20、あがき
合議の間、神々の臨む空間に、"知見者"の高笑いが響き渡る。
目の前で起こった出来事を呆然と眺める野次馬。傍らの竜神は無言のまま、厳つい顔で全てを見つめていた。
「どうした、目の前の勝利をふいにされたことが、それほどに不満か?」
フルカムトの顔に先ほどまでの焦りと苛立ちは無い。むしろ、こちらにこれを気付かせないための演技だったのだろう。
サリアは、何もいえないまま水鏡の向こうを見た。
事態の変化についていけず、よろめいたシェートがベルガンダに支えられている。時間が巻き戻ったことに気付いているのは、神威を帯びたものだけのようだ。
「リセットプレイか」
苦々しく、物憂げに、竜神は目の前の事態をそう評した。
「まぁ、そうであろうな。そなたの神威を変換して創成した神規だ。この程度の再現、わけもあるまい。大方、陣を敷くときに天幕にこもったのは、セーブの儀式でも行っていたというところか」
「慧眼恐れ入る。せっかくだ、事態を理解していない観衆や、そこの愚かな女神にも分かるよう、解説をしていただけまいか?」
「……よかろう。旨酒の礼だ」
不機嫌の塊のようになりながら、それでも律儀に竜神は解説を始めた。
「"知見者"殿の神規の元になったRTSというゲームは、さまざまな状況を演算、再現させ、それに遊戯者が対応する形で進行する。そのため、一度のゲームが終了するには長い時間を要することになる」
竜神の解説する足下で、魔物の軍団は遅ればせながら進軍を開始した。シェートは力なくベルガンダの背に負われて、それでも周囲の状況に気を配っている。
「そのため、それまでの成果を記録し、プレイヤーの都合にあわせて再開できるようにするシステムが実装される。それがセーブ機能だ」
「……竜神殿。そのセーブには、制約は無いのですか?」
サリアは、苦々しく確認の言葉を口にした。
「ゲームにもよるが、大抵のRTSは自由にセーブが可能だ。望ましくない変化が起こる前に記録を取り、よい結果が出るまでやり直すことさえもな」
野次馬達がうめき、複雑な面持ちで足下を眺める。勇者の軍は先ほどまでと違い、布陣した位置からほとんど動いていない。
「戦争をする前にセーブし、敵の陣容を探ってからこちらに有利な形で再戦を行う。そうすれば、連戦連勝の無敵軍隊ができるというわけだ」
「そんなもの……一体どうすれば勝てるというのですか!?」
「勘違いしているようだが、別に我が軍に勝つことは難しくは無いぞ?」
嬲りがいのある獲物を目の前に、知見者は笑顔のまま答えを返す。
「竜神殿の機略には、見事にしてやられた。人間が為すものだからな。完璧はありえぬということだ」
「そして、その失態は、たちまち無かったことにされるのであろうが。リセット好きの効率厨めが」
竜神の罵倒にも全く動じず、楽しげにフルカムトは下界に声を掛けた。
「我が勇者よ。敵の底は割れた。後は存分に蹂躙せよ」
『はい。陣形を変更しますが、よろしいですか』
「構わん。損耗は五パーセントまでは許す」
淡々と、勇者が板切れを叩く。
敵軍が神と勇者に勝利を捧げ、前進を始めた。
だが、その動きは先ほどまでとは、まるで異質な動きだった。
「なんだ、ありゃあ……」
足下のゴブリンが呆然と声を上げる。
見ている前で、勇者軍の陣容が急激に変化していく。横一直線でそそり立っていた盾の壁が、規則正しく背後に下がり、不自然な空白が生み出されていく。
「おいシェート。何だ、あれは」
それまでの悠々とした感じが抜けて、ベルガンダが僅かに焦りを滲ませている。当然だろう、竜神から授かった策に、あんな陣形へ対応する方法は組み込まれていない。
「俺……俺、もう、わけ、わからない」
「何を言っている? さっきから一体どうした?」
「勇者、負ける、無かったこと、できる」
言っても信じて貰えないだろう。それでも、事実を告げるしかなかった。
「神規、負け戦、全部最初、戻せる。俺達、作戦、全部見られた」
