコモスが反論しようとしたとき、ベルガンダはゆっくりと立ち上がった。
「力を尽くし、気力を振り絞り、部下を死なせ、そして得たのが、この敗地か」
「……我が主よ。今は、そのような感傷に浸っている場合では」
「コモスよ、神威とは、かくも悪辣にして、無情なるものなのだな」
シェートの目に映る魔将の姿は、どこか小さく見えた。
暗闇の向こう、今は見えないその場所に、横たわる仲間達のむくろを見据えるように、ベルガンダは、呟いた。
「俺が、愚かだった。身の程をわきまえず、部下を死地に追いやった」
「お止めください! あのような力、いかな魔界の実力者とて、敵い得るべくもありませぬ!」
「俺の無能が、奴らを死なせたも同然だ」
「それは――」
「違う!」
いつの間にかシェートは、魔人の前に立って、怒鳴っていた。
「神、いつだって、ずるい! 卑怯な手、使う! 絶対勝てない力、使う! 喜ぶ! あいつら全部、遊び、考えてる!」
「シェート……?」
「でも、俺、負けたくない、負けたくなかった! 俺の村、殺した勇者、絶対、絶対許さなかった! 勝てない、負ける、それ分かっても、諦めなかった!」
目の前の魔将は、自分が倒すべき敵だ。
あまつさえ、圭太の村を焼いた張本人でもある。
敗北にうな垂れ、絶望に意気を失っても、激励する謂れは無い。
「お前、俺より強い! 体でかい! そんなお前、負けて、全部ダメだ思う! 今のお前弱い! 俺より、すごく弱いぞ!」
だが、心のどこかが強く叫んでいた。
理不尽に打ちのめされる者を、その姿を、見ていたくないと。
「そんな弱いの、魔将、違う! 今すぐ、穴蔵帰れ!」
「……抜かせ、この犬コロが」
しぼみかけた筋肉の束が、ぐっと隆起した。
弱音と後悔をすべて吐き出すように、ベルガンダは息をつき、背筋を伸ばした。
「どうやら、つまらん物思いに憑かれていたようだ。すまんな、感謝する」
「……あんまり、世話焼かすな。俺、お前倒す、弱い奴倒す、意味無い」
「馬鹿な奴め。これでお前は、三度も俺を殺す隙を、自分で潰しているのだぞ?」
指摘され、シェートは魔将から視線をそらした。考えてみれば、あの時森で命を救って以来、何度もこんな状況になっている気がする。
「とはいえベルガンダ様、クソ意地だけで事態を何とかできるわけではありません。ここはなんとしても撤退をお願いします」
『シェート、とりあえず、ここはコモスの意見に従おう。我らとしても、単独で知見者と対抗する術はないのだから』
「……分かった」
シェートは頷き、傍らにおいてあった荷物を手にしようとした。
「まだ、負けを認めるには、早いぜ」
突然、暗闇の中から新しい姿が歩み出る。
星狼を従えた青い仔竜は、赤くはらした瞳のまま、シェートたちを見つめていた。
「勝ちたいか」
声はしわがれて、明らかにどこかで泣いていたのだと分かる。
それでも、その顔はしっかりとしていた。
「な……なに、言ってる?」
「勝ちたいかって、聞いてんだよ」
仔竜はただ、静かに問いかける。
その中に込められた思いを感じ、シェートは頷いた。
「なら、受け取ってくれ」
地面に座って成り行きを見守るグートの鞍袋から、フィーはそれを取り出した。
ちょうどシェートの手首に収まるほどの、小さな腕輪を。
「圭太とカニラが、お前に遺していってくれたんだ。ああ、つけるのは左にな」
ミスリルで作られたそれには、太陽と月を食む二頭の狼が刻み込まれている。腕に嵌めると、驚くほどしっくりと体になじんだ。
「お前ら、まだ、おっさんの作戦が信じられるか?」
居並ぶ魔物の生き残りに対して、フィーは問いかけた。
「おっさん、とは、あの妙に賢しらな声の奴か。まだ奴には策があると?」
「ああ。それじゃ、改めて質問だ」
続けられた仔竜の言葉は、質問ではなかった。
「負けたまま尻尾を巻いて逃げるか、勝ちに行くために勝負に出るか、どっちがいい?」
叩きつけられた挑戦に、誰一人後退を選択するものはいない。
その中にコモスの顔を見つけ、思わずシェートは口元を緩ませた。
