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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~Warmonger編~
73/256

19、回天の一指

 ゼビネが投擲部隊と右翼に駆けつけたとき、牙乗りたちは混乱のきわみにあった。

 土煙を上げて走り回る『牙』を、オークたちが必死に操っている。その周囲を着かず離れずの距離を取り、騎兵達がサーベルで襲い掛かった。

「好き勝手やりやがって……全員、撃ち方始めぇっ!」

 隊長のホブゴブリンの声に、併走していた連中が一斉に石を投げつける。通り雨のような音を立てて石の弾が降り注ぐ。だが、その攻撃を予想していたように、人馬が戦場から離れていく。

「よっしっ! やったぞ親分!」

「気を抜くんじゃねぇ! 連中、体勢を立て直して反撃してくるぞ! 全員弓構え!」

 一斉に短弓が引き抜かれ、弦が張られる。突進して攻撃するときには投石器、遠くを狙撃するときには弓、それがゼビネの率いる投擲部隊のやり方だった。

「おお、ゼビネ。助かった!」

 巨大な猪の横腹を見せ付けるように、オークの大将が頭上から礼を降らせる。手早く弓弦を張りながら、ゼビネは片手を振った。

「そんなのは後だ。俺達が援護するから、その隙に騎兵を抜いて、勇者軍に一発かましてやれ!」

「言われんでも! お前ら! いつまでてこずっている! 全員俺に続け!」

 手綱と片手に持った調教用の棒を使い、オークがあっという間に騎兵達に突進を開始する。土煙が上がり、蹄が蹴り上げた小石がこちらの頬を掠めた。

「ったく、あぶねえ奴らだ。よし、全員矢つがえ――」

 自らも弓を構え、引き絞ろうとした視界の端に、たった五騎の増援がやってくるのが見える。

「来やがったな」

 自分たちの将を危うく黒焦げに仕掛けた、恐るべき兵士。コボルトからは、騎乗した状態でも魔法が打てると話を聞いていた。

「伝令! かぶら放て! "カナキリ"と"トオボエ"!」

「あいよおっ!」

 背後に控えていた一人が二本の鏑矢をつがえ、空高く打ち上げる。

 二つの音色が響き渡り、それを追う様に各部隊から矢が放たれていく。これで、他の連中にも竜騎兵が現れたことが伝わったはずだ。

「隊を二つに分ける! カル、お前らは牙乗りどもを援護だ! 俺らは竜騎兵をやる!」

 鏑を撃ち終わった部下はにやりと笑い、牙乗りに討ちかかろうとした敵兵の首を正確に射抜いて見せた。

「まかせろ。親分、黒こげ魔法に気をつけろ」

「余計なお世話だ! 全員、俺につづけぇ!」

 片手に弓を持ったまま、ゼビネは猛然と竜騎兵に突進する。その後について、二手に分かれた部下達が、自分と同じように走り出した。

「ぜ、全員槍構え! 敵を近づけるな!」

 こちらの動きを予想していなかったのか、距離を詰められた竜騎兵の一団がくつわをめぐらせる。

「おせえよ!」

 矢筒から一本引き抜き、ナイフ投げの要領で馬の眉間へ投げつける。馬鎧の面当ての継ぎ目を鏃がえぐり、いななき、もんどりうって、馬が騎士ごと大地に横倒しになった。

 それでも馬上の魔法使いは印相を組み、よどみなく詠唱を連ねていく。

「"厳令を以って我は呼ぶ。万理の霊智、光韻の秘蹟、音声に依りて来たれ。其は光輝、其は鉄槌、刹に閃く轟破の打擲ちょうちゃく"」

 その全身が青く輝き、術者の髪がきらめき逆立つ。雷撃の魔法の前兆に、辺りの空気が毒のような臭気を放つ。

 させるか、その意志と共に膝頭を一撫でし、呪を怒鳴る。

「シギレ・フェス・レーヴェ・マー、"風と共に往かん"!」

 両足に刻まれた刺青が輝き、ゼビネの体が残影と疾風の塊と化す。弓を捨て、懐の投げナイフを抜き、杖を振り上げた男の、焦り顔に意識を集中させる。

 それでも敵は、叫ぶように呪を結した。

「"切り裂き、裂き断ち、断ち砕け!"」

 叫びに応えて輝きが降る。冴え冴えとした光の群舞に飲み込まれながら、ゼビネは自分の放った寸鉄が、間違いなく魔法使いの眉間を打ち砕くのを見た。

「一匹、仕留めたぜ、大将」

 そして轟音が、一切の音と共に意識を押し包んだ。



 雷鳴が、クナ・ナクラの肌に染みた。

 音源はここより対岸、右翼の牙乗りたちがいる辺りだ。ほんの少し前に竜騎兵が出たと鏑が放たれた矢先の、不吉な一発。

「クナよ、これはいかんな」

 尾の先が触れ合うほどの位置で背を護るラーガン・カーは、それほど焦った様子も無く感想を述べた。そんな自分達の周囲を、騎馬が円を描いて疾駆していく。

 敵の数は自分達の倍。二騎でこちら一人に相対するよう厳命されているのだろう。こちらも仲間と背を合わせて迎え撃つように指示したが、敵は剣の間合いを避けるように、囲みを作って隙をうかがっている。