「そんな、馬鹿な話が……と言いたいところ、だがな」
ベルガンダは悲しいぐらいに察しがよかった。神規というものの異常性を、肌身に感じていたせいもあるだろう。すぐに顔を引き締め、部隊の進攻を僅かに遅らせる。
「ではどうする? 今から撤退するか?」
『撤退はならん』
竜神の言葉はどこまでも無常で端的だった。思わず空を見上げ、無言で見えない相手を睨みつける。
『ここで下がれば二度と勝利の機会は訪れぬぞ。すでに魔将の部下はそこにあるだけ。この状態で勝つほかあるまい』
「勝つ……そんなこと、できるか?」
『奴の陣を見れば、何をしようとしているのかは分かる。ここからは儂が指示を出す。そなたらは全力で抗い、敵を消耗させ、味方を護るのだ。後は胆力が物を言う』
どうやら、最後の言葉はベルガンダにも届いたらしい。新しい神の声に、牛頭は警戒の色を強めた。
『時間が無いので手短に言わせて貰う。中央のオーガたちに術師を全て付け、本隊から突出させよ。ただし、今回は引きの指示はいらぬ。全力で突き貫くようにな』
「貴様は何だと問う暇もなしか。その口ぶりでは、此度の策を授けた神らしいが。そのほかには?」
『魔法兵を一人でも多く屠れ。ただし、投擲部隊とリザードマンはなるべく無傷で残してくれ』
「無茶を言う。勝ち戦に乗ったはずの部下に、冷や水を浴びせる話だぞ。コモス!」
驚くほど冷静に、ベルガンダは副官を呼びつける。極短いやり取りの後、ホブゴブリンはそっとため息をついた。
「やはり神など当てにできませんな。こういう事態はこれきりにしてください」
「すまぬ。では、頼んだぞ」
数名の部下と共にコモスが姿を消すと、周囲で不安そうにしていた連中に、ベルガンダは笑った。
「さて、それでは行くとしようか!」
伝令を受けたらしいオーガたちが、猛烈な勢いで敵に突進していく。其の間にも、勇者軍の陣形はテルシオとはまったく違う構造を形成しつつあった。
『オーガ隊に遅れるな。やることは以前の作戦と変わらぬのだからな』
「言われずともわかっている。あの"箱"を抑えねば、先行した連中が無駄死だ」
縦横百名ほどで構成された小さな方形陣形が、無数に出来上がっている。隣り合った部隊の間には、もう一組の部隊が入る程度に空間が空けられ、その後方にまた別の小さな四角が待機していた。
そして、オーガたちの突進する先、奥に控えた兵士達は誰一人、槍を持っていない。
魔法兵だけで構成された部隊が、敵の進攻を抑えようと待ち構えていた。
目の前の異様な布陣に、ウディクは首筋に泡立つような不吉を感じた。オーガ族のシャーマンは、それでなくても戦場の気配を強く読むことが出来る。伝令に来たコモスの顔は蒼白に近い色を帯びていた。
「なるほど。敵に俺達の情報を抜かれたというのは、本当らしいな」
第二部隊から増員された呪術士たちを"トッパ"の陰に隠しながら、部隊が前進する。
その戦闘が槍を構えた二つの箱型の脇をすり抜けた。
人間達はそれを横目で警戒しながら、全く攻撃する素振りさえ見せない。
「構うな! 俺たちの敵はあれだ!」
部下の意識を無理矢理、目の前の部隊に集中させる。一枚の盾も置かず、僅か三列の魔法兵たちが杖を構え、こちらを迎え撃つ構えだ。
「全員、まじないを重ねがけろ!」
それぞれがトッパに手をあて、硬化のまじないを掛ける。これで相手の魔法はいくらか防げるはずだ。
だが、その思いを打ち砕くように、魔法兵が詠唱を開始する。
『"レギス"』
輝く黄金の呪紋が浮かび上がり、列を成した敵が一斉に光を解き放った。
『貫け、"陽穿衝"!』
腹に重く痺れる一撃。ウディクが握っていたトッパの板に穴が空き、傍らのゴブリンが声も上げずに砕け散る。
「魔法を変えてきた!?」
驚き、足並みが乱れたこちらに対し、敵の隊列が更に変化する。
投射を終えた兵士の後ろから、黄金の印章を浮かべた新たな兵士が進み出た。
『貫け、"陽穿衝"!』