「私とて、この軍の一員だ。苦い敗北ばかり味合わされるのは腹に据えかねる」
全員の反応に満足すると、フィーは魔物たちの中心に立ち、声を上げた。
「それじゃ、おっさんからの作戦、しっかり聞けよ」
宵闇の光景を思い出しつつ、弓弦を引き絞る。
頬を異様な音がかすめ、銀色の冴えた輝きが頬を照らす。
狙った先、敵陣の入り口に盾を持った兵士が陣取る。五人ほどで形成された即席の胸壁に向かって、シェートは力を解き放った。
「しっ!」
呼気と同時に弦が鳴り、魔法の光がまっしぐらに突き進む。
そして、八つに砕けた。
「うわあぁあああっ!」
「あぐううっ!」
分裂した輝きが兵士達の盾が砕き、あるいは腕を撃ち貫く。使い勝手は弓に似ているがその実態は全く別物だ。
今まで使ったどんな武器とも異質なそれを、シェートはまじまじと見つめた。
三日月のような形をした幅広の本体には、腕輪にあったのと同じ太陽と月を食む狼が、より精巧の意匠で彫琢されてる。金属で出来てはいるが、重さはいつも使っている木製の弓とほとんど変わりが無い。
『どうだ、新しい武器の使い心地は?』
「まだ、良く分からない」
『そのうち慣れていくだろう。それより、次が来たぞ』
知見者の陣屋から、兵士たちが一塊になって湧き出してくる。今度は横一列に密集し、前面に盾を押し立て、猛烈な勢いでこちらに向かってきた。
「奴が放っているのは"凍月箭"だ! 盾の後ろに体を隠して、一気に押しつぶせ!」
『目付けを工夫してみよ。獲物を射る時のように、当てたいと思う場所を視界に入れて放つのだ』
頷き、弓を引き絞る。
銀の光はシェートの意思に従って瞬く間に現れた。番える必要も無く、一切の力を消費せず、無限に湧き出る魔法の矢弾。
「しっ!」
輝きが虚空を駆け、砕け散った欠片が唸りを上げて敵に襲いかかる。
「今だ! 盾で……ぐああっ!」
檄を飛ばした男のつま先が砕かれ、構えた盾を避けて、魔法の光が持ち手を叩き落す。
他の兵士達も武器や盾を叩き落され、足を傷つけられてその場に転がった。
『お見事』
「これ……光、曲がるか」
本来の弓なら絶対ありえない『蛇行』の軌跡を描き、魔法の矢が命中していた。異常に気が付いた連中が、突進をためらい、僅かに後ずさる。
『"凍月箭"の軌道は、ある程度術者の意志で操作が可能だ。熟練者ともなれば、妨害を避けるように飛ばすこともな。今後は矢の軌跡を想像するようにして撃つようにな』
負傷した兵士たちを抱えて、残りの兵士たちが陣屋に下がっていく。
「あいつら、どうして、たくさん来ない?」
『こちらの手の内を全て探ろうという腹だ。そしてまたリセット、というわけさ』
竜神の声には、目の前の全てを面白がるような響きがあった。
シェートもかすかに笑い、再び盾の壁で守りを固め始めた敵陣を見た。
『さてシェートよ。それの扱いにも少しは慣れただろう。ここいらで、勇者殿に冷や汗をかいてもらうことしようではないか』
「分かった」
すばやく狼の背に飛び乗り、鐙に足を掛ける。
たくましい胴を両腿でしっかりと挟み込むと、体を前に倒して叫んだ。
「行け、グート!」
世界が一気に加速し、シェートは敵の群れへ突進した。
「なるほど」
神器を手に本陣へ向かってくるコボルトを、知見者は悠然と眺めた。
「あの神器が、そちらの隠し玉、というわけか」
「左様。銘を"魔狼双牙"という」
"凍月箭"の魔法を矢の代わりに番え、射撃する。コボルトにとって使い勝手が良く、攻撃力を上げる算段として持たせたのだろう。
「確かに、狩人の目によって命中精度が上がり、普通の"凍月箭"よりは威力も強化してあるようだ。だが」
狼の背中で上半身を立て、再びコボルトが魔法の矢を放つ。だが、盾を構えた兵士は小揺るぎもせず、全てを受けきって見せた。
「重ね掛けした防御魔法と、密集した盾を使えば、どうということはない」
「なんの。ではシェートよ、次の試し撃ちだ」
流れるように引き絞られる弓、その間に渡されたのは銀ではなく黄金の光。