 騎馬の壁の向こうで、部下達が干戈かんかを交える音が断続的に届いていた。

「猪どもに期待はしていなかったが、数刻も敵を抑えられなんだか」

「ラーガンよ、あちらには牙乗りだけでなく、射手殿も詰めている。安々とやられはせぬであろう」

 会話の切れ目を狙うように、再び円環陣から騎兵が二騎突進してきた。

 一列に並んだ騎兵は、片手に長めの曲刀を下げ、脇をすり抜けるようにして打ちかかってくる。

 突進力と膂力を組み合わせ、こちらの頭蓋を断ち割る勢いで、馬上から刃が降る。

 その寸前、クナは手にした剣を跳ね上げた。

 鋼が鳴り渡り、火花を珠と散らす。こちらの剣撃に騎兵が体勢を崩し、後についたもう一騎がよろめいた人馬を必死に避けた。

「なるほど。剣閃は鈍く、腕前も並み。どうやら神も、即席で巧みな騎兵を作る力はないらしい」

 列を乱さず、前方の騎兵と連携を取る力はそれなりだが、馬と乗り手が真に心を通わせたときの力を感じない。

「お仕着せの力だ。歩兵の動きも見てくれはいいが、まるで子供の繰り人形だ」

 そう言いながら、ラーガン随一の剣士が刃を揮う。襲い掛かってきた騎兵はまたも背後の連中とぶつかりそうになり、必死にこちらの間合いから逃げていく。

「クナよ、これはいかんな」

「そうだな、ラーガンよ」

 互いが尾の先端を上げ、軽く打ち鳴らす。

「そろそろ連中に、我らの技前を馳走してくれようか」

「よかろう。では、存分に」

 いい加減、子供の遊びに付き合うのは飽きた。

 このいかんともしがたい状況は、ここで終わらせよう。

 乗り手たちが三度みたび、列を組んで向かってくる。その顔はどこか空ろで、戦に高揚しているとも、目の前の敵を意識しているとも見えなかった。

 ぶら下げた剣も、手にした手綱も、本人が思っているほどには身の丈に合っていない。

 実力と中身の奇妙な乖離に、青い鱗の口元が嘲笑に歪む。

 馬が加速し、蹄の音が急激に高まる。

 全ての軌跡が見える。

 そうだ、お前はそこで足を速めさせ、その位置で剣を振り上げ、この俺を斬ろうというのだな。

 正確で、迷い無く、こうすれば確実に敵が死ぬと、何かに導かれて剣を振るう様が。

 それを神威と言うのなら。

「神――浅薄也あさはかなり

 その一言を踏み台に、クナは飛んだ。

 敵が剣を振り上げた瞬間、青いリザードマンの体が軽々と宙を舞う。必殺の一撃に身をさらすような行動に、騎手の顔だけがうろたえている。

 こちらの動きがわずかに早い。たとえ当たる軌道に身をさらしていても、威力が乗る前に武器と密着すれば、その威力は無いも同然となるのだ。

 だが、敵の剣は止まらない。

 決して当たることのない攻撃を、己以外の誰かに命じられて揮うしかないゆえに。

 跳躍に合わせて、右腰にひきつけたクナの剣が大気を裂く。

 その一撃が馬の太い首を、強靭な筋肉を、頑丈な頚骨を諸共に断ち、驚愕する騎兵のわき腹を、あばら骨と片肺ごと上下に割る。

 そして、敵の剣が遅れてこちらの肩に当たり、突進の勢いに弾かれ、あらぬ方向へ飛び去った。

