22、圭太(下)
水鏡に映し出された光景に、シェートは息をするのも忘れて見入っていた。
両軍の動きさえ、熱を失ったように鈍くなっている。
「ケイタ……お前……」
少年が口にした借りという言葉。確かに自分達は村を守るのに力を貸したが、それでも圭太の手にはなにも残らなかったというのに。
「そんなの俺、気にしてない! 勝手にやったこと! それに村、守れなかった!」
届くはずのない相手に、それでも叫ばずに入られなかった。
たった一人の少年を、兵士たちが囲んでいく。すでに魔法使いの軍師は後ろに引っ込んで、ポローがその後を引き継いでいた。
『正直、今回ばかりは勇者の周到さに感謝だな。はっきり言って、あんたはただの雑魚だと思ってたよ』
剣士の顔からは油断が解け落ち、間合いを離して圭太に語りかけていた。
『そろそろ魔物どもが本隊を越えてくる。こっちも陣地を立て直さなきゃならん。悪いがさくっと死んでくれ』
『れ……"レギ』
ポケットから引き抜かれた手が、銀の光に打ち砕かれる。包囲していた魔法兵たちが、いつでも解き放てるよう、魔法弾を浮かべていた。
『う……うあああああああああああああっ!』
『あがくなよ。あがけば、もっと痛い思いをするぜ。とっとと降参して、家に帰りな』
「ケイタ! もういい! 降参しろ!」
痛みに涙をながしながら、それでも圭太はポローを睨んだ。
『い、いやだ! 僕は、まだ』
それ以上の抵抗を封じるように、無数の銀光が痩せた体に突き刺さる。
『あっ……ぐ……ぅ』
『アンタもそれなりに名の知れた勇者だ。うちの新兵の的になって、経験値稼ぎに利用されるのは本意じゃないだろ?』
マントに通した魔力の障壁が、決定的な一撃を防いでいる。それでも、全身から流れる血の量は、死を予感させるのに十分なものがあった。
そんな体の異常を気遣いもせず、圭太は立ち上がり、前に進み始めた。
『まだ、やろうってのか』
『……リ、リセット』
凄絶な笑みを浮かべて、少年はポローの前に立った。
『勇者の、計算を、狂わせれば、また、リセットが掛かる。もう一度、同じ時が始まれば……次は、もっと、うまくやれる……っ』
『な……何なんだよ、お前は』
異様な執念に気おされ、剣士が怯えたように後ろに下がる。周囲の術師たちも困惑し、魔法を維持したまま竦んでいた。
「くそっ! おい、今すぐ俺下ろせ! ケイタの所、行く!」
「馬鹿を言うな! あれはもう間に合わん! 俺達にできるのは」
『構うな! こいつが死ぬまで魔法を叩き込み続けろ!』
再び閃光が少年を貫き、その場に膝をつく。
押し合う軍隊の狭間にもまれ、シェートは水鏡を睨むことしかできなかった。
全身を覆っていた痛みが、五感と一緒にどこかへ流れ出していた。
立ち上がろうとする両足にも、力が入らない。
『圭太さん……』
「大丈夫。後、少しぐらいなら、耐えられる」
自動回復の加護は最低限しか取っていない。治癒に力を回したいが、血を流しすぎたせいで、効果のほどは期待できないだろう。
まだ無事な左手、その手首にくくりつけられた"陽穿衝"のミスリル片に気付かれないようそっと下ろす。
「いったい、何なんだよ、お前は」
一向に倒れる気配のないこちらにポローの声は心底嫌悪に満ち溢れていた。
「まさか、魔王軍の連中が、ここに来るまで粘ろうってのか?」
「そうですね。そうすれば、僕も助かるかもしれない」
隠し通さなければならない、僕が本当に狙っているものの事は。
体の回復と同時に痛みが揺り返し、砕けた右手が燃えるように熱くなる。それでも、歯を食いしばって圭太は相手を挑発した。
「どうしたんですか? 僕を斬らないんですか?」
「どうせ、その体のどこかに、まだ何か隠し持ってんだろ。例えばその左手に」