『しっ!』
虚空を光の帯が穿ち、持ち手の兵士が盾と肩を同時に打ち砕かれた。
「"陽穿衝"か。だが同じこと。魔法兵、抗魔障壁を展開」
歩兵の盾の前に、緑の輝きが壁となって立ちふさがる。狼に乗ったコボルトは、それでも速度を緩めずに向かってくる。
「シェート、加護を使え。教えた順にな」
『分かった!』
再び銀の矢が弓に装填される。その輝きが白く変化し、更に真紅に染め上げられる。
『行けぇえっ!』
放たれた光が分裂し、障壁とぶつかり合う。だが、魔法の壁は効力を発揮することなく霧散し、守りに入っていた兵士が吹き飛ばされ、地面に崩れ落ちる。
コボルトを乗せた星狼は、倒れ付した連中を軽々と飛び越え、あっという間に陣地に中に侵入を果たしていた。
「……待機状態にした魔法に、加護を付与したというわけか。本来なら一瞬で開放される威力が、コボルトの使う加護によって強化される」
「そして、間に攻撃の加護を噛ませれば、本来打ち消しあうはずの破術も、付与して打ち出せるというわけだ」
陣中の広場に立ったコボルトは、狼に乗ったまま油断無く周囲を見回している。
手にした神器の利便性、機動力を提供する星狼の存在。加えて、破術による魔法の無効化、事態を把握し、計算を重ねる。
「康晴、待機中の全兵士に通達、コボルトを中心に盾による円陣を形成。巨獣討伐隊を所定の位置で待機させ、魔法兵による一斉射撃を行え」
指示通りに陣が形成されるが、コボルトは騎乗したまま全く動じた様子が無い。
逃げ道を探すように周囲を見回すが、その間にも魔法兵は所定の位置についていく。
「歩兵前進、魔法兵、一斉射撃!」
命令と同時に数百の魔法弾が空に舞い上がり、コボルトめがけて降り注ぐ。
破術の効果は魔法を打消しはするが、その威力に込められた衝撃は殺せない。無数の"凍月箭"で足止めをし、巨獣討伐隊の剣で一気にしとめる。
だが、
『今だグート!』
叫びと共に、コボルトと狼の姿がその場から消えた。
「"透明化"だと!?」
遅れて魔法弾が、誰もいなくなった空間を打ち抜き、空しく大地に穴を穿つ。
「歩兵はその場で待機! 後列魔法兵"魔法の目"で全域を探査! 巨獣討伐隊は勇者の天幕へ走れ!」
矢継ぎ早に指示を出しながら、フルカムトは敵の魔法にある、共通点に気が付いた。
「貴様……あらかじめカニラの勇者に作らせていたのだな。あの神器の雛形を」
「その通り。シェートの使っている神器は、ケイタ殿の手によるものだ」
水鏡の上に魔法兵の視界情報を重ね、同時に康晴へ同じものを転送すると、フルカムトは僅かに逡巡する。
ケイタという勇者はいくつかの大魔法を使っていた。
もし、コボルトの弓にも同じ能力が付帯されているなら?
そもそも、あの神器を作り出す加護はどこから捻出されたものか?
これまでの軌跡を思い返し、フルカムトは結論を出した。
「歩兵全員、槍を捨て抜剣! 魔法兵の誘導に従いコボルトの位置を補足せよ! 透明化はあくまで見えなくなるだけの魔法、打撃を与えれば確実に殺せる!」
「迷いなしか。密集陣形など敷けば、たちまち大魔法の餌食だぞ?」
「侮るな。あれは所詮、小神の加護の置き土産。カニラ・ファラーダの敗退時に発動するよう仕掛けたのだろう」
こちらの指摘に、竜神はおどけて片目をつぶって見せた。
「なるほど。やはりこちらの手などお見通しか」
「二つの射撃魔法を付与した弓に、透明化の神器の創生を行ったとすれば、あの女神に大魔法を付与するまでの加護は捻出できぬはず」
水鏡の上に見えないはずのコボルトの影が浮かび上がる。無数の目が康晴と自分という頭脳に従い、コボルトのいる場所が赤い光点として輝く。
「剣を当てようと思うな! 体ごとぶつかって敵を弾き飛ばせ!」
雪崩を打って襲い掛かった兵士に弾かれたように、コボルトが虚空を飛び下がって着地する。狼は姿を消したまま、魔法兵の視界から離れた。
「行け! 押しつぶせ!」
それでもコボルトは弓を引き絞り、加護を重ねて魔法を解き放つ。先に立った兵士がもんどりうって転がり、続いた兵士が足を取られて地面に倒れ付した。