「お見事」

 血刀を振りぬいたこちらの脇を、ラーガンの赤い影がすり抜ける。

 手にした剣を腰だめにして、後詰の一騎の眉間を正確に刺し貫き、そのまま大地へ叩きつけた。

「あいも変わらず見事な一飛びだな"高潮乗り"」

「"真金まがね断ち"の業も健在か。また技を競いたいものだ」

 ほぼ同時に立ち上がり、互いを讃え合う。血刀をふるい、肩を並べ、あっという間に二騎が屠られたことに驚愕する人間どもを睨んだ。

 手にした刃は重く、鋭い。今は亡き、クナ族の名工が海竜の角から削り出し、焼鍛の末に生み出した、この世に二つとない一振りだ。

 その武具に負けないよう、自分の体同然に扱えるようにと、常から技を磨き、己を高めてきた。

 だからこそ、こいつらの全てが気に入らない。

「神に手繰られ、奇跡に小突かれ、よろめき走り回る小童ども!」

 こちらの声を聞き、騎馬の向こうで響く味方の剣戟が、力強くなる。

「仮初の業、借り物の力で、我が剣を止められると思うな!」

 言い捨て、全身のばねを効かせて円陣に突進する。その脇にラーガンの赤い姿を伴い、同時に宙を舞う。

 再び二騎同時、兵士の首が血しぶきと共に弾けとんだ。

「では、このまま首級狩りと行こうか!」

「応! いずれがより多く上げるか競おうぞ!」

 こちらの気勢に円陣が乱れる。壁が崩れ、防戦に徹していた味方が、一気に攻勢へと転じた。

「皆の者! 今こそ亡き主の無念を晴らす時だ! 往け!」

 屈強な戦士達が宙を舞い、地を駆け、尾を振りたて、刃を閃かせ、縦横に暴れまわる。

 敵の統制が乱れ、堅牢だった円陣の向こうに目指すべき左翼がはっきりと見えた。

「鏑放て! "ナダレ"に"ワタリ"!」

 手槍を放つ要領で、部下の一人が天に向かって合図を飛ばす。やや遅れて、背後の山から"コダマ"の鏑が飛んだ。即座に動くとの返応に、会心の笑みと共に指示を怒鳴る。

「皆の者、俺に続け!」

 あわてて進路を塞ぎにかかった軽騎兵を切り飛ばし、驚愕にいななく馬の背を蹴って、クナ・ナクラは戦場をはるか高みから見下ろせる位置まで飛翔した。

 前方には密集した槍の歩兵、足下ではこちらの猛攻に押し切られて道を開ける騎兵。

 そして、背後の森の奥から、伏せておいた連中がこちらに向かってくるのが見えた。

 自分達はあくまで囮。本命は後詰にした魔獣の一群だ。

「だが、囮が敵を喰ってはならんという道理もない!」

 まっしぐらに、クナ・ナクラは驚愕した歩兵の一群れへと飛来する。槍を構え、こちらを刺し貫こうと狙う連中に、大いに笑った。

「海魔将ゼルナンテが遺臣、"真金断ち"のクナ・ナクラ! 我が剣の冴え、死出の手向けに見知りおけ!」

 そして刃が、槍の穂先も人の首も区別無く、一切を斬り飛ばした。



 水鏡の向こうで繰り広げられる戦の全てを、サリアは固唾を呑んで見守っていた。

 中央の様子は依然と膠着しており、一進一退の状態が続いている。それでも、オーガたちに疲れが見え始め、じりじりと圧されつつある。