無慈悲な光が虚空を灼き、まじないを施した板を粉々に打ち砕く。
その兵士を越えて新たな兵士が、
『貫け、"陽穿衝"!』
前衛に立った連中のトッパが防御板を失い、再び進み出た魔法兵が、
『貫け、"陽穿衝"!』
瞬く間に屈強なオーガの体を、焦げた穴だらけの死体に変えていく。
「……全員、全速力で敵に突撃しろ!」
絶叫し、ウディクは己の足に呪を込める。遅れて数名のオーガたちが"早足"のまじないでその突進に追随した。
「"待機呪文"で陽穿衝の連射とは!」
魔法使いの兵士を育成し、その数で敵を圧倒する。使う魔法は極初級のもので、防御を固めて突進すれば、オーガに破れぬ道理は無いと思っていた。
再びの陽穿衝が閃き、付いて来た味方が、次々と地面に転がっていく。
「全員、トッパを投げつけろ!」
すでに尖らせた丸太でしかなくなったそれを、ウディクが力いっぱい投げつけた。
敵の魔法が、投げつけられたそれを打ち砕き、叩き落す。
こちらに向けられる魔法が止み、攻撃に隙が出来た。列の後ろから代わりの魔法兵が進み出てくるが、後続のトッパ部隊が丸太を投げつけ、何人かをなぎ倒して動きを止める。
「貴様らを抜いて、この場を一気に制圧してくれる!」
だが、オーガの目は魔法兵の背後に立った、騎馬を見た。
杖を掲げ、全身に青い稲光をまとったそれを。
「竜騎兵っ!」
そして閃光が、袋小路に入り込んだ自分達を、容赦なく叩きのめしていく。
体を打ち据える雷撃の力。肉が焦げ、目が光にくらむ。
それでも、踏み出す一歩に力を込めた。
「どうしたぁっ! この、程度かぁああっ!」
転がっていた丸太を掴み、魔法兵たちに踊りかかる。血と臓物を撒き散らして敵が吹き飛んだ。同時に焦げたわき腹が裂け、血が流れる。
「ぐぅっ! こ、これしきの、ことっ!」
こちらの思わぬ迫撃に杖持ちの兵士が逃げ出し、その背後に控えていた槍兵が、驚くべき速さで距離を詰め、こちらの追撃を押さえにかかった。
「ウディク様っ! 一旦お下がりを!」
生き残った術氏達がわき腹に張り付き、必死に治癒を始める。周囲に味方が守りを固めるが、敵兵はこちらに槍を構えるばかりで、積極的には動いてこない。
「馬鹿野郎! 俺達は敵に刺さった逆棘よ! ここで下がってどうする!」
すでに竜騎兵は後退し、立て直した魔法兵が列を成して向かってくる。だが、こうして自分達が粘っていれば、敵の魔法は外部に向かうことは無い。
「皆、ここが死地と思い定めよ! 腕の一振り、牙の一噛み、その一切で敵を屠れ!」
生き残った者達が覚悟を決め、準備を追えた魔法使い達に襲い掛かる。
「さて! こうなれば出し惜しみは無しだ! 外法を使う、皆下がれ!」
首に掛けた頭骨の飾りを外し、その輪と共に自分の拳を叩きつける。
「"死に乾き、怨讐に餓えよ、我を仇と願うもの!"」
自らが屠り、その内側に漆黒の恨みを蓄えた霊たちが、骨の中からにじみ出る。
瘴気そのものとなった狂霊たちがウディクの腕を貪り、同時にウディク自身もその怨念を喰らっていく。
「"我と汝、等しく贄なり"」
こちらの異常に気が付いた魔法兵が、金色の光を打ち込んでくる。その全てが、かざされた漆黒の巨腕に貪り食われた。
「"我が身に纏い、我が身を喰らい、天涯遍壌、万事を貪れ"」
黒が全てを覆い、僅かに両眼だけを残し、ウディクが影そのものとなる。
「"影呪・餓謳鎧"」
死霊の怨念を纏い、その満たされぬ飢餓で、敵も魔法も構い無く喰らいつくす奥義。
一度その力を使えば、自らの命も貪られる死の呪法。
だが、コモスは言っていた。魔法兵を一体でも多く倒せと。
ならば、自分が術師としてできることは、ただ一つ。
「さぁ、手前ぇら、俺と仲良く、こいつらの腹に収まろうじゃねぇかあっ!」
打ち込まれる魔法の光を物ともせず、ウディクは敵陣に殺到した。
異変が起きている。少なくともパロクトの目には、そう見えた。