「倒れたものに構うな! 進み続けろ!」
軽く後ろに下がりながら、コボルトが魔法を連射する。
だが、弓を引いて装填する速度よりも、兵士が間合いをつめるほうが早い。
「やれ! 弓兵など、近づいてしまえば恐るるに足りん!」
「――愚か者」
竜神が侮蔑を漏らすのと、コボルトが弓を射る動作を止めたのが同時。
「伊達や酔狂で、あれに"双牙"などと名づけたと思うてか」
澄んだ音と共に、コボルトの手の中で弓が二つに『割れ』た。
『うぉおおおおおおおおっ!』
鮮血と砕けた刃の破片が、襲い掛かった兵士の目の前で勢い良く飛び散る。
舞うように身を翻したコボルトの両手に、二振りの刀が握られていた。
「弓が、剣に……っ」
「行け、シェート! 修行の成果を見せてやれ!」
体を縮め、コボルトが大地を蹴って兵士達に突進する。地面を擦るほどに垂らされた両腕が、敵の脇をすり抜ける瞬間、弧を描いて叩きつけられる。
『うぐああぁああっ!』
『な、なんだっ、こいつの動きっ!』
必死に突きかかった兵士の剣を叩き落し、間髪入れずに逆手の剣が、相手の腕を斬り付ける。
『ぐうっ、こいつ、はや……いっ!』
コボルトの動きは、例えるなら独楽だった。体軸を中心に、両腕を振り回すように動いていく。片手で相手の攻撃をいなしながら、反対の手が相手の懐を鋭くえぐる。
しかも、その動きは片時も休むことが無い。
走り、斬り付け、叩き落し、身を翻す。
動きの全てが円で完結し、繋ぎや制止といったタイミングがほとんどない。
「別々に当ろうとするな! 囲んで一斉にかからせろ!」
こちらの指示で数名の兵士が動き出し、コボルトを取り囲む。
「囲んでフルボッコか、芸がないのぉ」
「多勢に勝る有利は無いのだ! やれ!」
いくらあの動きが多勢に対したものとはいえ、集団で襲われれば対処のしようもない。
だが、コボルトは襲い来る敵に左剣を突きつけて、叫んだ。
『行け"ハティ"!』
八つの銀光がほとばしり、襲い掛かった兵士の顔を焼き、膝を砕く。残った兵士に向けて、更に言霊が響いた。
『貫け"スコル"!』
振りかぶった右剣が黄金の輝きを放ち、残った兵士の胸を貫いて吹き飛ばす。
『来い! グート!』
『うぉおんっ!』
人垣を抜けて白い狼が飛び出し、あっという間にコボルトを集団から連れ去る。
同時のその姿が虚空に掻き消え、陣内が混乱の極みに達した。
「"太陽を喰らう者スコル"と"月を呑む者ハティ"。一対の兄弟剣から成る、シェートの新しき力」
歌うように、竜神は神器の銘を口にする。
「"魔狼双牙"。神の遣わせし勇者を喰らう魔物の武器には、ぴったりの銘だと思わんか?」
「おのれ……っ」
思う以上に自在な力を発揮する神器に、フルカムトは唇を噛み締める。神々の創りだす神器としては並み程度の力でしかないが、コボルトに掛けられた加護と戦闘方法が、驚くほどにかみ合っている。
「だが、所詮はただ一匹の奮戦! 今すぐ前線に出た一部隊を増援として」
「おや? まさか儂の策がこれだけだとでも?」
竜神の長い爪が、前線の端を指差す。
「待たせたな、魔将よ。そなたの出番だ。思う存分、暴れてくるがいい」
『はっ、ようやくお呼びかよ』
最前線に立った牛頭魔人が、顔を上げて目の前の戦列を睨みすえる。
『では、往くとするか!』
地を蹴り、ただ一人の魔将が、勇者の軍に向かって突き進んだ。
「馬鹿な! たった一匹で何が出来る! 康晴! 陣中のコボルトはお前が始末しろ。戦場は私が見る!」
魔将の武力を頼みにした単騎特攻は想定の範囲内だ。歩兵の一部を前進させ、その中に魔法兵を多数配置する。
「前面の歩兵に防御魔法を重ねがけろ! 所詮は力任せの戦士に過ぎん!」
氷の如き冴え冴えとした青が、盾を構えた兵士を包み込む。そんな輝きに目をくれることも無く、魔将の巨大な斧が振りかぶられ、
「ば、馬鹿なっ!?」
まるで草むらでも刈るように、ベルガンダの斧が兵士の首をまとめて斬り飛ばした。