 だが、左翼に陣取っていた神々から、どよめきが上がった。

「おお、トカゲどもが陣を破ったぞ!」

 騎馬の囲みを破って、二千にも満たないリザードマンが歩兵に向かっていく。あれだけの猛攻を受けながら、傷を負ったものは殆どいない。

「森の中から後続も出てきたな! 今度は魔獣の群れか!」

 全身に炎を纏いつかせた黒犬の魔獣を筆頭に、黒ヒョウに似た姿のものも見える。

「火を吐く犬に、姿を消して獲物を喰らう猫、とはいえ戦力としてはいささか貧相に見えるのぉ」

「いかにも寄せ集め、数合わせと言った具合。援軍というには薄いな」

 口々に勝手なことを言い合い、完全に野次馬同然の振る舞いだ。とはいえ、それを言いとがめている暇も無い。

「サリアよ、もう少し肩の力を抜け」

 そんなことを言いつつ、竜神は美味そうに火酒を舐め、両陣営の変遷を眺めている。

 泰然とした巨体を見上げつつ、女神はかぶりをふった。

「そうしたいのは山々ですが、とても御身のようにはまいりません」

「物事を点で捉えようとしては、総体を見失う。近景に目を凝らすのではなく、遠望にて見晴るかすのだ。そうさな」

 竜の長い爪が、左翼の牙乗りを指差す。

 そこではゴブリン弓兵の援護を受けて、騎馬兵力と互角の戦いをする姿が見えた。

「あそこで一体、竜騎兵が討たれたが、その事を皮切りに、右翼の戦況が一気に持ち直したな」

「はい」

「そして、敵の放った雷撃に刺激されるように、左翼のリザードマンが動き、戦況がまた変わった」

 左翼の側面に襲い掛かるトカゲの群れを、何とか退けようとする歩兵。しかし、側面に対しての守りを苦手とするテルシオは、敵の群れに少しずつ隊列を崩しつつあった。

 本来なら側面を守るために騎兵達がいるのだが、増援の魔獣とリザードマンに挟まれて防戦一方になっている。

「戦では、全ての出来事が相関する。距離も遠く、目線どころか声すら届かぬ戦場の端と端で、それぞれが影響を及ぼしあうのだ」

「ゆえに点ではなく、全体を見ろと?」

 竜の爪が、無言で別の場所を指し示す。中央で押し返していたオーガの群れが、じりじりと後退を始めていた。

「やはり無茶です。いくらオーガたちが屈強とはいえ、数の差が圧倒的過ぎます。側面の攻撃を通しやすくするためとはいえ、これでは」

「これではジリ貧。徐々に不利と言いたいわけか?」

『全軍後退せよ! 逃げるなよ! 敵に背を見せず、後ろのやつを蹴倒さずにだ!』

 魔将の指示が飛び、魔物たちが後退を続ける。それに合わせるように、勇者の軍列がじりじりと前進していく。

 人と魔物の動きは、巨大な波のように見えた。白を基調ににした勇者軍という波頭が、魔王軍というくすんだ砂浜を削り、飲み込んでいく。

「このままでは、いずれ逃れきれずに圧殺されましょう。本当にあんなことが、可能だとお考えですか?」

 ベルガンダに授けた策、その全容は知っている。しかし、勇者軍のような即時に連絡をつけられる方法も無く、鏑矢の音だけで遠距離の伝達を行っている魔王軍は、どうしても時間的な遅滞を免れない。