森の中は少し小高くなっており、腐りかけた両目でも、いくらか遠くまで見渡すことが出来る。
勇者軍の左翼に、リザードマンの部隊が襲撃を掛けている。その動きは俊敏で、敵の騎馬をものともしていない。
なだらかな斜面と、密生した木々のおかげで、敵からこちらを見ることは出来ない。例の"目"とやらも、この辺りを通ることは無かった。
だが、戦場のほぼ中央部、オーガ隊のいる辺りで立て続けに稲妻が踊った。その両脇にいる槍兵らしいものが、ベルガンダの本隊と競り合っている。
「隊長、様子が何か変ですぜ」
「あ、ああ。そう、だな」
指示された敵の動きとはまるで違う。あれだけ強力な雷撃を使えるのは竜騎兵のみのはず。だとすれば、敵は戦力を中央に集めているということだろうか。
「ま、魔獣、蟲たち、下げておけ。できる、だけ、とお、く」
「なぜです?」
「い、やな、よかん、する。たぶん、なにか、狂った」
日に日に腐っていく自分の体だが、口の動き以外は健康であった時より、遥かに明快になっている。常に神経が高ぶり、状況の変化に敏感になっていた。
だからこそ、
「隊長! 下から騎馬が! ド、竜騎兵が二部隊!」
その報告を聞いた途端、下げていた笛を思い切り吹き鳴らしていた。
大地を爆発させ、硬い地面からワームが顔を突き出す。斜面を登っていた騎馬が数体なぎ倒されるが、杖を持った姿は健在に見えた。
「ぜ、ぜんたい! だっしゅつ、しろ! ベルガンダ、さまと、合流、だ!」
常に最悪の事態を想定する。いつの間にか、パロクトの思考はそのことを命題に動くようになっていた。部下と頼みにしていたコボルトに、毒を盛られたあの日から。
勇者軍最大の打撃力を持つ部隊がこちらに来たということは、ワームをあやるつ自分達を潰しにきたことに他ならない。つまり、ここから側面を奇襲するということもばれているということだ。
「"我が声に寄り来たれ。その身を以って、千騎万軍、皆悉く焼灼なさしめ"」
「"其は光輝、其は鉄槌、刹に閃く轟破の打擲"」
森の木々ごとこちらを焼き払うつもりなのだろう。容赦ない大魔法の詠唱が、竜騎士の口から紡がれる。
「隊長も早く!」
黒ヒョウの背に乗った部下が手を伸ばすが、それを払いのける。
「いけ! ワーム、使えなくなるが、おまえた、ち、残す!」
それ以上、部下は留まることもせずに、風をまいて走り去っていく。
パロクトは手にしていた蟲操りの笛を捨て、首から提げていたもう一本の笛を口元にあてがった。
「ご武運を。ベルガンダ、さま」
短く暇乞いを告げると、思い切りそれを吹く。
普通の生き物には聞こえないその音色が、響き渡った途端。
炎と雷と、ワームの暴走によって起こった山津波が、パロクト諸共全てを飲み込んでいった。
戦陣を横目で睨み、コモスは息を切らせて右翼へと走り続けていた。
背後の左翼方面から、破滅的な音が響いてくる。僅かに振り返った視界には、山がを地すべりを起こし、土肌をむき出しにする光景が映った。
「……パロクト」
古参の同輩であり、長くベルガンダと苦楽を共にした男の、命の終わりを思う。
おそらく、勇者の軍はあそこに伏せた魔獣の集団、特に魔香ワームの存在を潰しにかかったに違いない。そして、魔獣使いはワームを暴走させ、その敵諸共に果てたのだろう。
陣中央の雷撃は、少し前に止まっていた。おそらくあの中心にに突き進んだウディクも無事では済むまい。
「おのれ……っ」
呟きをその場に残し、コモスは再び前方の森を目指す。
こうなる前に、何とかならなかったのか。
そんな後悔の念が胸を焦がす。全てはあのコボルトを捕らえるよう、魔王が命じたのが始まりだった。
あんなものに執心せず、捕らえたその場で殺してしまえば。
その思考が魔王に逆らうものであるのは百も承知だ。それでも、最前線で戦う自分達をくだらない酔狂で翻弄するのは我慢ならない。
だが、シェートという駒がなかったなら、ここまで戦えただろうか。