「ええ。でも、どんな魔法までかは、あなたには分からないでしょ」
瀬戸際の会話、今までの自分では考えも付かないぐらい、頭が冴えている。
取り囲んだ魔法使い達が、次の一撃を貯めたまま不安な視線を向けていた。自分達の魔法を喰らっても倒れない人間に、薄気味悪さを感じているのだ。
「まさか、僕たちの作戦が、これで終わりだなんて、思ってないですよね」
「そんなことは知らん。だが、お前がここで死ねば、その作戦とやらも潰せる。おい、お前ら、魔法を切り替えろ」
魔法使いたちの灯す光が銀から金に変わる。
命中率より貫通力を選択し、こちらのささやかな防御を破るのに切り替えた。
『圭太さん』
その全てを天上で見守りながら、カニラは神威を降らせた。
『勝って、必ず!』
頷き、左手に魔力を収束させる。
「"レギス・ストーレ"」
こちらの呪文に即応し、黄金の輝きが一気に膨れ上がる。
そして圭太は、自分のブーツにあらん限りの力を込めた。
「砕けて、弾けろぉっ!」
両足を守り続けてきた魔法のブーツが、込められた魔力と共に爆発崩壊する。その時放たれた力が、圭太の体を猛烈なスピードで押し出した。
ポローの怒り、交錯した魔法の光、砕けた両足の痛みさえ置き去りに、視界一杯に勇者の陣屋が広がっていく。
「これで……っ」
突き出した左手、その手首につけられた呪紋に向けて、圭太は叫んだ。
「"レギス"っ! 貫け――」
「だからさ」
幻のように、重い鎧を身につけた男が、脇をすり抜ける。
「通さないって言ってんだよ。俺達は」
「あ……」
残った左手が、鮮やかな一撃で切り飛ばされる。緋色のマントに身を包んだ、軽薄そうな男、大将軍エクバートは、申し訳ない、と言った感じで肩をすくめていた。
「うわああああああああっ!」
「陣中深くに敵が来るなんて、一体いつぶりだ? おまけに、新人に身辺警護の仕事まで取られちまうし……まぁ、こういうときのための将軍職、なのかねぇ」
大地に投げ出され、激痛を感じながら、圭太は完璧な敗北を悟っていた。
魔法の罠は軍師が防ぎ、物理的な特攻は将軍が微塵に散らす。
ポローたちはあくまで予備兵。勇者のすぐ側に、彼を守る最強の守護者がいたのだ。
「アンタもうかつだったな。どうして俺たちが表に出なかったのか。その理由を、考えなかったのかい?」
「ぐ、軍師は……ともかく、将軍が、どうして……っ」
「《ドッグタグ》さえありゃ、将軍様は酒場で女の子のオッパイを揉みながらでも、大一番に指示を出せるんだぜ。だとすりゃ、俺の仕事はこういうときの後備えってわけさ」
半分土に顔をうずめ、圭太は唇をかみ締めた。
痛みがより強く押し寄せてくる。息が荒くなり、声さえ発することが出来ない。
それでも体を両肘で立て、必死に陣屋へと這い進む。
「やめとけ、そうなったらもう終わりだ。血が出すぎると、どんなに息を吸っても、苦しくて仕方がなくなるんだとよ。あんたは良くやった、もう楽になりな」
エクバートがこちらに歩み寄ってくる。
痛みで歪む視界の向こう、その顔に浮かんだ哀れみを見て、圭太は皮肉に笑った。
「ゆ……だん、しましたね」
ごろり、と仰向けに寝そべる。その胸の上に灯ったのは真紅の光。
「な、お前っ!?」
服に描いておいた呪紋の輝きを見ながら、ふと想像する。
次に目が覚めたとき、自分はどこにいるだろう。
家のベッドか、それともフィーと一緒に納屋の中か。
「"レギス"――烈火繚乱」
そして炎が、圭太の体を薪に、燃え上がった。
「馬鹿な……っ」
炎が荒れ狂うその場所を、サリアは愕然と見つめていた。
勇者の天幕が焼け、近くに居た将軍、ポローや兵士達を飲み込んで燃え上がっていく。
「なぜ……なぜですか!」
目の前の凄惨から目を放せないまま、怒り狂った胸のうちをぶちまける。