『女神よ! 両翼の自体はどうだ!』

 便利に呼びつけられ、さすがに文句の一つも言いたくなるが、ぐっと堪えて内情をシェートに降らせる。

「右翼の牙乗りは持ち直した。未だに騎兵戦力は健在だが、竜騎兵を一騎撃破。もう一騎を抑えている。左翼はリザードマンが歩兵に攻撃を仕掛け、連携が乱れつつあるぞ」

 とはいえ、それも微々たる変化に過ぎない。勇者軍の中核は今だ健在で、今にも魔物たちは押しつぶされそうな勢いだ。

『そうか! 全軍一旦停止! 敵の槍を叩き落してやれ!』

 力強い魔将の声に、魔物たちは文句一つ言わずその場に止まって敵兵を叩く。勇者軍もその動きに対応し、再び抗戦に入った。

「魔将め、中々やるな」

「……何がですか?」

「勇者軍の動きをよく見てみるがいい」

 竜神の言葉に目をやると、巨大な密集軍の中に、わずかなよどみが見えた。槍兵の挙動についていけなかった魔法兵が、味方にぶつかっている。

『よし! 撤退再開! 背中を見せずにケツまくって逃げろ!』

 再び隊列が動き、槍列があわてて引き上げられる。長いパイクは取り回すのに重く、その行軍に付き合う魔法兵は、身軽なためにその場で足踏みせざるを得ない。

「隊列を乱させるな! 魔法兵には術よりも行軍に集中させろ!」

 知見者の声が怒気を含んで地上に飛ぶ。だが、再び魔物と槍を交えた後には、勇者軍の隊列はまた少し歪んでいた。

 じりじりと魔物たちが敵の槍を避け、適切な距離で対応しようとした勇者軍が、調子を外され、隊伍を乱していく。

「お……な、なんだ、勇者軍が……」

 異常が野次馬達に理解されるころには、地上の様子は一変していた。

 それまで整列で構成されていた勇者軍が、歪になっていく。

 両翼のリザードマンと牙乗りの攻勢に抵抗するため居残った兵士と、それを支えようとする者たち。そして、ベルガンダの巧みな撤退によって、足並みが崩れて取り残された者達がゆるい半円を生み出していた。

「人間の動きを、歯車のようにきっちり操作できるわけではない。しかも、歩兵と魔法兵は装備重量も役割も違う。敵前で槍を揮うものと、魔法を使って援護するもの、性質の違いが出たな」