大軍を擁し、こちらの必死の策を簡単に無に帰すことができるという勇者に、食い下がれているのも、あのコボルトがいるためなのだ。
「なぜだ……なぜお前が……お前のようなものが」
以前、ベルガンダが戯れに口にした"怪物"という単語が思い浮かぶ。
あの時、主は埒も無い戯言だと言っていた。
本当にそれは戯事の類、単なる妄念と片付けられるのだろうか。
「おい! どうしたコモス!」
物思いをやぶったのは、ゼビネの驚きと不安に満ちた声だった。森の木陰から数名の部下と共に駆け寄ってくる。
「第二部隊の隊長が自らってのは、よっぽどのことだが……まさか大将が!?」
「いいや、そうではない……と、とにかく、お前達は部隊を逃がせ」
差し出された皮袋から水を一気に飲み下すこちらに、投擲部隊の隊長は無言で説明を要求してきた。
「勇者にこちらの策がばれた。神規の力だ。こちらにはどうしようもない」
「シェートの野郎はなにやってんだ」
「奴の女神には抑えられん力らしい。時を遡って負け戦を無かったことに出来るそうだ」
絶句。とまどい。そして怒り。
ゼビネの顔にさまざまな感情が流れすぎ、
「じゃあどうしろってんだ!? あそこじゃ何も聞かされてないファゴウが、騎士相手に粘ってんだぞ! 今すぐ助けに行かなきゃ」
「お前らは残せと言われたのだ! ゼビネ!」
絶叫した仲間の両肩を、必死に抑える。それでも、激しやすい男は全身をゆすってこちらの束縛を振りほどいた。
「そいつは大将の命令か!? それとも、役に立たない作戦立てた神の戯事か!?」
「……私とて、受け入れたいと思っているわけではない!」
「なら、もう茶番はしまいだろ!? 神のことなんざ知ったことか! 俺は牙乗りを助けに行く!」
「我が主はその言葉に乗ったのだ! 臣である我らが従わぬというのか!」
再びゼビネの感情は荒れ狂い、やがて、表情を凍りつかせて頷いた。
「俺の隊は持ってけ。その代わり、俺はファゴウに退却を知らせてくる」
「……その役目、私が受け持とう」
「バカ言ってるんじゃねぇ! お前は参謀役だろ!?」
「やれやれ……」
深くため息をつくと、コモスはゼビネの顔を思い切り殴りぬいた。
あっという間に昏倒し、地面に倒れ付す同僚に、淡く笑いかける。
「お前の隊を一番良く動かせるのはお前だけだ。私の隊はウディクに付けたし、生き残りはベルガンダ様が見てくださるだろう。そんなわけで、伝令は私がやる」
「ちょっとは手加減してくださいよ、コモスの旦那」
やりとりを黙ってみていたゴブリンたちが、ゼビネを担ぎ上げる。
「後のことは任しといてください。隊長は必ず親分のところに届けます」
「頼んだぞ。おそらく私は戻れない。ファゴウたち牙乗りには、少しでも敵を潰してもらう必要があるからな」
「……うちの連中をいくらか護衛につけます。ご武運を」
足の速い連中は、あっという間に戦場を後に、本隊へと合流していく。残されたのは十余名の射手と自分だけだ。
「我が将よ、申し訳ありません。このあたりで暇乞いをすることになりそうです」
後のことは気がかりだが、ゼビネを側につけておけば問題はない。弓兵は暗殺や狙撃に鼻が効くし、あらかじめ敵の行動予測は伝えてある。
「では、お前達、頼むぞ」
「へいっ!」
投石器や短弓を手にした数名の投擲部隊と共に、コモスは土埃を上げてもがき続ける牙乗りたち目指して、全速力で駆ける。
「投石――射て!」
石が敵を馬から叩き落し、馬達が悲鳴を上げてその場で仰け反る。
牙乗りたちの周囲に群がった騎馬が一気に逃げ散って、その向こうから竜騎兵が姿を現す。その数、四部隊。
「コモスの旦那!」
「わかっている! 全員、命を掛ける場はここだ! 連中を一騎でも多く討ち果たせ!」
そう叫ぶと同時に、地面に転がっていたパイクを拾う。自分の身の丈よりも遥かに長いそれを、コモスは大きく振りかぶり、投げ放った。
穂先が虚空を裂き、呪を編み始めた魔法使いの頭が貫かれてはじけ飛ぶ。