巨大な双頭の斧、そこに宿るのは血のものではなく、破術の真紅。
「……まさか、あの魔将が、神の加護を受け入れたとでも言うのか!?」
「何を寝ぼけておる。背中を見てみろ」
魔将の背中、鎧の背中が青く染まっている。いや、そこにへばりついたものが、魔将の全身に破術を掛け続けていたのだ。
『お、お前らに、恨みは無いけどっ!』
魔将の背中に括り付けられながら、仔竜が悲鳴に近い声で、挑戦の声を上げる。
『圭太の残してくれたもんに掛けて、ぜってぇ、シェートを勝たせてやるからなぁっ!』
『その意気だチビ助! 守りは、頼んだぞっ!』
軽々と槍の列を飛び越え、魔将の体が戦列の中心に踊りこむ。そして、勢い良く斧が、力任せに振り回された。
『おおおおおおおおおおおおおっ!』
『うひゃぁああああああああああっ!』
コボルトのそれとは、規模も威力も桁違いの巨大な独楽。戦陣の中で暴れ狂うそれに巻き込まれた人間が、砕かれ、吹き飛ばされ、見る影も無い屑肉に変わっていく。
『よおおおしっ! 俺の後につづけぇっ!』
魔将の号が響き渡り、死に掛けていた魔物の群れが、一気に息を吹き返す。
そして、その怒涛が、ベルガンダの開けた穴から無理矢理押し入っていく。
「く、くそっ! 全軍後退! 陣形を建て直し、マニプルスからテルシオへ」
「遅い遅い。ほれ、背後を見てみろ」
からかうような声に、思わず本陣を振り返ると、人々の囲いを抜けて、狼に乗ったコボルトの姿が、後退する部隊の背後に突進していく。
「何をしている康晴! 殺せないまでも、せめて足止めしておかないか!」
全速で走る狼の上、上体を起こしてコボルトが弓を引き絞る。
金の矢に銀が纏いつき、加護を重ねられていく。
『しぃっ!』
破術を宿した二つの魔法弾が、勇者の陣に背後から襲い掛かる。いきなり奇襲にさらされたために部隊は乱れ、その隙を突いてコボルトがつるべ撃ちに兵士を打ち倒していく。
『そこかぁ、シェートぉっ!』
最後に残った人の群れを斧が吹き飛ばし、血まみれのミノタウロスがコボルトと合流した。
『全く、何という爽快な気分か! やはり戦はこうでなくてはな!』
『俺、愉快、違う。でも、敵の勇者、焦った、思う。それ、ちょっとだけ、嬉しい』
二匹の魔物が笑いあい、どちらともなく、背中合わせに敵を迎え撃つ構えを取る。
「……リセットだ」
その全てに柳眉を逆立て、フルカムトは怒鳴った。
「リセットしろ、康晴!」
水鏡の向こうが唐突に闇に覆われる。
セーブした時刻の宵闇に、世界の全てが立ち返っていた。
合議の間が、いつの間にか静まり返っている。自分の発した怒声が、野次馬達の声を残らず奪い、対手のサリアでさえ、あっけに取られてこちらを見ていた。
「やってしまったな?」
何気ない、竜神の一言が漏れる。
世間話でもするような気軽な声。
「……なに?」
「リセットしたな、といったのさ」
だが、その言葉に込められた重圧を、フルカムトは感じていた。
「そなたは今まで、自分の意思でそれを行わせてきた。だが、ここで初めて、意に染まぬやり直しをさせられたというわけだ」
「そ……それが……なんだというのだ」
「別に」
竜神は、おぞましいほどに悪辣な笑みを浮かべていた。
目の前に横たわる、弱りきった獲物を貪ろうとする、貪婪な輝きを瞳に宿して。
「フィーよ、次の策をスマホに送っておいた。中身を魔将たちに説明して、そのように差配を頼む」
『あ、う、うん……って、こ、この作戦……っ』
なぜか嫌そうなうめき声を上げると、仔竜の声はため息と抗議を同時に漏らした。
『アンタ、ほんと性格ねじくれてるよなぁっ! こんなの俺から言わせるか、ふつー!』
「そなたの事情なぞ知るか。とっとと差配を済ませよ、時間が無いぞ」
『へいへーい。分かりましたよ』
言うだけ言うと、竜神は先ほど変わらない、怖気を誘う笑みで、こちらに語りかける。
「さて、では次の手に行ってみようか」
その瞬間、フルカムトは確かに見た気がした。
竜の狂猛な顎に滴る、致死性の猛毒を。