「どうして、あのような真似を! いくら勝つためとはいえ……あれでは完全な捨石ではありませぬか!」
「責めたければ、いくらでも責めよ」
竜神の顔は、完璧な冷徹さで全てを見つめていた。
いつもの気のよさも、柔和さもすべて剥落し、ただひたすらに、目の前の事実を淡々と評していく。
「魔王軍にもシェートにも、リセットという無体な神規を使いこなす、奴の軍に対抗する術はない。あれを破るためには、その喉首に毒刃を突きつけ、常に綱渡りの状況を作らせねばならなかったのだ」
「だからと言って! あんな非道なことまでやれと! お命じになったのですか!」
「それは違うわ」
扉が開き、カニラが姿を現す。
だが、その歩みは底で止まり、悲しげに笑う。黒く染まる足下を軽く手で示しながら。
「棄権させたか」
「最後の魔法が発動するのと同時に、私から。圭太さんには、止めろといわれていましたけど」
「カニラ! お前は一体何をしたか、わかっているのか!?」
サリアは友の下に走りより、その両肩を掴んだ。
「確かに、私はシェートに協力してくれと頼んだ! だが、あんなことをしてまで」
「勘違いしないで。あの策は全て、私と圭太さんが望んだことよ」
幼い子供をあやすように、カニラは微笑みながら、サリアの頬を撫でた。
「知見者に打ち勝ち、生き残る一番の方法を模索した。竜神様の策に乗ったのは、その目的にあっていたからよ。それが苛烈な道だと、私たちは最初から知っていた」
「どうして……どうして、そこまで……」
「悔しかったから、かしら」
石化が這い登り、カニラの体が縛められていく。
それでも、その顔には晴れやかさがあった。
「そんなにも……知見者に貶められたのが、憎かったのか?」
「もちろんそれもあるわ。でも、一番悔しかったのは、情けない自分自身のことなの」
ゆっくりと腕を下ろし、祈るように胸の前で組み合わせる。その細腕が、サリアの目の前で黒い像の一部になっていく。
「あなたに縋って慈悲を受けようとした私も、怖いことから逃げ続けた圭太さんも、ずっと自分が許せなかった。だから、そんな情けない自分に、意地を張ってみたかったのよ」
「そんな……子供じみた、意地のために……っ」
思わず溢れた言葉に、カニラは笑った。
「いいじゃない。あなただって、私以上の、子供っぽい意地っ張りなんだから」
「カニラ……私は……っ」
「勝ってね、サリア。私たちのことを嘆くより、勝つことだけ考えなさい」
すでにその身のほとんどを石と変えられても、カニラは笑顔だった。
その神威には一点の曇りもなく、緑に生い茂る若木のような、美しさがあった。
「暇乞いを、知見者様」
最後に、カニラは輝くような笑みで、別れを述べた。
「早晩、あなたも敗れし者の列にお並びになられるでしょう。その時を楽しみに、お待ち申し上げております」
それきり、声は途絶えた。
神殿の奥深く祭られた女神の像のように、立ち尽くす漆黒の威容。
祈りを象ったカニラ・ファラーダの女神像を前に、サリアは静かに涙した。
「どうやら、終わったようですね」
目の前に立ちふさがったヴェングラスが脇にどくと、康晴の目の前に、異様な光景が現れた。
黒く焦げた大地と、その周囲でうめく兵士達。鼻を突き刺す異臭があたりに漂い、悲鳴とうめき声、走り回る兵士たちが見えた。
自分の天幕は半分が焼け落ち、すでに陣屋としての機能を期待できなくなっている。
それどころか、ここから見える見える景色のほとんどが、焼け野原になっていた。
「こ……こんな……」
「とりあえず、後方にお下がりください。後始末は我々が」
業火にさらされたエクバートは、炭くずのようになった鎧を脱ぎ捨て、悪態をつきながら治療を受けている。ポローたちも同じような有様で、無言で手当てをされていた。