「貴様らはここで砕け散れ! 私の死出の慰みと、我が主の勝利のために!」
背に下げていた手斧を構え、コモスは獲物を求めて騎馬に突進した。
《Resetしますか? Y/N》
タップを一つ。
そして、軽いめまいを感じつつ、康晴はタブレットから指を離した。
全てが元通りになっている。陣形の配置も、敵の様子も、何もかもだ。
『中央のオーガに僧侶達をあてがえ。呪法発動と同時に、憑依した魔霊を浄化すれば問題ないだろう』
箱型の陣形がいくつもの小さなマスに分かれ、同時に魔法兵たちが指示されたとおりに僧侶達との混成部隊に変化していく。
「右翼騎馬隊の一部を左翼の魔獣に差し向けます。敵の逃げ道を塞ぎ、森ごと魔法で焼き払いますが、よろしいですか」
『森の中では機動力が落ちる。先に騎兵を動かし、魔将の元へ行く道を塞ぐようにせよ』
敵のワームの動きは自爆覚悟だった。だが、味方を大量に巻き込む可能性があるなら、そんな行動も難しくなるだろう。
『投擲部隊に、敵の参謀らしいホブゴブリンが伝令に飛んでいた。おそらく、今後の作戦に連中を温存するつもりだろう。戦闘開始と同時に"竜騎兵"を展開。牙乗りたちを遠距離射撃で削っていけ。参謀格が到着する前に、敵をおびき出す』
全ての指示が滞りなく行き渡り、遅れて敵が動き始める。
敵は愚直にさっきと同じ行動を繰り返す。リセットによる時間逆行は、"プレイヤー"である自分か、対手となった勇者しか知覚できないのだから。
だが、
『ふん。竜神め、なかなかやるな』
幾分か上機嫌に、知見者は敵を賞嘆する。
「……何か、作戦に問題でも?」
『気付かんか? 敵の動きが、先ほどまでと全く変わらないことを』
康晴は状況を思い返し、僅かに顔をしかめた。
現在魔王軍の采配を行っているのは、知見者が目の敵にしている竜神らしい。ということは、リセットの効能も全て理解しているはずだ。
その上、敵軍には勇者であるコボルトも従軍している。にも関わらず、敵は愚直すぎるほどに同じ行動をなぞっていた。
「これは……"受け潰し"?」
『その通りだ。己の取り得る最適手を打ち続け、こちらの隙を伺おうというのだ』
中央にオーガ部隊を張り続けるのは、それが決して無視できない強力なユニットだからだ。投擲部隊や魔獣部隊は敵軍の飛び駒であり、こちらも放置することが出来ない。
自然と選択肢は狭まり、あたかも将棋の定跡のように、全ての行動が寸分たがわずに再現されることになる。
『勇者殿! ご命令の通り、リザードマンの包囲が完了しました!』
「了解です。後部に控えた魔法兵たちに命令を。敵の跳躍攻撃と同時に"織光網縛"で捕縛を行ってください。最初の一撃さえしのげば、後は問題ありません」
包囲陣が、敗北した過去よりも、一層激しく敵に当っていく。猛攻に焦りを感じたリザードマンたちが一斉に宙を舞った。
その途端、金の鎖が全ての敵をいましめ、リーダー格らしい青と赤のトカゲを地面に縫い止める。
『おっ、おのれぇっ!』
数名の術師が念入りに魔力を注ぎ込んだ捕縛に、剣士がなす術もなく呻きを上げた。
『策を盗み見、尋常の勝負を怯え避け、一方的に勝利を掠め取る! これが貴様らのやり方か!? それでよくも勇者などとほざけたな!』
口ぶりからすれば、伝令の者からこちらの力を聞き及んでいるらしい。空を睨んだ剣士に向けて、知見者は冷笑を漏らした。
『目先の兵に気を取られ、我が策を浅薄と罵ったトカゲよ。己の愚昧を呪いながら死ね』
無数の手槍が突き出され、あっという間に剣士が肉塊に変わる。
これで、敵軍の手筋はほとんど出尽くしたはずだ。それでも、中央で敵を迎え撃ち続ける敵本隊は、オーガやトロールの残存兵力と共によく持ちこたえている。
『康晴、リセットしろ。牙乗りどもに掛ける竜騎兵を一隊、中央に回せ。敵の投擲部隊が本隊と合流する手筋は変えられぬようだ』
《Resetしますか? Y/N》
陣形がまた変わり、牙乗り達が焼き尽くされ、助けに入った投擲部隊が半壊しながら撤退する。