 密集方陣の堅牢さが、逆に本人達の動きを縛っていく。

 主導権を握り、計ったように攻撃が出来る間は無敵。だが、規模の巨大さゆえに、動きが狂うと取り返しがつかなくなる。

「見よ、サリアよ。魔物どもの動きを」

 酒を傍らに置き、竜神は峻険な顔で、その動きを示した。

 魔将の声にあわせて、いや、声などなくとも槍を使って敵を払い、それに応じようとした途端、一斉に撤退を始める魔物たち。

 神規の力で整然と行軍できるはずの人間達が、焦り、歯噛みをしながら必死に敵に喰らいつこうともがいていた。

「よいか。この戦が終わった後、必ずベルガンダを殺せ」

 冷たく、厳しい一言には、酔いの影さえ見えない。黄金の瞳に強い警戒心を湛え、竜は命じた。

「奴はもう、部下に好かれるだけの将ではない。これまでの戦いで軍略を身に付け、如何に大軍を差配するかを理解してしまった。生かしておけば魔王に絶大な益をもたらすぞ」

 竜神はまるで戦場を見ていなかった。目の前で険しい顔をする知見者さえ眼中に無く、その遥かな先、全てのものに潜む元凶を見据えていた。

「……そうか。そういう事か」

「竜神殿?」

 ひとりごちた竜に問いかけようとしたとき、サリアの足下で魔将の声が響き渡った。

『鏑だ! "カラス"を放て!』

 戦場に、黒鴉こくがの叫喚が木霊する。

 放たれた無数の鏑矢を合図に、魔王軍が身じろぎし、反動を生み出していく。

『行くぞ! 今こそ連中の屍を、我らの足元に敷く時だ!』

 戦の趨勢が、ベルガンダの号と共に変わろうとしていた。



 シェートの耳を、無数の鏑の音がなぶる。耳障りなカラスの鳴き声にも似たそれが伝わった途端、魔物たちが叫びを上げた。

 今までほぼ無表情だった勇者の軍が、わずかに怯え竦む。

 その隙を喰らうように、全ての魔物が行動を始める。だが、その動きはこれまでのような前進一辺倒なものではなかった。

 中央のオーガたちがまず動かない。コモス率いる術氏達が傷の手当を行い、その隙を護るようにゴブリンたちの槍が前面を護る。

 そして、本隊の両端から、進攻が始まっていた。

 シェートの視界が届く範囲の果てで、何かが激しくぶつかり合っている。土煙を上げる猪の部隊と、槍の穂先さえ越えて飛び跳ねるトカゲたちの群舞だ。

「削れ削れ! 端から順に喰らい尽くせ!」

 押され続けていた部隊の端が、牙乗りとリザードマンの機動力に助けられ、前進を開始し、一列の壁となって左右を封じていく。

 まるでナイフで果物の皮をはぐように、圧力に抗し切れなくなった勇者の軍が、その両端を縮められていく。

「たいしょう! おれたちでなくていいのか!?」

「まだだ! あと少し待て!」

 異常に気がついたらしい勇者軍が、じりじりと後退を始めるが、それでもベルガンダは腕を組んだまま動かない。敵の横幅は少しずつ縮んでいくが、それでも動かない。

「お……おい?」

「まだだ」

 思わず声を掛けたシェートの問いかけを、にべも無く払いのけると、魔将は退却していく目の前の敵に凄烈な笑みを向けた。

「これは、実に面白い。軍略で以って寡兵が大軍を打ち破る。毎回、うまくいくものでもなかろうがな」

 地面に突き立てていた斧を手に取ると、魔将は吼えた。

「よし、今だ! 全軍、突撃せよ!」

 それまで、ぴくりとも動かなかった牛の巨体が、まっしぐらに戦場に躍り出た。

 前衛の槍を飛び越え、後退する敵の槍めがけ、一息で追いすがる。

「うわぁああっ!?」

「口を閉じていろ! 舌を噛むぞ!」

 いつか見た光景の再現。草でも刈るように人間が寸断され、吹き飛んでいく。騎馬の兵よりも容易く、歩兵が砕け散っていく。

「皆の者! 我らが将に続け! 敵を追い落とすのだ!」

 コモスの声を背に受けて、大斧を振るいながらベルガンダが更に突き進む。

「全員防御に集中! 魔将を押し返せ! 討とうと思うな! 両翼が体勢を立て直すまで持ちこたえろ!」

 たった一人の魔物を、数十の槍の群れが囲い、その背後で魔法兵が杖を掲げる。

「そうだ! 俺に来い! そうやって隙を作ればどうなるか思い知れ!」

 魔将の声を呼び水に、オーガが、トロールが、ゴブリンたちが、どっと押し寄せる。

「支えろ! ここで支えねば全てが、ぁあっ!」

 顔に無数のナイフを喰らい、指揮を取っていた男が崩れ去る。同時に、投石や弓が、其の周囲に立っていた兵士を打ち倒していく。