異常な光景だった。
苦しみ、うめく声がこだまする。
焼け跡の臭いに気分が悪くなる。
何より、燃え盛った炎の中心に、僅かな痕跡として残る、人の影。
『こちらのリセットを誘うための自爆特攻。実に下らん手だ』
「う……っ」
吐き気がこみ上げた。
さっきまであそこで、人が生きていた。自分と同じ勇者が、こちらを殺すために、必死に抗っていた。
布一枚を隔てて、その全てを聞いていた。
そして、彼の放った炎が自分を焼く寸前、ヴェングラスの守りが全てを遮った。
「う……ぐっ、う……げぇっ」
「勇者様がお加減を悪くされた。すぐに水とお薬、侍医を呼んで来い」
こみ上げる酸の痛みが喉を焼く。今まで感じることのなかった、戦いの全てが、心を激しく揺さぶっていた。
『あの程度でうろたえるな。まだ戦は終わっておらんのだ。全軍の状況を確認し、敵を殲滅しろ』
「う……ぐ……っ」
『戦が不愉快だと思うなら、とっとと敵を始末しろ。また先ほどのような事態を引き起こしたいのか?』
知見者の叱責に、大きく息を吸い込み、それから吐き出す。
いくらか気分が収まりを見せると、そのままタブレット端末に視線を向けた。
『さきほどの茶番で魔物どもが浮き足立っている。ヴェングラスを迎撃に向かわせろ。奇襲はないとは思うが、エクバートに護衛に立たせるのだ。役立たずの五人は、別命があるまで、お前の天幕に見張りとして立たせてやれ』
言われるまま、無言でタブレットの上の駒を指でつついていく。
そうだ、これは全て駒なんだ。
ゲームの駒。
『あの時、シェート君は、村を救いに来てくれました。何の見返りもなく、自分の気持ちに従って』
生々しく、彼の言葉が思い浮かぶ。
リンドルのことなど、今まで思い出しもしなかった。そこに勇者が一人いて、その彼が自分に向かってくることさえ、知見者に言われるまで意識の外だった。
『勇者の、計算を、狂わせれば、また、リセットが掛かる。もう一度、同じ時が始まれば……次は、もっと、うまくやれる……っ』
指先が、かすかに震えた。
顔さえ合わせていない彼の、執念に満ちた声が、耳朶に焼きついている。
「さ、左翼、騎馬隊、一刻も早くリザードマンを掃討してください。中央部の進行が加速しています」
『了解。一部を増援に向かわせますか?』
「そ、そこまでは問題ありません。とにかく、お願いします」
『何をしている、康晴』
空から降ってくる声は、不機嫌を滲ませて、自分を打った。
『そちらの守りを薄くするな。山の魔獣の残党にも備えねばならんのだ。全軍を一旦後退させ、敵を追走にかかりきりにさせろ。それと、ヴェングラスへの指示はどうした』
「す、すみません」
『あの程度のことでうろたえるな。今後は一切、敵に陣中を踏ませることはない。そのことだけを覚えていればいい』
知見者の叱責に、康晴は始めて、自分の体に走るものの正体に思い至った。
恐怖、自分の身を侵される事への。
『ここから我らは詰めに入る。速やかに敵軍を壊滅させよ。主力となる部隊を潰し、魔将を丸裸にしてやれ。ただし、リセットを掛けずにだ』
その厳命を、頷いて飲み込む。
たとえリセットが効くとしても、こんな思いは二度としたくない。
「ヴェングラスさん。"攻城術法"で敵軍を薙ぎ払ってください」
『よろしいのですか、一度使えば当分は使用できませんが』
「構いません」
タブレットの上を指でなぞり、ヴェングラスの立ち位置を指示する。
その目前にあるのは、中央の壁を抜けてくる、オーガの残存兵を頭にした敵本隊。魔将の姿と共に、コボルトの存在も確認できた。
「この戦争は、ここで終結させます。本隊を囮に、突出した敵部隊を潰してください」
何もかもここで終わらせる。
その思いを込めて、康晴は宣言した。