「中央のオーガ隊の攻撃が変わりました。最初から例の武装を投げつけ、こちらの陣を崩してきます」
『小細工を。左翼の森に向かわせた騎兵を五百に増員。代わりに、リザードマンの捕縛に入った魔法兵を百名ほど中央へ』
《Resetしますか? Y/N》
二人一組が完璧に機能し、リザードマンの捕縛が最適化された。
魔獣の群れを追い立つめた騎士たちの目の前で、ワームと魔獣部隊が炎の中に燃え落ちていく。
「中央の敵呪法兵、オーガ隊より離れて歩兵と合流しました。オーガ隊と同時に攻撃を行うようです」
『敵の行動に即応してテルシオの一部を復活。胸壁化させて押し返せ。他はそのまま敵の迎撃に専念せよ』
《Resetしますか? Y/N》
繰り返される朝。
幾度も勇者に捧げられる勝利。
その全てを無感動に払い落とし、康晴はひたすら戦場の最適化を行った。
敵の動きが単調になり、被害が目減りし、何もかもが計算通りに動いていく。
『これでよかろう』
それまでの手筋を検分していた知見者は、満足したように宣言した。
『勝て、康晴』
頷くと、康晴は何度目かもわからない"進軍"を開始した。
強烈な不快と無力感に、シェートは膝をついていた。
『シェート!』
「どうした!?」
女神と魔将から、別々の感情を込めた声がほとばしる。
一切を理解し、絶望にまみれたサリアと、先に待つ未来を全く知らないベルガンダ。
「こんなの……こんなの、どうすればいい!」
繰り返される朝。
コモスが、ゼビネが、前線のオーガやトロールたち、牙乗り、リザードマンの剣士、魔獣たち、兵士達、その全てが幾度も目の前で死んでいく。
その数が、巻き戻る度に増えていく。
目の前の勇者軍は、今やテルシオという陣形ですらなかった。こちらを貪るために異様に変形した巨大な罠そのものだ。
「何をうろたえている? あの陣形がなんだと」
「お前! 俺、何度も説明した! もう、俺、たくさんだ!」
『うろたえるな、馬鹿者!』
竜神の声が戦場に響き渡る。聞きつけた全てのものが驚いて空を見上げ、ベルガンダさえ事態の推移に当惑していた。
『説明したであろうが。ここからは胆力の勝負だと。互いの手を尽くし、その拮抗の果てに決定的な一手を放つまで、耐えねばならん』
「それいつだ!? 俺達、もうずっと負けてる! みんな死ぬ! それ繰り返してる!」
『違う。それだけそなたらが、敵の行動を引き出し、手筋を絞らせてきているのだ。最適解とは所詮、限定された状況の勝利に過ぎん。意識の外から放たれる一撃には、耐えることが出来ないものだ』
コボルトは歯を食いしばり、拳を握り締めた。
全ては竜神の作戦、それはわかっている。しかし、繰り返される悪夢は、容赦なくこちらを責め苛んでいた。
『魔将ベルガンダ、済まぬがこれから儂の言う通りに陣を動かしてくれ。朝の献策は、敵の神規によって全て知られてしまったのでな』
「……シェートが大分疲れて見えるのはそのせいか」
『その通りだ。全く、あのインチキ詐欺師め。これがネット対戦なら即回線切断だな』
口調を和らげ、冗談交じりに竜はすべきことを通達していく。もう、何度目かの説明にもかかわらず、辛抱強く端的に、魔物たちに策を授けていた。
「すまない。俺、ちょっと、弱気なってた」
『仕方ないさ。リセットプレイに付き合わされるなど、苦痛の極みだ。おまけに向こうはループ物の主人公気取り、全くろくでもない』
「ループ?」
今まで見たとおりに、陣立てが進んでいく。オーガとトロールは中央の魔術師達を道連れに死ぬだろう。牙乗りたちはもちろん、魔獣たちも半壊しながらこちらに合流する。
投擲部隊は何とか持ちこたえるが、コモスは一度も帰ってこなかった。リザードマンたちの姿を、生きて目にすることはもう無い。
『主人公の気に入らない未来を、何度もやり直して望む方向に変える物語のことさ。ループしている本人の主観で語られるのが本来だが、それに付き合わされる人間がいたら、こんなうんざりとした気分になるのだろうな』