「どうしたゼビネ! 大分いい男になったな!」

「次に奇襲させるときにはその犬、こっちにまわしてくれよ!」

 半身を焦がし、どう見てもまともに動けそうも無いはずのホブゴブリンは、驚くほどに正確な動きで敵を貫いた。

 シェートの目の前で、巨大な壁が食い荒らされていく。

 ベルガンダの穿った穴を、到着した投石部隊がこじ開け、そこをオーガやトロールたちが更に広げていく。

 むき出しになった壁の向こう、魔法で応戦しようとした兵士達が、すばやいゴブリンの一刀で倒れ付す。

「仕上げだ! "トオボエ"上げろ!」

 太く大きく鳴る音色が、天へ向かって打ち上げられる。

 ほんの僅かな間をおいて、勇者軍の遥か後方が土煙を上げて爆発した。

 鏑矢に応えるように、不気味な鳴き声を上げて、ワームの顎が突き立った。

 十数本の巨大なミミズたちが、混乱の極みにあった勇者の後列を貪り始める。

「よおし! これで逃げ道は断った! 皆存分に喰らい尽くせぇっ!」

 シェートの見ている前で、次第に勇者の軍が圧縮されていく。

 側面を受け持つのは牙乗りとリザードマン、前面をオーガとトロール。背面に魔香のワームたちが抑え、その隙間をゴブリンやオークたちの槍が封じ込める。

『見えているか、シェート』

「ああ……見えてる」

 囲みが完成していた。

 数にすれば遥かに少ないはずのこちらが、身動きも出来ないほどの隙間に、敵を押し込めてしまっている。

 進むことも戻ることも出来ず、必死に応戦する人間達。その努力は一切実を結ぶことはなく、ただ石に打たれ、槍に突かれ、オーガの巨椀に殴り倒されていった。

『無理だと思っていた。このような挙動が、魔物たちに可能だとは思えなかったのだ』

 サリアの声が震えている。暴力に打ち据えられ、為す術も無く死んでいく人間達に、悔悟を感じて。

『いや、これは私の罪だ。こうならないよう、どこかで祈りながら、事が起これば悔やむなど、偽善にもほどがある』

 それでも、声に力を取り戻すと、女神は告げた。

『シェートよ、魔将と共に知見者の勇者を討て。戦を終わらせれば、残りの者を見逃させる程度の融通は引き出せるはずだ』

「分かった。おい……ベルガンダ」

 鎧の肩当を叩くと、牛頭はちらりとこちらを見た。

「またぞろ、女神が何か言ってきたか」

「もう、これ以上殺すな。後は勇者、倒して終われ」

「そうだな。ここでうっかり逃げられたりしても適わんか」

 こちらと考えていることは違うようだが、それでも魔将は斧を担ぎ、体を縮めた。

「付いて来られる者だけ共に来い! これより勇者の首を取る!」

 疲れを知らない体が、あっという間に崩れかけた人垣を突き破る。その後に、リザードマンやナイフ使いのホブゴブリン、牙乗りの一群れ、コモスたちが率いる部隊が続く。

 その全てを満足げに見渡し、魔将は疾駆した。



 タブレット端末の戦場は、真っ赤に染まっている。

 あらゆる部隊のゲージがゼロを示し、残った部隊も急速に数を減らしていた。

『第九部隊、これ以上持ちません! 援軍を! せめて竜騎兵に命じて兵の逃げ道だけでも!』

 康晴はその部隊を指でタップし『通信遮断』を選択した。

 見る間に部隊がまた一つ"溶けて"いく。すでに戦場の悲惨は聞こえてこないが、天蓋の布越しに、地鳴りが伝わってきていた。

『勇者殿』

 耳慣れた参謀の声に、康晴は何の感慨も浮かばない顔でウィンドウを開く。

『最後の部隊が全滅しました。本隊六万は、壊滅です』

「分かりました」

 それ以上、何を言えるのだろう。こちらのそっけなさに、ヴェングラスがため息をつくのにも、一切反応する気は無かった。

 本陣を護る兵は僅かに千程度、こちらに突き進んでくる魔将と、その部下達を押しとどめる力は無い。

『奴らの用兵、中々のものであったな』

 意外なことに、"知見者"の声に嘲りの色は無かった。

『むしろ、あのような雑多な連中で、よくも"カンネー"を再現したものだ。駄犬も仕込めば芸をする、と言ったところか』

「カンネー?」

『貴様らの世界の歴史、紀元前のイタリア半島はカンネーという土地で行われた戦だ。そこで行われた機略を、そっくりそのまま写して見せたのよ』

 八万のローマ軍団兵を相手に、四万のカルタゴ軍が勝利を収めた、戦史上最も美しいと言われた包囲戦。騎兵と歩兵の運用により、密集陣形を敷いたローマ軍は、ほとんど抵抗らしい抵抗も出来ないまま、大地に屍をさらしたという。