「ああ。繰り返し、もうたくさんだ」
シェートの顔一杯に、苦い笑いが染み渡る。
自分だって、何度あの時に、コボルトの村が焼き滅ぼされる前に戻りたいと願ったか知れない。
それでも、悲しみも絶望も時と共に流れすぎ、全てを飲み込んで生きていかなければならない。
起こった事実は、決して変えられない。それが本来のあり方だ。
勇者の力で起こされた奇跡でも、それは同じことのはず。
「それで、いつまでこれ、繰り返す?」
立ち上がり、ベルガンダの背に身を預けると、シェートはたずねた。
『安心せよ。そろそろ儂の策が動き出す』
『いよいよですか』
二人のやり取りに、シェートは思わず口先を尖らせた。
「お前達、いつも俺、秘密する。言うな言ったら、俺、ちゃんと守れる」
『すまない。だが、私も一切聞かされていないのだ。策を台無しにされたくないと、竜神殿に怒られてしまってな』
『当たり前だ。そなたらのような感情優先の連中に、何度儂の策が台無しにされたことか……その上尻拭いはこっちに回ってくるのだから、たまったものではない』
愚痴る竜神に女神が笑い、ようやくシェートもほっと息をついた。
「全く、込み入った事情に巻き込まれたものだなぁ。俺もお前も」
行軍していく部隊と共に進みながら、ベルガンダは苦い言葉を漏らした。
「お前が何度も俺達の負け戦を見ていながら、こっちは何一つ覚えておられんとは。そちらの神規で何とかならんのか」
「それ、俺の仲間なるしかない。お前、魔王、裏切るか?」
「それは困る。では、何とかこのままで、全てを乗り切ることにするか」
このやり取りも何度目だろう。問いかけ方は少しずつ違うが、結局は同じ結論にしかたどり着かない。
魔王への忠義と、相手の神規を知らされながら、それでも失わない闘志。
その全てを賞賛するように、そっと耳元に告げた。
「お前、強いな」
「貴様と同じだ、シェート。俺にもやるべきことがある。だから、死ぬまで負けるつもりは無い」
背中越しに励まされ、コボルトは決然と前を向いた。
だが、その視線の先に、それまでと違うものが立ち現れていた。
進み来る勇者軍の前、蒼空に広がった、巨大な水の幕。
その中に、勇者が詰めている敵陣の様子が映し出されていく。
『はかなくもいじましい抵抗を続ける魔物共よ。そして、それに力を貸す愚かな女神と竜神に告げる』
天から降る新たな声に、魔物軍はおろか勇者の軍さえ動きを止める。
初めて聞く知見者の声に、シェートは怖気を感じた。
嗜虐の匂い、この後に始まる凄惨な事実を見せつけようとする、底意地の悪さが匂い立っていく。
『奮戦大儀であった。貴様らとの戦、それなりに有意義であったと褒めてやる。だが、こちらも暇ではないのでな。そろそろ袖に引っ込んでいただこうか』
「何を言う! こちらの意気は今だ尽きておらぬ! こうなれば貴様が根を上げるまで、幾度でも干戈を交えてくれようぞ!」
『どうやらそこの魔将は、事態を理解しておらぬようだ……竜神よ、本当にそやつらに、策の全てを伝え聞かせたのか?』
水鏡の中に映る景色が、敵陣中に建っている一つの小屋に近づいていく。以前自分を襲った特別部隊の連中が、その周囲に配置されていた。
『悪いが、貴様の行動は読めている。全ては壮大な囮。たった一本の毒矢を突き立てれば済む話というわけだ。だが――』
魔法使いの男が振り上げた杖の先、巨大な火球が燃え盛る。
『勝つのは私だ。"斯界の彷徨者"!』
『逃げよ! ケイタ殿! フィー!』
二つの叫びが交錯し、小屋が焦熱によって爆散する。
その業火の中から、二つの影が飛び出た。
一人はマントに身を包んだ少年。
もう一つは、一匹の狼。
「お……お前達、なんで……」
聞こえるはずの無い仲間達に向けて、シェートは呆然と問いかける。
水鏡の向こうで、フィーを胸に抱いた圭太は、悲しげな笑みを浮かべていた。