「雷将ハンニバルの天稟を、自らの知略で魔物に授けたというわけか……くく、やはりあの老蜥蜴め、一筋縄ではいかなかったな」

 その口ぶりには悔しさの欠片さえ浮かんでいない。敵の采配を褒め、戦況の移り変わりを検めている。

「さて、そろそろ終わりにするか。良く戦ったものへの褒美だ、魔将とまみえてやれ」

 その一言に、康晴は思わず顔を上げていた。

 こんな指示は今までされたことがない。常に軍の庇護の中にあって、直接敵の顔を見ることさえなかった。

「中央大陸の闘魔将など、彼の牛頭に比べれば雑魚。お前も奴との戦いは、いい体験となったろう?」

 知見者なりの酔狂、そういうことなのだろう。

 それ以上の問いかけを収めて、康晴は外に出た。

 天幕の外には、槍を構えて自分を護る兵士達、前線から戻ってきたヴェングラス、エクバートの両参謀が脇につき従った。

 そして、その人々の向こうに、猛然とこちらを目指す影が見える。

 不安を押し殺し、片手のタブレットをなでると、ただ待った。

 自分を倒そうと向かってくる者たちを。



 意外な光景が、シェートの目の前に広がっていた。

 自分達を迎え入れるように、敵の陣地が開いている。勇者軍最後の兵力は、槍を天に突き上げて整列したまま、ピクリとも動かない。

 その最奥に、魔術師と将軍らしい騎士に挟まれ、小柄なやせっぽちの少年がいた。

 今まで見たどんな異世界の勇者より、頼りない体格。その瞳には、何の感情も浮かんでいない。

 まるで、木に人の形でも彫り付けたようだ、そう感じた。

「貴様が、この軍の指揮官、つまり勇者殿か」

「……"知見者"フルカムトの勇者、葉沼康晴です」

 声にまるで覇気が無い。戦場に出れば馬蹄にかき消され、誰もこんな少年の言葉など聞きはしないだろう。

 貧弱、その一言がこれほど似合うものもいない。多分、何の力も持っていなかった過去のシェートでさえ、彼を打ち負かすことが出来たはずだ。

「こうして出迎えたということは、我らに剣を預け、その細首をしろに部下の延命でも願うつもりか?」

「いいえ。僕は知見者の言葉を、あなた方に伝えるために出てきただけです」

 だが、シェートは強い違和感を覚えていた。

 これまで数多くの異世界の勇者と戦ってきた経験が、痛いほどに警鐘を鳴らしている。

「今回の戦い、見事でした。慣れない戦術を部下に浸透させ、臨機応変に対応する機転も賞賛に値します」

「神どもの言いそうなことよ。俺達を格下と侮り、これまでどおりの力押しで勝てると踏んでいたのか?」

 悠々と語らいあう二人の将に構いもせず、コボルトは辺りをせわしなく見渡す。

「サリア、近く、伏兵、いるか?」

「その気配は無い。姿消しで大軍を伏せているのであっても、そこに不自然な空隙が生まれるはずだ」

 女神の声が硬い。サリアの匂いは焦りと緊張で冷え切っている。

「すみません。あなたへの褒美はここまでだそうです」

 出し抜けに、勇者は奇妙な言葉を放った。

 その視線が始めて、こちらと絡み合う。

「"理解しないまでも異常を感知したことは褒めてやる。ただ、我が神規はその程度で敗れる事は無い"」

 神の代言者は何の感情も浮かべず、手の中の板切れを傾けて、指をあてがった。

「"幻の勝利を胸に、再び敗地にまみれるがいい"」

「や……やめ……っ」

 ベルガンダが異常に気がついて走りだし、シェートが届かない手を伸ばす。

 勇者の繊細な指が、異国の文字列を叩いた。



 シェートの目の前で、地平線が沸いた。

 叫びと共に槍列が身じろぎし、こちらへと近づいてくる。彼我の距離はまだあるはずだが、足元の草を踏みつけ、潅木をものともせずに歩み来る軍靴の音が、すぐ側で聞こえるような錯覚を覚えた。

「一気に押しつぶす気か。どうあっても、手間を掛けずにさっさと終わらせたいらしい」

 ベルガンダの声は戦の熱気に酔いしれ、どこまでも嬉しげだ。その声に当てられた周囲の兵士達も、微塵も恐怖を感じさせない顔で敵を睨みすえる。

 背筋が凍った。

 周囲を見渡し、状況を確認する。

 何も変わっていない、全てが、元に戻っていた。

「な……」

「シェート?」

 こちらの異常に気がつき、魔将が訝しげな視線を向ける。

 その顔には、何もなかった。

 自分達の勝利が盗まれたことに気がつくそぶりの、ひとかけらも。

「あ……」

 勇者の最後の一言、幻の勝利、その意味。

 そして、指一本でこの状況を作り出した神規の力。

「なんだ……これ」

 土煙を上げて勇者軍が迫る。その威容に、思わず後ずさる。

 その身に巨大なインチキを蓄えたバケモノが、津波となって襲い掛かってくる。

 身を締め付ける恐怖に駆られ、シェートは我を忘れて絶叫した。

「なんなんだ! これぇっ!」

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